ep.4 クルーエル・ドクトリン

#0 イントロダクション

 アマルテアの地に存在する列強国家の一角、シュバーデン帝国。その首都、帝都ザンスパインにおいて、御前会議が行われていた。

 出席者には、国家元首である皇帝に加え、帝国の政治中枢の閣僚たちが揃い踏みである。さらに、帝国軍からは参謀総長も出席していた。


 議題は帝国軍参謀本部より提示された、新たなる戦争計画について。


 シュバーデン帝国は現在、カイラリィ帝国とゴトランタ共和国という列強二国を相手どっての戦争を続けている。

 すでに二正面作戦を展開中であるのに、さらに戦線を拡大させようという参謀本部の計画に、会議は当然のごとく荒れた。


「参謀本部はふざけているのか……? 人、時間、そして金。一連の戦争で、いったいどれだけのリソースがつぎ込まれたと思っている? このうえさらに、中立国への侵攻作戦だと? 軍はいったい、どれだけの浪費をすれば気が済むのだ!?」


「財相の言葉ももっともですが、ここで止めては、今までの犠牲が全て無意味になりますぞ。我々は前へ進まねばならないのです。ただ、勝利のために。本作戦はそのためのものです」


 声を荒らげて出席した軍人たちへと怒鳴り散らす財務大臣に、参謀総長は涼しい顔で返事をする。

 その様を見て、財務大臣は怒りでさらに顔を赤く染めて言い募る。


「言うに事欠いて、犠牲だと? 貴様らが二年で片付くと言って始めた戦争が、今年で何年目になるか知っているのか!? 参謀本部の時計の進みは、ずいぶんと遅いらしいな!」


 参謀総長に向けて、財務大臣はそう吐き捨てた。


「誤解がありますな。我々の試算に問題はありませんでしたよ。カイラリィ、あの老帝国を片付けるのに二年というのは、現実的な見積もりでした。……そうならなかったのは、外務省の責任によるところが大きいと思われますが?」


 少しも顔色を変えずに、参謀総長はそう言ってみせる。

 突然水を向けられた外務大臣は、周囲から集められた睨むような視線に、ただ身を縮こませるばかりだ。


 参謀総長の言う外務省の責任。それは、カイラリィとの戦争中に、ゴトランタによる奇襲を受けたことだ。帝国外務省は当時、ゴトランタと結んでいた不可侵条約を完全に信じ切っており、この条約破りはまさに青天の霹靂と呼べるものだった。


 結果、帝国は本土へのゴトランタ軍の侵入を許してしまう。


 しかし、ゴトランタの乾坤一擲のこの奇襲は失敗した。アマルテア最強と名高い帝国軍とその頭脳である参謀本部によってだ。


「ゴトランタの侵攻軍を殲滅する手間がなければ、カイラリィなど、とうの昔に城下の盟を誓わせていましたよ」


 平坦な声色で参謀総長はそう発言する。


 その言い分に、偽りはないであろうことは、閣僚たちの全員が理解していた。それだけの実力が帝国軍にはあったし、先の奇襲への対応でもそれを示してみせた。


 ゴトランタの奇襲に対し、参謀本部は平時より策定していた防衛計画のひとつを即座に実行。鉄道網を駆使した高速の動員と戦力機動により、帝国本土まで侵入したゴトランタの軍勢を完全に撃滅せしめた。


 その手腕に、財務大臣も含めこの場にいる閣僚の誰もが、さすがは神算鬼謀の参謀本部と称賛したものだ。


 だが、問題はこの後だった。


「ゴトランタの侵攻軍を撃滅したのは、いい。だが、そのままの勢いで逆侵攻をかけたりするから、こんなことになったのではないのか? 帝国はカイラリィとゴトランタ、列強二国を相手の戦線を抱えることになった」


 そう苦言を呈するのは内務大臣だ。


 ゴトランタの奇襲攻撃を凌いだのち、参謀本部は本国防衛のために動員した戦力をそのまま、ゴトランタ方面への侵攻軍として再編成。帝国政府の承認を得ないまま、独断で逆侵攻を仕掛けた。

 帝国との戦争により、本土を侵され死に体を晒しているとはいえ、カイラリィは列強の一角に名を連ねる国家である。そちらを片付けぬうちから、二正面作戦に打って出るなど、正気の沙汰ではない。


 軍の独断専行に、当時の帝国政府は泡を食った。


「内相の言われることも、もっともであろうよ。軍が独断専行で無茶な二正面作戦などやるから、いつまでもカイラリィとの戦争が終わらないのではないか。まずはあの老帝国との戦争を片付けるのが先決だ。現状で新しい戦争など、考えられんことだ」


