#6 人形の倫理問題

「――ということで、これから来る監査員の方に実務を見てもらい、認可が下りれば晴れて正会員となれます」


 ハンターギルドに到着したキミヒコを待っていたのは、ギルド正会員になるための準備が整ったとの報告とその段取りについての連絡だった。


 ギルドの若い女性の事務員が丁寧に、だがどこか冷淡さを感じるような調子で淡々と説明する。


「……その実務というのは?」


「おあつらえ向きの仕事があるではありませんか。例のドラゴンを退治してください。ドラゴンを狩れれば、いくら態度に問題があろうが経歴が怪しかろうが、まず認可は下ります」


 態度に問題があろうが、という部分をことさら強調して事務員が説明した。


「ほほう、経歴が怪しかろうが認可するとは、実力主義のギルドらしいですねぇ」


 態度云々の部分には触れずにキミヒコが言う。


「ですが、ドラゴン狩りの実績はすでにお見せしたはずですが?」


 魔石は魔獣の討伐の証としての価値もある。すでにドラゴンの魔石を持ってきたことを見せているのだから、監査など必要ないだろう。実力主義を標榜するのならなおのことだ。


「魔石は確認しましたが、キミヒコさんには正規の依頼でドラゴンを退治した実績はありません。この支部の人間はホワイトさんの実力を疑いませんが、審査委員会は正規の手順で報告された実務実績で判断しますから」


 事務員はキミヒコの実力と言わずにあえてホワイトの実力と強調して嫌味を放つが、当のキミヒコはどこ吹く風だ。


「実務実績ですか……。ハンターギルドは実力主義を是とするのでは?」


「その実力を判断するのは我々ではありません。審査委員会、もっと言うなら今回はその判断を委託された監査員の方です」


「今回は? 監査員を通さずに認可する場合もあるので?」


「そうですね。その場合は地道にギルドの依頼をこなす必要があります。むしろ今回が特殊な例です」


 いろいろ言ってはみたが、やらざるを得ないかとキミヒコは諦める。


 ゴネてはみたが、まあ仕方がないか。


 ドラゴン退治はホワイトならまず問題ない。先延ばしにはしていたが、元からやるつもりではあったのだ。正会員になってからがよかったが、その正会員になるために必要ならやるしかない。


 とはいえ、もう一点の懸念が片付けばの話ではある。


「……今までも再三お伝えましたが、私にドラゴン退治を依頼されるなら、もう一人手練れが欲しいのですが、その辺はどうです?」


「ご心配なく。来てくれるという監査員の方が熟練のハンターです。その方一人で討伐は厳しいでしょうが、ドラゴンとも十分に渡り合える実力者です」


「なるほど……」


 キミヒコがようやく依頼を受ける姿勢を見せたことで、事務員はホッと息をついた。


「キミヒコさん、ちゃんと装備は用意してますか? 直接戦わないといっても、森を歩くにはそれなりの装備が必要ですが」


「はい? なんで私が森を歩くんですか?」


「なにを言ってるんですか。ドラゴンの巣は森の中ですよ」


「いや、私が行っても意味ないですよ。ホワイト単騎で大丈夫です。私は来てくれる監査の方と残ってますんで」


 キミヒコの言葉に唖然として言葉を失う事務員。


「は? いやいやいや、あなた、病み上がりだからドラゴン退治にはまだ行けないとか言ってましたよね? ……それに、ホワイトさん一人で十分とは? ドラゴンを撃退できるくらいの手練れがいないと、この依頼は危険だから受けられないとか言ってましたよね?」


「ええ、言いましたね」


「あんた自分は村の外に出ないで、ホワイトさんだけに行かせるつもり!? じゃあ、なんで今まで依頼を受けなかったの!? あんなに村が困ってるって頼んだのに!」


 先程までの慇懃な態度を捨てて、事務員が食ってかかる。


「だって、ホワイトが森に行って留守の最中に襲撃されたら怖いですし。村をドラゴンから守れるようなハンターがいないうえに、体調不良じゃあ逃げられないかもしれないじゃないですか」


