#5 クズの田舎暮らし

 キミヒコとホワイトがこの村、シノーペ村に来てから半月が過ぎた。


 当初はどうなることかと思ったキミヒコだったが、今のところはどうにかやれていた。

 ホワイトが狩った魔獣はドラゴン以外もかなりの大物であったらしく、その魔石はいい値でギルドに引き取られ、金銭的な余裕もできた。

 懐が暖かくなったはいいが、ここは碌に使い道もないような田舎村なのだが贅沢は言えない。なにしろ現状は身分を証明するものがなにもないのだ。


 今は正規のハンターになるための手続き中で、この田舎村に留まっている。ハンターギルドの正会員となれば、身分証明として申し分ない。さらには魔石取引での手数料やら税金やらの優遇措置を受けられるうえに、フリーパスとまではならないが関所の通過や町から町への移動も融通が利くようになる。


 正直言って、この村の居心地は悪い。だが、あと少しの辛抱だ。キミヒコはそう自分に言い聞かせて我慢していた。


 チョキチョキ……シャキシャキ……。


 これまでのことやこれからのことに思いを巡らせていたキミヒコの耳に、心地よいハサミの音が届く。


「変な切り方は、しないでくれよ」


「はいはい、わかってますよ」


 暇を持て余したキミヒコは、ホワイトに屋外で散髪をさせていた。


「まったく……、こんな異世界に飛ばされたおかげで、行こうと思ってた床屋にもいけなくなっちまった。剃刀は切れ味悪くて髭剃りも碌にできんし、お前がこういうこともできてよかったよ」


 異世界に飛ばされた。馬鹿みたいな話だが、現状をそう認識せざるを得ない。


 動く人形に元いた世界では存在しない魔獣という存在。ホワイトから聞いた、この世界の国家や歴史の概説。地球とはまったく異なる生態系に文明。

 俄には信じ難いことだが、自分はテレビゲームや少年漫画でよくあるファンタジーな世界に来てしまったらしいとキミヒコは考えていた。


 文明も中世とまではいかないようだが、生活レベルはずいぶんと落ちた。

 ここが田舎であるせいかもしれないが、髭剃りすら満足にできない。剃刀自体はあるのだが、電気シェーバーやら安全剃刀に慣れたキミヒコには使い難かった。


「異世界、ですか。そんなものが存在するとは……」


 ホワイトからすれば、キミヒコのいた二十一世紀の日本こそ異世界そのものだったようだ。


「魔力がないから魔法もないし、魔獣もいない……。魔法がないのは不便でしょうが、平和な世界なのでしょうね」


「そうでもない。あの時代、俺のいた国は平和だったが、あの世界の人類史も戦争まみれだった。ここも、そう変わらないみたいだがな」


「世界を跨いでも、魔力がなくても、人間というのは変わるものではありませんか」


 会話を続けながらも、ホワイトはハサミで淀みなく髪を切り続ける。シャクシャクという耳あたりのいい音と共に、切られた髪が体にかけられた白い布にパラパラと落ちる。ふわりとした風が吹き、落ちた髪がどこかへと飛んでいく。


 ひとしきり切り終えたのか、ホワイトはハサミを濡れた布で拭ってからサイドテーブルに置く。野外にわざわざ持ってきたテーブルの上には鏡も置かれており、そこには頭髪がサッパリとしたキミヒコの顔が映った。


「次は髭剃りです。動くと危ないので、おとなしくしていてください」


 髭を剃ると宣言したホワイトは、今度は剃刀をその手に持つ。その剃刀はキミヒコには見覚えがあった。切れ味が悪いうえにシェービングクリームもないため、一向に髭が剃れずに剃刀負けしてしまい散々だった代物だ。


