#12 夜空から星降れば
夜の帳が下りた頃、満天の星の下にキミヒコたちはいた。
教会宿舎の屋上に集合したキミヒコとホワイト、それにアデラインの三人での天体観測だ。三人とも教会から貸し出された防寒ローブを羽織っている。ホワイトには必要なさそうだが、アデラインがわざわざ用意してくれたのでキミヒコが羽織らせた。
とはいえ、ホワイトは天体観測に興味がないようで、屋上をフラフラと歩き回っている。
そんなホワイトをよそに、キミヒコはアデラインとの天体観測を行なっていた。
望遠鏡を用いての惑星や星雲の観察をしたり、星座の見つけ方のレクチャーを受けたりと、最初はあまり興味もなかったキミヒコだったが、意外にも楽しめた。
特に星座については手が込んでいて、アデラインはお手製らしきボードの絵を用いて、わかりやすく説明してくれている。天文学が得意というだけのことはあって、聞きごたえのある解説だった。
気になっていたおおぐま座の解説もしてくれたが、この世界でおおぐま座は架空の生物の星座となっているらしい。もといた世界のドラゴンやユニコーンのような扱いということだ。
現在はオリオン座の解説中である。これもこの世界ではどういう扱いなのか、キミヒコとしては気になるところだ。
オリオンはギリシャ神話の登場人物である。今まで解説してくれた星座もギリシャ神話由来のものが多いが、その点にはさすがに触れられていなかった。
「天文部によればオリオンとは、狩人の男性だそうです。オリオン座は右手にこん棒を持ち、左手に動物の毛皮を持っている男性の姿をモチーフとしているそうですよ」
「……天文部では、オリオンはどのような人物という扱いなんでしょうか?」
キミヒコはオリオンについて、突っ込んで聞いてみた。
今までの話ぶりからするに、ギリシャ神話の知識はこの世界にはなさそうである。ちょっと意地悪な質問だったかもしれないとキミヒコは思った。
「オリオンがいったいどこの誰なのかは、教会では伝わっていません。天文部の上層でしたらもしかしたら知っているかもしれませんが、秘匿する理由もなさそうですし……もしかしたら、誰も知らないのかもしれませんね。……キミヒコさんはなにか知っていますか?」
解説を聞いていると、なぜか逆に質問される。
オリオン神話にはいくつかバリエーションがある。オリオンが慢心により神々の怒りを買って、放たれた刺客であるサソリによって殺される。そんな話をキミヒコは知っていた。
とはいえ、知っているからといって馬鹿正直にそれを話したりはしない。
「さあ……? 見当もつきませ――」
「嘘ですね」
すっとぼけようとして、アデラインにそう遮られる。
キミヒコは思わず目を瞬かせた。
「ふふ……。驚きましたか? 私、嘘がわかるんですよ」
アデラインが、妖しく笑いながら、囁くように言う。
……嘘がわかるだと? そんな馬鹿な。ハッタリに決まってる。それに、なんだ? この女、急に雰囲気が……。
アデラインの発言をブラフだと断じつつも、キミヒコは内心では動揺していた。
「オリオンについて、教えていただけませんか……? なんでしたら、交換にしましょうか? キミヒコさんの知りたいこと、教えて差し上げてもいいですよ。私、これでも大司教ですから……ね?」
黙っているキミヒコに、アデラインはそんな提案をしてくる。
突如として豹変したアデラインの言葉と態度は、心の中を見透かしてくるようでキミヒコの神経に障った。これ以上彼女と会話をしたくない。キミヒコはそう思った。
「おやおや……。大司教ともあろう方が、そんなお喋りをしてもいいんですか? 教会だって、知られたくないことの一つや二つ、あるでしょうに」
だからそんな提案には乗らない。キミヒコはそう続けようとしたが、それより早くアデラインが口を開く。
「大いなる意志について、などはいかがでしょう?」
アデラインの言葉に、再びギョッとしてキミヒコは黙り込んだ。
大いなる意志。キミヒコをこの世界へ送り込んだ存在。アマルテアの地においては、おとぎ話の存在として、願いの神とも呼ばれている。
大いなる意志という言葉を使うのは、キミヒコが知る限りホワイトだけだった。そのホワイトもその存在については、朧げにしか知らないらしい。
そんな大いなる意志について、アデラインは知っていることがあるようだ。そしてそんな提案をするということは、キミヒコの出自について見当をつけている可能性がある。
……この女、俺の出自に見当をつけてやがるのか。やっぱり、ピアノの件がまずかったか?