 キミヒコがそう言うと、バキリとなにかが折れる音が響いた。


 音のした方、事務員の手元の辺りに視線をやると、事務員の手に握られていたペンが折れ、インクが書類の上に滴り落ちている。

 ペンがそんな状態であるにもかかわらず、その手にはまだ力が込められているらしく、折れたペンがメリメリと音を立てていた。


「え? ちょっと、なにやってんですか」


「……あなたも、ドラゴン退治に、同道しなさい」


 一言一句を絞り出すように事務員が言った。


「いや、だから、そんなの意味ないって――」


「監査員は今日の夕刻に到着予定です。明日には出発してもらいますから、準備をしておきなさい。わかりましたね?」


「は、はい……」


 有無を言わせぬ気迫に、キミヒコはおとなしく頷く他なかった。



 夕刻、常であれば酒場にいる時間帯にキミヒコは村はずれの小川のほとりでうなだれていた。傍には見張りの仕事を終えたホワイトが立つ。


「クソッ、意味不明だろ。なんで俺までドラゴン退治に行かなきゃならないんだ、畜生め」


「貴方はそう言いますが、村の雰囲気を見るに、行って当然みたいな空気になってますが」


 キミヒコのこぼした愚痴に、冷静に返すホワイト。


 魔力糸を村中に巡らせているホワイトには村の様子が手に取るようにわかる。ドラゴン退治の情報はこの狭い村社会の中をすでに駆け巡っていた。


「愚民どもがぁ……。これだから教養のない田舎者は困るんだ。俺が行ったところで、足手まといもいいところだろうが。ちょっと考えればわかることをまったく……。なあホワイト」


「そうですね。実際、本当に邪魔なんで隅でおとなしくしていてくださいね」


 ネチネチと愚痴をこぼし続けるが、ホワイトの相槌は冷たい。


 本来であれば酒でも飲んでこの理不尽を紛らわせたいところではあるが、さすがのキミヒコも明日死地に赴くというのにそんなことはしていられなかった。二日酔いで死ぬかもしれないなんて冗談ではない。


 益もない恨み節を続けるキミヒコだったが、唐突にホワイトが立ち位置を移すのを見て、何事かと口を閉ざす。先程まで左後方に控えていたホワイトが、今は自身の右側に立ち、なにかから庇うようにこちらに背を向けている。


「……ん、なんだ、猫か……」


 なにかと思えば、なんてことはない。猫がキミヒコたちの方へ向かって歩いてきていた。ホワイトはどうやら、あの猫に反応したらしかった。


 シノーペ村には野良猫が多い。ネズミを捕ってくれるので村民に可愛がられていた。そのため人馴れしていて、平気で人間にすり寄ってくる。


 この猫も例に漏れず、餌でももらえると思ったのか、ニャアニャアと鳴きながらキミヒコたちに向かってゆったりと歩みを進めていた。


 こいつも猫を可愛がったりするのかな。そんなふうなことを考えて、ホワイトを見やると、ちょうどその時、ホワイトは右手を振り上げていた。

 いつだかに見た、手刀を叩きつける際の動作のようだった。


「やめろ!!」


 キミヒコは思わず怒鳴った。その声に驚いたのか、猫はビクリと体を震わせて逃げ出す。ホワイトは特にそれを追ったりもせずに、手刀の構えを解除した。


「……お前、今、なにをしようとした?」


 つい確認もせずに怒鳴ってしまったが、この人形はいったいなにをしようとしていたのか。魔獣すら屠るあの手刀を、あの小さな猫にお見舞いしようとしていたのか。


「なにって、こちらに向かってきたので殺そうかと思いまして。駄目でしたか?」


 果たして、キミヒコの懸念どおりのことをホワイトは実行しようとしていたらしい。


「……なにを言ってるんだ? 駄目に決まってんだろうが」


「……? なぜです?」


「なぜって……」


 二の句が継げないキミヒコに、ホワイトがさらに疑問をぶつける。


「昨夜、ゴキブリが出たとか言って、大騒ぎして潰したじゃないですか。なにが違うんでしょうか?」


 昨日、宿の部屋でゴキブリが出たときのことを言っているらしかった。その際キミヒコは、ゴキブリを潰して死骸を外に放り捨てるようにホワイトに指示を出したのだが、それと同じ感覚でやってなにが悪いのかと、そういうことらしい。


