デート
「つっまんない映画だった~!」
……開口一番ディスりですか。
映画館を出るなり叫ぶ彼女の小さな背中を見つめ、真一郎は苦笑する。
地元から電車で一時間ほど先にある、ショッピングモール。
服飾小売店、映画館、ゲームセンター、飲食施設なども集まった人気スポットは、平日のためか人もまばらだ。
三月十四日。
世間はまだ春休み前で、学生たちは学校に行っている。莉花たちも登校する予定だったのだが……
「学校さぼっちゃいましたね!」
「ん~、卒業式の予行練習、面倒じゃない。だめだった?」
「まさか! 光栄ですっ」
デートである。パトロールではない、正真正銘の。
浮かれるなというほうが無理な話で、お姫様の行きたいところ、見たい映画に楽しくつきあっている。
……しかし、莉花さん、なんであの映画をチョイスしたんだろう。
何事だと困惑するくらい、コテコテの恋愛映画だった。R指定はかかっていなかったが、濃厚なベッドシーンがあり、いささか気まずさを感じたのだけど……
あれは、なんだ。手を出して良いっていう意思表示? いや、調子に乗った瞬間、蹴飛ばされそうな……
ガラス窓へと視線を流しながら、埋められると思う。
施設内は暖房が利いているが、昨夜また雪が降った。
三月も半ばというのに、いよいよ世界は異常の道へと突き進んでいくらしい。そんな世界を、莉花は笑って謳歌している。
「ねえねえ、真一郎くん。お昼ごはん、なに食べる~」
「……」
「なぜ無言?」
「……いえ、なにか試されているような気がしたので」
「? 意味わかんなーい。ハッキリ言って?」
「莉花さんが食べたいものをしっかり当てないと、あとから何か文句を言われるんじゃないかなぁ、と」
「あはっ、そっか~……」
莉花は何かを考えるように、斜め上に視線をやる。
「ねえ、パスタと和食と中華どれがいい? さて、今の私は、なにが食べたいでしょう~?」
「……三択ですか」
莉花は真一郎のほうに近づいてくる。困らせること自体を楽しんでいるのか、きらきらしい笑顔だ。
「じゃ、じゃあ、中華で」
「ごめんね? 和食な気分なの。あ、あそこ入ろう~」
さくらんぼのような唇。
三十センチほどまで接近してきた彼女は、くるっと背を向け、走り出す。今日はやたらと元気だ。
「ちょっと、心臓に良くない」
いやかなり。
以前はもう少し作ったような表情をしていた。声をあげて笑っていても、人の気持ちをはかるような。いつも何か警戒をするような冷めた目をしていた。
それが今日は心を開いているように見える。
「変な欲が出そうだ」
頬が緩みかけた瞬間、心臓を死者に触れられたような冷ややかさを味わう。
そんなことは許されない。
でも、彼女と二人っきりで会うのは、きっとこれで最後だからと心の中で、『あの人たち』に言い訳をする。
「真一郎くん!」
「……あ、はい! 今行きますっ」
和食レストランで注文をすませると、莉花は映画の酷評をはじめた。毒々しいが的確で、キャストや監督の人格否定にまでおよぶ内容に、真一郎は思わず周囲をうかがった。ファンが聞いていたら、怒鳴り込んできてもおかしくなかった。
「でも、あの映画を選んだのは、莉花さんですよ?」
「だって、デートだから? それっぽいもの見たほうが、真一郎くん、喜ぶかなぁって思ったんだけど?」
少し拗ねたような口調に、真一郎は真顔になった。
「……今度は、なにを企んでるんですか?」
「えー、ひどぉぉい。思ったまんまを言っただけだよぉ?」
「いや、だって」
あなたは本宮莉花さんですよ? 誘拐犯を捕まえるために、好きでもない男に告ってきた人ですよ? 腹が黒いにも程がある人ですよ?
