第17話別れの時は


「それから君のことがずっと気になってたというか……」

「すんませんした!毒あげてるとか言っちゃって俺っ」

「あぁ、それはもういいんだけど、そっちじゃなくって……」


 今日嫌われたわけじゃない。出会った時から嫌悪感を持たれていたのだ。時折、唐突に冷たい態度をとられたのは、その表れだった。


「その、今日は無理に誘ってしまってすみませんでした。あの後俺が猫を引き取ったから、その恩で気を遣わせてしまったみたいで……」

「え、なにを言ってるの?」

「先輩って俺のこと嫌いですよね」

「そんなこと言ってないでしょう」

「だって、体とかが触れると凄い不機嫌だったし、今思えば嫌そうにしてたし」

「あ、あれは…………緊張、してたの」

「……え?」

「だから、男の子と二人きりで遊ぶの初めてで。体が強張ってるのとか、悟られたくなくて」


 これは、どいうことなんだろう。またからかわれているのだろうか。


「君の方こそさ、この私をデートに誘っておいてなにもないなんて、本当に私のこと好きなの?」

「え、いや、え?」

「朝の告白は流れちゃったから、後でまた来てくれると思ったのに。休み時間も、放課後も待ってたのに」

「あ、朝は俺、断られましたよね」

「そう、それ。勘違いさせたかなと思ったから、デート中は積極的にしてみようって」


 あれはてっきり、からかわれているだけだと思っていたのに。というか……


「先輩って、もしかして、俺のこと好きなんですか?」

「……うん。ちゃんと好意は伝えてるんだから、それで納得してよ」

「先輩に好かれるようなことをした覚えがないので、正直現実感がないというか……」


 気分がフワフワしている。心臓の鼓動は速く、死に際に都合のいい夢でも見せられている気分だ。


「えっと、ね……」


 新庄先輩は言い淀みながら、オレンジジュースに口をつけたり、肩に流れている毛先をポンポンと手のひらで遊ばせたりした。


「私に、優しいって言ってくれたから」

「……それは、なんというか、ええ?」

「あー、やっぱ今の無し」

「ありですよ!先輩って凄い優しいと思います!」

「絶対私のことチョロい奴だと思ったでしょ」

「まあ、はい」

「違うのよ。いつも、生まれてからこの方ずっと、人から褒められる時ってまず容姿からだったの」


 それは仕方がないように思える。新庄先輩は日本じゃ珍しい綺麗な金髪をしているし、その容姿もスタイルもズバ抜けている。

 言われ過ぎてうんざりしているだろうと察しても、彼女の美しさを前にしてしまえば、どうしても口から褒め言葉が溢れてしまうというものだ。


「私を褒めるどころか、眼中にもなさそうだった男の子がさ。ある日、お世辞でもなく感動したみたいに、私の内面を褒めてくれたんだもの。嬉しくて、忘れられないよ」


 この俺、三浦周司と、新庄レイラは、両思いだった。

 どうしてこんなに遠回りしてしまったんだろう。

 思い浮かぶ理由は尽きないが、詰まるところ、彼女がほしいと思い立ったあの日、あの後すぐに行動してればこんなことにはならなかったと、俺は後悔した。


 ──ピピッ。


 その電子音がなんなのかを理解した時に、改めて後悔した。

 深く、深く、底知れぬ、後悔。

 時間は戻らない。


「あ、もうこんな時間。確か三浦くんのお家の門限って十二時だったよね」


 あぁ…………

 新庄レイラの女物の腕時計。文字盤には花のような装飾が施されている。

 そして、長針も短針も十二時、つまり午前零時を指し示していた。


「俺、もう行かないと」

「ごめんね、もっと早く帰してあげるべきだったのに。お喋りに夢中になっちゃって」

「いえ、それじゃあ……」

「……ああ、うん。今日は楽しかった。遅くまで一緒にいてくれてありがとうね」

「はい、こちらこそ」



 不思議と冷静だった。多分愛想の笑みはちゃんと作れたし、会釈もできた。歩き方も忘れていない。

 俺の心臓は何回鼓動しただろうか。

 新庄先輩にずっとドキドキしていたから、分からないくらいか。

 これから俺は、分からないくらいの回数、死の苦しみを味わうのか。

 徐々に足が重くなっていく。もう表情はまともに作れていない。平衡感覚も正しいのか分からない。ふらついているんじゃないのかと思える程に。


「待って三浦くん。忘れ物」

「……ああ、それ、差し上げますよ」


 なにを忘れたかは知らないが、財布でも携帯でも、俺にとってはもう必要のない物だ。

 それならいっそ、新庄先輩に俺の形見として持っていてほしい。


「待ってったら」


 先輩は俺の手を掴んだ。


「ですから、ん──」


 ファーストキスは、甘いオレンジの味がした。

 俺の腕を掴む先輩の手は強いく、やがて、それがゆっくりと優しいものに変わっていき、熱を帯びた息と共に唇が離れた。


「あなたのことが好き。私と付き合って」


 彼女の上から気味な物言いとは裏腹に、少し声は震えていて、顔は耳まで赤くしている。


「あ、の。なんで急にこんなこと……」

「だって、だって、君ってば意外と奥手なんだもの。それに、このまま三浦くんを帰したら、また疎遠になってしまうような気がして。私、そんなの嫌で……」


 本当は断るべきなのだろう。俺はもうすぐこの世を去るのだから。

 だけど、それでも、無意味でも。


「新庄先輩。俺も、あなたのことが好きです。俺でよければ喜んでお付き合いをさせてください」


 今日は本当に人生最良の日だ。後悔の念は絶えないけれど、今日という日を迎えられたことを神に、死神に感謝したい。


