第4話

 約束の日曜日になった。

 駅前の待ち合わせ場所に理梨がやってきた時、愛海はもう先に来ていた。


「ずいぶん早いのね」

「緊張しすぎて、早めに出てきちゃった。二時間前からここにいるよ」


 あまりの気合の入れように、理梨はちょっと引いてしまう。

 愛海の意向に合わせて、近場のショッピングモールへ行くことになり、そこへ向かって歩こうとした時だ。


「榁姫さん」


 愛海が、こちらへ向かって手を差し出してくる。


「ぼく、気を抜くと自分のペースで歩いちゃうかもしれないから。ぼくを引っ張る感じで榁姫さんのペースで歩いて」

「…………」


 普段の理梨なら、体が弱いことを指摘しているも同然のこんな行為に直面したら、気が気じゃなくなるはずだ。なにせ愛海は、理梨の最大の秘密を握っているかもしれなくて、それが不安で理梨はずっと愛海の弱点を探ろうとしていたのだから。


 それなのに、不思議と心は落ち着いていて、嫌な汗が出ることもなかった。

 悪意を見出すには、目の前の愛海は無邪気すぎた。一緒に歩くのが楽しみで仕方がないという表情をされては、疑う気持ちも不安も失せてしまう。


(もしかして、運動が苦手なヤツって程度にしか思ってない?)


 だとすれば、ここで大騒ぎして拒否するのは得策ではないだろう。単なる運動音痴と思わせておく方がまだマシだ。

 理梨は愛海に向けて腕を伸ばす。二人の手のひらがぴったりと重なる。


「あんた、手震えてない?」

「そ、そうかな……別に普通だと思うけど」

「ていうか手汗もすご」

「ああっ、ごめんなさい!」


 真っ赤になっている愛海は、パッと理梨から手を離し、服でゴシゴシと汗を拭った。


「……ぼ、ぼく、人が多いところだと緊張しちゃって。学校なら、周りはみんな見慣れてる人だから平気なんだけど」


 こいつ本当に豆腐メンタルね、と思いながら、今度は理梨の方から愛海に手を差し出した。


「一度あたしの手を取ったのだから、その責任は最後まで果たしなさい」

「う、うん」


 愛海はニコリと微笑みたかったのだろうけれど、照れと喜びが混じっているのか、顔の左と右が非対称な歪な笑みになってしまっていた。


「あっ、ごめんね。またキモい顔になってる……」

「あんた、ちょっとこう目に力を入れて、唇をきゅって引き結んでみて」

「こ、こう……?」

「やればできるじゃない。あんたはそうしていれば、全然見れる顔をしているんだから」

「ふひ、榁姫さんに褒められちゃった」

「あっ、また!」


 愛海の表情が緩み、クールな雰囲気が瞬間的に溶けてキモい表情に戻ってしまう。


「次、そのキモい顔したら手ぇ離すからね」

「そんなー」


 抗議の声を上げる愛海だが、その表情はちっとも不服そうではなかった。



 愛海は有言実行の女だった。

 どうしても人より歩くのが遅くなってしまう理梨に合わせて、隣を歩いてくれる。

 愛海のおかげで、理梨は疲れることなくモール内の衣料品店を見て回ることができた。


「買わなくていいの?」

「榁姫さんと一緒にいるのが楽しくて、それだけで満足しちゃったから」

(こいつ……変な不意打ち食らわしてくるんじゃないわよ)


 クラスメイトの前で見せるような、クールな一匹狼の表情で答える愛海を目の当たりにして、頬に熱を持つのを感じる。

 手を繋いだまま、くるっと回って愛海と背中合わせになった。


(いつもはオドオドなくせに、変なところでちょっとかっこいいところ見せてくるんだから……)


「榁姫さん? どうしたの?」

「なんでもない。それより、あたしお腹すいた」

「フードコートでも大丈夫? トリュフもキャビアもないけど……」

「あんたのあたしのイメージってどんななの? ファストフードもジャンクフードも普通に食べるってば」


 二人はフードコートまでやってきた。

 休日ということもあり、空いている座席を見つけるのに苦労するくらい、多くの人で賑わっている。


 どうにか二人分の空席を見つけたものの、席を探すだけで疲労を感じた理梨は、愛海と同じ店を選ぶことにした。ワンタッチコールの呼び出しに従ってトレイを受け取り、並んで席に戻ってきたのだが、どういうわけか愛海の表情が暗い。


「どうしたの?」


 つい気になって、隣にいる愛海に訊ねてみる。


「うん、ぼく……サーモンとホタテのバター醤油パスタを注文したんだけど、これどう見てもサーモンじゃなくてパンチェッタが入ってる別のメニューなんだよね……」

「それなら注文間違ってるって言って、取り替えてもらえばいいじゃない」

「いや、でも悪いから」

「なにが?」


 理梨は言葉が通じない相手を前にした反応をする。


「いいんだ。こっちも嫌いじゃないから。値段は同じだし。ごめんね、変なこと言って」

「一人で話を終わらせないでよ」


 理梨は釈然としない気持ちになりながら、パスタをフォークでかき混ぜた。

 ひょっとしたら、間違ってるから変えてくれ、と店員に言うのが嫌なのかもしれない。

 なにせ愛海は、超のつくコミュ障だ。相手は店員とはいえ、初対面に違いなく、そんな相手に「あなた間違ってますよ」とミスを指摘するのが嫌なのだろう。


(……じゃあ宇都山が本当にそんなことを考えていたとして、だから何だっていうの? あたしと宇都山は、別に仲良しなんかじゃないし……)


 理梨は葛藤するのだが、隣でしょんぼりしている愛海を見ていると、何故か放っておけなくなってしまう。以前助けてもらった義理もある。


「……そんなにサーモンが好きなら、あたしのシーフードパスタから分けてあげるから。細切れになってるけど、モノは同じでしょ」


 理梨は、フォークを使って自分の皿から添え物の具になっているサーモンを取り分けた。


「ええっ!? 悪いよ、だって榁姫さんが注文したものでしょ?」

「隣で暗い顔される方が嫌なのよ」

「でも、榁姫さんからもらっちゃうの悪いし……そうだ、代わりのぼくのホタテ食べていいよ!」

「待って。あんたのホタテの方が大きいじゃない。これじゃ全然フェアじゃないでしょ」

「でも、榁姫さんのサーモンには優しさが上乗せされてるから」


 ニコニコして、愛海は言った。

 注文を間違えられて落ち込んでいた姿はどこへやらだ。


「……まあ、あんたがそう言うならいいわ」

「でも、どうしよう。榁姫さん、向こうのフロアにあるスーパーでジップロック買ってきていい?」

「なんで?」

「ふひ、だ、だってせっかくの榁姫さんのプレゼントだから、大事に保存して持ち帰ろうかと思って……」

「……今すぐ食べないならあたしが食べるわ」

「あっ、待って。冗談だから、ちゃんと今すぐ食べるから」


 愛海はサーモンを口に運ぶのだが、名残惜しそうに咀嚼する姿を見ていると、あーこいつ絶対ガチで提案してきたんだわ、と察してしまう理梨だった。

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