#23 異世界の車窓から
ダルマシア海。アマルテアの大地に囲まれるようにして存在する内海である。
外洋に比べ、この海は穏やかな気質を持っており、巨大な海洋魔獣もそれほど多くはない。それゆえ、海運や漁業もこの海においては盛んである。とはいえ、あくまで外洋に比べ安全なだけで、海が危険であることに変わりはない。
そんなダルマシア海を眺めながら、キミヒコたちは列車に揺られていた。
「あ、船だ」
「そうですか」
「……お、魔獣が見えるぞ。海のはやっぱりでかいな」
「そうですか」
ホワイトはずっとこの調子だった。
せっかく海が見えるのに、キミヒコが話を振ってもそうですかしか言わない。
「……おい、もう少し会話をしようという努力をしろ」
「そう言われましても、私は目が見えないので海でなにかが見えてもわからないのですが」
言われてキミヒコは思い出した。
……そうだった。こいつは目が見えないから、糸が届かない範囲のことはわからないのか。
ならばと、話題をもっと手近なものしようと視線を海より手前に寄せる。鉄道に並走するように街道が走っているのが見える。そこを一台の馬車が通行していた。
「……あの馬車はわかるか?」
「ええ、わかりますが。馬車がどうかしましたか?」
あのくらいの位置ならば、ホワイトの感知範囲内らしい。
だが、馬車がどうかしたかと言われても、そこからどう話を広げるべきか、キミヒコは悩んだ。
「……馬車か。なあ、馬ってアマルテアでは普通に野生でいるのか? それとも馬牧場とかで増やすのかな」
馬車というよりは馬の話題にする。
キミヒコ自身は特に馬には興味はないが、暇を持て余していたため会話に飢えていた。
「野生でもいますし、牧場にもいますよ。あの馬車の馬はどうか知りませんが、交配により質の高い馬を作り出そうという試みは、各国で行われていますね」
どうやら、馬の扱いは地球とそう大差はないらしい。
馬は移動手段として重宝され家畜化されている。国をあげて品種改良もやっているらしいので、きっと軍事利用もされていることだろう。
地球と同じ家畜。そう考えついて、キミヒコは妙な違和感を覚えた。
「……ここって、馬も犬も猫も普通にいるよな」
「意図がよくわかりませんが、普通にいますね」
「でも、猿とか熊っていないよな」
「はあ。サルもクマもいませんね。サルやクマがなにを指すのかわかりませんが」
今更ながらにキミヒコは思った。ここはいったいどういう世界なんだ、と。
魔力などという摩訶不思議なエネルギーの概念に、魔獣と呼ばれる存在がいる一方で、地球に生息する動植物もちぐはぐに存在している。
環境がまるで違うのに、犬や猫や馬はどうやってこの地に誕生したのだろうか。
もっといえば人類についても謎である。猿がいないため、進化論に則って人類が誕生したとは考えづらい。
そもそもここで文明を築いている人間は、キミヒコと同じホモサピエンスなのか。それさえわからない。
この地の人間はモンゴロイドともコーカソイドともネグロイドともいえないような妙な感じがあった。頭髪の色も奇妙で、ピンクや青い髪の人間も普通に存在する。地球では大まかに分けられていた人種以上の多様性があった。
そのおかげでキミヒコも違和感なく、この世界に溶け込めているのではあるのだが。
「どうしたんです? 黙りこくって」
「ん? ああ、この世界の生物学的考証を少しな」
「はあ、そうですか」
ホワイトのどうでもよさそうな返事に、キミヒコは毒気を抜かれた。
せっかく人がアカデミックな考察にふけっているのにとも思ったが、実際にはキミヒコにとってもどうでもいいことだと気が付いた。
ゲノム解析や化石調査をすれば、この世界の真実に迫れるかもしれない。だが、キミヒコにはそんなことをする能力もなければそこまでの熱意もない。この世界で面白おかしく暮らせれば、関係ないことだった。
