カボチャのシチュー

 事あるごとに誘われていたが、莉花が美月の家を訪れるのは初めてだった。古い木造の二階建てで、家の中は綺麗に片付いている。

 美月は父親と二人暮らしだ。美月の母は交通事故でずいぶん前に亡くなっており、美月は無精者の父親の面倒を見ている、と聞く。

彼女は慣れた手つきでシチューを作った。

「莉花ちゃん、それ終わったらテーブルの上を拭いてくれる?」

 莉花は素直に従いながら、料理の手伝いをするのはいつ以来だろうと考える。

 高校に上がった頃には、父は家に居つかなくなり、母も外で遊ぶことが増えた。莉花は自分一人のために夕飯を作るのも面倒で、お弁当に頼ることが多かった。

「……懐かしいな」

「莉花ちゃん、なにか言った?」

「ううん、なんにも」

 カボチャと鶏肉のシチュー、グリーンサラダ、白ご飯。次々に食卓に運んでいると、倉科刑事が帰ってきた。

「いやー、すまないっ。遅くなってしまって」

「父さん、もうできるから。早く手を洗ってきて!」

「洗ったよ。うがいもした。完璧だ」

 妙に偉そうに言って、倉科は莉花に笑いかける。

「騒がしくして、すみません。こんなところだけど、くつろいでください」

「いえ。今日からしばらくお世話になります」

 深々と頭を下げる莉花に、倉科は困ったように眉尻を下げた。

「子供がそんなに気をつかわんでください」

「…………」

「二人ともっ! シチューが冷めてしまうわ。席についてちょうだい!」

 美月の活が響きわたり、二人は慌てて動き出す。

「いただきまーす! ……莉花ちゃん、どう? 美味しい?」

「ま、まだ食べてないよ。待って? ……うん、美月ちゃん、カボチャのシチュー、甘くてほくほくで。とっても美味しい、かも?」

「っ・……な、なんて可愛いの! うちの食卓に莉花ちゃんがいるなんてっ。たくさん作ったからっ。たーんと、おかわりして! うふふふふふふ」

「あ、ありがとう~」

 美月の発狂を受け流しながら、莉花は母のことを思い出す。

 ……あの人、一人でもちゃんと食べてるかな。

 病院で母に叩かれたときのことを思い出す。初めて娘に逆らわれた母は大興奮し、過呼吸を起こした。事態に驚いた医師が、莉花に事情を聞いて警察に連絡し、そしてどういう経緯か倉科の家に預けられることになった。

 ……別に、私は、大丈夫なのに。

 母と、引き離さなくてもいいのにと思う。

「そういえば、お母さんに会ってきました。荷物を預かってきたから、あとで確認してください」

 莉花は探るように倉科を見つめる。

「……母はなにか言ってましたか?」

「好きにしなさい、とだけ」

「そうですか……」

 瞳を伏せ、半分ほどシチューが残ったお皿を見下ろす。

「わかりました。ありがとうございます」

「上京する前に会いに行きましょう」

「…………」

 倉科は食事の手を止め、真っ直ぐ莉花に向き直った。

「これから新しい生活が待ってます。一つ一つ気持ちの整理をつけていきましょう……そして、もう、誘拐犯探しはやめなさい」

「……え」

 莉花は弾かれたように、目を見開く。

「向島裕貴は過去の連続誘拐事件の犯人ではなかった。彼は単独犯であり、八年前の事件とは無関係。手がかりはもうない。いや手がかりがあったとしても、もう八年も前なんだ。忘れなさい」

