第7話 約束

 王都ハーノイはアンゴルモアの手に落ちた。

 そのことによる士気への影響は決して小さいものではなく、カイン国王の頭にも降伏の二文字がちらついていたようだ。

 そんなカイン王に対し、シュラウドは、自分の首が地に落ちぬ限りベルトラムが滅びることはないと言って叱咤激励したという。

 彼に対して色々思うところはあるものの、剛毅ごうき果断かだんな人物であることは否定できない。


 そして一方、皮肉なことに、ハーノイを占領したアンゴルモア側も、士気の低下に悩まされていた。


 ハーノイを放棄するにあたり、お母様は、王侯貴族のみならずハーノイ市民たちも避難するよう誘導し、しかもその際、可能な限り食糧を持って逃げるよう指示したのだそうだ。自分たちの食べる分を確保するだけでなく、アンゴルモアに補給をさせぬように。

 そしてさらに、王宮内の貯蔵食糧や財宝の類まで、船に載せて運河で運び出させたのだという。

 そのあまりの手際良さに、思わずお母様の顔を二度見してしまったくらいだ。


 そして、せっかく敵国のみやこを陥落させながら、ほとんど得るものがなかったアンゴルモア軍の士気は、一気に低下した。

 それは単に期待が裏切られたということだけではなく、補給が心許こころもとなくなってきたせいだった。


 国境付近では、森林地帯に逃げ込んだ兵や民が、遊撃ゲリラ戦術によってアンゴルモアのへいたんせんを脅かしているという。

 兵糧もそうだし、何より深刻なのは、彼らご自慢の騎竜きりゅうに与える魔石ませきの供給難だ。


 自然豊かなベルトラムでは、魔素マナの結晶がそこいらに落ちているなどということはなく、騎竜きりゅうかては鉱山から切り出される魔石ませきが頼りとなる。

 魔獣を狩ればその体内からも魔石は得られるが、何千頭もの騎竜きりゅうを養うには焼け石に水。アンゴルモアがこれまでに征服した国々はいくつもの良質な魔石鉱山を有していたが、それもへいたんせんを断ち切られては何の意味もない。


 さらに、冬でも温暖湿潤なベルトラムの気候は、アンゴルモア人の体質には合わず、体調を損ねるものが続出しているとの情報もある。


 次第に春が近付いて気温が上がり始める中、敵将ウィリアンディーは、ティエンマルクに籠るベルトラム軍と決戦することなく、撤退の選択をした。


 だが、ベルトラム軍もそれを黙って見送ったりはしない。ハーヴォン将軍や、健康を回復したファンドールらが率いる軍勢は、ハーノイ近郊のトンポダードでアンゴルモア軍を捕捉。侵攻以来の恨みを晴らすのは今と、怒涛の如く襲い掛かり、奴らを撤退ではなく敗走に追い込んだ。


 かくして、ひとまずアンゴルモアの脅威は去った。



 アンゴルモアから奪還したハーノイの王宮で、戦勝祝賀式典が執り行われたのは、いくさが終わって一ヶ月ほど経った後だった。

 諸将への論功行賞もその際に行われ、私も従軍治癒術士を代表して出席することとなった。


 当初、勲功第一等は、トンポダードの戦いにおいて多大な戦果を挙げたハーヴォン将軍とされていたらしいのだが、将軍はビェルゲンの撤退戦において殿軍しんがりの任を全うしたタリアン殿こそ第一等と主張してこれを固辞し、結局タリアン殿が第一等とされた、らしい。


 万雷ばんらいの拍手の中、カイン国王から宝剣を賜るタリアン殿。

 勲功第一等とされた者は、何か一つだけ、望みのものを褒美としてねだることが許される。

 カイン国王から何でも望みのものを述べてみよと促されたタリアン殿は、出席者たちの注目が集まる中、すぅっと一つ息を吸って、こう言った。


「では、お言葉に甘えまして。パトリシア様との結婚を、お許しいただきたい」


 え!? ちょ、タリアン殿!? 困惑する私。


 国王はそれを聞いて、側に侍る宰相シュラウドの表情をうかがった。そして彼の顔から不快の色を読み取ると、自分も顔をしかめて、


「そのはな――」


 パチパチパチパチパチ。


 王の言葉を遮るようにして、高らかに拍手の音が鳴る。

 邪心の欠片もない満面の笑顔で拍手したのは、フェイス殿だった。えーっと、傍らで父親のジンド公が渋い顔をしているのだけれど、いいのか?

 式典の場が妙な雰囲気に包まれる中、ハーヴォン将軍の野太い声が響き渡った。


「これはめでたい! ベルトラムを救った英雄と聖女が結ばれる。わが国で一番の似合いの夫婦めおとと言えましょう!」


 シュラウドが将軍に冷ややかな眼差しを向けたが、ハーヴォン殿はそれと視線を合わさぬまま、にこにこ笑っている。

 そして、周囲からぽつり、ぽつりと拍手が鳴り出し、やがてそれは会場全体を包み込んだ。


 カイン王はどうしてよいやらわからぬ様子で、なおもシュラウドの顔色をうかがう。

 シュラウドは表情を取り繕い、こう言った。


「陛下、お気遣いには及びませぬ。斯様かように立派な花婿を迎えられるは、わたくしにとってもこの上なき喜びにございます」


 国王は私の結婚について義理の父である宰相の意向をおもんばかり、宰相は喜んでこれを承諾した、という体裁を整えて見せたのだ。まったく、食えないやつめ。


 あれよあれよという展開に困惑から抜け出せぬ私に、タリアン殿が手を差し伸べる。それに引っ張られるようにして歩み寄った私を、彼はそっと抱きしめ、耳元でささやいた。


「言ったでしょう、パトリシア様。必ずは守ってみせますと」


 え? 約束ってもしかして――。



「あたし、しょうらいタリアンのおよめさんになる!」


「うん。ぼくもパトリシアさまをおよめさんにしたい」


「やった! ぜったいやくそくだからね!」


「うん、ぜったいやくそくする!」



 幼い日の記憶が、鮮やかによみがえる。彼は、あの日の誓いを命懸いのちがけで果たしてくれたのだ。


「う、あ、あ、ああああああああああああああああああ」


 私は泣いた。愛する人の腕の中で泣いた。二十年分の涙がつくくすまで――。

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