おこずかいをもらいに

浅賀ソルト

金髪の男が逃走

僕が小さい頃におばあちゃんの家に行くと何かお菓子を食べさせてくれたし、帰りにはおやつ代を渡してくれた。

おばあちゃんの家は僕が住んでいる赤根町からは歩いて一時間くらいのところにあったけど、僕は小学生の足でそこをテクテク歩いていった。

道は車で走っているときの窓の景色を見ているうちに覚えてしまった。見慣れない形の交差点や店や空気があって、信号を三つくらい渡る頃には自分にとっては異世界のようになっていた。何の店か分からないが大きな看板があって、その前を通るたびに不思議に思ったのを覚えている。化粧品のブランドの看板だというのはあとになって分かったけど、それが分かっても化粧品が何かがよく分からない僕には謎の店のままだった。

そのくらいの距離を歩いていると大人だけでなく子供もよく知らない他人になってしまう。誰だか分からない正体不明の子供だ。

そしてスーパーが現れる。これも僕がいつも行くスーパーと違う。中に入ることはなかったけど、外見だけでも違和感があった。スーパーの名前は與ぇ屋という名前で、僕の地元ではあちこちにあるスーパーだ。誰に話してもそんなスーパー知らないと言われるけど。赤い丸に與の漢字があって、もちろん読めないんだけど母が『あたえや』といつも言っていたので名前は知っていた。子供の頃のあるあるだと思うけど、その頃は耳で聞く『あたえや』と目で見る看板の『與ぇ屋』の関連がつけられなくて、全然別のものとして認識していた。文字としてあたえやと読めると知ったときは衝撃だったものだ。ああ、それでみんなあたえやと呼んでいたのかと。最初から読める人にはなんのことか分からないだろう。ついでに言うと、地元以外の人からは変な名前と言われることもたまにあった。

さらに太い道をてくてく歩くとでかい駐車場とパチンコ屋が現れる。ここの店名は今でも思い出せない。パチンコ屋はパチンコ屋で、大人も誰も名前で呼んでいなかったからだ。国道のパチンコ屋とか、六号線のパチンコ屋とかで通じるからである。景色が大きく変わって、車の販売店やゴルフショップなんかがあった。当時はもちろんなんだかよく分かっていなかったけど。

パチンコ屋の駐車場はとにかく広く、僕は親がそこの駐車場にバックで入れたという記憶がない。母があそこ空いてると言い、運転している父がそこに頭から入って向こうに抜けて停車させるというやり方をしていた。別にバックでの駐車そのものは他のところでたくさんしていたから、両親はパチンコ屋に限ってはとにかく素早く駐車したいという気持ちが勝っていたのではないかと思う。それでちょっと離れたところに停めたとしてもだ。

両親は車から下りると僕におばあちゃんの家に行ってこいと言ってとっとと店に入ってしまう。僕はアホなのでまたお菓子が食べられるしおこづかいも貰えると思ったので無邪気にはーいと答えてとっとと残りを道を歩いてしまう。

家からの徒歩に比べればパチンコ屋からの徒歩は圧倒的に楽だ。

おばあちゃんの家でビデオを見たりしているとそのうち未舗装の玄関先に車が入ってくる音がする。タイヤの音を聞いただけで勝ったか負けたか分かる。

おばあちゃんはこれでお菓子でも買いなさいと百円や二百円をくれる。五百円や千円のときもある。

僕はそれを握ってポケットに入れ、「おかえりー」と両親を玄関まで迎えに行く。

家から直接、てくてく一時間歩いておばあちゃんの家に行ったときには親が迎えに来てくれることもあったが、そのまま歩いて帰ることもあった。僕が一人でおばあちゃんの家に来ているということを両親がどれだけ正確に把握していたのかは今でも怪しい。気づいていないフリをするような二人ではないし、おばあちゃんも、今日は佳孝が一人で遊びに来たよとわざわざ連絡していたとも思えないからだ。よく来たねと迎えて、気をつけて帰るんだよと送る。それだけだったようにも思う。

よく考えるとアポ無しで突撃しているわけだから迷惑だったんじゃないかと思うけど、まあ、子供がこれから遊びに行きますとアポを取るのも変な話だからそれはそういうものだろう。小学生ではスマホも持たないし。

子供の頃はそんな感じで、両親のパチンコにもなんの疑問も持たなかったし、たぶん、両親もそこまでパチンコにのめり込んでもいなかったと思う。あくまで余暇というか休日や平日の気晴らし、暇潰しとしてのパチンコだった。

用もないのに行くようになるというか、そわそわして何時に出発して行けるようになるか、なんとかパチンコを打つ時間を日常の中に作れないかと工夫して、“効率”を気にするようになったのはもう少しあとのことだ。

といってもいつ、そんな風にフェーズが変わったのかは分からないし覚えていない。おばあちゃんの家に自転車で行くようになって、中学生になり、父が失業してずっと家にいるようになると、夫婦仲というものが色々とアレになっていった。

おばあちゃんのおこづかいはお菓子に使うことは少なくて、ある程度貯めてから欲しかったものを買うようになった。ポケモンカードだったりもしたけど、そのうち参考書にもなり、スマホの接続料金になったりもした。そしてもちろん、親父のパチンコ代に化けてしまうこともあった。

ほとんど入ったことのなかったパチンコ屋に入り、その背中を見て、「おい。俺の金が消えてるんだけど」と言ったりもした。

こういうとき——というかどういうときでも——親父は人の顔を見ずに「ああ」と言うだけだった。

僕もそれ以上は何も言わずに背後に立っていた。こういうとき、僕は怒りを爆発させることができない。後頭部をじっと睨んで色々妄想をするだけだ。無防備な後頭部を。

おばあちゃんの家には納屋があり、そこには草刈り鎌もあれば斧もあった。僕はそんなことを考えるのだ。

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