#13 現実逃避するクズ

「ただいま……」


「おかえりなさい。ずいぶんと早いですね」


 キミヒコが宿に戻るとホワイトがいた。今日は魔獣狩りはなしのようだ。


 たとえ人形でも、ただいまと言えばおかえりと返してくれる。そんなあたり前のことに安心感を覚える。

 どうやらカタリナが死んだことは、キミヒコにとってそれなりにショックな出来事だったらしかった。


「はぁ……」


「どうしたんです。帰ってくるなり辛気臭いですね」


 ホワイトの軽口に返事をせずに、ベッドに突っ伏す。


 そういえば昼食をとっていなかったことを思い出したが食欲はない。一食くらい抜いてもいいだろう。そう考え、そのままベッドに横になる。


 ぼんやりと天井を眺めていると、どうにも余計なことばかりが頭に浮かぶ。

 カタリナとは最後にくだらない喧嘩別れをしてしまった。衛兵が変な誤解をして、ここまで踏み込んできたらどうしよう。殺人鬼が野放しになっているから当分、歓楽街にはいけないな。

 嫌なことばかりを考えてしまうが、どうにもやめられない。


 ふと視線を横にするとホワイトの姿がキミヒコの目に映る。ホワイトもまた、じっとキミヒコを見つめている。


 ……こいつ、美人だよな。人形だけど、この世ならざる美しさ、だ。


 今更ながら、ホワイトの容貌に目を奪われる。


「ホワイト、ちょっと来い」


 特に意味もなく、キミヒコはホワイトを呼んでみた。ホワイトはなにも言わず、キミヒコの側に立つ。


 一人で横になっていると、気分がどんどん沈んでいく。もうこいつでいいか、添い寝してもらおう。


 そんなことを考えて、キミヒコはホワイトの手を引きベッドに引き入れ、背後から抱きしめた。

 腕に収まる硬質な感触に、やっぱりこいつは人形なんだなといまさらな感想を抱く。


「どうしたんですか急に。私に欲情したとしても、その手の機能はありませんよ」


「欲情なんぞするか。ちょうどいい抱き枕を探してたんだよ」


 そんなことを言いながら、キミヒコはこの白い人形を抱きしめ続けるが、特に抵抗はない。


 こいつのドレス、なめらかな手触りで悪くないな。シルクとかそんな感じだろうか。


 白いドレスの肌触りにキミヒコは感嘆する。


「お前の服、手触りいいな」


「服というか体の一部ですけどね。自在に動かせますし、修復機能が働くのでシワにもなりませんよ。手袋や靴も同様です」


 手袋、靴下といった服飾品も含め、この全身セットでひとつの体ということらしい。


 ホワイトのドレスは袖まであるタイプで、肌の露出が少ない人形だと思っていたが、ドレス込みでのこの格好がこの人形にとっての全裸みたいなものだろうか。


 そんな馬鹿なことを考えながら、ドレスの質感を楽しむ。


 サラサラとした布の質感をひとしきり楽しんだあと、キミヒコは今度は肌に触れてみたくなりホワイトの顔に手をやる。

 硬質だがひんやりしていていい肌触りがした。頬は硬いが、口周りの部分は可動部位であるためか、そこだけ硬いゴムみたいな質感がする。頰と口周りで違う素材のようだが、特に継ぎ目のようなものは見えない。


 口といえば、ホワイトは喉から声を出しているわけではないことをキミヒコは思い出した。


 口から声を出しているわけではないということは、わざわざ喋る際には口パクをしていたのか。なかなか可愛げがあるじゃないか。


 ホワイトは人形なりに人間らしく振る舞おうと努力しているようで、キミヒコは好感を持った。


 その後もホワイトがされるがままなのをいいことに、顔をペタペタ触ったり目蓋を開閉させたりして弄ぶ。


 ……我ながら、変態みたいなことをしているな。


 客観的に見て、大の大人が人形をベッドの上で抱きしめて横になっているのは、絵面的に問題があるだろう。キミヒコにもその自覚はあったが、宿の自室で誰も見ていないことであるし、カタリナの死でナイーブになっているためだと自分に言い訳をしてやめる気はなかった。


