#2 モンスターエンカウント

 多少もたつきながらも現状確認を終え、自らが目覚めた建物から出たキミヒコだったが、外の景色を見るなり愕然としていた。


「なんだよ、ここは……。秘境かなにかかよ」


 ホワイトから廃村とは聞いていたが、あまりの荒廃ぶりである。おまけに廃村の周囲には樹海が広がっている。

 とんでもない場所に来てしまったとキミヒコは頭を抱えた。


「森を切り開いて開拓した村だったらしいですよ。疫病で全滅して、森に飲み込まれたようですが」


「疫病……」


 ホワイトの解説にキミヒコは思わず呻いた。


「ご心配なく。百年以上前のことですので、とっくに終息していますよ」


「わかんないだろ、そんなの。ネズミかなにかがまだその疫病を持ってるかも知れんぞ。その疫病の感染源とかわからないのか?」


「さあ? そんなことまで心配されましても。まあ、その辺の怪しい小動物を触ったり食べたりしなければ大丈夫なのでは? というより、そんなに心配ならさっさと移動しましょう」


 こんな未開の地にいきなり来たうえに、疫病という言葉がキミヒコを不安にさせた。だがホワイトの言うとおりで、いつまでもここでまごついているわけにはいかない。


「まあ、それもそうか」


「では行きますよ。ついてきてください」


 そう言うなり、先導するように歩き始めるホワイト。キミヒコも慌ててそのあとに続く。


 この廃村は森に飲み込まれたとホワイトが言ったとおりに、目に付く廃屋は苔や蔦で覆われ、地面は膝まであるような草が生い茂り、道らしきものは見えない。

 ホワイトは特に苦も無く歩みを進めるが、このような場所を歩いたことのないキミヒコはついていくのがやっとだ。それでもどうにかホワイトのあとに続いて懸命に歩く。


 しばらく歩き続けると、廃屋などの人工物は目につかなくなる。

 廃村からは抜け出せたようだが、進めど進めど目に映るのは鬱蒼とした森ばかりだ。まだ日は高いはずだが、生い茂る樹木が空を覆い隠し、キミヒコたちを薄暗い空気が包み込んでいる。


「なあ、本当にこっちで合ってる? 完全に森の中って感じなんだが……」


「森の中って、それはそうでしょう。森を突っ切らないと、森の外まで出られませんから」


 最初にいた廃村は森に埋もれていたのだから、当然といえば当然の話ではある。だが、廃村を抜け出してから行手を阻む草木は濃くなるばかりだ。

 その小さな体のどこにそんな力があるのか、ホワイトが邪魔な細木をへし折ったり藪を払い除けてくれているが、キミヒコの心と体力はますます削られていく。


 いったいどれほど歩き続けただろうか。時計もなければ、日がどちらを向いているのかもわからないため、どれほど時間がたったかわからない。だがキミヒコにはもう半日は歩いているような気がしていた。


「休憩しない? ちょっともう、しんどいんだけど」


「……まだ一時間と少ししか歩いてませんが。しかも想定のペースより遅いです」


「いや、もう足が痛いんだって。こんな未開の地を歩いたことないんだよ、俺は」


「泣き言を言ってないで、さっさと行かないと日が暮れますよ。この森は魔獣も出るんですから、せめて日が落ちる前に森を抜けないと危険です」


「……は? 魔獣?」


 不穏な単語がキミヒコの耳を打つ。

 魔獣とはなにか。いかにも危険そうな言葉である。


「なんだ、その、魔獣ってのは?」


「魔獣というのは、魔力を操る動植物の総称ですね。全部がそうではありませんが大体が凶暴で、この地の人間の天敵みたいな存在です。貴方だけで遭遇すればまず間違いなく食い殺され――」


 ホワイトの解説が不意に中断された。


「おい、どうした?」


「ん、見つかったみたいですね」


「……なにに?」


 なにかに見つかったらしい。会話の流れからして、非常に嫌な予感がする。

 キミヒコの問いかけにホワイトは答えず、無言で指をさす。キミヒコがその指先の方向へ視線を向けるが、見えるのは鬱蒼と生い茂る草木だけだ。


「……驚かすなよ。なにもいないじゃないか」


 キミヒコが自らに言い聞かせるように呟く。だがその呟きの直後、視線の先の木々の合間から、なにかが姿を現した。


「……猫?」


 それはキミヒコには猫のように見えた。その大きすぎる図体と、ゆらゆらと蠢く二本の尻尾を除いての話だが。


 全長十メートルはあろうかという漆黒の巨体に二本の尻尾を持つ化け物が、赤い瞳でキミヒコたちを見据えていた。最初は目の錯覚かなにかと疑ったキミヒコだったが、何度見返しても目の前の化け物の姿に変わりはなかった。


