刑事の心得
母は倉科と会うのは三年ぶりらしいが、真一郎の場合は倉科の娘が同じ学校に通うため、行事のたびに顔をあわしていた。行事以外にも近くを通ったからと、家を訪ねてくることもしばしば。突然やってくるので避けることもできない。
はっきり言って、煩わしい。
母と談笑する男を尻目に蕎麦をすすりながら、真一郎は内心ため息をついた。
彼は刑事だ。人を疑うことを仕事にした、それも有能な刑事だ。事件捜査で忙しい最中やってくる理由は、けっして、八年前の被害者遺族に寄り添うためだけではない。
食事を終えたタイミングで、予想通り声がかかった。
「最近、なにか困ったことはないかい?」
「刑事に尋問を受けなければならない、今の状況に困っています」
「こら、真一郎!」
母に頭を叩かれ、真一郎はかったるそうに頭をかく。
面倒だ。
避けられる面倒は避ける主義だが、今ここで避けたところで、明日にも倉科は家を訪問してくるだろう。
「……母さん、葬儀がすんだことを叔母さんに連絡してきなよ。その間だけなら、この人の相手をするからさ」
言外に席を外してくれと頼むと、母は失礼のないようにねと立ち上がった。
倉科は少し意外そうに、真一郎を見ている。
「こんな時期に、被害者遺族に会いにくるなんて、へまをして捜査から外されましたか? それとも、警察はまた無能にも犯人を取り逃がすおつもりですか?」
「……手厳しいな。だが、そう言われても致し方ない」
「本当にそう思うなら、お帰りください。僕は警察を必要としていない」
妹を救えなかった刑事が人の前に現れるなと、真一郎は被害者遺族らしい態度で、冷ややかに睨む。
だが、それはフェイク。
妹の死の責任を、警察に押し付ける気はない。恨む気持ちもないから面倒を追い払うための方便だが、倉科は表情を曇らせた。
善良な男である。
しかし、善良であると同時に揺るぎない信念を持つ彼は、自らの使命を見失うことはなかった。
「……現在、再び、連続誘拐事件が起きていることは知っているね? 君の考えを聞かせてくれないかな?」
「僕は、ただの高校生ですが」
「ただの高校生の視点は、警察にはない視点だ。ぜひご教授願いたい。君が考える犯人像は、どんな人間だい?」
「どんなって。プロファイリングは、警察で十分したでしょう? 高校生の視点など、無価値ですよ」
「いや? ……無価値なものなど、この世には一つもない。あらゆる視点から価値を見出し、答えに迫れるかどうかというのが、プロとアマの違いというものなんだが……」
「意味がわかりません」
「まあ、刑事の心得さ。それよりも、君の考えを聞かせてくれないだろうか?」
こうもしつこく問いを重ねられると、何も答えないでいるのは不自然だった。真一郎は渋々、口火を切る。
「まず間違いなく、子供に警戒心を抱かせない人間でしょう。無理やりさらえば、目撃情報が出る。少なくとも、顔見知りだと思います」
例えば、隣人。塾や学校の先生。小児科医でもいい。
「なるほどなるほど。しかし、範囲が広いな。対象をもっと絞りたい」
「誘拐事件がはじまって一か月が経ちました。その間、周りに不審に思われていないのなら、犯人は通常通り、暮らしていると考えられます。それを可能とするには、それ相応の監禁場所が必要となる。最悪でも防音施設があって、一人暮らしでしょう」
そんなことは言われなくとも、警察は百も承知だろうに。
自分に話させてどうしたいのか。一体、なにが狙いなのだろう。
「ああ……そういえば、今言った条件に、僕は当てはまりますね。一人暮らしですし、マンションも防音です」
倉科は苦笑して、首を振った。
「たしかに監禁場所を持つ人間だ。じゃあ、もしも。君が犯人なら、どうやって子供をさらう?」
「そうですね……」
以前、莉花に問われ、はぐらかした答え。
巧妙な誘拐の手口とは、一体なにか? 別に難しいことではない。
「僕なら子供が好きなものをチラつかせて、友達になります」
「ほう」
「その日にさらう必要はありません。何度か接触し、心を許してきたところで犯行におよびます」
「簡単に言うが、そんなに上手くいくものかな? 一人目ならともかく、こう何度も事件がおきれば子供たちも警戒していると思うが」
「やり方次第です。それと……いえ、なんでもありません」
「なんだ、気になるじゃないか」