「おいおい……。猫とゴキブリを一緒にするなよ」


「……んん?」


 呆れてキミヒコが言うが、ホワイトは理解していない。


「……猫は可愛い。ゴキブリは気持ち悪い。それだけの差だ」


 ホワイトを納得させるのになにか上手い理屈はないかと考えたキミヒコだが、結局は人間のエゴ丸出しの説明になってしまった。


「生物の美醜の違いは私にはわかりません。人間の美的感覚での可愛いとか気持ち悪いとかで、殺すかどうか決めるんですか?」


「ああ、もう、面倒臭いな。……そうだよ、万物の霊長たる人間様が、畜生どもの格付けをしてやってんの。猫は殺すな、ゴキブリは見つけ次第殺せ。お前はそれだけ理解していればいい」


 なおも聞いてくるホワイトに、投げやりに言い放つ。


「ふーむ……。まあ、ともかく了解しました。ちなみに、猫が貴方を殺そうとしていたらどうします?」


 ようやく面倒な問答が終わったかと思えば、また奇妙な質問が飛んできた。


「いや、ほっとけよ。猫に殺されるわけないだろうが」


「まあ、私の見立てでは体格差で八割方は貴方が勝つでしょうが、これは例え話です。要するに、貴方が殺すなと言った存在が貴方を害そうとしていたならどうするか、という話です」


 俺は猫と戦ったら二割は危ないのか。ホワイトの口から語られた嫌な事実から目を背けつつ、問われた内容を考える。


 俺が殺すなと言った存在が、俺を害そうとする。この場合は猫に例えていたが実際はどうか。


 そんなことがあるだろうかと考えるキミヒコだったが、一つ思いあたることがあった。


 そういえば、最初に遭遇した魔獣は猫型だった。もしやこいつの中ではあれも猫のカテゴリに入るのではないか。魔獣に襲われている最中に、あれは猫だから殺さないとか言われても困る。