 なんだあの化け猫は。ライオンとか虎とかそんな次元じゃない。トラックより大きいぞ。


「デカい、デカくない?」


「はあ、まあ、なかなかの大物ですね」


 キミヒコの口から漏れた呆然とした呟きに、ホワイトが気のない相槌を打つ。

 キミヒコが唖然としている間にも、化け猫はゆったりとした足取りでこちらに近づいていた。その瞳は暗がりの中で不気味に光り、その視線でキミヒコたちを捉えている。


「あれが魔獣ですよ」


「あ、ああ、うん。魔獣、魔獣ね。ちなみに、あれは凶暴なやつなのかな? そうでないのもいるんだよね?」


「見てわかりません? 凶暴に決まってるじゃないですか。明らかにこちらを獲物として認識してますよ」


 キミヒコらの会話をよそに、この魔獣は身を伏せるような体勢でジリジリとこちらへにじり寄ってくる。


「もしかして、ヤバい? ヤバくない? これ」


 キミヒコの声が震える。額からは冷や汗が流れ、呼吸は荒くなる。恐怖と不安で無意識のうちにホワイトの手を握りしめており、繋いだその手がガクガクと震える。

 キミヒコは金縛りにあったかのようにその場から動けない。

 不意に魔獣が歩みを止めた。首を僅かに動かし、その赤い目とキミヒコの目が合う。魔獣の口元が歪み、笑った。そういうふうに、キミヒコには見えた。


「うわああああっ!」


 絶叫が森に響き渡る。それが発せられたのが自らの口からだとキミヒコが自覚したのは、体の向きを反転させ元来た道を駆け出してからだった。

 何度も転び、道を阻む木々が体を傷つける。だがそれでもホワイトの手を握りしめながら必死に駆ける。背後を気にする余裕はない。ただひたすら死にたくないという一心で走り続ける。


 キミヒコが遁走を開始した当初は、背後からは獣の雄叫びやら木々が折れたりひしゃげるような音が聞こえていたが、やがてそれらの音は聞こえなくなる。


「はあっ、はあ……。に、逃げ切った……か?」


 走り続け、背後からの音が聞こえなくなってしばらくしてからようやく立ち止まる。あの化け物から逃げ切ることができたのかと、その場に突っ伏して呼吸を落ち着ける。


「なあ、ホワイト。……ホワイト?」


 そして、手を引いて一緒に逃げてきたはずのホワイトに声をかけるが応答はない。

 どうしたんだと、ホワイトのいるはずのその手をつないだ先を見てキミヒコは絶句した。


 ホワイトはその場にいなかった。握りしめていた人形の左手は、肘から先がなくなっていた。


 あの人形はどこに行ったのだろうか。あの魔獣に食われたのか。いや、人形だから食べられることはないだろう。だがそうだとして、あの場を脱することができなければ、無事であるとは到底思えない。左手の肘から先はバラバラに破壊されてしまったのかもしれない。


 嘘だろう。こんなことってあるかよ。ホワイトがいなければ、どうなる?


