第5話 猛攻

 聖暦せいれき一二四七年冬。ウィリアンディー将軍率いるアンゴルモア帝国軍三万が、ベルトラム国境をおかした。


 これに先立って、アンゴルモアはベルトラムに降伏勧告の使者を送ってきたが、カイン国王は使者を投獄し、廷臣たちに徹底抗戦を指示したという。

 その判断が正しかったのかどうか、私にはわからない。

 しかし、アンゴルモアの軍勢のうち歩兵の大半は、先年アンゴルモアにさしたる抵抗も見せず早々に降伏したマーブル王国の人々が動員されているらしい。

 それは、アンゴルモアに屈した――あらがった末の敗北であれ、無抵抗の恭順であれ――ベルトラムの明日の運命であることは想像にかたくない。


 いくさに際し、聖サミュエル神殿からも従軍治癒術士を派遣することとなり、私はその一人として名乗りを上げた。タリアン殿はあまり良い顔はしなかったが、彼だって貴族の務めとして戦におもむくのだ。私も王都でただ無事を祈っているだけなんて耐えられない。


 開戦早々にして、国境付近のいくつかの砦は激戦の末陥落し、アンゴルモア軍はベルトラム領の奥深くにまで兵を進めてきた。


それがしの兵たちを救っていただき、パトリシア様には感謝にえませぬ」


 救護テントで負傷兵を治癒している私のもとに、ハーヴォン将軍がやって来た。部下の兵たちの見舞いと、私へのねぎらいといったところか。

 古傷の治療を行って以来、彼とは多少打ち解けた間柄だ。


「それにしても、レロイ伯は中々おやりになりますな。彼がいてくれなければ、それがしの部隊もどうなっていたことか」


 タリアン殿の名前が出て、一瞬どきりとする。


「騎馬の精鋭による一撃離脱。攻撃魔法が発達した昨今ではあまりかえりみられない戦術ですが、上手く用いれば十分効果的。しかもそれを、足の遅い重装歩兵相手ならまだしも、馬には劣るとはいえ十分に機動力がある騎竜兵きりゅうへい相手に成功させるのですから、いやはや大した軍才だ」


 ハーヴィン将軍という人は武骨な為人ひととなりだと思っていたのだが、機嫌の良いときは案外饒舌じょうぜつ、というのはどうやらの性格らしい。

 タリアン殿が称賛されるのを嬉しく思う反面、あまり危険なことは控えてほしい――などと思ってしまうのは、きっと私の身勝手なのだろう。


「ハーヴォン将軍! 一体どういうことですか!」


 いきなり怒鳴り込んできたのは、タリアン=レロイその人だった。


「ファンドールの部隊に、ヴィンフック平原で敵軍を迎え撃つよう命じられたとか。あんな広い平坦地では、騎竜兵きりゅうへいの格好の餌食ではありませんか!」


「ここビェルゲン丘陵に兵力を集結し、敵と決戦するまでの時間稼ぎだ。彼はまだ若いが、智勇ちゆう兼ね備えた有能な将。立派に務めを果たしてくれるだろう」


「つまり、立派に名誉の戦死を遂げよと?」


「……宰相の御意向だ。それ以上言うな」


 吐き捨てるようにそう言って立ち去る将軍の表情には、苦悩の色が垣間見えた。彼も本意なわけではないのだろう。


「あ、申し訳ありません、パトリシア様。見苦しいところをお見せしました」


「いえ。それより、ファンドールが危険な戦場に配置されたというのは本当ですか?」


 リューエル殿とシフォン姉様の子で私の甥にあたるファンドール=チャリオン。まだ二十歳にも届いていないが、聡明で武勇にも秀でた立派な若者に成長している。

 しかし、父リューエル殿は宰相シュラウドを恨み続けたまま昨年亡くなっており、彼自身もカイン国王やシュラウドの顔を潰すようなことをしでかしていて、彼らから睨まれていた。


「ええ。文字通りの捨て駒ですよ、あれでは」


 苦しげに呻くタリアン殿。彼としても、救いに行きたいのは山々なのだろうが、無断で兵を動かすことは許されない。

 私も、ただ無事を祈ることしかできなかった。


 それからしばらくして、大勢の負傷兵たちが担ぎ込まれてきた。ヴィンフック平原の戦闘で、かろうじて敵の攻撃を退けたものの、部隊は甚大な損害をこうむったのだ。

 その中に、変わり果てたファンドールの姿もあった。


「死ぬな、ファンドール! パトリシア様お願いします、こいつを救ってやってください!」


 全身大火傷おおやけどを負ったファンドールに寄り添っていた若者が言う。

 フェイス=チャリオン。王室内の有力者の一人であるジンド公の御子息だ。

 ファンドールとは浅からぬ因縁があったはずなのだが……。


「最善は尽くします。エイミー、治癒の準備を……。エイミー?」


 一人前の神官となった今も私の助手を続けてくれているエイミーに声を掛けたが、彼女はその場に立ったまま首を横に振った。


「そのお方は宰相閣下の不興を買っておいでです。そのことはパトリシア様もよくご存じでしょう?」


 そうだった。彼女はシュラウドの息がかかっているのだった。タリアン殿に調べてもらって、彼女の実家とシュラウドが繋がっていることは判明しており、彼女も私に知られたことをさとって半ば開き直った状態で、長らく付き合い続けてきたのだが、ここに来て立場を明らかにしたか。

