見えざるものたち

 気温が三十五度と蒸し暑い中、とある商店街に現代には似合わない、民族衣装のような服を纏った女が歩いていた。日本人では見かけないであろう朱色の長髪で、手足以外ほとんどが複数枚の白い布で覆われている。右手にはそこら辺のお店で買ったのだろう黒い日傘が握られており、両手は力無く前後に揺れていた。


「暑っつい……。この星の気温、頭おかしいだろ……」


 彼女の額には尋常ではない量の汗が浮かび上がっている。今にも顎から汗が落ちそうだ。いくらアーケード屋根があろうとも、この蒸し暑さからは逃れられない。女の視界が歪み始め、これはヤバイ。彼女がそう感じた瞬間。


「やぁ」


  女の肩に手が置かれ、男の軽快な声色が耳元でなった。その瞬間、女の気配が変わり、ゾワッとするような殺気が彼女から放たれる。女はすぐさま振り向くと、腰を低くして、肩に置かれた手と腕を掴んだ。そのまま背負い投げの勢いで、男を真横にあった花屋の方へ放り投げる。飛んで行った彼は店前に飾ってある花瓶の方へ頭から突っ込んでいき、ガシャーンという音が商店街に響いた。

  周囲の通行人は何事かと花屋の方に目を向けるが、そこには壊れた花瓶と飛び散った土と花以外何も無い。通行人は首を傾げながらも、大通りの方へと歩いていった。


「イタタタ......。随分なご挨拶じゃないか」


  放り投げられた男はおもむろに立ち上がると、髪の毛や顔、肩に突き刺さった花瓶の破片を埃を払い除けるようにして、一つずつ抜いていく。抜いた破片には男の血がついていた。


「お前が急に後ろから声掛けてくるからだろ。クソ野郎」


 女は持っていた日傘を肩に担いで、呆れた目で男の方を見る。その背筋は先ほどまでの怠さを感じさせないほどに、ピシッとしていた。

 

「いやぁ、見知った顔がいたから声かけてみただけだよ。ねぇ、ちょっと遊ばないかい? 退屈してたところなんだ」


 男は大きく踏み込んで、拳を女の方に振りかざす。女は飛んできた拳を軽くいなして攻撃を避け、男の腹に蹴りを入れる。が、足を手で掴まれ、雑貨屋と書かれた看板の店のシャッターの方へ飛ばされた。

 雑貨屋の前を通りかかろうとした通行人の男性は、何の前触れもなくへこんだシャッターに目を見開く。だがしばらくすると、不思議そうな表情を浮かべながら、再び裏通りの方へ歩き始めていった。

 

「あのな、もう少し場所ってもんを考えろよ……。 人がうじゃうじゃいるだろうが」

 

 受け身を取った女は痛みを感じていないかのように即座に立ち上がって、構えの姿勢をとる。それを見た男は微かに笑みを浮かべ、こう言った。


「あー、そうか。僕たちの姿は凡人には見えないんだったね。まぁでも、見えないなら見えないで思いっきりやれるじゃないか」

「そういうことじゃなくてだな……。てか、まだ続行する気かよ」

「勿論。遊びはまだまだこれからさ」


 すると、男の身体が宙に浮かび上がる。宙に浮かんだ彼が手を振りかざすと、彼の周りにはどこからともなく七本の西洋剣が現れた。その剣は女の方に向けられている。それを見た女は自身の周りに十本の氷剣を出現させ、男の方へ切っ先を向ける。二人のカップルが談笑しながら女の横を通り過ぎた瞬間、両者は同時に剣を互いの方に発射させた。西洋剣はそのまま女の方に向かって飛んでいく。女は持っていた日傘で対処しようとするが、これでは到底攻撃は防げない。女は持っていた日傘を床に放り出して、出現させた十本の中の一本を持つ。そして、飛んでくる西洋剣を通行人に当たらないよう、器用に次々と剣を払っていった。すると、西洋剣は商店街のタイルの床に次々と突き刺さっていく。

 その一方で、男は飛んできた氷剣を避け、剣はアーケード屋根や電柱に刺さっていった。残りの一本も屋根の方に突き刺さるかと思いきや、その直前で反転。電柱や屋根に刺さった八本の氷剣と共に男の背中を貫いた。男の纏っている服は剣の刺さった部分を中心に赤い血で染まり始め、口からは大量の血がこぼれる。


「もう良いだろ? アタシはこれでも忙しいんだ。お前なんかと遊んでる暇はない――」


 宙に浮いた男の方に向かって大きめの声でそう言うと、落ちた日傘を拾うためにしゃがむ。瞬間、氷剣が突き刺さった跡の残った電柱が折れ、女の方目掛けて飛んできた。

 

「何ッ⁉」


 女は咄嗟に後ろにいた通行人を突き飛ばす。その後、両腕でガードしようとするが、かなりのスピードで飛んでくる電柱を防ぎきることはできず、女はそのまま全面ガラス張りの店の方へ電柱とともに突っ込んでいった。その直後、ガラスが大きな音を立てて割れ、辺りには破片が散乱する。突然のことに驚いた通行人たちは、慌てて大通りの方へと走っていった。


「自分が危機的状況にあるのに人を助けようとするのは流石と言ったところかな。まぁ、それで自分が死んだら意味ないんだけどね」


 誰もいない商店街に男の声が響き渡る。宙に浮いていた男は床に降りて、背中に突き刺さった氷剣を抜いていく。ガラス張りの店の入り口には電柱が突き出ていた。幸い、中から女以外の人の気配は感じられないので、一般人が負傷しているようなことはないだろう。しばらく待ってみるも、女はなかなか出てこない。


「流石に死んじゃったかな? まぁ、こんなデカいもの喰らったら死んじゃうのも無理ない」

 

 男はつまらなさそうな表情を浮かべながら、踵を返そうと店から背を向ける。すると、男の真横にあった電柱からミシミシと亀裂音が鳴って、粉々になってしまった。男はゆっくり後ろを振り向く。

 

「勝手に殺すな。外道が」

「あ、やっぱり生きてたんだ」


 女はボロボロに破れた日傘を片手に、ふらついた足取りで店内から出てくる。白の衣服は真っ赤に染まり、朱色の髪の毛や顔にはガラス片が刺さっていた。電信柱を破壊した右手も血で濡れ、吐血したのか口元にも血が付着している。だが、そんな女の口元は笑っていた。

 

「どうやらスイッチが入ったようだね」

「あぁ。おかげさまでなァ!」


 女は手に持っていた日傘を捨て、両足に力を入れて踏み込んだ。それと同時に、彼女のいたタイルの床が剥げる。女は常人には見えないスピードで、男の方に向かって拳を振りかぶった。男も応戦しようと拳を振りかざす。しかし、拳同士がぶつかる直前で、彼が手のひらを向けた。

 

「タンマ」

「あ?」

 

 女は男の言葉を耳にして、殴ろうとしていた拳を寸止めする。男は攻撃の手が止んだことを確認すると、話し出した。

 

「呼び出されたんだ。もう行かなきゃ」

「チッ。せっかく調子に乗ってきたってのに」

 

 女は舌打ちをすると、つまらなさそうに右手を下ろす。

 

「残念だけど、今日はここまで。次会うときは本気で殺り合おう」

「忘れんなよ?」

「勿論。それじゃあまた」


 男は女に背を向け、裏通りの方へと歩き出す。一方、女は使い物にならない日傘を見て、溜め息を吐くと、表通りの方へ歩き出した。

 


 

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短編集 桜月零歌 @samedare

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