という言葉は呑み込んだ。ちょうど料理がやってきたのだ。
真一郎は豚肉の生姜焼き、莉花はカキフライである。
莉花は手を合わせて『いただきます』と唱えると、箸を取った。
今まで何度も出かけたが、彼女と向かい合って食事をするのは初めてだなぁと、真一郎は思う。なんとはなしに莉花を眺め、綺麗な箸の使い方に目が止まった。
「上手に食べますね」
「え? そう?」
「ええ。うちは母が正しい箸の使い方を教えようとするんですが、僕はぶきっちょで、今でもときどき指摘されるんです」
「私のお母さんも……こういう躾に厳しい人だから」
莉花は少し遠い目になって、吐息をこぼした。
「変な食べ方をしてたら、変な男しか捕まらないって。女の幸せは、男で決まる。ちゃんとしたところにお嫁さんに出すのが、母親のつとめだって言ってた、かな」
「……なかなか、ハッキリと物を言うお母様で。お嬢様大学に行くと決めたのも、お母様のすすめですか?」
「うん、そう。就職活動の時期にお見合いをして、卒業と同時に、いいところのお家に嫁ぐような良家のお嬢様が生息する、大学」
「それはそれは……」
「うちは、おじいちゃんが少し偉いだけの、普通の家だよ? そんな良家の子のマネなんて、できっこないのにね?」
「いや、できてしまっても困るでしょう」
「どうかな? 母が敷いたレールの上を歩くのは、楽ではあるんだよ? 頭を使わなくてすむ」
「そんな大人しい人じゃないでしょう。まるでお人形さんみたいだ」
「……えっ」
莉花はきょとんと、目を丸くする。
「あのぉ……真一郎くんには、私はどういう風に見えてるの?」
「暴れ馬に見えます」
正直に言ったら、向かいの席から蹴られた。わりと本気で痛い。
「へぇ~、私って、暴れ馬だと思われてたんだ~ へぇ~、なんかショック~!」
莉花は言葉のわりには嬉しそうだった。笑みを深め、悪戯っぽい目で、真一郎を見つめる。
「暴れ馬の手綱は切れましたっ。私、空手のスカウトがあった大学に編入することにしたの! おかげで母と大喧嘩~」
「……ああ、頬の傷はそれでしたか。しかし急ですね……いつから決めてたんですか?」
「ありがとう~」
「…………質問と答えがまったく噛み合ってませんが」
「えー、笑顔が止まらない~」
……噛み合っていないが、たいそう可愛かった。
真一郎は会話を諦め、味噌汁をすする。莉花もまたカキフライを頬張り、二人の間に静かで穏やかな時間が流れた。
窓際の席からは、モール内を行き交う人たちの笑顔が目に入る。小学校三年生くらいの女の子と、四十代の男性が手を繋いでいるのを、真一郎はなんとはなしに目で追っていると……
「どちらにせよ、来月から新しい生活がはじまるんだ。真一郎くんは、都内で一人暮らしだっけ?」
「ええ……実感がわきませんね」
「うん……でも、卒業しなきゃ、なんだよ……その為に、どうしても聞いておきたいことがあるの」
「……なんです? こわいな」
莉花は笑みを消し、真剣な顔でまっすぐ真一郎を見つめた。
「私ね、八年前に誘拐されたとき、ユキちゃんって女の子と遊んだの。でもね、実際に誘拐されて亡くなった鳴海由紀さん、真一郎くんの妹さんは、ユキちゃんと違う顔だったからずっと不思議に思ってた……」
「…………」
莉花は鞄から封筒を取り出し、その中身を真一郎に見せる。
「これは、私が美月ちゃんに頼んで集めてもらった鳴海由紀さんの資料の一部」
真一郎の顔色が変わるのを、莉花は睨むように凝視している。
「一枚の写真で、十分だった」
それは幸せな家族写真だった。
お父さんとお母さん、小学生くらいの男の子と女の子。全員、真一郎がよく知る人たちが、楽しそうに笑っている。
もう、二度と取り戻せない光景。
莉花は問う。
「八年前、なにがあったか聞かせて? ユキ、ちゃん……」
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