#3 森を抜けて

「よ、ようやく着いた……か」


 森を抜けたもののすっかり日も沈み、暗い夜道を足を引き摺るように歩くキミヒコの目に明かりが映る。松明と思わしき光がゆらゆらと揺れているのが遠目に確認できた。


「本当は日が沈む前に到着予定でしたが、そうです。あれが目的の村ですよ」


「……なんて村?」


「名前は知りません。さっきの森の開墾を目的とした開拓村らしいですが」


「そうか、もうなんでもいいから、早く行こう。足がもう限界……」


 キミヒコの言うとおり、その足は生まれたての子鹿のようにガクガクと震えている。


「魔獣に遭遇するたびに騒ぎ立てて、余計な体力使うからですよ。ただでさえ虚弱で頼りないのに」


「しょうがないだろ……。こちとら、あんな化け物どもとは無縁の世界から来たんだぞ」


 ホワイトの嫌味に言い返すキミヒコの声に、力はない。

 飲まず食わずで半日も樹海を歩き続けたことと、たびたび遭遇した魔獣への恐怖と不安が、キミヒコを肉体的にも精神的にも疲労させていた。


「初めて魔獣を見たにしろ、三回遭遇して、三回とも大騒ぎすることはないでしょうに。逆走されたおかげで余計に時間がかかりました。いい加減、慣れてくださいよ」


 ここに来るまでに都合三度、キミヒコたちは魔獣と遭遇していた。最初は化け猫、次は一つ目の巨人、そして最後にドラゴン。


「あんな化け物どもに慣れるわけないだろ……。それに、三回目は逆走してない」


「腰が抜けてましたからね」


「あんな怪獣が空から降ってくれば、腰を抜かしたってしょうがねーだろ……。ドラゴンまでいるとか、もう勘弁してくれ……。こんなファンタジー世界は望んでない……」


 憔悴した様子でキミヒコが言う。出くわす度に強そうになっていく魔獣に、キミヒコはすっかり怯えてしまっていた。


「しかし、お前、マジで強いのな。あのドラゴンが出てきた時は本当に駄目かと思ったぞ……」


 最後に襲ってきた魔獣、ドラゴンの顛末を思い出してキミヒコがしみじみと言う。


「あの程度、どうということはありませんよ」


「あの怪獣相手が、どうということないのか……」


 ホワイトがドラゴンを始末した際の光景を思い返して、キミヒコは身震いした。

 最初の二体の魔獣は会うなり遁走したため、キミヒコがその末路を直接見ることはなかった。

 だがドラゴンに遭遇した際、キミヒコは腰を抜かして動けなかったため、その凄惨な最期を目のあたりにすることになった。


「……あの怪獣、ドラゴンは……強くはなかったのか……?」


「いえ? まあ、強い方だとは思いますよ。全体から見れば」


 全体から見れば強い方だというその魔獣の、無惨な末路。目に焼きついたそれが、キミヒコの脳裏に蘇る。


 時間は遡る。遭遇した二体目の魔獣、一つ目の巨人をホワイトが始末して、その死体を確認したあとのこと。

 それは突然、空からやってきた。前肢が翼となった、巨大なトカゲ。その緑色の体は先ほどまでに確認した魔獣の倍は大きい。空想上の存在としてキミヒコでも知っている有名なモンスター、ドラゴンそのものだった。


 ドラゴンの当初のお目当ては、ホワイトに殺された二体目の魔獣の死体らしかったが、傍にいたキミヒコたちに気がつくとターゲットはすぐさま変更となった。


 その威容を目のあたりにして、キミヒコは足腰が立たず逃げ出すこともできない。

 もう今度こそ人生が終わったと、そう思っていたキミヒコだったが、目の前で始まったのはホワイトによる容赦のないドラゴンの殺戮劇だった。


 まず、ドラゴンの翼が引き裂かれた。ドラゴンとの敵対を察知したホワイトが即座に突貫して手刀を振るい、人形の腕の長さよりも明らかに太いはずのドラゴンの前肢は根本から綺麗に切断された。切断面から鮮血が噴き出し、人形を赤く汚す。