「髭剃りもできるって言ってたから任せるけどさ、その剃刀、切れ味悪いぞ」


「問題ないです」


 キミヒコの心配に対して、ホワイトは短く答える。

 心配を口にしながらも、こいつなら大丈夫だろうとキミヒコは思う。この世界に来てから半月が経ったが、キミヒコはこの人形の能力に全幅の信頼を寄せていた。


「では始めます。顎を上げてください」


 言われたとおりに、顔を上向かせる。椅子の背に体重がかかり、ギシリと軋む音がした。


 キミヒコの顔の肌をなにかがスルスルと走る。剃刀が肌の上をなぞっているのはわかるのだが、髭が剃れているという感覚ではない。


「……ほんとに剃れてる?」


「疑うなら触ってみては?」


 ホワイトの言うとおりに顎を撫でてみると、ツルツルになった肌の感触がする。半月もの間伸び放題だった髭の感触は無くなっていた。


「おお……、本当だ。俺はこの剃刀だと上手く剃れなかったのに、なんでだ……」


「刃に魔力を纏わせてますから。切れ味はいいですが、手元が狂うと首が落ちるので、じっとしていてください。じゃあ、続きをしていきますよ」


 そういえばあのでかいドラゴンの首も手刀で切り落としていたなと、この世界に来た当初のことをキミヒコは思い出した。あれと同じ要領で、剃刀の切れ味を増していたらしい。

 手元が狂うと首が落ちるというのは、比喩でもなんでもない事実なのだろう。この剃刀の短い刀身で人間の首を綺麗に切断できても、この世界ではおかしいことではないのだ。


「……はい、おしまいです。こんな感じでどうです?」


 ホワイトがそう言って、鏡をキミヒコの顔の前に持ってくる。


「おー、いい感じじゃん。ハンターじゃなくて美容院でもやってけそうだな、ホワイト」


 髪の毛はサッパリと整えられ、伸び放題の髭もなくなり、清潔感のある感じになったとキミヒコは喜んだ。


「こんなところで、なにをやっているんですか、キミヒコさん」


 スッキリとした爽快感に浸っていたキミヒコに声がかかる。

 声の方を見れば、赤毛の少女がこちらを見据えていた。キミヒコたちが泊まっている宿の娘、アンナである。


「ん? アンナちゃんか。見てのとおり、散髪と髭剃りだが?」


「そんなことまで、ホワイトちゃんにやらせてるんですか……。それくらい、自分でやったらどうなんです?」


 またお小言が始まった。最初のうちはちやほやしてくれていたのに、今ではなにかするたびに文句を言われる。


 キミヒコはげんなりしながら、はいはいと適当に返事をする。


「まったくもう……。ホワイトちゃんもこの人を甘やかし過ぎですよ」


「……」


 キミヒコへの棘のある態度と裏腹に、アンナはホワイトには優しげに声をかけた。だが、ホワイトはなにも答えない。粛々と無言で散髪の後片付けを行なっている。


 この人形はいつもこうだ。人見知りなのか、他人とは全然会話をしようとしない。初めてこの村に来たときも、一言も発しなかったらしい。


「魔獣使いが魔獣に雑事をやらせて、なにが悪い? それで、なにか用でもあったのかな?」


 ホワイトの様子に嘆息しながら、キミヒコが代わりに返事をする。


「……ギルドからお呼びがかかってます」


「ああ、また呼び出しか。わかった。ここを片付けてから向かうよ」


 なるほど、そういう用件かとキミヒコは得心が行った。


 ギルドからはもう一匹のドラゴン退治の要請を何度もされているのだが、キミヒコはそれをのらりくらりと躱していた。キミヒコは正規のハンターではないため、ギルドは無理強いできない。このため、ギルドは急ピッチでキミヒコの会員登録の作業を行なっていた。


 今回の呼び出しもどうせ、ドラゴン退治の無心か会員登録のためのものだろうとあたりがついた。


「……いったいいつになったら、ドラゴン退治に向かわれるんですか?」


 イライラした様子でアンナが言った。


 キミヒコが村を訪れる数日前、アンナの両親はドラゴンに殺された。悲観に暮れたアンナだったが、いつまでもそうしてはいられない。両親の残した宿を守るため奮起したところで現れたのが、キミヒコとホワイトだ。


 両親の仇であるドラゴンの片割れを退治してくれた二人に、当初は深く感謝していたアンナだったが、今ではギルドの依頼も半ば無視して宿でのんびりしているキミヒコに業を煮やしていた。


「そりゃあ、ギルドに聞いてくれ。まだ正規の会員でもないのに、ドラゴン退治に行ってこいとか無理言わないでくれよ。襲撃があれば迎撃に出るのはやぶさかじゃないが、俺も病み上がりでさあ。今はまだ英気を養うときなんだよ」


 キミヒコの言う英気を養うとは、酒場で飲んだくれていることを指す。


「……っ、この……! 自分じゃなにもできないくせに……! 毎日毎日、昼間からお酒を飲んでるだけじゃないですか! あなたは!」


「えぇ……、ひどくない? もし村までドラゴンが飛んできたらちゃんと戦うって。ホワイトが」


「もういいです! とにかく、伝えましたからね!」


 それだけ言って去っていくアンナの姿を見送る。最後の方は怒りで顔が真っ赤に染まっていた。


「なにを怒ってるんだ、あの娘は。なんか嫌われるようなことしたかな」


「あの娘に限らず、この村での貴方の評判は芳しくありませんが」


「はあ? そんな馬鹿な。俺はこの村の救世主だぞ」


 実際、キミヒコがこの村に来たことにより、村を悩ませていたドラゴンの片割れはいなくなり、ホワイトという戦力が常駐しているおかげでもう一匹の襲撃にもさほど怯えずに済むようになった。

