#8 旋律の調べ
ミサが終わり、部屋に戻って寝直して昼食をとったあと。
暇を持て余したキミヒコは、宿舎に併設されている教会施設の中を見学していた。
外に出て市内をぶらつくのも悪くないが、寒いしホワイトを迎えに行くときでいいかと思い、そうなった。
メドーザ市はアマルテアからカリストへ向かうための玄関口となる。言語教会の巡礼者たちは聖地のあるカリストへ向かうため、その多くがこの教会で宿泊していく。そのため、ここの教会建築は大きく立派な作りをしていた。
聖職者の構成も豪華なもので、司教が三人に大司教までいる。さらに上の位階の教皇と枢機卿はカリストにいるため、大司教といえばアマルテアでは最高位と言っても問題ない。
通常の都市の教区長であれば、司教が務めることが多いのだが、ここは大司教がその役目を負っている。
大司教といえば、大きな国の首都に一人いるかどうかという存在だ。言語教会にとってのメドーザ市の重要性がうかがえる話である。
フラフラと教会内を彷徨っていると、誰も来ないような奥まった一室に、この世界では見慣れないものを見つけた。
……これは、ピアノか。ピアノなんて、この世界にあったのか。
キミヒコの元いた世界の楽器、グランドピアノがそこに鎮座していた。
まったく同じものを現地人が発明したとも考えづらい。元いた世界から流れ着いたのだろうか。あるいはキミヒコのような異世界人が設計したのか。
そんなことを考えながら近寄り、鍵盤を叩いてみる。
久しく聞いたことがなかった、心地よい音が耳に響く。きちんと調律されているらしい。
なんとなく弾いてみたくなり、椅子を引っ張り出してピアノの前に座る。
小さい頃、習い事で無理やりやらされたな……。
幼いころの思い出を振り返りながら、鍵盤に指を当てる。弾いてみたのはベートーベンの交響曲第九番第四楽章、歓喜の歌だ。
キミヒコはここ数年はピアノには触れていなかったが、案外指は覚えているもので、すんなりと弾くことができた。
演奏を終えると、部屋に拍手の音が響く。
入り口の方を見れば、美しいプラチナブロンドの髪を腰まで伸ばした歳若い女性が立っていた。ワンポイントの十字形の髪飾りがよく映えている。
「お見事ですね、キミヒコさん。只者ではないとは思っていましたが、その楽器の演奏までできるとは……」
「アデライン大司教。いえ、まあ昔とった杵柄でして……。勝手に触って申し訳ない」
拍手の主はいつだかにも会ったことがある、アデラインという聖職者だった
教会で世話になるまでキミヒコは知らないことだったが、彼女は驚くことにこの若さでこの都市の教区長であり大司教だ。
先代教区長が突然姿をくらまして、先代の娘である彼女が代替わりで就任したらしい。
「いえ、構いませんよ。マニュアルどおりに調律だけはしているのですが、演奏できるものが誰もいないので、この部屋で飾られていただけのものですから」
やはり、ピアノはそうそうあるものではないらしい。演奏できるものがいないとは、どうしてこんなところにあるのだろうか。
そんな疑問がキミヒコの顔に出ていたのか、アデラインが言葉を続けた。
「ご存知の通り、それはピアノと呼ばれる楽器です。私の父がゲドラフ市でその演奏に感銘を受け、設計図の写しを譲り受けて、この地の職人に作らせたものです」
アデラインがこのピアノの出自を解説する。
ゲドラフ市はカリストにある、言語教会の総本山だ。
「ほう、父君が。……ということは、巡礼の際にですか」
「ええ、もう十年以上前になりますが……」
「十年以上前……? あの、先代教区長の巡礼にはアデライン大司教も同道したと聞いてますが……」
聞くところによれば、アデラインの歳は十代後半だったはず。十年以上前となれば、あの険しい山脈を踏破するには、幼すぎるようにキミヒコには思えた。
「そうですね、私が六つのときのことです」
アデラインの発言を聞いて、キミヒコは唖然とした。
冗談だろ……? あの見るからにやばそうな山々を、その歳で越えたのか。この娘の父親はいったいなに考えてんだよ……。
カリストへの旅は命がけだ。カリストへ至るための山脈は、山道がろくに整備されてないうえに、巨大魔獣であるドラゴンが多数生息している。
この都市から山脈を眺めると空を飛んでいるドラゴンが見えることがあるのだが、あんな巨大な魔獣が目の前に現れたら絶体絶命である。
その危険さゆえに、巡礼の旅を終えてアマルテアまで戻ってこられるものはそうはいない。現にここの教会所属の司教三人は、いずれも聖地巡礼をしたことがないらしい。
