第4話 風雲

※前話から本話にかけて、年月が一気に経過します。ご注意ください。

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 タリアン殿の気持ちをはっきりと示された後も、私たちの関係には特に変化はなく、良く言えば穏やかな、悪く言えばなまぬるいお付き合いが続いていた。


 そんなある日、戦場での古傷が痛むのでてもらいたい、との理由で、一人の男性が神殿を訪れた。

 ハーヴォン将軍。カイン国王の兄・リューエル殿が起こした反乱を鎮圧するなど、勇猛な武人として名を馳せている一方で、政治面ではシュラウドにべったり。はっきり言ってしまえば、腰巾着だ。今の宮廷で自分の立場を守るためには仕方のないことなのかもしれないが。


「将軍のお立場でしたら、宮廷治癒術士の施術をいくらでも受けられるでしょうに」


 治癒魔法の使い手は神殿が独占しているわけではない。確かに、神殿に所属する治癒術士は質・量ともに圧倒的だが、王室も優秀な人材を抱えている。


「やつらの見立てはどうも信用がならぬのですよ。一度、“聖女パトリシア”にてもらおうと思いましてな」


「聖女パトリシア」――。最近はそんな呼び方をされることも多い。聖サミュエル神殿に入ってすでに七年。治癒術士として研鑽を積み、日々多くの患者を治してきた私の名は、すっかり有名になっていた。

 何だか面映おもはゆい心持ちだ。


 私の力量を見込んで、というのは理解できなくもないのだが、王妃時代特に親しかったわけでもなく、何よりもシュラウドの忠実な子分であるハーヴォン将軍の来訪には、どうしても身構えてしまう。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、将軍は王宮内の近況をあれこれしゃべり散らす。

 本来はそんなに饒舌じょうぜつ為人ひととなりではないはずなので、ますます胡散臭い。


「そうですか。ホアン王子ももう四歳におなりですか」


 カイン国王の新たな王妃となったシフォン姉様が生んだ王子。元気にすくすくと育っているらしい。

 ちなみに、当時姉様のお腹にいたリューエル殿との間の子は、カイン様の庶子しょし扱いとされることとなった。そちらも、もうすでに六歳になっているのか。月日の経つのは早いものだ。

 ただ、シフォン姉様は今もなおリューエル殿のことを気に病んでいるようで、同情を禁じ得ない。


 が、今はそれはそれとして。そろそろ本題を切り出してもらいたいのだが。


「そう言えば、パトリシア様はレロイ伯とおしたしいそうですな」


 二年ほど前にお父上から家督かとくを相続し、レロイ伯となったタリアン殿。やはり本題は、彼との関係についてのことか。


「はい。ご子息の怪我を治療したことをきっかけに、時々神殿を訪れてくださるようになったのですが……それだけですよ」


「ほう、それだけ、ですか」


 すぅっと目を細め、私の顔を凝視するハーヴォン。その目を、臆することなく見つめ返す。

 実際、タリアン殿との関係にやましいことなど何もないのだから。


「承知しました。しかし、パトリシア様は複雑なお立場ですからな。くれぐれも軽はずみなことはなさいませぬよう」


 余計なお世話だ――などとはもちろん口には出さない。心得ていますと神妙な顔で答えておく。


「それで、お怪我のことなのですが。どうやら、矢を受けられた際に砕かれた骨のかけらが残ったままになっているようですね。だから、治癒魔法で痛みを引かせても、また再発するんです」


 金属片や木片など、人体にとっての異物が体内にあるのを発見し、摘出したり排出させたりするのは、ある程度以上の治癒術士にとってそう難しいことではない。しかし、元々自分の体の一部である骨のかけらとなると、これは中々難しい。

 それに、話を聞くところによると、宮廷治癒術士はやじりに塗られていた毒の影響という考えに固執していたようだ。


 切り開いて骨片を取り出すのはまた日を改めることとなったが、長年苦しめられていた痛みが解決しそうだということで、将軍はどうやら本心かららしい礼を述べて、帰って行った。