キミヒコの警戒感が高まる。それを察知してか、ホワイトがいつの間にか、アデラインの背後に佇んでいた。キミヒコが指示を出せば、すぐさまアデラインの首をはね飛ばすだろう。
「……大いなる意志、ですか。おとぎ話で言うところの、願いの神というやつですね」
「ええ、そうです。一般に願いの神と呼ばれる存在を、教会の上層部では大いなる意思と呼んでいます。あるいはその存在を認知している、他の組織や古代からの旧家などもそう呼ぶようですね」
キミヒコは会話に乗ることにした。
今の状況は、キミヒコがアデラインの生殺与奪の権を握っているに等しい。当然、殺してしまえば大変なこととなるので、そんなことはできない。だが、会話の主導権を握るにはいい状況であるのは確かだ。
それに、このまま終わらせてしまえば、アデラインがキミヒコの出自についてどこまで知っているかわからないままだ。異世界人であることが、どの程度のリスクになるかもわかっていない現状で、それは避けたかった。
「大司教は、その大いなる意志の、なにを教えてくれると言うんですか?」
「それはもう、大司教の位で知り得ることなら、なんなりと。ふふ……そう脅かさなくても、私はキミヒコさんの味方ですよ」
「……味方?」
「ええ、それはそうでしょう? あなただって、私のこと、わかっているはずですよね」
キミヒコにはアデラインの言うところの意味が理解できない。
今の彼女は、昼間の純朴な姿とは打って変わって、なんともミステリアスな雰囲気を醸し出している。
そして背後のホワイトにも、しっかりと気が付いている。ホワイトの殺意に当てられながらも、平静な態度を取れるのだから、大したものだとキミヒコは感心した。
「……オリオンは腕のたつ狩人でした。彼は――」
キミヒコはオリオンについて、知っていることを語り出した。
おそらく、アデラインにはピアノの演奏を披露した時点で怪しまれていたのだ。いまさら、神話の知識を隠匿したところでどうにかなるとも思えない。
そんな理屈のような言い訳のような、はっきりとしない心情のまま、キミヒコは解説を続けた。
「――そういうわけで、オリオン座はさそり座が地平線から昇ると、逃げるように沈んでしまうんですよ。オリオンはよほど、自身を殺したサソリが恐ろしいんでしょうね」
これでおしまい。そういう意図を込めて、キミヒコはアデラインを見つめる。彼女は微笑を浮かべたままで、その真意は読み取れない。
「ご期待に沿えましたかね? 私が知っていることなど、これくらいのものですが」
「……ご謙遜を。キミヒコさんの語った真世界の神話は、教会の学術会の人間なら、泣いて喜ぶほどの知識ですよ」
どうやらアデラインの期待には沿えたらしいと、キミヒコは息をついた。そして「真世界」に「教会の学術会」という単語が、キミヒコの耳に残る。
……真世界ってのは、俺の元いた世界のことか。教会の学術会とやらは、それについて調べている。そういうことかな。
そこまで考えて、思考を打ち切る。ことの真偽はアデラインに喋らせればいいことだ。
自分は話したのだから、今度はそちらの番。そういう意味の視線をキミヒコは向けた。
「……キミヒコさんもご存知のとおり、大いなる意思は実在します。そもそも言語教会の広める神聖言語は、大いなる意志により授けられたものです」
キミヒコの視線を受けて、今度はアデラインが語り出した。
「我々が暮らすこの大地、そして天上の星々は、真世界の幻影であると言われています。大いなる意思は、真世界を模してこの幻影世界を創造した存在です。この惑星、太陽、月、そして星々の配置は真世界とほぼ同じに創られている……。キミヒコさんが、星座について気にしていたのは、このあたりが原因なのでは?」