 ドラゴンもやられっぱなしではない。翼を片方失ったものの、すぐさま反撃に移る。雄叫びをあげ尻尾を振り回し、それが直撃して人形の四肢がバラバラになってしまう。

 だが、人形がバラバラになったのも一瞬のこと。四肢のパーツがドラゴンの頭のすぐ前に瞬時に集まり、カチャカチャと音を立ててあっという間に人型を形成する。そしてそのまま無造作に腕を突き出し、ドラゴンの眼窩に突き刺した。一瞬間を空けて、腕が引き抜かれる。巨大な眼球とその奥にあったであろう脳組織の一部が、人形の腕とともに眼窩から飛び出すのが見えた。


 ビクビクと痙攣するドラゴン。まだ生きてはいるようだが、もはやまともに動くこともできない様子だった。


 そしてそんな状態の相手に、ホワイトは容赦のない追撃を加える。手刀で首を切断し、腹を切り裂きその中の臓物を引き摺り出す。ドラゴンの血飛沫やら体液やらを浴びて、人形の体躯は真っ赤に染まる。


 前の二体の魔獣も、こんなふうに惨殺されたのか。ぼんやりとそんなことを考えながら、キミヒコは呆然と目の前の凄惨な光景を眺めていた。

 グチャリとかベチャリといった、粘性を帯びた不快な音がキミヒコの耳に残る。もうとっくに絶命しているであろうドラゴンの体を楽器にして、人形が不快な音楽を奏で続ける。


 グチャグチャ……ベチャベチャ……、グズリ、ヌチャリ……。


「ーー貴方……貴方! しっかりしてください!」


 ホワイトの声でハッとする。

 気がつけばキミヒコは地面に倒れ込んでいた。ようやく森を抜けて、あと少しであの村に着く。その気の緩みのためか、しばし意識が飛んでいたらしい。


「……ん、悪い。ぼんやりしてた」


 言いながら、キミヒコは立ちあがろうとするが、立てない。


「どうしました? 立てませんか……?」


 出会ってから今までキミヒコに見せていた冷淡な態度と打って変わって、心底心配しているような声をホワイトがかける。

 キミヒコはそれに答えようとしたが、声を出すことすら億劫だった。ヒラヒラと力なく手を振ることで返事をする。


「わかりました。では、私が運びます。あとは私に任せ、休んでいてください」


 ホワイトが言いながら、キミヒコの体勢を優しく仰向けに変える。


「森は抜けましたし、魔獣の気配はありません。貴方を抱えながらでも平気です。安心して、眠るといいですよ……」


 なんだよ、そういう雰囲気も、出せるじゃないか。


 今日一日のそっけない態度と、魔獣相手に平然と残虐行為を働く姿。それらと今の雰囲気のギャップにキミヒコは内心感嘆する。

 ホワイトは仰向けの体勢のキミヒコをゆっくりと抱え上げ、そのままゆったりと歩き出す。

 ホワイトの優しげな囁きと、歩調に合わせたゆらゆらと心地よい揺れに身を任せ、キミヒコの意識が眠りへと落ちていった。



 連合王国北部の大森林の開墾を目的とした開拓村、シノーペ村。


 村の周囲は大きな柵で覆われている。言うまでもなく魔獣対策のための存在であるそれは、村の森側では特に厳重になっていた。所々に見張り台も設置され、日が沈んだあとも見張り員が交代で村の周囲を監視している。