 周りを見回すと、他の神官たちも尻込みしているようだ。


「負傷者を治癒するのに、宰相の許可が必要? 彼は私の甥ですが、そのことも今は関係ありません。傷付いた人たちを治癒する、それだけが私たちの使命です」


 エイミーを睨みつけ、毅然とした態度で言い放つ。しかし、彼女だけでなく他の神官たちも動こうとはしなかった。


「お前たち、それでも神官か! 我が父ジンド公の名において命ずる! パトリシア様を補助せよ!」


 業を煮やしたフェイス殿に怒鳴りつけられ、ようやく何人かの神官たちが動いてくれた。

 ファンドールをベッドに寝かせ、焼け焦げた衣服を脱がせていく。敵の火炎魔法が至近で炸裂したらしい。


「それにしても……、フェイス殿はファンドールのことを恨んでおられるのかと思っていましたが」


 今年の春頃のことだが、シュラウドはジンド公との関係を深めるため、彼の息子フェイス殿と、カイン国王が側室との間にもうけた――私がまだ時期のことだ――娘シータ姫とをめあわせようとした。

 しかし、以前から従妹である姫と相思相愛だったファンドールが、夜、姫のもとに忍んで行って、既成事実を作ってしまったのだ。


 カイン国王もシュラウドも、当然のことながら激怒したが、王妹おうまいでありファンドールの後見人でもあるルイザ姫のとりなしで、どうにか無事ファンドールとシータ姫は正式に結婚することとなった。

 そんな次第で、婚約者を奪われたフェイス殿は、ファンドールを恨んでいたはずなのだが。


「二人が相思相愛なのは以前から知っていましたしね。そりゃあ、私だって姫のことは好ましく思っていましたし、“寝取られ野郎”と後ろ指さされることになって、こいつのことを全く恨んでないと言えば嘘になりますが……」


 私がファンドールの治療をするのを見守りながら、フェイス殿は訥々とつとつと語る。

 アンゴルモアとの戦闘において、フェイス殿の部隊がファンドールの部隊に危ないところを救われたことがあって、それ以来、恨みは捨てることにしたのだという。


「それにしても、こいつの手際は見事でしたよ。ごく短時間のうちに土塁を何層にも築いて騎竜兵きりゅうへいの機動力を封じ、騎竜きりゅうの鱗を貫けるクロスボウと攻撃魔法の波状攻撃で敵の突撃を食い止める。もう少し兵力に余裕があれば、こんな怪我を負うことなく切り抜けられたでしょうに……」


 段々とフェイス殿の口調が熱を帯びてくる。彼もファンドールとは同世代。まだまだ子供っぽい部分も抜け切っていないようだ。


 自分の婚約者を寝取った相手の格好良さを熱弁していたフェイス殿だったが、部下に迎えに来られて持ち場に戻って行った。いよいよ、ここビェルゲン丘陵にてアンゴルモア軍を迎え撃つ決戦が始まるのだ。

 ここを抜かれてしまったら、王都ハーノイの陥落も避けられないだろう。

 皆の武運を祈りながら、目の前の患者に集中する。


 ファンドールの状態は、全身の火傷やけどもひどいが、内臓の損傷も深刻だ。このままでは命を取り留めたとしても、後遺症が残りかねない。

 手伝ってくれている神官たちも、決して力量が劣っているわけではないが、やはり長年組んできた助手とは勝手が違う――。


「まったく、見てられませんね」


「エイミー!?」


 突然かけられた声に、驚いてそちらを凝視する。

 助手を務めてくれていた若い神官をどかせて取って代わったのは、十年あまりに渡って組んできた助手だった。


「目障りな人間を簡単に切り捨てる利口者と、どんなに踏みつけられても懸命に他人を救おうとする馬鹿者。どちらを選ぶかというのは究極の選択ですね」


「……馬鹿で悪かったわね」


「御心配なく。私も同類なようですから」


 憎まれ口を叩き合いながら、息の合った手並みで傷を治療していく。

 彼女にも深刻な葛藤があったのだろうが、私を選んでくれたことはただただ嬉しい。


 ようやくファンドールの治療を終えた頃には、すでに日も暮れていたが、今度はこの地での戦傷者が多数運び込まれていて、どうやらまだまだ休むことは許されないようだ。


 両軍の攻防は一進一退で、日没までに決着はつかなかったようだ。

 明日以降の戦いもこのまましのぎ切り、敵を撃退できればいいのだが……。

 しかし、いくさの神はベルトラムに微笑んではくれなかった。

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