毒親とココア
かたん、かたん、と電車の振動に合わせ、莉花は頭をちいさく揺らす。
土曜の夕方にも関わらず、乗車客は少ない。一時間前から雪が降り出したせいもあって車内は薄ら寒かった。
黙りこんで目を閉じる莉花に合わせ、隣の美月も無言だ。しかし……
なんか、嫌だ。
くっついた右肩のぬくもりが、心を繋ぎとめるようで。
己の神経質さに吐息をこぼしながら目を開けると、綿のような雪が風に流されていた。
……ユキちゃんも、この雪を見てるかな。
ユキとはじめて会ったのも、今日のような雪の夕刻だった。莉花は家に帰るのが嫌で傘を差しながらブランコに座り、重苦しい空を見上げていた。
『ねえねえ、お父さんとお母さんが心配するよ? もう帰らないとだめだよ』
赤いコートを着た、自分よりも小さな女の子。
寒そうに赤いフードをスッポリかぶって、頬を真っ赤にしている様は、赤ずきんちゃんみたいだ、と思ったのを覚えている。
『二人とも、心配しないから大丈夫!』
見知らぬ子が心配してくれたというのに、冷たく返した。タイミングがとても悪かったのだ。
莉花は自分がいつから作り笑顔をするようになったか精確には覚えていない。けれど、きっかけは間違いなく母だった。
外では愛想はいいが、家ではいつもイライラしている人。
莉花が普通にしていても、辛気くさい子ねと顔を歪めるから、できるだけ笑顔を心がけた。その作り笑顔も時によりけりで、母がとても不機嫌なときに笑っていると、『私は今不幸なのに、なんで、お前は笑っているの』と真顔で問いかけてくる。そのくせ夫婦喧嘩で父を追い出した後は、決まって莉花を抱きしめ、ぽろぽろと泣くのだ。
感情に素直で、我が儘。それが母だった。
それでも父と比べれば、母は遥かにマシである。父は人前でしか莉花の名を呼ばない人だった。
幼い頃はなんとか好かれようとしていたが、小学校に上がる頃にはいろいろ察した。父が興味を持つものは、名声なのだと。
そもそも莉花の母と結婚したのも、母の父親が大手取引先の役員だったからだ。当時、恋人に捨てられた母は妊娠していたが、それを承知で結婚したのだから、かなりのものである。
ようするに、父は莉花と戸籍の上では親子だが、血の繋がりはない。
父は莉花を見えないものとして扱っていたし、自分の妻は出世の道具として、ほどほどに機嫌を取っていた。
そんな事情を、莉花は誘拐される三日前、お喋りな叔母から聞かされたのである。
頭のどこかでわかっていたのか、涙は一粒も出なかった。むしろ納得して、これからどう両親に接するべきかを考えた。
子供らしくない思考の流れだった。理性的で無駄がなく、まるで心を持たない人形のように。自分は人として何か欠けているのだと、思わずにはいられなかった。
母はあんなにも感情的な人だというのに。
本宮莉花は、寂しがり屋なママの、お人形さん。
ユキに声をかけられたのは、そんなことを鬱々と考えながら雲間から氷の粒が落ちてくるのを眺めているときだった。
『私はあなたとは違うの。放っておいて』
莉花が幸せな少女に投げつけた棘。それを受け止めたのは、穏やかに話す男の人だった。
『……心が、凍えてしまうよ』
今でもハッキリと覚えている。
三十手前の、いつもどこか遠くを見ている人。
陽だまりの空気を感じさせるその人に、ぽんと、頭を撫でられた瞬間。急に呼吸が楽になった。今まで空気の薄い中で、必死に息をしていたのだと思うほどに。
『いっしょに、ココアを飲まないかい?』
『……ここ、あ……』
『あったかくて、甘くて、しあわせになれるんだ。大人なのに変だと笑われるんだが、僕はどうにも好きなんだよ』
『…………』
『よかったら、僕たちとココア仲間にならないかい?』
あのとき、この世界にいてもいいんだよ、と言われた気がした。
そうして莉花は誘われるまま車に乗って、いつの間にか眠ってしまい、雪山のコテージで目覚めた。そばにはユキがいて、開口一番。
『帰りたかったら言ってね。私がおじさんに言って、リカちゃんを帰してあげる』
誘拐されていたとき、何度もユキにそう言われた。しかし、莉花は決して首を縦に振らなかった。それどころかユキに嫉妬さえしていた。
ユキとおじさんは、喋らずとも通じ合っているように見えたから。おじさんは目が悪かったようで、莉花を何度かユキと間違えて呼ぶこともあったから、そのたびに二人の絆のようなものを感じた。
「莉花、次の駅よ」
美月の声に、莉花はゆっくり現実に引き戻される。
「本当に行くの? その……発見された被害者は、生きてはいないのでしょう」
「遅くなるかもだし、美月ちゃんは帰っていいよ。私は大丈夫~」
「私が、あなたを一人で行かせるわけがないわ」
「………………」
八年前の連続誘拐事件。
はじめに誘拐されたのは、鳴海由紀。最後に誘拐されたのは、莉花だった。そして莉花が保護された翌日に、由紀は死体となって発見された。死因は転落による頭部損傷。事故とも他殺とも判断がつかないが、遺体の様子などを考えて、死後半日といったところだったらしい。
だから、莉花はあのときユキのことを思い出した。
しかし、遺影の顔は知らない顔。
普通に考えれば、人違いだったということだ。当時の莉花はそう片づけた。
ただ、あの頃から気になることがあった。誘拐された少女の中に、ユキという名の女の子は他にいなかったのだ。
では、ユキはどこからやってきて、どこへ行ったのか?
仮説は立つ。
ユキの誘拐はなんらかの理由で、親が被害届けを出していない。ユキの親が有名人で、この一件だけ警察内でも極秘扱いにされている。
それなら問題ない。空恐ろしい仮説が、莉花の頭をよぎる。
「ついたわ。早く終わらせましょう」
美月に右手を握られる。手袋ごしに伝わってくる他人の熱が、今は厭わしいと莉花は思った。
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