 内務大臣の言葉に、財務大臣がすかさず同調する。


 帝国の財務を取り仕切る者として、これ以上の戦争拡大など言語道断であると彼は考えていた。

 しかし、陰の皇帝とも称される参謀総長の要求する予算を断るのは、容易なことではない。帝国の軍事予算は聖域と化しており、これにメスを入れようとして、すでに何人もの官僚のクビが飛んでいる。


 財務大臣としては、他の省庁も巻き込んでどうにかこの戦争計画を否決に持っていきたいところだった。できることなら皇帝にも協力を仰ぎたいのだが、国家元首のはずのあの老人は政治にも軍事にも無関心で頼りにはならない。


「二点、訂正させていただきたい」


 閣僚たちの厭戦ムードなど意にも介さず、慇懃な態度のまま参謀総長が言う。


「まず一点。お歴々は、当時の参謀本部の判断により戦争が継続しているとお考えのようですが、それは見当違いというものです。敵侵攻軍を撃滅したあのタイミングでこちらから仕掛けなければ、ゴトランタはカイラリィへの援助を継続しつつ、戦力を回復させ再度侵攻してきたでしょう。こちらから攻勢に出ることで、我が方は完全にゴトランタの意表を突くことができた」


 逆侵攻には帝国政府も仰天したが、それ以上に驚愕したのはゴトランタである。

 送り出した侵攻軍が壊滅したことにより、数多の将兵に少なくない騎士を失ったゴトランタには、戦力を整える時間が必要だったのだ。その時間を与えないためだったとはいえ、独断専行を悪びれもしない参謀総長に、財務大臣が食ってかかる。


「その言い訳は何度も聞いた。だが、講和という手もあったはずだ。連中はあの時点で、条約破りをやったうえに相当な戦力を喪失していた。有利な条件で手打ちにできただろう」


「講和したとして、相手は条約破りをやった国です。不可侵条約を再締結したところで、それが信用できますか? 結局、ゴトランタ方面の防衛体制のために戦力を取られることになります。そのうえ、連中からカイラリィへの援助を止める手立てもない」


「そういった政治判断をやるのは、参謀本部ではない。貴様らは自らの勝手な理屈に基づいて、独断専行をやった」


「独断専行はよろしくありませんな。しかし、戦いというものは機を見計らわねばなりません。このような会議を通していては、機を失います。それにあの決断は、戦時下において参謀本部に委任されている権限内で十分に認められていることです。結果的にゴトランタの戦力が回復する前に、軍は敵の国境まで辿り着くことができました」


「よくもいけしゃあしゃあと……! だが結局、その国境線を抜くことができていないではないか!」


 財務大臣の発言のとおり、帝国軍はゴトランタの衛星国を突破し、その本土まで迫ったが、国境線を抜くことができていない。


 帝国軍の逆侵攻に慌てたゴトランタは、配下の衛星国を捨て石にし、本国の防衛態勢の構築を図った。

 悲惨なのは列強同士の戦争に巻き込まれた力無き国々である。宗主国の命に従い、ゴトランタ軍の通過に協力したこれらの国々は、報復に燃える帝国軍の蹂躙を受けることとなった。


 ゴトランタは帝国軍の侵攻から配下の国々を守るどころか、平然と見捨てた。それどころか、時間稼ぎのために焦土作戦を強要したりもした。

 その振る舞いにより、ゴトランタの宗主国としての信頼は失墜。だが、かといって帝国に降ろうにも、突きつけられた降伏条件は苛烈極まるものだった。


 結果として、多くの国が滅亡の道を辿ることとなる。帝国は統治よりも進軍を優先したため、地域によっては統治機構が完全に消滅。無政府状態の土地もあるくらいだ。


 彼らの犠牲により、ギリギリのところで防衛態勢の構築を間に合わせたゴトランタは、今も国境間際で帝国軍との激戦を繰り広げている。


「財相、この説明は今までも何度もしました。ここで蒸し返すことに、なんの意味が?」


「貴様らが、また無茶な戦争をやろうとしているからだろうが!」


 財務大臣と参謀総長の言い争いは、過熱するばかりで決着がつく様子はない。

 見かねた他の閣僚たちが、財務大臣をなだめにかかる。


「……財相。あなたの言わんとすることは、わかる。だが、その話は過去に何度も繰り返してきた。本会議の議題ではない」


「左様。この場は参謀本部の提示した、新規の軍事作戦の是非についての会議ですぞ」


 周囲からそう言われ、財務大臣は渋々と矛を収める。


「では、二点目の訂正を。これは本会議の議題に直結することですのでね」


 財務大臣が黙ったのを見て、参謀総長が何食わぬ顔で、自身の話を続けた。


「皆様は本作戦で戦火が拡大するとお考えのようですが、違います。これは、あの老帝国にとどめを刺すための作戦です」


 自信満々に語り続ける参謀総長に、閣僚たちは眉を顰めながらも黙って聞いている。


「あの忌々しいゴトランタの支援により、瀕死のカイラリィは防衛線の構築に成功しました。しかし、そのゴトランタも今や本国防衛で手一杯。この防衛線を無力化すれば、あの老帝国にはもはやなすすべはない」