「……よかった、本当に」

「それで、もっと先輩とお話したいんですけど、やっぱり俺、行かなくちゃ」

「うん、また明日ね」


 また明日。その約束をできない俺は、新庄レイラの可愛らしい微笑みを目に焼き付けながら、手を振り返すことしかしなかった。


 ワックから少し離れた路地裏。

 二十四時間営業のコンビニからの明かりで、顔が分かる程度に薄暗い場所。そこで俺は歩みを止めた。


「いるんだろう」

「もちろん」


 なにもない闇から、死神は現れた。


「それじゃあ、始めてくれ」

「うん?あぁ……はいよ」


 俺はその時を待ち、目を瞑った。

 命乞いやら、別れの言葉やらで変に時間を伸ばすようなことはしたくなかった。

 淡々とこなさなければ、これから味わうであろう数多の死の苦しみの恐怖に、押し潰されそうだった。


「もー少し屈んでくれる」

「ああ」

「もうちょい」

「……こうか?」


 脳裏には、俺の頭に向かって水平に銃を構えるロッコの姿が浮かんでいる。

 ──そして、柔らか物が、俺の唇に触れた。

 目を瞑ったまま、身を強張らせるがなにも起きる様子はない。息遣いらしき物を感じるだけだ。

 恐る恐る目を開けると、そこには目を閉じたロッコがいた。


「って、おまっ、なにやってんの!?」

「なにって、始めてくれって言うから」

「それでなんでチュッチュ始まるんだよ!」

「目ぇ閉じて待機してるからさぁ、てっきり浮気キスを本妻の口付けで上書きしてほしいのかなと思って」

「どんな勘違いだよ。はぁ、死神の考えることはよく分からん……」


 いや、分からないということもないか。ロッコは俺を好いてくれているようなのだから。


「……あー、別れのキスってことか」

「それもあるねぃ。名残惜しいけどさ、ロッコちゃんはもう帰らないといけないから」

「え、見逃して、くれるのか?そんなことをしてお前は大丈夫なのかよ」

「見逃すもなにも、しゅーくん期限までに彼女できたじゃない」

「いやだって、午前零時を過ぎてから恋人関係になったわけで……」


 携帯を取り出すと、デジタル表記で『0:00』。そして、たった今『0:01』となった。


「あれ、このスマホ時間がずれてるのか?さっき五分前くらいに新庄先輩の時計が零時を指していたのに」

「んー、契約はちゃんと達成されてるし、あの金髪ちゃんの時計の方がずれてんじゃぁないの」


 時計が遅れることはあっても、早まることなんてあるのだろうか。


「あ、そうか、今朝に先輩達が話してた……」


『あれ、レイラ腕時計買ったの?』

『これ?実はパパに持たされちゃったんだよね。遅刻ばっかしてるから5分前行動を心掛けなさいーって』


 五分前行動。つまり、新庄先輩か、彼女のお父さんが時計を五分早めた状態にしていたのだろう。


「な、なんだよもー……」


 期限までに間に合っていたんだ、恋人作り。

 ヘナヘナと全身から力が抜けて、俺は壁に寄りかかってしゃがみ込んだ。


「どうやらロッコちゃんの言う通りみたいだ」

「そうかい。んじゃぁ、さっきも言ったけど、私帰らないといけないから」


 ロッコは空間に半円を描くようにしてさっと指先でなぞると、徐々に闇が渦を巻き、やがて楕円の枠を縁取った。縁の内側は、ただの暗闇とは違う、異質な雰囲気の空間が広がっている。


「じゃあねしゅーくん。向こうでも私はしゅーくんを愛しているからね。忘れないでおくれよ」


 私は、か……

 ロッコと出会った時に、口にした言葉が全部が全部嘘ってわけじゃない。だけど、その場凌ぎのために愛を語った、というのもまた事実だ。

 彼女も、そのあたりは分かっているんだろう。でも、それを分かった上でなお、愛している、だなんて言ってくれている。

 ここで下手に繕うくらいなら、このまま黙って見送るべきなのかもしれない。しかし、俺にはどうしても彼女に伝えたいことがあった。


「なあっ」

「んー?どした」

「俺のところに来てくれたのがロッコちゃんでよかった。お前に出会えて本当によかったと思ってる。ありがとう死神様」

「おー、この仕事やっててそんなこと言われたの初めてだなぁ」

「後それから、ロッコちゃんは可愛いぜ」

「……ヒヒっへ、ありがとう。しゅーくんのことずっと冥界で待ってるからさぁ、辛くなったらいつでもこっちにおいでね」


 彼女はそんな言葉を残して、闇へと消えていった。

 携帯を改めて確認すると、履歴には親からの電話や俺を心配するメールがずらりと並んでいた。そう、実際のところの門限はもっと早い時間であったのだ。しかもどうやら、俺の部屋の天井に穴が空いていることにもかなり怒っているらしい。


「……帰りたくねぇな。でも明日も学校か」


 その学校は学校で、クラスの女子達からは嫌われまくっているし、クラス外にも俺の悪い噂が拡散している様子だ。

 ふいと、心の中でロッコの誘いが反復される。

 今日一日、生きるために頑張ったというのに、冥界に逃げたいなんて考えが頭をよぎるのは、我ながら酷いブラックユーモアで、そしてそのユーモアを誰に語ることもできずに、一人苦笑いをするしかない俺だった。


 まぁ、頑張って生きますか。人生まだまだやりたいことがあるしな。

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13時間で恋人を作らなければ死ぬと宣告された @handlight

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