 どれ、変態ついでに香りも確かめてみるか。


 変質者のような思考で、ホワイトの白い髪を一房とり、自身の鼻へと近づける。


 ホワイトの髪からは、鉄っぽい香りがした。どこかで嗅いだことのある香りだ。はて、どこだったろうかと思案にふけり、キミヒコは思い出した。


 そうだ、これは血の香りだ。あのシノーペ村付近の森で、こいつが魔獣の返り血で血塗れになったときの……。


――なんでもすごい有様だったらしいぜ。血塗れの臓物塗れの無茶苦茶だったとか。


 血の香りというフレーズで、先程の娼館付近での野次馬の男との会話が、キミヒコの脳内で再生された。カタリナが殺されて、部屋が血塗れだったとかのくだりだ。


 ……おいおいおいおい、ちょっと待って。


 背筋に、冷や汗がつたう。

 キミヒコの思考の中で、点と点が線でつながりそうな予感がした。しかし、それはつながってはいけない線だった。


 なんで……なんでこいつは、こんな危険な香りしてんだよ。


 つい先程までの、どこか背徳的だが甘い、そんな感じのラブコメディな雰囲気は、もうない。唐突にサスペンスの時間が始まってしまった。


 そういえばこいつ、昨日の夜出かけてたな。あのときは魔獣狩りにでも行くのかと思ったがまさか……。


 キミヒコに追い討ちをかけるように、昨晩宿に帰ってきた際の記憶が思い出される。


 いや、まだだ。血の香りが人間の血とは限らないじゃないか。よく考えたらこいつは魔獣相手にいつも血塗れだ。ということは、この香りは深夜の魔獣狩りの匂い。そう決まっている。


 あってはならない可能性を振り払うように、キミヒコは頭を回転させ理屈をこねる。不都合な可能性が事実とならないような理屈をだ。


「……そう言えば、昨日って都市の外に出たか?」


 キミヒコが問う。

 直接的な表現ではないのは、懸念どおりの回答が来るのが恐ろしかったからだ。


「都市の外ですか。いえ、おとといから出ていませんね。このところいい討伐依頼がないので」


 昨日どころか、おとといから出ていない。ホワイトの口から語られた証言は、キミヒコの心をまた沈めた。


 外に出ていないと言うのなら、その危険な香りはどこで身につけたというのか。


 気分が暗く沈みこんでいくキミヒコだったが、唐突にその脳裏に閃きが走った。


 いやまて、こいつの体は時間経過で勝手に洗浄されるが、匂いはそうでないのでは? つまり、この人形は常に血の香りをさせている。これだ、これならば問題ない。


 安堵の息を吐きながら、常に血の匂いがするのも問題だから今度洗ってやらないといけないな、などとキミヒコは考える。

 そしてこの閃きの確証を得るため、匂いの洗浄についてホワイトに問いかけた。


「匂いの洗浄ですか? 私自身は嗅覚の感覚器官がないためわかりませんが、そもそも匂いの元の汚れがなくなるので勝手になくなるはずですよ。見た目の汚れと違ってしばらく残るかもしれませんが」


 果たして、ホワイトの回答はこうだった。


「しばらくって、どれくらいだ?」


「まあ、半日といったところではないですか」


 つまり、今から遡って、半日以内に、その危険な香りを身につけてきた。ホワイトの話はそういうことだった。

 今から半日前といえば、昨晩、カタリナから平手打ちを喰らったキミヒコが宿に帰ってすぐくらいである。しかも、ホワイトはこのゾロアート市から出ていない。


 ……アウトか。これは。


 ことここに至り、キミヒコは観念した。


 直接聞きたい。カタリナを殺したのはお前かと聞きたい。なんでそんなことをしたのか問い質したい。


 直球な質問をすれば、ホワイトは真実を答えるだろう。だが、そうしたい思いをキミヒコはグッと堪えた。


 もしここで、ホワイトが殺人を自供すればどうなるか。有罪確定である。

 しかし、今この場にあるのは状況証拠のみ。それも鉄っぽい香りがするというだけのものだ。現状は推定無罪と言える。


 すでに起きてしまった事実に対して、キミヒコの中での有罪無罪の判定など意味のないことではある。しかし、自身の心の安寧のため、キミヒコはそこにこだわった。


 ホワイトはキミヒコの所有物として周知されている。法的にもそうなっている。つまりホワイトが犯した罪はキミヒコの罪でもある。自身が殺人犯であるなど認められない。となれば、ホワイトが殺人鬼であるなど認めるわけにはいかない。