「……侵攻先はヴィアゴル王国か。敵の防衛線を迂回するための通り道。ただそれだけのために、かの国に侵攻するというわけか」


 閣僚のひとりが作戦資料に目を通しながら言う。


「ご明察です。かの国は小国ではありますが、山岳地帯に堅牢な要塞群を備えています。これを、かねてより用意していた新設の部隊により無力化することで、年内に決着をつけます」


 用意していた新設の部隊。財務大臣はそれを聞いて、どの部隊か見当がついた。

 莫大な予算をかけて編成された、参謀本部の提唱する新戦術のための実験部隊だ。


「あの金食い虫の、航空実験群とかいう部隊を使うのか?」


「今は第一航空機動戦隊と名称を改めています。すでに国境間際に仮設飛行場を設置し、部隊を駐屯させています」


 第一航空機動戦隊ということは第二もあるのか。あの金を湯水のように使う部隊がまだ増えそうなことに、財務大臣は頭が痛くなった。


「ふん。ヴィアゴル王国は、参謀本部の新しい玩具の実験場に選ばれたということか」


 金遣いの荒い軍に、財務大臣としてはいろいろ言ってやりたくもあったが、それだけの嫌味を言うに留めた。


「だが、そうそううまくいくのか? あの国には剣聖がいる」


 閣僚のひとりが懸念を口にする。


 ヴィアゴル王国は規模としては小国である。しかし、かの国には無視できない戦力があった。

 剣聖として名高い、アマルテア最強とも称される騎士がいる。


「騎士オルレアか。最終的に負けはしなくとも、かの騎士の相手は苦しいだろうな。直接矛を交えるだろう猟兵隊に、馬鹿にならん損害が出るぞ」


「心配無用です。我が軍で直接、騎士オルレアに当たる必要はありません。……特別な傭兵を雇っています」


 閣僚たちの懸念を払拭するため、参謀総長がそう言った。


「騎士オルレアと戦える傭兵……? そんな傭兵がいるのか?」


 閣僚のひとりが当然の疑問を発する。


 騎士オルレアの武名はアマルテア全土に轟くほどのものだ。並の騎士では相手にならない。列強に属する騎士、それも筆頭騎士の位にいるものでもなければ勝負にもならない。

 帝国軍であれば、騎士に相当する兵種である猟兵をぶつけるのが筋だろう。

 フリーランスの傭兵では無謀もいいところだ。普通の傭兵であればだが。


 財務大臣は普通でない傭兵に、心当たりがあった。


「……人形遣いか?」


「察しがいいですな、財相」


 財務大臣の問いかけを参謀総長は肯定する。

 悪魔の人形と、それを使役する人形遣い。その存在は、帝国上層部ではそれなりに知られていた。


「例の王殺し、か」


「あの噂の悪魔を、騎士オルレアにぶつけるのか……」


 人形遣いと聞いて、閣僚たちが口々に呟く。その声色はネガティブな色を含んだものが多かった。


「連合王国と睨み合いになったあの小国の内乱で、人形遣いは王殺しをやった。信用ならんぞ。飼い犬に手を噛まれるような事態にならんのか?」


 閣僚のひとりが言う。


 数年前、とある小国の内乱で帝国は片方の陣営に肩入れを行なっていた。先の話にも出た、航空実験群と呼ばれる部隊の創設に、この小国が重要な役割を持っていたからだ。

 早期の動乱終結のための介入だったが、この内乱は帝国が肩入れした陣営の敗北という結果に終わる。帝国側の陣営に傭兵として雇われていた人形遣いが、雇い主であるはずの同陣営のトップを突然に殺害したためだ。


 この裏切りともいえる行為のため、事情を知る閣僚たちからの人形遣いへの信用は低い。


「王殺しは正当防衛ですよ。過剰ではありましたがね。あの田舎の小国では彼らを持て余したかもしれませんが、我が軍では扱いを間違えることはありません。人形遣いはあれで話のわかる男です」


