第16話出会った時は
先輩が戻ってきたのは、それから10分以上後のことだった。
「お、おかえりなさい。あれ、飲み物は……」
「忘れた」
「はは、そうなんですね……」
やばい。めちゃくちゃ気まずい。
隣に座ってはくれたが、相変わらず顔は背けているし、距離も離れたような気がする。
もはや、映画の続きを観るといったような雰囲気ではない。
「あの、そろそろ出ましょうか……?」
俺がそう言うと、先輩は伝票を手に取った。
♢
帰路に着くため、隣町行きの電車に二人で乗っているが、新庄先輩との会話はない。
もう告白とか、そういう感じでもないだろう。結局俺は、最後の最後まで失敗してしまった。
駅に着いたがどうしようか。嫌がられるかもしれないけど、こんな時間に女の子を一人にするのは心配だから送っていきたいな。
「あの先輩、よか──」
「ねぇ、よかったらワック寄っていかない?十二時までまだ時間あるし」
「え、あ、ああ、そうですね」
駅前のファーストフード店。
階段を上がると二階にも飲食スペースがあり、時間帯もあって一階よりも閑散としている。机に突っ伏していたり、ソファ席で仮眠をとっている人がいるだけだ。
「飲み物だけでいいの?」
「あぁ、はい」
もうお金がないよ。今日一日で使いすぎた。
それよりも、これはどういうことなんだろう。諦めていたのに、こうやって新庄先輩と向かい合って座り、デートらしきものを続行している。
いや、期待しないようにしよう。触らないでと言った相手に抱きついてしまったわけだし、嫌われて当然だ。恐らく、一人よりはマシ、くらいの気持ちで誘ってくれたんだろう。
……死ぬまで、後どれくらいの時間が残っているのだろうか。
「また時計探してる」
「え?」
「今日一日、時間ばっかり気にしていたけど、そんなに私といるの退屈だった?」
「そんなことないです!新庄先輩といるのは凄く楽しくて多分、いえ、本当に人生最良の日でした」
「そ、そっか」
本当に。
たとえ気まずくても、最後になるだろうからこの時間は大切にしたい。
なにを話そうか。
先輩がポテトを摘んでいる間に、考えを巡らせる。
「あの、新庄レイラ先輩」
「……改まってなに?」
「ご趣味は」
よく考えたら彼女のことを全然知らない。叶うなら、先輩の情報は冥土の土産に持って行きたいところだ。
一瞬間が空いた後、新庄先輩は鼻で笑った。
「今更?ここにきてそれなの?」
堪えきれない様子で、笑い混じりになっている。
彼女の機嫌の具合は分からないが、怒っていない時の先輩に戻ったような気がする。
「そんなにおかしいですかね」
「ええ。凄い真剣な感じだったから、告白されるのかと思っちゃった」
「いや、それは……」
「趣味かぁ。私って適当でも大体上手くできちゃうから、これといったものにハマれないんだよね。勝負事も手を抜かないと勝っちゃうから面白くなくて」
「俺ゲームなら負けませんよ!」
「あれ、今日私に惨敗していたような?」
「違いますって!あれは調子が悪かったというか!それに電子ゲームなら絶対負けません!俺の方が強い!」
「ふふ、そこまで言うのなら今度対戦してみる?」
「いいっすよ!今度、そうですね……」
出来もしない約束をしてもいいのだろうか。俺に今度はないのに。
歯切れの悪さを誤魔化すためにコーラに口をつけたが、いつもみたいに美味しく感じない。意味のない糖分摂取だ。
「今度は私から質問するね。私のどこが好きなの?」
「ゴフっ」
「わお、大丈夫?」
思ってもみなかった唐突な質問に咽せてしまった。
「い、いきなりなんですか」
「君だっていきなり質問してきたじゃない」
「それは、まぁ。ええと……」
言わなきゃダメだろうか。言ったら最後、今日のデートのダメ出しをされてから振られるんじゃなかろうか。
……こんなネガティブなことばかり考えているのは俺らしくないな。いこう、直球勝負で。言おう、好きな所を。
「顔です。めっちゃ美人!」
特に反応がない。彼女を真顔にさせたことが、ある意味反応かもしれない。
「ああ、そうなんだ」
絶対ミスったよこれ。
でも性格とかは優しいってことぐらいしか知らないし、変に誤魔化したところで先輩は勘付きそうだ。
