#11 黄昏の領域

「ええ。星座の命名は、ゲドラフ市の教会天文部で行なわれていますよ」


 星座について疑問に思った日の翌日、星座についてアデラインに尋ねてみると、そんな答えが返ってきた。

 ホワイトの言ったとおりで、教会の天文部という部署で星座の命名が行われているらしい。


 ちなみに今いる場所は例のピアノの部屋だ。キミヒコが今日もここで暇を潰していると、アデラインが来たのだ。どうもこの部屋は、彼女のお気に入りの場所のようだった。

 交流のあるブラムドは忙しそうだし、他の聖職者はどことなくキミヒコのことを避けている雰囲気なので、恐れ多くも大司教である彼女に質問することになった。


「キミヒコさんは星座にご興味が?」


「ええまあ、少し気になることがありましてね」


「……もしよろしければ、私と天体観測などいかがでしょう? 天文学は聖職者の必須教養です。私も修めていますので、星座を見ながら説明できます。この時期なら、オリオン座や双子座がよく見えますよ」


 どこか上擦ったような声で、アデラインがそんな誘いをしてきた。


 天体観測か。俺は実際の星を見たいんじゃなく、元いた世界について、教会が認識しているかどうかを確認したいだけなんだが……。


 せっかくのお誘いではあるのだが、キミヒコは乗り気ではない。

 アデラインは大司教で教区長だ。どこの馬の骨とも知れぬ男とは、あまり親密になるべきではないだろうという考えもある。


 そう思ってキミヒコは断ろうとしたのだが、なぜか期待のこもった眼差しを向けられていて断りづらい。髪の間から見える耳が、僅かに赤く染まっている。


「……大司教のご迷惑にならなければ、ぜひ」


「……! ええ、任せてくださいね。それでは、明日の晩は大丈夫ですか?」


 ついつい、了承の返事をしてしまう。

 明日とはずいぶんと急な話であるが、特に予定もないので問題はなかった。


「明日ですね、わかりました。それと私の使役魔獣の自動人形なのですが、教会宿泊の規定で、部屋に置いていくわけにはいかないのです。連れて行っても構いませんか?」


 ホワイトはキミヒコの監督なしに、この教会に立ち入らせることはできない。そういう約束で泊めてもらっている。

 仕事に出たホワイトを、わざわざ毎回迎えにいくのはこのためだった。


「あの金色の瞳のお人形さんですね。もちろん構いませんよ」


 あっさりとホワイトの参加も認められ、キミヒコは訝しんだ。

 ホワイトの危険性をアデラインは理解していないのだろうか。聖職者たちは魔力の扱いに通じているためか、ホワイトを見ると嫌な顔をするのが普通だった。


「ふふっ、今から楽しみですね。私は天文学が得意なんです。わからないことがあれば、なんでも聞いてくださいね」


 いつになく弾んだ声で、アデラインはそんなことを言う。


 なんでこんなに好かれてるんだ……? なにか好意を持たれるようなこと、あったか……?


 キミヒコはこういったことにそれほど鋭くはないが、ここまで露骨ならさすがに察する。だが、この展開はあまりに唐突であるとも感じていた。なにか裏があるのではないかとすら思った。


 その後は、またピアノの演奏を聞かせたり弾き方を軽く教えたりして、アデラインが部屋を後にするまでキミヒコは穏やかな時間を過ごした。

 美しい長髪をパタパタと揺らしながら、たわいのないお喋りをする彼女の姿に、なにか裏があるようには見えない。

 彼女はキミヒコでもわかるくらい、終始ご機嫌だった。



「いつの間に手籠めにしたんですか?」


 いつものようにホワイトを迎えに行って部屋に戻り、天体観測の予定について話しての第一声が、これだった。

 主人のことをなんだと思っているのかと、キミヒコは憤然とする。


「人聞きの悪いことを言うな。俺は指一本触れてないぞ」


「なるほど。では、この機会に無理やりなさるおつもりですか。私がいないと年下の女ひとりを組み伏せることもできないとは……」


「違うわっ! 純粋に天体観測をするだけだ。それと、教会についていろいろ聞きたいこともある。あまり他人に聞かれたくないから、周囲の探知をしておけ」


 ただのお飾りだとはいえ、相手は大司教である。言語教会についてはいろいろ知っていることだろう。もしかしたら、キミヒコのもといた世界のこともアデラインは知っているかもしれない。


 ホワイトがいれば盗み聞きの心配もない。異世界人という肩書きが、この世界でどういう意味をもたらすのかわからないので、あまり他人には知られない方がいいとキミヒコは考えていた。


 キミヒコは元の世界に未練があるわけではない。この世界でのんびりと働かずに遊んで暮らす。ただそれだけの、ささやかな望みが叶えられれば満足だった。

 だが、この世界はいろいろと腑に落ちないというか、違和感があるのだ。この機会にその点をスッキリさせておこうとキミヒコは考えていた。


「ああそうだ。お前の糸で、大司教を怖がらせないように配慮しろよ」


 どこまで意味があるかわからないが、一応釘を刺しておく。

 ホワイトの魔力糸は、感知するものに恐怖と嫌悪感を植え付ける。アデラインはあまり気にした態度を見せないが、最低限の気を使った方が無難だろう。


「怖がらせないように? 無用な心配だと思いますが」


「……どういうことだ?」


 ホワイトが妙なことを言う。


 ハンターや聖職者たちは皆、この人形のことを怖がっている。今までキミヒコが出会った騎士でさえそうだった。アデラインも聖職者なのだから、同様であるとキミヒコは思っていた。


「あの女の魔力は、私のものと性質が近いということです。まあ、根本の部分は別物ですがね」


「……他の聖職者連中は、大司教のことを恐れてないぞ」


「魔力の表層だけを見ているから、そうなるんですよ。ここの教会の方々は、本質を理解していないようですね」


 ホワイトが説明をするが、キミヒコには理解が及ばない領域だった。

 だが、ホワイトがそう言うのならそうなのだろう。魔力のなんたるかをまるで理解していないキミヒコは、この手の判断をホワイトに任せていた。

 魔力の性質は十人十色だ。ホワイトの魔力を恐れない人間だって、いないわけではないだろう。キミヒコはそう納得した。


「まあいい。……とりあえず明日に備えて、下見に行くぞ」


「はあ、構いませんが。わざわざそんなことをする意味がありますか? この建物の屋上ですよね」


「大司教が俺に好意を向けてくる理由がわからんからな。いくらなんでも唐突すぎる。お前の同行を許可したからないとは思うが、よからぬ企みの可能性もある。あるいは、他の司教たちからの指示かもしれん。罠のたぐいのチェックをしたり、いざってときに逃げ出せるように周辺を見ておきたい」


 キミヒコはアデラインのことは嫌いではない。だが、人間誰しも腹の底でなにを考えているかなど、わからないものだ。

 今回は話が急すぎるし、警戒するに越したことはないだろうとキミヒコは考えていた。


「他人の好意を信じられぬとは……なんとも貴方らしいですね。今まで生きてきて、生身の女性から好意を向けられたことがないのでしょう」


「……前にも言わなかったか? 世の中、言っていいことと悪いことがあるんだぜ?」


 ホワイトの頭を小突くと、白い髪をふわりとなびかせながらカクンと頭が揺れる。

 この人形の辛辣な物言いはなんとかならないのだろうか。ため息をつきながら、キミヒコはホワイトを連れ立って部屋をあとにした。

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