第3話 初恋

 タリアン=レロイ――。プラム朝のもうひとつ前の王朝、レロイ朝の血を引く名門貴族の御曹司。そして、私が幼くして女王の座にえられた時、カイン様とともにあてがわれた「御学友」の一人だ。


「こちらこそ、ご無沙汰をしています。あなたの騎士叙任式以来ですか――」


 三年ほど前、私やカイン様より一つ年上の彼が十七歳で騎士叙任を受ける際に、私も王妃として立ち会ったが、特に言葉を交わす機会はなかった。

 そういえば、その時すでに結婚していて子供が生まれたばかりだと聞いたように記憶しているが……。


「こちらはタリアン殿のお子さんですか?」


「はい。クリスと言います。私の一人息子で――亡き妻の忘れ形見です」


 そう、奥方は出産後程なくして亡くなったという話も風の便りに聞いたことがある。

 治癒魔法をもってしても、出産に伴って命を落とす女性は決して少なくない。


「そうですか――。今更ですが、奥様のことお悔やみ申し上げます」


「いえ、お気になさらないでください。それより、この子が無事で本当に良かった。重ねて、お礼申し上げます」


「いえ、当然のことをしたまでで……」


 どうにも余所行よそいきの会話になってしまうのがもどかしい。

 初めて出逢った頃の彼は、わずか一つ違いながら、ちょっと大人びた優しい兄といった感じで――、そう、私の初恋の男性ひとだったのだ。


 クリス君は術後経過観察のため一晩神殿で預かることにして、タリアン殿たちを外まで見送った。

 本当は、すぐに次の患者をないといけないのだが、他の神官たちが何やら察してくれたようで、妙に生暖かい空気の中で送り出されてしまったのだ。申し訳ない。


 表に出ると、少年たちが四人並んでタリアン殿を待っていた。

 そして、彼の顔を見るなり一斉に頭を下げる。


「ごめんなさい、クリスのお父上!」


「何だ何だ、いきなりどうしたんだ?」


 タリアン殿も困惑気味だ。少年たちのリーダー格らしい年長の少年が事情を説明する。


「クリスが木登りをしていて転落したと聞いて……。きっと僕らのまねをしたんだと思います。お前にはまだ早いって言って聞かせてたんですけど……」


「なるほど、そういうことか」


 少年は、年の頃十二,三歳くらい――いや、発育が良いだけで実際の年齢はまだ十歳になっていないはずだ。


「ファンドール! あなた、屋敷を抜け出してこんなところで何をしているの!」


 思わず怒鳴りつけてしまった。

 ファンドール=チャリオン。リューエル殿とシフォン姉様の子、つまり私のおいだ。

 父リューエル殿が屋敷に軟禁されている状況で、まだ子供とはいえ外を遊び歩いていたりしたら、シュラウドたちにどんな言いがかりをつけられるかわかったものではない。


「げっ!? パトリシア叔母上!? そ、そうか。今はこの神殿にいるんだったっけ」


 ばつの悪そうな表情で、そっぽを向くファンドール。


「クリスのことは気に病むな。あいつが自分でしでかしたことだ。まあ、危険な遊びはほどほどにしておいたほうがいいとは思うがな。それより、ファンドールは早く屋敷に戻れ」


 タリアン殿にもたしなめられて、ファンドールは「だって悪いのは宰相じゃないか」などとぶつぶつつぶやいていたが、渋々ながら頷いて、屋敷へ帰って行った。

 あまり人目につかないようにね、と声を掛けたが、わかってるよ、と生意気な口調でうそぶく。まあ、賢い子だからそのあたりは心得ているだろう。


 少年たちを見送った後、タリアン殿がぽつりと呟いた。


「遊び盛りの子供が、政治に翻弄されて屋敷から外出することもままならない、というのは気の毒な限りなのですけれどね……」


 私も同感だ。しかし、悔しいことだが、今のこの国で宰相シュラウドに逆らうことが出来る人間は誰もいない。



 さて、クリス君は翌日にはすっかり元気になり、石膏で固めた右足はまだまだ動かすわけにはいかないものの、迎えの馬車に乗せられて自宅へ帰って行った。

 が、その後無事足も治ると、毎日のように神殿に遊びに来るようになってしまった。

 クリス君の付き添いであるレロイ伯爵家の従者ジムさんや、侍女のリンダさんらとも、今ではすっかり顔馴染みだ。


「いつも申し訳ありません。すっかりパトリシア様になついてしまったようで」


 今日も愛息あいそくを迎えに来たタリアン殿が、申し訳なさそうに言う。


「いえいえ、騒いだりして他の神官や患者さんに迷惑を掛けたりするような子ではありませんからね。どうかお気になさらずに」


「恐縮です。何分なにぶん、生まれてすぐに母親を亡くしているものですから……」


 なるほど、そういうこともあるだろう。

 私のことを母親のように慕ってくれているのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。

 けれどその一方で、こんな可愛い子供に恵まれる人生が私にもあり得たのだろうか、などと考えると、胸の奥がちくりと痛んだりもする。


「パトリシアさま、おてつだいするぅ」


 そんな私の気持ちを知ってか知らずが、クリス君が側に寄ってきた。


「ありがとう。じゃあ、そこの包帯を取ってくれるかな」


「はぁい」


 その様子を微笑ほほえましに見ているタリアン殿に気付き、なんだか頬が熱くなるのだった。


 クリス君が私のことを慕ってくれているのは間違いないが、タリアン殿がそんな息子のことを、時々たしなめながらも、神殿に来るのを禁じてしまわないのは、それを口実に私に会いに来るため……などと考えるのは自意識過剰だろうか?