「うーん……」
新庄先輩はなにやら考え込んだ後、
「別にいいんだけどね。私も結局……」
そこで言葉が途切れる。
「結局……?」
「な、なんでもない。でもさ、昔は、出会った時は私に興味なかったよね」
「そんなことないですよ!一目惚れでした!」
「ふーん?」
なにか、じっとりと粘りつくような目を向けられてしまった。
「最初に私に言った言葉、覚えてる?」
え、あの時なにか変なことでも言ったかな。記憶にあるのは、確か……
「可愛い、とか?」
「それ猫に言った言葉でしょ」
「そ、そうでしたっけ」
「私は今でも忘れられない。後にも先にも、私にあんな失礼なこと言ってきたの君だけだよ」
本当になんて言ったんだっけか。
♢
中学三年生の頃に、一匹の猫と出会った。
勉強に身が入らず、気分転換の探検がてらに入った廃工場の敷地で見つけた、傘の差さったダンボール。
タオル地の上で丸くなっていた黒ぶちの猫は、俺が近づくと顔を上げた。
捨て猫だろうか。首輪はないが人慣れしているらしく、撫でてやると目を細めてみせた。
可愛いくて持って帰りたい所だが、親に叱られるだけだろう。
とりあえずその日は、意外と高いコンビニの猫缶を与えてその場を後にした。
数日後、ふと捨て猫のことを思い出して廃工場にやってくると、そこには先客がいた。
髪を金髪に染めている、地元の高校の制服を着たた女だ。
彼女が手に持っていたビニール袋をゴソゴソと漁ると、ダンボールから猫が飛び出した。
すると、女は嫌そうにシッシッ、と袋を振って猫を威嚇する。
猫が行儀良くお座りしたところで、袋から食べ物らしきものを投げて与え始めた。
市販の餌といった感じではなく、どうやら野菜をカットしたもののようだ。
金髪の女は猫を可愛がる風でもなく、ただ真顔で見つめている。
動物が好きな俺からすると、そのどうにも不自然な光景に違和感を覚えて、思わず声をかけてしまった。
「それ、毒でも入ってるんすか」
「え?」
女は目を丸くしてこっちを見た。
図星なんだろうか。
「……いや、家にあった野菜をあげてるだけ」
「飼ってるの?」
「捨て猫よ。他にも子猫が二匹いたんだけど、その子達は貰い手が見つかって、あとはこの子だけ」
「そう、なんですか」
貰い手探しまでしているようで、この人普通にいい人なんじゃないだろうか。
毒とか言っちゃったよ俺。
「えっと、猫、可愛いですよね」
「うん」
「撫でたりはしないんですか?」
「外猫ってなんだか汚そうで気乗りしないかな。それに私のパパ猫アレルギーだから、触って帰るとくしゃみ連発するの」
俺の彼女への第一印象は、好きでもないのに猫の世話をする変な女、だった。
それからは、放課後にこうやって彼女と鉢合わせることが増えていった。
俺が餌をあげに行く時は、何故か彼女もいるのだ。
ある時、雨の日に黒ぶち猫が心配なって様子を見に行くと、そんな日でも新庄レイラはそこにいた。
「新庄さんってもしかして毎日来てるんすか?」
「まぁほとんどは。私が来ないせいで死んじゃったら可哀想だから」
愛でることはしない。それでも彼女は……
「本当は面倒臭いんだよね。でも餌の取り方とか分からないみたいで、最初見つけた時はガリガリだったの」
動物が好きな俺は、たまに来て、ご飯をあげて、可愛がって、それでお世話をした気になっていた。
嫌々でも、ちゃんと面倒を見ていたのは新庄さんの方だった。
「貰い手、見つかるといいですね」
「そうだね。生きていればきっといいことあるから」
新庄さんは、可愛らしい猫ではなく、その命をただ慈しんでいた。
それを知った時に俺は、
「こんな優しい人いるんだ……」
「え?」
「あ、いや、いい言葉だなと思って」
思わず漏れた本音が恥ずかしくて、俺は顔を隠すように傘を傾けた。
「そう?お母さんがね、昔よく言ってたの」
彼女の言葉に、俺はなんて返せばいいのか分からなかった。
目深に伏せた傘を上げた時に見た彼女の横顔が、雲の合間から差す美しい光のように思えた。
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