 これで自分の評判が悪いことなどあろうはずがない。キミヒコはそう信じて疑わない。


「クズ野郎、ヒモ男、穀潰し、プー太郎、寄生虫、粗大ゴミ。この辺りが貴方を指す言葉になってますよ」


 だが、ホワイトは無常にも現実を告げる。


「……それマジ? 冗談だよな?」


「マジです。魔力糸で聞き取りしてますので確かなことです。というか、面と向かって言われたこともあります」


「なんだと!? お前まで罵倒されたのか!?」


 なんと恩知らずな村人たちであろうかと、キミヒコは憤る。


「いえ? あんなクズにいいように使われることないんだよとか、あんなヒモ男とは縁を切った方がいいよとか、私が言われたのはそんな感じですね」


「はああああ!? なんで俺だけ悪者になってんの!?」


 こんな愛想の悪い人形が気を使われて、なぜ自分だけ。愕然とするキミヒコ。


 二十一世紀の日本においても無職は誉められた存在ではなかったが、この世界における無職の扱いは一層厳しい。このシノーペ村でも、子供から大人まで皆が協力して労働に勤しんでいる。

 毎日昼間から酒場で飲んだくれているキミヒコへ向けられる視線は、本人の与り知らぬところでキツイものになっていた。


 一方でドラゴン狩りを成し遂げ、本来はキミヒコに割り振られた仕事である見張りやらなにやらも一人で真面目にこなし、村の防衛に一役買っているホワイトは皆から感謝される存在だった。

 主人の評判がすこぶる悪いため、同情すらされていた。

 唯一の欠点は、愛想が悪いどころかなにを話しかけても無視する傍若無人ともいえる態度だったが、自動人形であることが周知されるとそういうものかと誰も気にしなくなった。


「こ……こんな馬鹿なことが……。なぜだ……」


「自分で髭も剃れないヒモ男だからでは? ……村での評判、今まで気が付いていなかったんですか?」


「気が付かねーよ、クソッ。これだから田舎は嫌なんだ。陰湿にもほどがある」


 陰湿というよりは、ホワイトに遠慮して面と向かって言われていないだけなのだが、キミヒコがそれに気が付くことはなかった。気が付こう、という努力を放棄しているとも言える。そういう男だった。


「ていうか、そういうことは知ってたんなら教えてくれよ」


「はあ、そう言われましても。細かいことは逐一報告しなくていいと、貴方が言ったんじゃありませんか」


「いや、言ったけどさあ……」


 村に来た当初は情報を得るためにどんなことでも逐一報告させていたキミヒコだったが、ある程度の情報収集が完了すると報告を打ち切らせた。寝ていようがトイレにいようが、融通の利かないホワイトはお構いなしに報告に来たためだ。


「まあ、いい。ギルドの正会員になれれば、こんな村とはとっととおさらばだ」


「ここに来てからもう半月ですが、会員登録とやらの手続きはそんなに時間がかかるんですか?」


「ハンターギルドって半官半民の組織らしいんだが、お役所仕事そのまんまだからな……。書類審査やらなにやらでとにかく時間がかかる。仮会員は支部の権限内ですぐできるらしいが、正会員はそうもいかないんだと」


 ちなみにキミヒコは今は仮会員である。手持ちの三つの魔石を金銭に換えるために必要なことだった。

 そこから正会員になるには実績や信用を積み上げる必要があるのだが、キミヒコはそんな面倒なことをする気はなかった。もう一匹のドラゴンをどうにかしたいなら自分を正会員にしてから正式な依頼をしろと、そうギルドに迫った。


 最初はギルドも渋っていたが、結局背に腹は代えられずにキミヒコの正会員登録のための手続きを開始した。


「じゃあ、行くか。さてさて、どんな用件なのやら……」


 ホワイトが後片付けを終えたのを確認して、キミヒコが言った。


「ええ、行ってらっしゃい」


「え? お前は来ないの?」


「見張り台の監視員のシフトが入ってますから。サボっていいならついていきますけど」


 そういえば、そうだったかもしれない。ホワイトに言われて見張り員の仕事のことをキミヒコは思い出した。


 キミヒコは余所者ではあるが、ギルドの仮会員となっているため、村の防衛のための義務として仕事が割り振られていた。もっとも、そのすべてをホワイトに丸投げしており、予定すら把握していない有様ではあるが。


「ん、そういうことなら仕方ないな。ギルドには俺一人で行ってくるから、仕事は任せたぞ。気をつけてな」


「ええ、任されました。そちらもお気をつけて」


 それだけ言って、キミヒコはホワイトと別れてギルドへ向けて歩き出す。


 村の中のギルドへ行くのに気を付けるもなにもないだろうに。律儀なヤツだ。


 先程の会話を反芻しながら歩いていると、ふわりとした風がキミヒコの髪を揺らした。ホワイトのシェービングにより滑らかとなった肌を、暖かな空気が撫でる感触が心地よかった。

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