こんにちは、御作を読みました。
信孝さんと信澄さんの違いに、こう、クるものが(T ^ T)
軍記物語出展のため、信ぴょう性にはやや疑問が残ると言え、報いを待てや羽柴筑前なんて歌を残しちゃうから、作中の性格も納得です。
本能寺さえなければ、落ち着けたのかなあ。面白かったです。
作者からの返信
信澄さんは、パパンがパパンだから^^;
親譲りの優秀な行政能力の持ち主だったんだと思います。
性格も悪くなかったと思いますし。
なお信孝さん、親譲りの傲慢さ(?)というか何というか……^^;
「報いを待てや羽柴筑前」の歌で、そう伝えられるほど激情家だとは思います(笑)
しかしもう少し落ち着けというか、丹羽長秀もサポートをしっかりしていれば……。
本能寺がなければ……うーん……四国征伐でポカしちゃいそうな気もします^^;
ありがとうございました。
編集済
拝読致しました。
あかん、光秀さんと聞くと、何故か関西弁と一丁火縄銃が頭に浮かぶのです……
しかし信孝さんと信澄さんの熟成の違いが著しい……(゚д゚lll)
信孝さんが聞いた太陽の音は、かくも苛烈だったのでしょうか。
そして天地が裏返るかのような大事変が勃発。
足元が揺らぐどころか砕けてしまい、若い信孝さんはどうするのか。
ハラハラしながら次回をまちます(^^)
作者からの返信
キレイな明智光秀さんですね、それは(笑)
しかしこのお話には出ません^^;
なぜなら、そうすると短編(一万字)オーバー当確になってしまうから(笑)
悩み多き青年だった織田信行の息子、津田信澄。
叛逆者の息子として苦労して育ったから、世故には長けていたのでしょう。
一方で神戸信孝は、庶子として苦労していたかもしれませんが、大体においては信長に第三子として認められていたため、アゲアゲで生きてきました。
きっと四国征伐も、名目上の大将は信孝、実務は信澄という体制で、四国占領後の政治もそれで……と企図していたのではないでしょうか、信長が。
でもそんな信長が本能寺の変で斃れ、信澄も信孝も、いやおうなく運命の嵐に巻き込まれてしまいます……。
ありがとうございました。
地元岸和田が出るとうれしいですね。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
実は祖父が岸和田で、私も出していて嬉しかったです^^;
ありがとうございました。