#7 ミサ
鼻先がひんやりとする感触で、目が覚める。
顔を覆う冷気から逃れるため、布団を頭まで被せようとして、同衾していた人形と目があった。
「……おはよう、ホワイト」
「おはようございます。なかなか早いお目覚めですね、貴方」
「ベッドは固いし布団は重いしで、寝心地悪くてな……。とはいえ、寒くて布団から出る気にならんし、寝直すよ……」
キミヒコたちは現在、教会の宿舎で世話になっている。それまでの高級宿と比較して、部屋の質の低下はどうしようもなかった。
ベットは狭いうえに固く、ギシギシと音を鳴らす。掛け布団は軽くてふわふわの羽根布団ではなく、薄っぺらい癖にどうにも重たい綿布団だった。おまけに部屋の構造が悪いのか建築材が悪いのか不明だが、とにかく冷える。
そのため、朝にベッドから抜け出すにはかなりの根性が必要だった。
「確かに少し早いですが、二度寝をするには遅い時間ですよ。今朝は予定があるんですよね?」
「……そうだった。クソッ、なんで俺がこんな……。それもこれもギルドが悪い。舐めた真似をしてくれたこと、絶対に後悔させてやる……」
ホワイトに指摘され、キミヒコは予定があったことを思い出した。
仕方がないとばかりにベッドから起き上がり、着替えを開始する。この状況に追いやった遠因であるギルドの悪口を、寒さを紛らわせるようにして繰り返す。
ギルドの連中、俺たちを他の有象無象のハンターと同列に扱ってやがる。もっとホワイトの実力を発信するべきだったか? でもそれをやるとなあ……。
ブツブツと恨み節を続けながら、キミヒコは考える。
キミヒコは今まで、ホワイトの実力を喧伝するのは控えていた。騎士殺しの噂に信憑性を持たせたくないからだ。権力に紐付いていない騎士級戦力と知られれば、いらない面倒を呼ぶだけだとキミヒコは考えていた。
しかし、それが仇となってギルドに舐められてこんな状況になってしまった。ハンターとして最強格と認められてはいるが、しょせんはハンターである。一流どころになればそれなりの敬意は払われるが、ギルドにとっては代替が利く人材の域を出ない。ギルドがホワイトの実力を正確に把握していたなら、こんなことにはなっていなかっただろう。それを思えば、今後の振る舞い方にはいろいろと修正が必要だ。
頭の中では今後の方針と振る舞いについてあれこれ考えつつも、口では「後悔させてやる」という言葉を繰り返し続けている。そんな調子で着替え終わると、ホワイトがじっとこちらを見つめていることにキミヒコは気が付いた。
「……受けた恩は忘れても受けた恨みは忘れない、というやつですか」
キミヒコの恨み節を受けて、ホワイトがそんなことを言う。
「そういうことだ。……いや、お前にこのセリフ聞かせたことあったか?」
ホワイトが口にしたセリフを言った覚えはあったが、この人形に向けての発言ではなかったとキミヒコは記憶していた。
「直接はないです。あのハンター相手に喋ってましたね」
ホワイトに言われて思い出す。確か、シモン相手にギルドの受付でそんなことを言った記憶があった。どうやら、この人形はそれを盗聴していたらしい。
「お前な……。まあいい。ともかく、ギルドの連中にはやり返してやるからな。お前も変な弱みを握られないように気を付けるんだぞ」
陰謀を企てたギルドへの報復は、キミヒコの中での決定事項だった。とはいえ、具体的なプランはまだなにもない。差し当たりは、件の大口契約の報酬金をケチをつけられることなく満額もらうのが目標だった。
「……貴方、感情の行き先をうまく逸らされましたね。あの商会への怒りが、ギルドにそのまま向かってますよ」
「かもな。実際、あの会長にはしてやられた感はある。でもまあ、あいつらのことはもういいよ。話の裏付けも取れてるし、あれはこっちが先に仕掛けたみたいなもんだしな」
ホワイトの指摘はもっともなことで、それはキミヒコも認めるところだった。
あの会長はホワイトの危険性を承知していた。それゆえに、キミヒコの恨みの矛先をギルドへと逸らしたような節があった。
だがキミヒコは、もうあの会長親子に恨みをぶつける気はなかった。
ホワイトの盗聴で例の話の裏は取れたし、こうして宿泊先を都合してくれた。ついでに、あの面会の際の高級葉巻を、箱ごとお土産として持たせてくれたこともある。
「受けた恨みは忘れないと言いつつ、あっさり許すものですね」
「ほっとけ。お前と違って、人間様は複雑なんだよ」
「つくづく、面倒なものです。人間の感情というものは」
ベットに腰掛けそんなことを言うホワイトに、キミヒコはため息をつく。白く色づいた吐息が、キミヒコの口から漏れた。
◇
朝日が昇りメドーザ市を照らし始めた頃、キミヒコは言語教会の礼拝堂で聖句を朗読していた。この都市の教会のミサである。朝に二度寝ができなかったのはこれが理由だった。
なかなか立派な礼拝堂で、早朝にもかかわらず多くの人々が詰めかけている。
衆人の注目を集めての朗読であるため、最初はどもったりしないか不安だったが、なんのことはなかった。キミヒコに与えられた神の恩寵は伊達ではなく、神聖言語の習得度はかなりのものだ。一般には難しいとされる聖句の朗読など、なんの苦にもならない。
キミヒコは聖句の内容に興味はないため、本当に読み上げるだけだ。だが、ミサに集まるような信心深い人々は、キミヒコの朗読にしきりに感心していた。キミヒコとしても悪い気分ではない。
ミサが終わり、帰路へ就く人々を眺めていると背後から声をかけられた。