 キミヒコの心に絶望が満ちる。あの人形の案内なしには、この森を抜けることなど到底叶わない。飢え死にか、先程のような魔獣に食い殺されるか。


 嫌だ、死にたくない。なんで俺がこんな訳のわからない場所で、理不尽に死ななければならないんだ。


 死への恐怖、理不尽への怒り、先の見えない不安が精神を蝕む。

 どうにもならない現実から目を背けるように、キミヒコはその場にへたりこむ。もはや、ただ時が流れるのを待つだけだった。


 それからしばらくして。


「……初対面の時もそうでしたが、またそんなふうに蹲って、どうしたんですか?」


 絶望に暮れるキミヒコの耳に、聞き覚えのある声が聞こえる。


「ホ、ホワイト!? よかった! 無事だったの……か……?」


 絶望の表情から一転、喜色を浮かべホワイトの声のする方へ顔を向け声をかける。だが、その表情も声も今度は困惑の色を浮かべる。


「……なあ、お前、その格好はどうした?」


 魔獣と相対したであろうこの人形は、見る限り無事ではある。左手がないが、それはキミヒコが手に持っているので問題ない。返して装着すれば済むことだ。


「この格好? 左手のことなら貴方が持っていってしまったではないですか。返してくれませんか?」


「ああ、うん、それもそうだな。ほら、どうぞ」


 そう言って、人形の左手を差し出すキミヒコ。ホワイトはどうもと短く返事をして、それを受け取り、肘から先に装着する。


「いや、まあ、手のことはそれでいいんだが……。お前、それ、血……なのか?」


 ホワイトはその名のとおりの白い体を、赤く染め上げて戻ってきていた。

 全身余すことなく赤黒い液体に塗れ、鉄のような臭いとなにかが腐ったかのような臭いが入り混じったような悪臭を放っている。


「ん? ああ、こちらのことでしたか。これは先程の魔獣の血ですよ。あれを始末する際に浴びてしまいました」


「……始末した?」


「ええ、そうですよ」


「始末したって……殺したのか? お前が、あの化け物を?」


「はあ、だからそうですって。他にどんな意味が? だから追ってこないでしょう?」


「えぇ……マジかよ……」


 あの恐ろしい魔獣を始末してきたと、血塗れの人形が言う。だが、キミヒコには俄には信じがたい話だった。


 確かに、こちらを狙っていたであろうあの魔獣はこちらを追ってこない。冷静に考えてみれば、自身の足で逃げ切れるとは考え難い相手だった。

 ホワイトが魔獣と戦闘して撃退したのならば、この状況の辻褄は合う。


 だが、あの魔獣は十メートルはあろうかという巨体のうえにいかにも強そうな風貌だった。それに対してホワイトはどうだろうか。その見た目は可憐な少女のようで、とても戦えるようには見えない。身長だってキミヒコの胸の位置より低い。


「いや、お前、そのなりであの化け物を本当に倒せたのかよ……?」


「ああもう、疑うなら先に進みましょう。あの魔獣の死体が転がってますから」


 そう言って、また先に進み始めるホワイト。キミヒコは慌ててそのあとを追う。

 あの魔獣がまだどこかに潜んでいるのではないか、そんなキミヒコの不安をよそにホワイトはズンズンと進んでいく。


「お、おい、もっと慎重に進んだ方がいいんじゃないのか? またあの魔獣が出てくるかも……」


「だからもうあれは始末しましたってば。……ほら、あれです」


 あれ、と指をさすホワイト。


 その指の先を見れば、なるほど、確かに先程の魔獣の姿があった。だがその姿はキミヒコが見た時とはかけ離れた姿だった。

 まず、首がない。前脚も両方が途中からなくなっている。いったいどうやればそうなるのか、綺麗に切断されたらしく、中心の骨とその周りの筋肉の繊維がはっきりと見え赤い液体を垂れ流している。そして、一見して腹側か背側かわからないが体の中心に一筋の亀裂が走っており、そこからピンク色のなにか管のようなものが飛び出していた。