「……はい、そうですね。おっしゃる、とおりです……諦めます」

 教え諭すような言葉に、莉花はたどたどしく返す。内心、ひどく動揺していた。

 ずっと、おじさんを捜し求めていた。ずっとずっと。夢に見るほどに。あの日のことを何度も思い出した。

 しかし、今は八年前の出来事が遠かった。

 向島の元から救出されてから、おじさんのことを思い出していない自分に、今、気づいた。

 ……それは、なぜだろう。

「父さん、重ったるい話はおしまい。美味しいシチューが冷めちゃうわ。莉花ちゃんも、食べて?」

 美月にうながされるままに、莉花はスプーンを操る。

「あ……カボチャ、美味しい」

 そのとき、真一郎の顔が思い浮かんだ。

 彼はメールを読んだだろうか。そんなことが気になった。


 ◇◆◇


 夕飯の片づけを手伝うと、莉花は美月に追い立てられるようにお風呂に入った。六畳の客間でようやく一人きりになり、携帯をチェックする。

 真一郎から返信がきていた。


『よろこんで。どこへ行きましょう?』


「……行くの?」

 莉花は呟いてから、眉を寄せる。

 ……行くのって、なに? こっちから誘ったのなら行くしかないのに支離滅裂だ。

「のぼせた、かな」

 どうにも考えがまとまらない。

 なにか作業をしようと見回せば、部屋の片隅のラックに目が止まった。

 クリーニング済みの制服がかかっていて、その下には旅行バッグが置いてある。

 三月からずっと自由登校だったのだが、明日は卒業式の予行練習があるため学校だ。自宅と勝手が違うのだから、寝る前に準備をしておいたほうがいいだろう。

 ハンカチ、ティッシュ、お財布、携帯。

 学生鞄に一つずつ入れていく。

「これ、どうやって処分しよう」

 鞄の横には、使用済みの防犯ブザーが揺れている。いや、防犯ブザーではなく、発信機兼盗聴機。

 ……この盗聴器部分って、まだ、生きてる?

 莉花は数秒考えて鞄からそれを取り外し、おもむろに口元に持っていく。

「……あぁぁぁぁ! ……なーんて」

 もし、彼が聞き耳を立てていたら驚いているはずだ。ざまあみろ。

と、やけに子供っぽいことをして楽しむ自分に気づき、莉花は自分らしくないと戸惑う。

「……やっぱり、のぼせたかな」

 ふわふわと、ゆらゆらと。

 なぜか落ち着かない。しかし、それは嫌な気分ではなく。

 ……のぼせたんじゃなくて、恋をするってこういうこと?

「……それは嫌だ……」

 己の感情の変化に、莉花は顔を歪める。

「デートすると言ったっ。どこに行きましょうって! どこ行こう……?」

 特に今行きたい場所は思い当らない。そもそも、散々、誘拐犯を捕まえるためにパトロールをしてきたのだ。それも形式上は付き合っているという体で。

 ……出かけるなんて今さらなのに。なんか落ち着かない。ああでも……

「お礼は言わないと」

 向島から助けてもらった礼ではない。あのとき真一郎が向島に言い放った言葉が、莉花の背を押したのだ。


『お前は親の所有物なのか?』


 本宮莉花はママのお人形さんと自嘲していたら、以前まで同じ人形だった少年に糾弾された。彼にそんなつもりはなかったのだろう。しかし、だからこそ強く強く響いた。

「運命なんて妄想の産物だと思っていたけど、あるのかな……いや、さすがに馬鹿らしい」

 ぼんやり呟きながら、莉花は無意味に鞄の中身を出したり入れたりを繰り返す。そうしているうち、ノートのページの隙間から見慣れぬ封筒が零れ落ちた。

「なんだろ、これ?」

 フローリングを滑っていくそれを取り、何気なく中を改める。

「……え……」

 その瞬間。

 穏やかで、あたたかな気持ちが吹っ飛んだ。

「……なんで!……ああ、だからっ……」

 悲鳴じみた声が、空気を震わせる。鼓動が早まり、眩暈がした。

 莉花はぼんやりと、この世界には神様がいるのかもしれない、と思った。

 運命もあるのだと、確信した。

 しかしきっとそれは残酷で、情け容赦のない―

「……大嘘つき。馬鹿野郎」


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