失踪宣告
地元から電車で一時間。
ホテルのティラウンジで半年ぶりに会う母は、意外にも、すっきりした顔をしていた。
「少し、背が伸びたかしら? あらあらっ、男らしい顔になって、まあ! 彼女でも、できたのかしら~?」
黒のパンツスーツに、日に焼けた顔。
化粧をしていないせいか、実際の年より若々しい。母から溌剌とした空気を感じるたびに、真一郎はDNAの神秘を考えずにはいられない。
「……母さんは、相変わらずだね」
まだ朝の九時だ。
休日のまったりとした空気に、客はもちろん、料理を運ぶウェイターもどこか気だるげな顔をしている。
それにくわえ、今日一日の予定を思うと、真一郎は感傷的にならずにはいられない。
「朝から暗いわね~ ご飯ちゃんと食べてないんでしょう? 時間はまだ大丈夫だから、お腹になにか詰めていきなさいよっ」
「……食欲わかない」
「育ち盛りがなに言ってるの!? このホテルのポークソテーは絶品だから、試してみなさい。あまりにも美味しくて、母さん、追加オーダーしちゃったわ~ ほっぺたが落っこちちゃうんだから」
「なに食欲爆発させてんの? 普通、ここは軽くすませるところだろ」
「偉い武将は言ってるわ。腹が減っては、戦はできないと」
「それ……これから旦那の葬儀に向かう妻の台詞じゃないから!」
休日にも関わらず、真一郎は制服を着ている。それは喪服を持っていないためだった。
莉花には両親の離婚が成立したと言ったが、彼女はそれをどういう意味で受け取っただろうか?
嘘ではないが、真実からは程遠い。
失踪宣告という制度がある。
七年間、生死不明である者に対して、遺体がなくても、法律上は死亡したとみなす制度だ。
真一郎の父は妹の遺体が発見された二日後、葬儀の後に姿をくらませた。
もともと妹の誘拐事件で、一番責任を感じていたのは父だった。何の書置きもなく、妹の葬儀の後に消えた。
父からは一切の連絡もなく、八年が過ぎた。
手続きの関係で一年延長した今日は、一つの区切りの日。父の存在をこの世から抹消する日だった。
……なのだが、母はさばさば言ってのける。
「法律上、死んだことになるだけよ。重く受け止めないの」
「それなら、葬儀をする意味がないんじゃない?」
「どういうこと?」
「葬儀っていうのは、別れの儀式だろ? つまり、生きている僕らの気持ちを切り替えるためのものだ。それを重く考えずにやる意味ってなに?」
「たしかに別れの儀式というのも葬儀の一面だけど。まったく、薄情な子ね~」
母は呆れたように目を細めた。
「お父さんが今、天国にいるなら供養してあげないと可哀想じゃないの」
「……父さんは、天国にいるのかな」
「死んでいたら天国にいるわ。でも、どこかで生きていてくれてるかもしれない、わね」
母の左手薬指には、結婚指輪が今もある。
八年もたつのに、母は父を待ち続けている。そのことが、真一郎にはやるせなかった。
「母さんは、再婚したりしないの? モテるでしょう?」
「……新しいお父さん、ほしい?」
「母さんの人生がもったいなく感じるんだ」
ちょうどそのときウェイターがそばを通ったので、母は追加注文をする。真一郎の分も頼んでいるらしく、明らかに量が多い。
「……母さん」
「朝ご飯はしっかり食べなさい」
それから一時間かけて朝食を取ると、二人はタクシーで寺に向かった。
遺体がないので、普通の葬儀とはまったく違う。通夜もないし、火葬もない。父の遺品を先祖代々の墓に入れ、経をあげてもらうだけだ。
それでも墓を綺麗にして手を合わせると、厳かな気持ちになった。
……父さん、聞こえる? 心配しないでいいよ。全て、僕が背負うから。
冷たい風の音を聞きながら、真一郎は線香の煙がのぼる空を見上げる。
灰色の重苦しい雲。予報では夕方から雪がチラつくらしい。寒さに身ぶるいしていると、隣で手を合わせていた母が伸びをして、腰を叩いている。
「由紀はあの人が同じお墓にやってきて、喜んでいるかしら」
「……そうだね。今日はまた雪が降るみたいだから、二人で遊ぶんじゃないかな」
二つ年下の妹。
八歳で亡くなった妹は、由紀という名前のせいか雪が好きだった。
真一郎が最後に見た妹も、ベランダに出て、雪が積もっていくのを見つめる姿だ。
『お兄ちゃん、学校が終わったら、遊びに連れて行ってね! 絶対だよ!!』
体は弱いがいつも笑っていた妹の声を思い出し、真一郎は拳を握りしめる。
なんで、あのときもっと早くに帰らなかったのか……
その日も学校を休み、兄の帰りを待っていた妹との約束を、真一郎は果たせなかった。真一郎が帰ってきたときには妹の姿はなく、次に会ったときは冷たい遺体となっていたから。
そして、父は嘆き悲しみ、消えてしまった。
キリキリと、キリキリと。
あの日の激しい後悔が、真一郎を苛む。
お前が悪いお前が悪い、お前が全て全て全て悪い。お前がもっとしっかりしていれば、あんな悲劇は起こらず、今もみんな幸せに、みんなで楽しく笑っていられたものをっ。そうすれば由紀も父も母も……!
「あーあ、お腹空いてきちゃった~」
呑気な声に、思考から戻される。真一郎は呆れ顔を作った。
「母さん、三時間前にたっぷり食べたよね?」
「もう十二時を過ぎてるってことでしょ? お昼にしないと。食べ盛りの男の子なら、もうお腹ぺこぺこよね? 普段放っておいている分、いくらでも食べさせてあげるわ!」
「……そうだね」
まだ朝食も未消化なのだが、真一郎は反論しなかった。
母は今日の夕方に日本を出発しなければならない。次に会えるのは一か月後だというから、できるだけの親孝行はしておくに限る。それに……
父の葬儀をあっけらかんとすませた母だが、それが、から元気なことくらいはわかっていた。
昼食は寺から歩いて五分ほどのところにある蕎麦屋になった。老舗らしい暖簾を手で払いながら、母は今さらなことを伝えてくる。
「本当はもっとがっつり食べさせてあげたいんだけど、ここで人と会うことになってるのよ~」
「だれ? 親戚は誰も来ないんじゃなかったの?」
問いかけた瞬間、答えは出た。
母の肩越しに、その男と目があったから。
白髪が目立つ頭の、五十に近い男だ。くたびれたスーツを着ているが、中年太りとは無縁で、がっしりとした体型をしている。
「お久しぶりです、杉崎さん。押し掛けてしまい、申し訳ない」
「いいんですよぉ? 刑事さんの元気そうな顔が見れて、嬉しいですわ」
「刑事さんはやめてください。今日は捜査ではないので」
「捜査ではないなら、どのような御用でしょう?」
真一郎は二人の間に割って入った。
「久しぶりだな、真一郎くん」
「半年前の体育祭のとき以来でしょうか。僕としては、お会いする気はなかったのですが?」
刺々しく言うと、男、倉科警部は困ったように眉を寄せた。
「今日は、非番なんだ。いっしょに蕎麦を食べないか?」
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