「ほら、死んでます」


 しばらくその無惨な死体に視線が釘付けになっていたキミヒコだったが、ホワイトの声に我に返る。


「……ああ、確かに、死んでるな。うん。ありがとうホワイト、助かったよ」


「ええ、どういたしまして」


 とりあえずの危機は脱した。魔獣の死体を確認したことで、キミヒコはようやくその事実を認めることができた。

 事態を解決してくれたホワイトに素直に礼を言う。


「それでさあ、お前、なんかまた白くなってない? さっきまで血塗れだったよな?」


 キミヒコが新たに湧いた疑問を口にする。

 ついさっきまで魔獣の返り血で全身を真っ赤に染めていたホワイトだが、今は赤い部分が減り元の白い体になりつつあるように見えた。


「ああ、私の体は時間経過で修復と洗浄が自動でされるんですよ。もうしばらくで完全に元に戻ります」


「そ、そうか……」


 この人形には、あの化け物を屠る戦闘能力に加え、自己修復機能もあるらしい。

 先程はあの魔獣に遭遇して、とんでもない化け物がいる場所に来てしまったと思っていたキミヒコだったが、本当の化け物はこの人形の方ではないかと戦慄した。


「ホワイト、お前、強かったんだな……」


「まあ、あの程度の相手ならばおくれは取りません」


「……この世界の住人はみんなお前みたいに強いのか? ああいう化け物、魔獣がそこらじゅうにいるんだろ?」


「そこらじゅうにはいませんが、まあ身近な脅威として存在してますね。ですが、大抵の人間は魔獣に太刀打ちできません。専門のハンターや軍隊で対処するようです」


 大抵の人間は先程のような魔獣には対処できないと聞いてキミヒコは安堵した。

 あんな化け物と戦えるのが当然の人間ばかりであったなら、キミヒコが安穏と生きていけるような社会にはなっていないだろう。


「よほどの脅威と判断されれば軍隊が動きますが、大抵はハンターが魔獣を駆除します」


「ほお、ハンターねえ……。まあ一般人だけなら、さっきのやつに村ごと壊滅させられそうだな」


「ええ。なので、どんなに小さい村でもハンターギルドの支部は必ずあります」


 ギルドとは組合みたいなものだろう。ハンターにおけるそれが、民間なのか公的機関なのかわからないが、どこにでもあるらしい。

 そういうことならと、キミヒコに一つアイデアが閃いた。


「なるほど、ハンターになれば食いっぱぐれはなさそうだな」


「そうですね、需要がありますから。大抵すぐに死ぬのでいつでも人手不足らしいですよ」


「なら、人里に着いたらハンター稼業で金策をするのも一つの選択肢だな」


 この世界でも人類は文明を築き、それなりに繁栄しているとキミヒコはホワイトから聞いて知っていた。

 とりあえずはどこかの集落を目指すということで先送りにしていたが、金銭をどう工面するか、キミヒコは頭の隅でずっと考えていた。


「正気ですか? 貴方がハンターになったところで、魔獣に餌を提供するだけですよ?」


「俺が魔獣とやりあうわけないだろ。お前がやるんだよ」


 キミヒコではハンターは無理だと告げるホワイトに、キミヒコはにべもなく答える。


「最初から私が戦う前提の提案ですか。ここまで他力本願だといっそ清々しいですね」


「うるせーな、しょうがないだろ。こんな頭のおかしいファンタジー世界で俺になにができるってんだよ」


「はあ……。まあ、やれと言われればやりますけどね。ハンターをやるなら魔石を回収しておきますか」


 そう言うなり、ホワイトが魔獣の死体へと近づく。


「魔石?」


「魔石というのは魔力の結晶体のことです。魔獣の体内に埋まってます。それ自体も有用ですが、魔獣退治の証明の意味合いもあります」


 言いながら、ホワイトは魔獣の死体の傍に立ち、無造作に腕を突き込んだ。

 一見して、ホワイトの細腕で魔獣の体を貫くのは不可能に見える。だが、ホワイトの腕はあっさりと魔獣の毛皮を貫通した。


 メリメリと音を立てながら魔獣の体からなにかが引き抜かれる。腕が引き抜かれると同時に血潮が跳ね、ホワイトは再びその身を赤く汚したが、当の本人に気にした様子はない。

 引き抜かれた手には、その手に収まるサイズの小さな小石が握られていた。


「はい、これが魔石ですよ」


 そう言って、ホワイトはキミヒコに魔石を差し出した。


「……いや、渡さなくていい。お前が持っていてくれ」


「はい? ……まあ構いませんが」


 ホワイトが魔獣から引きずり出した魔石は、ぼんやりとした赤い光を放っており、宝石のような美しさがあった。

 だが魔獣の体内から引き抜かれたばかりのそれは、血に塗れているうえに腐臭を放っており、キミヒコはそれを手に取るのを躊躇した。


「それをハンターギルドとやらに持っていけば、換金してくれるのか?」


「らしいですね。ギルドでハンターの登録が必要みたいですが」


「ふーん……。どれくらいの金額になるかな?」


「さあ? 私はそこまで詳しくないです」


 右も左もわからぬこの状況で、ホワイトの知識は頼りになるが、あまり細かい部分まではわからないらしい。


「なんでもいいですけど、もう行きましょうよ。余計な時間がかかりましたから、急がなくては人里へ着く前に日が暮れます」


「そうだな。道中の安全は任せたぞ」


「任されました。では行きましょう」


 そうして、二人はまた森を抜けるために歩き始めた。

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