「いささか暴論なので控えます。僕は、勉強はそこそこできますが、こういったことは素人です」
疑わしそうに見つめられ、真一郎はふと思い出したように呟いた。
「そういえば、最近、誰かにつけられているのですが、警察がどうにかしてくれませんかね?」
「ふむ、心当たりはあるかい?」
「複数ありますが、一番有力なのは警察ですね。ああ……その顔では違うようですね」
「なんだ、鎌をかけたのかい?」
確かに鎌をかけたが、最近、尾行されている気がするのも確かだった。
そのことを話そうか迷っている内に、倉科は断固とした口調で言ってくる。
「警察は君をマークしていない。それほど暇じゃあない。まあ、報告はいろいろ入ってくるがね」
「事情があって、誘拐犯の捕獲を強制されているんです」
「……莉花ちゃんにも、困ったものだ」
親しげに、莉花ちゃんと呼ぶのを聞き、真一郎は半眼になる。
僕はさん付けなのにずるいと嫉妬しながらも、八年前の被害者遺族と被害者の、捜査ごっこは、警察に黙認されていたことを認識する。
「彼女の言葉を借りれば、警察が無能だから、自分で捕まえるしかないそうです」
「やー、耳が痛いね。頑張ってはいるんだが」
皮肉たっぷりな台詞に、倉科は口元を盛大に歪めて、大きく首を振った。
その、どこかおどけた様子に尋問は終了したかと思ったが……
「八年前の、あの誘拐事件」
倉科はこれまでになく真剣な目で、どこか遠くを見た。
「あの事件は、わからないことだらけだったよ。目撃者もいなければ、被害者少女たちの証言もあいまい。少女たちの保護者の態度もどこかおかしくてね」
見ているのは、八年前の風景なのだろう。彼の目に、あの事件はどう映ったのか。
「誘拐という異常状態から心を保つために、誘拐された人間が犯人を庇うということは、珍しいことではない。しかし……」
「ああ……ストックホルム症候群ですね」
「さすが博学だね。そう、精神医学用語になるくらい珍しくはないんだが、誘拐された少女全員が犯人を庇っている状況は、確率を考えると不自然だった。大した危害は与えられていなかったしね」
真一郎は気取られぬように、唾を呑み込む。小さく警報が鳴っている。
「最近、その不自然さを解決する仮説を立てたんだが、興味はあるかい?」
「話したければ、ご勝手に」
「当時の被害者の一人が、親からの虐待で保護されていたよ」
「…………」
「一人は売春で中学を中退して、行方知れずになっていた。ある子は傷害事件を起こして、少年院に行っていた。ある子は……」
真一郎が片手をあげて制すると、倉科は一つ咳払いをした。
「子供の非行は、家庭環境も大きく関係してくる。どうもそういう……何らかの問題のある家庭の少女ばかりが、当時、誘拐されたようなんだが」
「一概にそうと言えないのでは? 誘拐事件の被害者となったことで、家庭が歪んだとも言えます」
「警察をあまり見くびらないでくれ。当時の被害者の家庭状況を、当時を知る人たちに確認を取った上での結論さ。自分が思うに……」
倉科は言葉を止め、真一郎をひたりと見つめた。
「彼女たちは、『寂しい子供』だったんじゃないか、と思っている」
警報が大きく、鋭く、響き渡った。
……まったくもって、油断ならない。
しかし、真一郎はあえて鬱陶しそうに首を振った。心を読まれぬよう目を閉じ、口元に苦い笑みを浮かべてみせる。
「僕からすると、それが何だという感じですね」
つまらなそうに言い捨て、店員にお冷を頼む。蕎麦のつゆが自分の好みよりも、塩辛かったせいか、喉が渇いていた。
「店員さん。こっちに蕎麦湯を」
真一郎がコップの水をゆっくり飲むのを見ながら、倉科は蕎麦つゆが残った器に、蕎麦湯を注ぐ。
店内の時計は、十三時を指していた。母が出て行って十分以上が経つが、戻ってくる気配はない。外で話が終わるのを待っているのかもしれない。
「僕にとっては、どうでもいいことです。ただ……莉花さんの家庭環境は、どういったものだったのでしょう?」
「それは……」
倉科はそっと目を伏せ、緩やかに首を振った。
「それはタブーだ。本人に聞きなさい」
「……ええ、僕が浅はかでした」
そう返しながら、真一郎は莉花の過去がそれほどに重要だろうか、と思考する。大切なことは他にあるような気がした。
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