 今は二人の男が見張りについていた。二人の表情からはどことなく暗い雰囲気が漂う。


「あのドラゴンには参ったよなあ……本当にさ……」


 片割れの男がぼやいた。内容は彼の悩み、というよりも村全体の悩みである魔獣のことだ。

 最近になってドラゴンのつがいが森のどこかに巣を作ったらしく、たびたび村を襲撃するようになったのだ。


「攫われちまったのは、やっぱりもうだめかね……」


「……だろうな。あの宿の大将には世話になったんだが、夫婦揃ってとはな」


「娘さん、まだ若かったろ? 悲惨だよなあ」


 つい先日もシノーペ村はドラゴンに襲われた。空から飛来する魔獣が相手では、村を守る柵がいかに大きかろうと意味をなさない。

 襲撃の折には村人が何人か攫われてしまった。攫われた村人たちの生存は絶望視されている。巣で帰りを待つつがいの片割れあるいは子供たちに、ご馳走として振る舞われたであろうことは容易に想像がついた。


「……明日は我が身だ。他人の心配ばかりしてられんよ」


「冗談じゃないぜ。早いとこドラゴン狩りのハンターを寄越してほしいよ。いったいいつになったら来るんだ」


 村にはハンターギルドがあり、そこに駐在するハンターもいる。だが、この村にいるハンターではドラゴンの相手は荷が重かった。

 ギルドは他の支部に応援を要請しているが、今のところドラゴンを相手にできるハンターは来ていない。


「そうは言ってもな……。ドラゴン狩りができる凄腕なんて、そう簡単に手配できんだろ」


 二人組のうち、比較的落ち着いた雰囲気の男が言った。実際、ドラゴンを討伐できるほどのハンターなどそうはいない。


「ハンターが無理なら、騎士様でもいいよ。誰でもいいからなんとかしてくれよ……」


「騎士様って……。それこそ無理だろ。あのドラゴンが軍が必要なレベルの魔獣なら、ここはとっくに壊滅してるよ」


 とにかく誰でもいいからなんとかしてくれという相方の泣き言に、呆れたように相槌を打つ。

 こんな小さな村に、国家武力の要である騎士が派遣されるわけがない。


「なんだ……ありゃあ」


 愚痴ばかりこぼしていた男が不意に呟く。


「ん? なにか見えたか?」


「……小さい女の子が、大人の男をお姫様抱っこして、こっちに歩いてくる」


 問われた方が森の方を見ながら呆然と返事をする。


「……ずいぶん、疲れてるようだな。俺が見張りしておくから、少し休んでていいぞ」


 意味不明な返答だ。疲労のあまり幻覚でも見たのだろうか。


 そういえば、こいつの見張り番はこのところ連日だったな。村の現状に愚痴をこぼすのも疲れのせいか……。


 見張りの男はそんなことを考え、相方に休養を勧める。実際、ドラゴンに襲撃されるという緊急事態が続いたため、見張り番のシフトはなかなか無理があるものだった。


「いや、寝ぼけてんじゃないって! ほらっ、あそこ! あれだよあれ!」


「……本当だ。なんだ、あれは……」


 あれと指差す方向を見れば、確かに不可解な光景が目に映る。白い装いの少女が、男を抱き抱えながらこちらに向かって歩いているのが見えた。

 少女の体格は小柄で、成人していると思われる男を抱えて歩けるようには見えない。


「俺が見てるから、ハンターギルドまで一走り頼む」


「ギルドに?」


「人間に化ける魔獣もいるって話だ。もしかしたら、な」


 魔獣の中には、狡猾にも人間に化けるものもいる。男か少女か、あるいは両方かが魔獣である可能性がある。


「魔獣が人間を化かそうってか? 魔獣が化けるにしちゃ、珍妙すぎる気がするが……」


「可能性の話だよ。いずれにしろ、どう見ても普通じゃないんだから用心は必要だろうが。さっさと行ってこい」


 そういうことならと、見張りの片割れが慌てて見張り台を降りていく。残された方は、少女と男を油断なく見つめ続ける。


 見張り員はハンターではないため、あの怪しい二人が魔獣かどうかの判別はつかない。

 だが、ハンターが来てくれれば問題ない。魔力操作はハンターの基本技能だ。魔力の質を見て、魔獣かどうか見極めてくれる。だからそれまで、あの二人から目を離さなければそれでいい。


 そう自分に言い聞かせながら、見張りの男は監視を続けた。

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