「そもそも、いくら強いといっても自動人形だろう? どこぞの小国の田舎騎士ならともかく、あの騎士オルレアに勝てるのか?」


「騎士オルレアとあの人形、互角の条件で戦えば、人形が勝つ。それが、双方を実際に見たことのある人間の評価です。加えて、人形側には我が軍のバックアップもあります。問題ありますまい」


 閣僚たちの疑念に参謀総長は淡々と答えていく。


 当初は新しい戦争など問題外、そういう雰囲気の会議ではあったが、徐々に空気は変化していた。カイラリィとの戦争に終止符を打つことができるのなら、閣僚たちのそういう思いがそうさせていた。

 だがそれに待ったをかける人物がいた。財務大臣だ。


「帝国の財政は、すでに限界を超えている。財務省として、これ以上の戦線拡大は許容できない」


「カイラリィとの戦争が長引けば、同じことでは? いっそ手早く終わらせた方が財政への圧迫は少ないものとなるでしょう」


「そもそも、カイラリィとの戦争は、これ以上継続する意義があるのか?」


 財務大臣は会議の議題を、前提条件の問題にシフトさせた。


「ことの発端は領土問題だ。ここまで痛めつけられたのだから、あの老帝国とて、こちらの要求に折れるだろう。講和できるはずだ。わざわざ敵首都を陥落させて、城下の盟を結ばせることもあるまい」


「これはこれは……。慈悲深いお言葉ですな。あの死に損ないの老帝国を、あと一歩で始末できるのに」


「慈悲で言っているのではない。実利の話だ。参謀本部は軍事的勝利に拘りすぎではないのか? 戦争を継続し勝利することが、帝国の利益に結びつくとは私には思えん」


 強気な対決姿勢を崩さない財務大臣に、周囲の閣僚たちは息を呑む。


 財務大臣に限らず、軍に対して物申したい人間は山ほどいたが、実際に文句をつける者は多くない。


 怖いからだ。


 政府内で軍に逆らってクビが飛んだのは一人や二人の話ではない。失脚するだけならまだいい。物理的にクビが飛んだ人間すらいる。


「……聞き捨てなりませんな、財相。そのような敗北主義的発言をする者は、国家の敵として拘束しなければなりません。発言を撤回していただきたい」


 ここにきて参謀総長は慇懃な態度を捨て、低い声で警告を発する。

 その警告を財務大臣は鼻で笑ってみせた。


 緊迫した空気が、会議室に満ちる。


 誰もが発言を控え、静かになってしばらく。そこに、鶴の一声が差し込まれた。


「戦のことであれば、参謀本部がはからえばよかろう」


 国家の行く末を決める会議にあってひどく場違いな、心底どうでもよさそうな声だ。

 発言の主は、会議テーブルの上座に座る老人。皇帝だ。


 出席者たちが唖然としているうちに、皇帝は席を立つ。それと同時、会議室の大きな柱時計が音を鳴らした。

 それは、会議の終了時刻を告げる音だ。


 ボーンボーンと時計の音が鳴り響く中、皇帝は出口へ向けてゆっくりと歩いていく。


「陛下!? それはどういう――」


「では陛下、参謀本部の提案をご承認いただけると、そう判断してよろしいですね」


 皇帝の真意を問いただそうとする財務大臣の言葉を遮り、参謀総長が確認を入れる。


「余ははからえと言った。それ以上のことはない」


 それだけ言って、皇帝は会議室をあとにした。



 従者を引き連れ、帝城の回廊を悠然と歩く皇帝。


 そこへ息を切らしながら、駆け寄る人物があった。先の会議の出席者である財務大臣だ。


「陛下! どうかお考え直しください。昨今の軍の暴走は目に余りますぞ。これを許していては、帝国は……!」


 近衛兵に行手を遮られながらも、息も絶え絶えに財務大臣は直訴した。


 このまま軍の好きにやらせては、帝国の未来は暗いものとなる。彼はそう信じていた。そして皇帝には、その未来を変えるだけの力がある。

 だが、その必死の直訴も、皇帝の心には響かない。


「この浮世も、しょせんは幻。国ひとつどうなろうと、構うまいよ」


「へ、陛下……」


 どうでもよさげに言い放たれた皇帝の返事に、財務大臣は言葉を失った。


 皇帝の言う国ひとつとは、これから蹂躙されるであろうかの王国ではない。このシュバーデン帝国のことだと、理解したからだ。


 愕然とした様子の財務大臣を見て、皇帝は笑った。

 帝城の広々とした回廊に、老人の静かな笑い声が木霊した。

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