アデラインの問いかけに、キミヒコは答えない。無言で話の続きを促す。
「……大いなる意志が、どういう意図を持ってこの幻影世界を創造したのか。それは誰にもわかりません。存在としての次元が違いすぎて、推察することすら不可能でしょう。ただ、大いなる意志は、この惑星の生態系や地形については、ずいぶんとアレンジを加えたようです。そして時折、真世界の存在をこの幻影世界に落とすこともある。そのうえ、接触した存在の願いを叶えることも、ね。……まあ、このあたりは、キミヒコさんの実感するところなのでしょうが」
アデラインが語るところの真世界、キミヒコがそこから来たことは、もう見当がついているようだ。
キミヒコはそれについて、肯定も否定もしない態度を貫いているが、アデラインには通用していないらしい。
「言語教会は、言葉の垣根をなくし正しき教えである聖句を広め、人々を救う。そのような建前で存在する組織ではありますが、上層部の実態は異なります。大いなる意志や真世界について研究し、それらに近づくための学術機関というのが正確なところです。……神聖言語も、その研究成果の一つにすぎません」
そこまで話して、アデラインはひと息ついた。
それまでの妖艶な表情から一変し、どこか心配するような声色になる。
「キミヒコさん、お気をつけください。教会深部の学術会は、真理の探究のためなら、あらゆることを許されていると聞いたことがあります。それこそ、表には出せないようなことでも……」
アデラインは、キミヒコにとってためになるアドバイスをしてくれる。やはり、キミヒコの出自は、秘匿する方が無難であるらしかった。
だが、そのアドバイスをしてくれた張本人に、その秘匿するべき情報が漏れている。
「……ご忠告、痛み入ります。ですが、そも大司教自身も、教会の人間ではありませんか。なかなかに、恐ろしいことを言うものですねぇ……」
平静を装いながら、キミヒコが皮肉る。
さて、どうやって口を封じてもらおうか。そんなことを考えながら、懐から葉巻を取り出す。
ホワイトに火をつけてもらおうと指示を出す前に、アデラインが口を開いた。
「……火、つけますよ」
そう言って、アデラインはパチンと指を鳴らした。
それと同時に、キミヒコが咥えていた葉巻の先に火が灯る。
「どうです? なかなかの魔力コントロールでしょう?」
得意げにアデラインが胸を張る。
どうやら、魔術によって火をつけてくれたらしい。もしこれが、ホワイトに攻撃と判定されていたなら、彼女の命はなかった。
なかなか危ない真似をするものだとキミヒコは思ったが、それ以上に気になることもあった。アデラインが
「
「しているわけ、ないじゃないですか……。これでお互い、秘密を握り合いましたね、キミヒコさん」
「……」
笑みを浮かべてそんなことを言うアデラインに、キミヒコは葉巻をふかすばかりで返事をしない。
……わからん。どういうつもりだ、この女。教会の内部情報をペラペラ喋ったかと思えば、自分の弱みも暴露するとか。
アデラインの行動は、キミヒコには意味不明だった。
好かれているらしいのは理解していたが、異性としてかというと疑問が残る。仮に一目惚れのようなことがあったとしても、一連の流れは突飛すぎるように思えた。
「……今宵の秘密の語らいは、このくらいにしておきましょうか。それとも、まだなにか聞きたいこと、ありますか?」
「……嘘がわかると言っていたのは?」
「ふふ……。さあ、どうでしょうね……」
キミヒコの問いに、アデラインは妖しく笑いかけるだけだった。
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