「ん、まあ、そうだな……。俺に対して、いや俺たちに対して明確な殺意や敵意を持った相手なら、その対処は全部お前に任せるよ」


「そうですか。そういうことなら任されました。では、敵であれば猫でも殺します。殺していいかどうか、一々確認していたら後手に回りますからね」


 物騒なことを満足気に言うホワイト。発言が一々危ないため、釘を刺すことにする。


「それから……殺すとか始末するとか、物騒な発言は外では控えろ」


「なんだか、奇妙なことばかり言われますね。殺すとか始末するとか、なぜ言ってはいけないんですか? 物騒もなにも、敵対者や邪魔者はそうするべきでしょうに」


 ホワイトの返事を聞いて、キミヒコは説明を諦めた。


 こいつ、駄目だ。人間の感性とは相容れないらしい。これで村の人気者なのだから、村の連中の見る目のなさには呆れさせられる。


 はあ、とため息をついて、キミヒコは返事をする代わりにホワイトの頭を軽く小突いた。小さな頭がカクンと揺れる。


「邪魔者は排除する、敵対する者は始末する。ただ、それだけのことでありましょう?」


 繰り返すようにそう言って、ホワイトが今度はキミヒコの背後に回るように移動する。


 今度はなんだ、後ろからまた猫かなにかが来たのか。


 そう考えながら、キミヒコは振り返る。


「恐ろしいこと言うなあ。俺は別に、敵対も邪魔もしないよ」


 振り返れば、見たことのない青年が立っていた。歳の頃はキミヒコと同じくらい。槍と思わしき長物が背負われている。


 ハンターだろうか。だが、村のハンターにはこんな男はいなかったはず。


「……誰だ、あんた? 見たことないな」


「俺はクリス。ゾロアート市を拠点にハンターをやっている。あんたらが人形遣いのキミヒコとその人形のホワイト……だよな?」


 ゾロアート市。キミヒコたちのいる国、トムリア・ゾロア連合王国においては二番目の規模を誇る都市である。この村からは馬車でおおよそ二、三日くらいの距離はある。


 そんなところから来たハンターに、キミヒコは思いあたる節が一つだけあった。


「ゾロアート市から……ということはあんたが、……いや失礼、あなたがハンターギルドの監査の方ですか?」


「ああ、そうだ。支部の方から話がいってると思うが、キミヒコさん、あんたの監査をギルドから依頼されている。どうかよろしく頼むよ」


 案の定、例の監査員だったらしい。キミヒコとしてはなるべく友好的にしていきたい相手である。少なくとも、ギルドの正会員となるまでは。


「そうでしたか。わざわざこんな田舎まで来ていただいて感謝します、クリスさん。こちらこそ、どうかよろしくお願いします」


「そう畏まらなくてもいいさ。歳も似たようなもんだろう? 今回の監査だけじゃなくて、正会員になれば一緒に仕事をする機会もあるだろうし、仲良くしようぜ」


 ありがたいことに、相手の方から仲良くしたいとの申し出があった。表面上のことかもしれないが願ったり叶ったりである。あるのだが……。


「ん、そりゃあ、そうしたいが……。クリスさん、こいつのこと平気なのか?」


 キミヒコの懸念はホワイトだ。この村のハンターたちとは同業者となるのだから仲良くしようとはしたのだが、上手くいかなかった。ホワイトのせいである。


「ん、んん……。まあ、ちょっと、その人形とはお近づきにはなりたくない……かな」


「まあ、そうですよね」


 ホワイトに気安い対応をする村人たちとは対照的に、ハンターたちは皆、ホワイトのことをことさらに恐れる。


 最初に会ったハンター、トマーシュに聞いたことだが、ホワイトの魔力はとにかく気味が悪いらしい。

 気味が悪いと言われても、魔力がなんなのかもよくわかっていないキミヒコには意味不明な話だった。しかし、村のハンター全員にそう言われては、そういうものだと納得せざるを得ない。


「ま、まあ、その人形はともかく、あんたとは仲良くしたいと思ってるよ。少なくとも明日の仕事は一緒にやるんだしな」


 ホワイトのことを恐れつつもそう言えるあたり、クリスは村のハンターたちに比べなかなか根性があるようだった。


 村人たちからは疎まれているし、ハンターたちからは恐れられているしで、味方がいないキミヒコにはありがたいことだ。


「いや助かるよ。俺は正直言ってまったく戦えないから、完全にこの人形頼りなんだ。だが、さすがのこいつも俺を守りつつだとちょっとな……」


 ホワイトの頭をポンポンと撫でながらキミヒコが言う。

 実際にはキミヒコというお荷物があってもなんとかなりそうではあるのだが、自身の身の安全のためにクリスを利用しようという考えだ。


「ああ、そういうことなら任せといてくれ。その人形がドラゴンとやり合ってる間は俺がなんとか護衛するよ」


「助かる。ほら、ホワイト。お前も黙ってないで挨拶しろ」


 キミヒコとクリスの間に割って入り、ずっと黙ったままのホワイトに挨拶を促す。


「はいはい。どうも私がホワイトです。明日は主人がお世話になります」


「……聞いてはいたが、本当に喋るんだな」


 やはり喋る自動人形というものは他には存在しないらしく、クリスが驚いたように呟く。


「まあ、こいつはちょっと特別でね。こいつがいれば、ドラゴンだろうがなんだろうが問題にならんよ。なあ、ハンターならこいつの強さはわかるだろう? ……監査とか俺の同行とか、必要ないと思わないか?」


 監査員がよしと言えば、キミヒコは晴れてギルド正会員だ。

 保身第一で危険な場所になるべく行きたくないキミヒコとしては、どうにかクリスを説得してホワイトだけに任せたいところだ。


「その人形を完全に制御下においているなら、俺だってこんな監査は無意味かとは思うが……。俺もこの仕事を受けちまったからな。前金も貰ってるし、やらんわけにはいかんのよ。気持ちはわかるが、諦めて同行してくれ」


「はあ、仕方ないか……」


 ここにきて、ようやくキミヒコは諦めた。


「まあ、心配はいらんよ。ここに来るまでは自動人形がドラゴンを倒せるなんて、眉唾だと思っていたが、こりゃ楽勝だろうな」


「そういうの、わかるものなのか?」


「魔力の質を感じ取れれば、まあわかるよ。その人形が規格外なことはさ。実力にはまったく疑いはないから、あとはあんたの言うことをちゃんと聞くのか確認するだけだ。実地でな」


 わざわざ実地で確認しなくともと、往生際が悪くも思っていたキミヒコだが、さすがにもう口には出さなかった。


 その後は場所を移動して、明日の日程について二人で打ち合わせをして解散となった。

 その間、ホワイトは一言も発することはなく、キミヒコとクリスの間に立って佇んでいた。

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