 自己保身のための思考で、キミヒコはすでにいっぱいいっぱいだ。カタリナの死を残念に思う気持ちなど、とうにどこかへ吹っ飛んでいる。その瞳に、どこか冷酷な色が宿る。


「……ホワイト。お前、昨日の夜出かけていたな。……その最中、誰かに姿を見られたか?」


 キミヒコが次に気にしたのは、対外的な面だ。


 ホワイトが無罪であるのはキミヒコの中では確定事項であるが、周囲がそう判断するかは別の話である。

 自分たちは絶対無罪なのに、難癖を付けられてはたまらない。


「一人だけ私の姿を見られましたね。それがどうかしましたか?」


 今までさんざん期待を裏切る回答をしてきたホワイトだったが、ここにきてようやくその意に沿う言葉をキミヒコは聞くことができた。


 一人だけ。つまり、その一人はもうこの世にはいないのだろうから、目撃者はいないということだ。


 自分たちは絶対に無罪であると心の中で主張しつつも、ホワイトが殺人鬼であると仮定して推察を進めるキミヒコ。


 目撃者はいない。証拠もない。血の匂いなんて気のせいだ。歓楽街の殺人事件とこの人形を結びつけるものなど、なにもない。俺だってそんなことは考えもつかない。つまりこの事件に、俺は関係ない。


 そう結論づけるキミヒコだったが、懸念すべき点があるのも理解していた。


 キミヒコは事件の直前に被害者、カタリナに会っている。しかもトラブルを起こして店を追い出されている。


 事情聴取くらいはあるかもしれない。いったんはそれを覚悟したキミヒコだが、その覚悟を振り払う。連合王国の捜査体制がどんなものかわからないからだ。

 もし捜査がいい加減だった場合、無実の罪を着せられる可能性がある。キミヒコは現在、市民権を申請中ではあるがまだ取得できていない。これでは万が一裁判になった場合が心許ない。


 では逃げるべきか。


 それも選択肢の一つとして考えるキミヒコだが、その場合は失うものが多すぎる。


 このゾロアート市の生活において、キミヒコはさまざまなことを積み重ねてきた。ハンターギルド正会員の地位、市民権の獲得準備、銀行口座の開設、今は宿暮らしではあるが将来的な住処とする不動産の取得準備。これらには、それなりの手間も金もかけている。

 もしこの都市から逃亡した場合、これらの積み重ねの努力はすべて水疱と化すだろう。もっとも、これらはホワイトの無償の奉仕のうえに成り立つものではあるのだが。


 それに、クリスへの負い目もあった。ここで逃亡した場合、キミヒコをこの都市のギルドに紹介してくれた彼には迷惑がかかる。推薦した人間が急にいなくなるのだから、クリスの信用問題になるだろう。逃亡したことにより余計な疑念を捜査関係者に抱かせて、さらにクリスの立場を悪くする可能性もある。


 いろいろな可能性を考慮したうえで、キミヒコは決断した。


「逃げるぞ、ホワイト。すぐに出立する準備をしろ」


 キミヒコは冷酷な声でホワイトに告げる。


 どれだけ失うものが多かろうと、不義理なことになろうとも、保身が第一であるとの決断だった。金も立場も失うだろうが、ホワイトさえいればいくらでもやり直せるという考えもある。


「はあ。逃げるって、どこに行くんですか?」


「どこでもいいが国外だ。明朝に鉄道を利用して……いや、今日の夜行便に乗り込む」


 鉄道ダイヤを正確には把握していないが、確か夜間には貨物便があったはずだとキミヒコは記憶していた。


「チケットが必要なのでは? 今から取れますか?」


「そんなもんいらん。乗務員に金を掴ませるか、無理なら密航だ」


「えぇ……。まあいいですけど。普段から私には常識的な行動を心がけろとか言ってるくせに、貴方も大概ですね」


 誰のせいだと言ってやりたいのを堪え、キミヒコは逃亡の準備に取り掛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る