そんな危険な旅に六歳の娘を連れて行くとは、キミヒコの感覚からすると頭がおかしいとしか思えなかった。
キミヒコのそんな感情を感じ取ったのか、彼女は慌てたように自身の父の弁明をした。
「父は教会の教えに厳格な方でしたから……。巡礼が私の人生の幸福につながると信じていました」
キミヒコからすれば、親のエゴが娘に押し付けられているようにしか感じない話である。不快とすら思った。
キミヒコはアデラインに変なシンパシーを感じて、同情した。
「……それに、こうして大司教として父の後を継ぎ、このメドーザ市教会を守っていけるのは、あの時に巡礼に同道したおかげです。枢機卿は父だけでなく、私にも大司教への就任権を与えてくださいました」
言い訳をするような口調で、アデラインが続けて言う。
彼女が歳若くも、教会の重役に就いているわけもまた、カリストへの巡礼が関係していた。
教会から新たな位階に任命されるには、基本的にその一個上の位階の聖職者の承認が必要となる。つまり、大司教への就任にはカリストにいる教皇か枢機卿の承認が必要となる。面倒なことに手紙とかでは駄目で、直接承認を受ける必要があるということだ。
このため大司教になりたければ、危険を承知で、カリストのゲドラフ市まで巡礼に行くしかない。
先代教区長がいなくなった際、枢機卿から大司教の就任権を得ているのはアデラインしかいなかった。このため消去法で、まだ年若い彼女が司教の座を飛び越えて大司教となり、メドーザ市の教区長に就任したというのはキミヒコも聞いたことがあった。
教区長は別に大司教でないと駄目という訳ではない。そのため、他の司教がやればいいではないかとキミヒコなどは思わないでもないのだが、そこはやはりこのメドーザ市教会の面子のようなものがあるようだった。
「あの……その、キミヒコさん。もし差し支えなければ、もう一度演奏を聴かせていただけませんか?」
キミヒコが沈黙していたので、気まずく思ったのか、アデラインにそんなことを頼まれる。
「……ええ、私の演奏でよければ。とは言え、ピアノを習ったのもずいぶんと昔のうえに、レパートリーも大してありません。大司教の耳に合わないかもしれませんが……」
「そんなことはありませんよ。演奏の良し悪しを判断できるほど私の耳は肥えていませんが、それでも先程のキミヒコさんの演奏、私は好きですよ」
ニコリと笑みを浮かべながら、アデラインがそんなことを言った。
俺の演奏を褒めてくれる人間が、この世にいるとはな……。コンテストでは、親からも審査員からもさんざんな言われようだったもんだがね……。
心の中で自嘲しながらも、キミヒコとしては褒められて満更でもなかった。
聖者の行進、別れの曲、カノン、アヴェマリア。覚えている定番曲を披露していく。
かなりのブランクがあるのに我ながらよく弾けたものだと、キミヒコは心中で自画自賛する。何回かミスもしたのだが、久しぶりなのでそこは仕方がないことだと自分で自分を誤魔化した。
アデラインはなにも言わず、静かに聞き入ってくれていた。
「……私が弾けるのはこれくらいですね。ご清聴、ありがとうございました」
ひととおりの演奏を終えてキミヒコがそう締めると、アデラインはニコニコしながら拍手してくれた。拍手の仕草も上品な感じで、こちらが照れてしまう。
「とてもよかったです、キミヒコさん。私のわがままに付き合っていただいてありがとうございました」
「大司教が楽しんでいただけたならなによりです。美人のわがままになら、いくらでも付き合いますよ」
「ふふっ、キミヒコさんはお上手ですね」
そう言う彼女の頬には少しだけ朱がさしていた。キミヒコの演奏に興奮したわけではないだろう。
……男に免疫なさそうだな。あまりからかうのはやめておこう。
それはそれとして、キミヒコには気にかかることがあった。ピアノはこの世界ではカリスト由来のアマルテアでは珍しい楽器ということらしいが、自身への追及がない。教会の人間からすれば、キミヒコは神聖言語の習得度といい、露骨に怪しい人間であるにもかかわらずだ。
だがアデラインは特にその辺を追及することはなく、その後もたわいのない会話をして、キミヒコは穏やかな時間を過ごした。
アデラインの大司教の位と教区長という立場は、そう軽いものではないはずなのだが、妙に気安い感じで接してしまった。
こんな調子でいいのだろうかとキミヒコは心配になったが、彼女と仲良くなれて悪い気はしなかったので、まあいいかと深く考えるのをやめた。
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