 それにしても、やはりシュラウドは私が自分の息がかかった人間以外と再婚することを警戒しているようだ。

 表立って対立こそしていないものの、毅然とした態度で一定の距離を保っているレロイ伯――タリアン殿は、シュラウドにとって警戒の対象なのは間違いない。

 やはり、彼に迷惑が掛からぬよう、細心の注意が必要なようだ。


 などと言いつつ、彼と会うのを完全にやめてしまうことはできないあたり、やはり私は弱い人間なのだろう。


 次の外出日にタリアン殿と会って、ハーヴォン将軍の話をすると、彼も重苦しい表情を浮かべた。

 彼がシュラウドを恐れるような人間だとは思わないが、レロイ伯爵家を巻き込むことは本意ではないのだろう。


「しかし、ハーヴォン将軍も、単にパトリシア様に探りを入れるためだけではなく、体調を万全にしておきたいというのもあったのでしょうね」


「何かあるのですか?」


 私としてはそう問い返したことに深い意味は無かったのだが、タリアン殿は少し余計なことを言ってしまったことを悔やむような表情を浮かべた。そして、意を決したように、衝撃的なことを口にした。


「え? マーブル王国が滅ぼされた?」


 ベルトラムの北東に位置する国、マーブル王国。それがアンゴルモア帝国によって滅ぼされたというのだ。


「アンゴルモアというと、ずっと東方の草原地帯におこったというあの?」


 大陸のはるか東方、アンゴルモア高原と呼ばれる広大な高地草原地帯に暮らす遊牧の民。小部族に分かれていた彼らを統一し、一大勢力を築き上げたアンゴルモア帝国は、初代皇帝テムジンのもと、瞬く間に大陸全土を席巻せっけんしたと聞く。


 普段は羊などの家畜の遊牧を行っている彼らだが、“騎竜きりゅう”と呼ばれる小型の竜に乗り、その機動力でもって敵の大軍を容易たやすく打ち破る。


騎竜きりゅう”の実物は私もまだ見たことはないのだが、聞いた話によると、発達した後肢うしろあしだけで歩行する、馬くらいの大きさの地竜ちりゅうなのだそうだ。

 竜種りゅうしゅの中では比較的下等だが、それでも馬や犬と同等かそれ以上くらいには賢く、卵から育てれば人にらすこともできる。


 本来竜種は、この世界に満ち満ちている魔素マナかてとしており、“聖地”とか“竜脈”と呼ばれる特別魔素マナの濃い場所にのみ生息する。それ以外の場所では、十分な魔素マナが得られないからだ。


 魔素マナはあらゆる生物――動物も植物も――が自然と体内に取り込んでおり、私たちのような人間の魔道士が魔法を使えるのもそのおかげだ。

 しかし、草原地帯や砂漠のような、生物密度が極めて低い土地では、夜のうちに結晶化した魔素マナ微結晶びけっしょうが地面に無数に落ちている。騎竜きりゅうはそれを糧として、草原地帯で繁殖しているのだ。


 遊牧民たちはその騎竜きりゅうを卵から育て、乗用にしている。

 最高速度こそ馬に劣るものの、持久力は高いため、一日の総移動距離では騎馬をもしのぎ、また魔法耐性も高いため、多少の魔法攻撃にもひるまない。


 アンゴルモアの騎竜兵部隊は地上最強、というのは誇張でもなんでもなく、彼らの侵略を受けた国々では、文字通りの死体の山がいくつも築き上げられてきたという。


「まあ、ベルトラムの国土は森林地帯や大きな河川が多いですから、騎竜兵部隊が展開できる戦場は限られているのが救いと言えば救いですね。それに、今すぐ侵攻して来るというわけでもないとは思いますが……」


 そう言いつつも、タリアン殿の表情は晴れない。

 この平和なベルトラムの地が戦場になる――。その覚悟はしておいた方がいいのだろう。



 そして、その懸念は三年後に現実となった。

 聖暦せいれき一二四七年冬、ついにアンゴルモア帝国の大軍が、ベルトラム国境をおかしたのだ。

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