そう思い至ると、急になにもかもが馬鹿らしくなる。なんとなく口元が寂しくなって、キミヒコは懐から葉巻を一本取り出して口に咥えた。
「……ホワイト、火を頼む」
「はいはい」
手慣れた動作で、ホワイトがマッチを擦って葉巻の先端に火を付けた。
「煙、嫌いじゃなかったんですか?」
「克服したんだよ。あー、うまいなあ……」
キミヒコにとって煙は死の象徴だったが、今やそれは嗜好品の一つと成り果てていた。
「前までは酒と女に溺れているだけでしたが、煙の味まで覚えてしまいましたか……。もう少し、健康に気を使った方がいいのではありませんか?」
「いいんだよ。どうせ死んだ身だ。すでに死後の世界を生きているんだからさ」
この世界に来て、キミヒコは変わった。
それなりに真面目な普通の人間だったのに、働きもせずに享楽的に生きるだけの存在になった。
前の世界での最期を思い出すと、その傾向はより強くなり、自らのためならば他人を害することも厭わなくなった。
そういった自身の変化に、キミヒコは自分で気が付いていたが、それでいいと思っていた。
どうせ一度は碌でもない死に様を晒したのだ。今度は自身の悦楽のためだけに生きてやる。そう決意していた。
そのために重要なのはこの世界の真実ではなく、ホワイトをどうするかだ。
「おい、ホワイト。次の行き先では勝手に殺人とかやるなよ」
「はあ。では、殺すかどうか逐一確認します」
「……そうしてくれ。緊急時以外はな」
この人形に人間のモラルは通用しない。
キミヒコの前でこそ人間らしく振る舞っているが、ホワイトはどうしようもなく人形だった。
……まあ、そういうところが、いいのだがな。
キミヒコがいったい何を願ったのか。それは結局、いまだに思い出せないままだ。
だがキミヒコは思う。願いの神は自分のことをよくわかっている、と。
ホワイトを見ていると、それがよくわかる。
「……そろそろ停車駅か。あとは馬車を乗り継いでいけば、連合王国から出られるな。……ホワイト、次の場所ではうまくやろうぜ」
「そうですね。善処します」
ホワイトの気のない返事に不安を覚えながら、キミヒコは葉巻を灰皿に突っ込んだ。
そうこうしているうちに、列車はそのスピードを落としていき、やがて止まった。
「さて、行くとするか……」
「ええ、行きましょうか。どこへなりとも、お供しますよ」
サラリとそんなことを言うホワイト。
ホワイトはきっと、キミヒコがなにをしようがどこに行こうが、ついてきてくれる。そんな安心感があった。この人形のそういう部分をキミヒコは好ましく思っていた。
「……お前のそういうところ、好きだよ」
思わずそんなことを言ってしまう。
言ってしまったあとに急に気恥ずかしくなって、ホワイトの顔を見ないように足早に通路を進む。そんなキミヒコの背後から、ホワイトが声をかけた。
「そうですか。私は貴方のすべてを愛してますよ」
なんてことないかのようにあっさりと、そんなことをホワイトは言ってのけた。さすがのキミヒコもこれには面食らう。振り返ってホワイトの顔をまじまじと見つめるが、人形の表情はいつもどおりで、おかしな様子はない。
人間である自分を愛してるなどと、人形が言う。こんなに滑稽なことがあるだろうか。キミヒコは一笑に付そうとしたが、なにかが引っかかった。
……愛か。愛なんて、そんなものあるわけない。だが、本当にそうか? この人形は俺を本気で愛しているとでもいうのか? 今までそんなふうな素振りはなかった。いや、俺が倒れたときは……。
ホワイトのことをわかっているつもりでいたのに、急にわけがわからなくなる。
思考が二転三転して二の句が継げないでいるキミヒコに、人形はそれまでの無表情を崩し、ゾッとするような笑みを携えて囁く。
「意外ですか? でも、愛とは密やかなものでしょう? ねえ、貴方……」
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