「お疲れ様です、キミヒコ殿。お見事でしたよ。キミヒコ殿の聖句の朗読は本当に素晴らしい。さぞ徳を積まれたのでしょうなあ」
「いえ、そんな……。私などまだまだですよ、ブラムド司教」
「いやいや、キミヒコ殿でまだまだなら、私など司教の位を返上せねばなりませんよ」
朗らかに話すこの男はブラムド司教。キミヒコにこのミサへの参加を打診した聖職者で、そろそろ還暦を迎えるかといった年頃の白髪が目立つ大男である。
「うーむ……大司教が是非に洗礼をと勧めたそうですが、さもありなんという所ですな。キミヒコ殿でしたら、すぐにでも司祭になれますぞ。どうです、もう一度考えてみては……?」
「いえ、ありがたいお話ですが……。私は魔力の扱いがどうにも駄目でして。聖職を務めるには不足がある身なのです」
「ぬう……。実にもったいない話ですな。その典雅とも言える発音は、先代教区長に勝るとも劣らぬものですのに」
言語教会の聖職者の重要な役割の一つに、奇跡の行使がある。奇跡などと嘯いているが、原理は一般に普及している魔術と同一らしい。魔獣狩りのハンターや軍隊の正規兵が使うように、魔力で術式を編んで発動する。
教会が独占する魔法技術、いわば秘術と呼ばれるたぐいのものである。
魔力の扱いは先天的な才能がものをいうのだが、キミヒコはこの才能はからきしだった。血の滲むような努力を重ねて、後天的に身につけるものもいるらしいが、キミヒコにそこまでの熱意はない。
「しかし、こうしてミサに参加していただいて感謝しています。聖句の朗読も聖職のものだけですと、どうにも型通りなだけの習慣になりがちですからな。一般の方でもあのような語りができるということは、我々にもよい刺激になります」
ブラムドは真面目な聖職者だった。
キミヒコの故郷のお寺の坊主もそうだったが、ここアマルテアの聖職者も金に汚い者が多い。
実際に奇跡で神聖言語の習得しようとすれば、それなりのお布施が必要となる。奇跡なしで勉強して身に着けるのも不可能ではないらしいが、相当な難易度らしい。
神聖言語を聞いて生まれ育てば、発声までは身につくらしいが筆記ができない。結局は多くの人が教会へお布施をして、奇跡を施してもらうこととなる。さらに流麗な発音・筆記能力を身につけようとすれば、必要な寄附金は天井知らずだ。
このため、聖職者は基本的に奇跡の行使を主な仕事とするのがほとんどだった。司教の位にありながら、真面目にミサをやって、聖句の朗読などをしているのはこのブラムドくらいのものだ。こういった儲からない仕事は大抵、下っ端の司祭の仕事と相場が決まっている。
「いえいえ、私も教会にお世話になっている身ですからね。これくらい当然です」
逆に言えば、教会の世話にでもなっていなければこんなことは絶対にやらない。なにが悲しくて、この寒い朝からこんな意味不明な催しに参加しなければならないのかと、キミヒコはそう思っていた。
ブラムドと話をしていると、今度は別方向から話しかけられた。
「お兄さん。さっきの朗読、良かったよ」
そちらを見ると、気のよさそうな老婦人がニコニコとこちらを見ている。
「ははは。いや、なにぶん初めての挑戦で心配でしたが、そう言ってもらえると嬉しいです」
キミヒコはとりあえず礼を言っておく。
見たところ足腰が悪そうなお婆さんだが、一人でここまで来たのだろうか。
「初めてだったのかい? 堂に入っていて格好良かったよ。新しい司祭様かと思ったくらいさ」
「いえ、自分はただの流れ者ですよ。教会でお世話になっていましてね。今回はブラムド司教の勧めで、挑戦してみました」
この老婦人と顔見知りらしく、ブラムドが話しかけた。
「おや、ヒューイックさん。足が悪いと聞いていましたが、今日もミサに参加してくれたんですね」
「ええ、司教様。私ももうこの歳です。こうして教会で祈りを捧げるのが、孫のためにしてやれる唯一のことですからね」
「……ヒューイックさんの祈りはきっとお孫さんに通じていますよ。しかし、お体は大事になさってください。無理をして倒れられてはお孫さんも悲しみます」
話の内容をキミヒコはなんとなく察した。
おそらく、この老婦人の孫は神隠しにあったのだろう。メドーザ市内部で人が唐突に行方不明になるというのはキミヒコも知っていた。
人攫いにあったとか、下水に巨大なスライムが隠れ住んでいてそれに跡形もなく食べられてしまったとか、この都市で頻発する失踪事件についてはさまざまな憶測が飛び交っている。
老婦人はブラムドとその後も幾らか話をして、去っていった。
「さっきの方、お孫さんが行方不明に?」
「……ええ。キミヒコ殿も聞いたことがあるかもしれませんが、例の失踪事件の被害者の一人です。行方不明になられてからずっと、こうして孫の無事を祈って教会に通っているのです。いたたまれない話です……」
「そうでしたか……」
人攫いにあったのなら、どこぞの変態にでも売られたか炭鉱にでも送られたか。魔獣にやられたのなら、もう生きてはいないだろう。
その後、ブラムドはキミヒコと少しばかり世間話をしてから礼拝堂を後にした。
今日はこれからどうするか。キミヒコは悩んだ。
教会に世話になっている関係で歓楽街には行きづらい。ホワイトも魔獣狩りの仕事に行かせているのでいない。
キミヒコがこれからどうやって過ごそうか悩みながら聖堂の外に出ると、ひんやりとした空気が鼻腔をくすぐる。外は雪が舞っていた。
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