第5話

 腹ごしらえが終わったあともショッピングモールとその周辺の店を適当にぶらぶら回り、日が落ちた頃になって、駅へ向かうことになった。

 車の迎えが待っている理梨は電車を使わないので、愛海を見送るためだ。


 理梨は自分でも意外に思えるくらいの満足を覚えながら、愛海と一緒にゆっくり歩いていた。結局、愛海と歩く時はずっと手を繋いでいたことになる。未だ緊張するらしく、愛海はよく手汗をかくのだが、すっかり慣れてしまった。


 団地の合間にある小さな公園を横切っていく。

 その公園には、バスケットゴールが設置されていて、忘れ物らしいボールが脇のベンチに置いてあった。


「そういえば、あんたってバスケだけできるわけじゃないのよね」


 体育の時間になれば、どんな時でも愛海が際立って活躍していた。


「うん。家の都合があって」


 立ち止まった愛海に合わせて、理梨も立ち止まる。


「ぼくの家、オリンピック選手とかプロのスポーツ選手になる人がいっぱいいて。うちのお父さんとお母さんも元々そうだったんだ。だから、宇都山の家に生まれたらアスリートを目指すべし、みたいな家訓があって。両親もそのつもりで育てようとしてたんだ」


 サラブレッドな上にスポーツ一家。どうりで運動能力が桁違いなわけだ。


「でも、あんたって確か帰宅部でしょ? それにうちの学校って、運動部が盛んなわけでもないし。どうしてスポーツの強いところに行かなかったの?」

「両親の希望通り、ぼくも中学の頃までは色々やってたんだけど」


 愛海は、地面に立てたつま先をぐりぐりさせた。


「ぼく、こんなだから。チームスポーツができる協調性はないし、競争にも向いてない。他の人を蹴落としてでも一番になる! って性格じゃないからね。親にそう伝えたら、高校では自由にしていいって言われて。ぼくには兄妹がいるから。やる気がないなら、兄妹の方に力を注ごうってことになったんだろうね」


 愛海は、理梨と繋がったままの手をゆらゆら振りながら、力なく微笑んだ。


(なにそれ……。アスリートにするのが使命のスポーツ一家で自由にさせるだなんて、見捨てられたも同然じゃない)


「……ごめんなさい。変なこと訊いたわ」

「あっ、全然気にしないで! ぼくとしては、今の自由な方が気楽でいいから、不満なんてないんだ」


(なんか、無理してない?)


 愛海は微笑むのだけれど、この一日一緒にいた理梨には、愛海の本心は別にあるように思えてしまう。


 理梨は、一旦愛海から離れ、ベンチに転がっていたボールを拾うと、ゴールへ向けて放り投げる。

 弧を描いたボールは、リングの遥か下でピークを迎えて地面へ落ちた。


「……あたしもスポーツが苦手だわ。あんたとは違う理由でね。運動神経が悪いんじゃなくて、そもそも体が弱いの」


 理梨は、絶対に誰にも知られたくなかった秘密を明かそうとしていた。

 不公平に感じたからだ。

 愛海が自分自身の大事な秘密を教えてくれたのだから、自分も。

 そう思うようになるくらい、この日一日で愛海に対する見方が変わっていた。

 理梨を気遣ってくれた愛海からは、助けてやっている、という上から目線を感じることなく、気づけば愛海を頼りにして寄りかかる気分で手を繋いでいた。


「あたし、昔はもっと体が弱くて、小学生の時は学校より病院にいる時間の方が長かったわ。肺が特にダメでね、人より気管支が弱いみたい。すぐ不具合を起こすの……今はだいぶマシになったけど、無理したらダメな体なのは相変わらずだわ。だから体育の時はいつも見学してたの」

「あっ……やっぱり」

「やっぱりって?」


 理梨は少し不安になって聞き返す。


「体育で見学してる榁姫さんのことチラッと見た時、悔しそうっていうか寂しそうっていうか、他の見学してる人とは違うように見えたから、何か特別な事情があるんだろうなって思った。でも、榁姫さんから言い出さない限り触れない方がいいと思って、ずっと黙ってたんだ」


 どうやら愛海は、思いのほか人のことをよく見ているらしい。


「そう……やっぱり、手を繋ぐってなった時もあんたには邪な気持ちなんてなかったのね」


 あの時の無邪気な愛海の表情は、理梨に対する優しさがあったからこそ。邪気はないと判断した自分は正しかった、と理梨は安堵した。


「あっ、それは……違うっていうか」

「どういうこと? ハッキリ言いなさいよ」


 急に視線をそらした愛海に、理梨が背伸びをして詰め寄る。


「せっかくのお出かけだし、榁姫さんと手を繋いで歩きたいと思って」

「…………は?」

「手を伸ばしたら握ってくれたから、うはっ、やった! って嬉しくて、心臓がバクバクだった。今すごく友達っぽいことしてるって気がしたから」

「そ、そんなことはどうでもいいの! じゃあ、あたしのペースに合わせようとしてたのは? 早歩きしただけで息が上がるくらい体が弱々なあたしに配慮したんじゃないの?」

「ぼくの方が脚長いから、歩幅が違って榁姫さんが困るんじゃないかと……痛っ」


 理梨は愛海の肩にぽふんと拳を当てていた。


「もうっ、勘違いさせないでよ!」

「うん。ごめんね」


 理梨がぷんすかしても、愛海は受け止めるように微笑むだけだ。

 もしかしたら、愛海は本当は、理梨が言う通りの理由で手を差し伸べたのかもしれない。

 理梨が気にすると思っているから、誤魔化しているだけで。


「どうして笑うの。感じ悪いわね。まさかあたしの弱みを知って調子に乗ってるんじゃない?」


 理梨は、ぷいっとそっぽを向きながらも、手を繋ぎ直す。初めからそうなっているのが自然だったみたいに、しっくりときて心地よい感触がやってくる。


「ち、違うよ~。……でも、榁姫さんも悩んでることがあって、ぼくと同じところがあるんだってわかったのは、嬉しくて調子に乗っちゃうかも」

「あんたはあたしを何だと思ってたのよ」

「えっと、て、手の届かない憧れの人」

「……勝手に言ってなさいよ」

「ふふ、でも今は、こうして手を繋げてる」

「あんたに合わせてあげてるだけだから」


 そっけない理梨だが、手のひらの湿った感触が愛海のものであることを祈っていた。

 一番の悩みである弱みをさらけ出しても尚、憧れの人であると言ってくれたことで、胸の内がぽかぽかしていることを、手のひらの熱を通して知られたら恥ずかしかったから。


「あんた、言いふらさないでよ」

「そんなことしないよ」


 愛海は、気弱な顔をしておらず、頼りがいのあるキリッとした表情をしていた。


「そんな勿体ないことできないから」


 中性的な凛とした微笑みを浮かべる愛海が向かい合ってきて、理梨の手を両手でぎゅっと包むように握る。


「二人だけの秘密ができちゃったね」


 そんな愛海を前にして、理梨は、胸に一瞬、強い衝撃を覚えた。

 無理をして体を動かした時のような苦しさがある。

 苦しいはずなのに不思議な心地よさが紛れ込んでいて、不快感は一切覚えなかった。


「は、早く行くわよ……!」


 気恥ずかしくなった理梨は、愛海を引っ張るようにして駅へと向かうのだった。

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