 ――八歳の頃、女王に立てられ状況の変化に困惑する幼い私にとって、唯一心を許せる相手がタリアンだった。

 他にも四人ほど「御学友」があてがわれたのだが、後に夫となるカインも含め、他の子たちは皆単なる悪ガキにすぎず、遊び相手という以上の感情をいだくことはなかった。


「あたし、しょうらいタリアンのおよめさんになる!」


「うん。ぼくもパトリシアさまをおよめさんにしたい」


「やった! ぜったいやくそくだからね!」


「うん、ぜったいやくそくする!」


 今思い出すと耳まで真っ赤になってしまいそうな、甘くて――そしてほろ苦い思い出だ。

 私はシュラウドの意向によってカイン様と結婚させられ、そしてタリアン殿も、家同士の繋がりで奥様を娶った。不幸にも子供と引き換えに先立たれてしまうこととなったが、とても気立ての良い女性だったと聞いている。


 タリアン殿が私に向ける視線に、情熱的なものが込められていることに気付かないほど、私は朴念仁ではないし、私も彼のことは大変好ましく思っている。

 それに今はお互い独身の身だ。


 しかし、もと前王朝の女王であり現王朝の王妃であった私には、政治的な利用価値がある。

 少なくとも、シュラウドはそのような下心をいだいて私に近付こうとする人間のことを警戒している。


 そもそも彼自身、カイン様と離婚させた私を、側近の息子に嫁がせるといった形で利用しようと考えていたようだ。

 私が早々に神殿に入ったのは、亡き父がのこした神殿で貧しい人たちの手助けをしたいと思ったから、というのももちろんあったが、同時にこれ以上シュラウドの道具にされるのはまっぴらだ、という気持ちもあったのだ。


 もし、私がタリアン殿と再婚したいと思っても、きっとシュラウドは妨害しようとするだろうし、タリアン殿とレロイ伯爵家に危難が及ぶのは間違いない。


 レロイ伯爵家は、かつてのレロイ朝ベルトラム王国の王室に連なる血筋で、史上最悪の暴君と呼ばれるロンディン=レロイが暴政の限りを尽くした時、同家の祖はレロイ朝の将だったコンウェイ=プラムらと共に暴君を討ち果たし、そして自らの王位継承権を主張することなく、コンウェイが新王朝を開くとその廷臣となった。

 そのような特殊な立ち位置ゆえ、現在のチャリオン朝においても、一定の敬意を払われてはいるが、今のシュラウドの権勢に対抗できるほどのものでは到底ない。


 私とタリアン殿は、お互いの気持ちを十分承知していながら、一歩踏み出すことが出来ず、ただいたずらに月日は流れて行った。



 聖サミュエル神殿の神官たちは、交代で月に二日、仕事を休んで外出することが許されている。

 いつの頃からか、そうした外出日にはタリアン殿とまちうのが習慣となっていた。

 と言っても、ただ他愛もない話をしたり、屋台で買い食いをしたりする程度の、少年少女みたいなお付き合いだが。


「あ、今日は割といてますね。この屋台、今大人気なんですよ」


 ちょっと声が弾んでいるのが自分でもわかる。氷魔法を使って果汁を凍らせたシャーベットの屋台。今神官たちの間でも、外出日にはここに行ったの行かなかったのという話でもちきりなのだ。


「そうなんですね。今度クリスにも食べさせてやれたらいいのですが」


 相変わらず子煩悩なタリアン殿だったが、ふと屋台のメニュー表に目を止めると、店員に注文を出した。


「あ、タリアン殿はそれになさるんですね。じゃあ私は……」


「いえ、これは私からパトリシア様に」


「え?」


 思わず困惑の表情でタリアン殿を見てしまう。

 彼が注文したのは、ザクロ果汁のシャーベット。その意味は、もちろん今の私は承知している


「タリアン殿、冗談はやめてください」


「本気です――と言ったら?」


 真剣なまなざしで、私を見つめるタリアン殿。その気持ちは本当に嬉しいのだが……。


「申し訳ありません。今の私の立場はよくおわかりでしょう?」


 我ながら馬鹿なことを言っている。そんなことは百も承知で、それでも彼は私を望んでくれているのだ。けれど、やはり彼を巻き込みたくはなかった。


「……そうですか。でも、せっかくですから、他意は全く無しということで、召し上がってみませんか? 美味しそうですよ」


 確かに、ルビーを砕いたような真紅しんくの氷はとても美しく、美味しそうだった。

 お言葉に甘えて、一口食べてみる。ザクロの爽やかな酸味が、心に深く沁みとおるようだった。

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