第9話 第一王子と第三王子

 スメイア国周辺は、霜蟲しもむしによる凍霜害とうそうがいが年々酷くなっているという。更に冬は長く、夏は短くもなっているらしい。


 そのため、霜祓いは重宝される。そして、スメイア王族の認可が下りた宮廷霜祓いとは、スメイア国の宝である〝駆蛇くじゃ〟に取り憑く霜蟲しもむしを祓うことが出来る者だけが成れる、選ばれし霜祓いなのだと。

 つまり、今からリーザが受ける〝試しの儀〟とは。駆蛇くじゃに取り憑く霜蟲しもむしを祓えるか否かで、宮廷霜祓いに成れるか否かが決まる、試練であるのだった。


「クジャ? ってなに?」

「〝駆蛇くじゃ〟はスメイアの国土一帯にしか生息しない、馬よりも二回り以上はでかい大蛇だいじゃ、もしくは大蜥蜴おおとかげだ。馬と同等の足の速さを誇り、泳ぎも蛇のように上手い。大昔のスメイア人は〝騎蛇きじゃ民族〟とも呼ばれ、駆蛇くじゃに乗って草原や谷を駆けた。だが、今は冬が厳しくなったせいで、駆蛇くじゃの数も随分減っちまったな。只人と駆蛇くじゃの心もだいぶんと離れて、駆蛇くじゃと共に駆けることができる奴も俺とソーカルを含めた。現代のスメイアでは、もう滅びゆく駆蛇くじゃを〝国の宝〟として少しでも先まで守ることしかできねぇってわけだ」


 宮廷霜祓いの〝試しの儀〟が行われるという〝駆蛇くじゃノ原〟に向かう道中。リーザはシムルグからそんな話を聴いていた。


「ん、見えた。あれが城内で保護してる駆蛇くじゃがいる、駆蛇くじゃノ原」


 リーザの斜め前を歩くシムルグが、軽く顎を振って示して見せる。その方向には、背の高い頑丈そうな柵が長く、どっしりとそびえ立っていた。おそらく、あの柵の向こうに駆蛇くじゃノ原があるのだろう。


「あれ……誰か、いる?」


 ふと、こちら側と駆蛇くじゃノ原を仕切る、立派な門扉もんぴの前に一人の男の後ろ姿をリーザは見つけた。それにシムルグも気が付いて、「ああ、ちゃんといるな」と声を漏らす。


「奴はラースに呼んで貰った。第一王子の俺と同じく、〝試しの儀〟の見届け人の一人だ。それにしても、やっぱラースはいい仕事をする。骨が折れただろうに」


 そういえば、先刻シムルグとラースタチカが短くそのような話をしていたのを、リーザは思い出す。ラースタチカは「問題児」などと言っていたが。

 シムルグは小さく喉の奥で笑いながら、近づいてきたその男の背中へと声を掛けた。


「待たせたな。ベルーガ」

「……げっ」


 その男の名は、ベルーガというらしい。ベルーガはシムルグの声を聞くなり、如何にも嫌そうな声を上げて、ゆっくりとこちらを振り返った。

 ずいぶんと日に焼けた肌に、やはりスメイア人らしい彫の深い顔立ちに立派な体躯。シムルグを見る苦々しげな顔には、こめかみにかけて顎髭が生やされている。焦げ茶色の髪は肩の辺りまで伸ばされており、額にはシムルグのものよりも派手な刺繡の施された真っ赤な飾り布が巻かれていた。

 そんな彼、ベルーガは嫌そうな顔を隠そうともせず、大袈裟に肩を竦めて長い溜め息を吐いて見せる。


「はあ~……っぱ、殿との仕事じゃねーか。ラース坊のヤツ、後で覚えてろよ……」

「そう嬉しそうな声を出すな、ベルーガ。ずいぶんしばらくぶりだ。俺に会いたかったろ」

「いや、全っ然嬉しくも会いたかもねーし。つーかアンタ、今はまだ春になったばっかだぜ? 何で起きてんだよ」


 親しげに話すシムルグとベルーガを、リーザはキョロキョロと見比べる。すぐにそれを察したシムルグは、「紹介がまだだったか」と言って、ベルーガの肩を叩いた。


「こいつは、ベルーガ・アゴーニ・ヤーシシリツァ。うちの第三王子で、ソーカルと俺とこのベルーガだけが駆蛇くじゃと共に駆けることができる。だから、こいつも宮廷霜祓い〝試しの儀〟の見届け人なんだよ」

「そうなんだ……! よろしくお願いします。ベルーガさん」


 そう声を掛けた瞬間、ようやくリーザはベルーガと目が合った。そこでリーザは思いがけず、はっと息を吞む。

 ベルーガの瞳は、隣にいるシムルグと全く同じ鮮烈な赤色をした——蛇の眼であったのだ。〝蛇の落とし仔〟の証である、おそらくラースタチカが言っていた〝冬蛇ふゆへびの眼〟というものなのだろう。

 微かに固まったリーザを目にしたベルーガは、シムルグの時とは打って変わって、即座にその蛇の目の色を変えてリーザに近寄って来た。


「おいおい、ずいぶんと可愛らしいお嬢ちゃんがいるな? 俺はベルーガ。君、名前は? 歳はいくつ?」

「え、えっと。リーザ、です。歳はもうすぐ十七になる、ます」

「そっか、リーザちゃんね。ラース坊の一つ年下かあ。それにしてもリーザちゃん、ほんと可愛いな。時間があったら俺と遊んでみない?」


 色香漂う端正な顔を綻ばせて、ベルーガはリーザの手をさり気なくとる。リーザはしばらくボケっとしていたが、すぐに我に返ってごくりと息を呑んだ。


(もしや私……口説かれているのでは!? 私なんかを本気で口説く人なんていないから、スメイアの人は挨拶代わりに口説くのが主流文化みたいだし……ソーカル陛下もそんな感じだった。それなら応えるべき? 否! だ、駄目だよ、やっぱりそれは! 挨拶といえど、一応私にはシムルグがいるんだから……!)


 リーザの中では見当はずれな考察が進む。

 こちらを何やら興味深そうに視線だけで観察してくるシムルグと、目の前でにこやかに自分の手を取るベルーガ。そんな二人を見比べて、顔を赤くしたり青くしたりさせながら、リーザは狼狽えつつも何とか声を絞り出した。


「ご、ごごごめんなさい! わたし、こ、これでもヒトヅマ……? なので! あ、あいさつでもお応えは、できませぬ!」


 後半は北大陸語が何やらおかしくなったような気がする。

 隣にいるシムルグは片手で顔を覆って「小娘が、人妻……」と肩を震わせながら微かに笑っていた。一方ベルーガは心底驚いたように声を上げる。


「え! まじか。はあ~、でもやっぱりそうか。リーザちゃんみたいな可愛い子だったら、相手の一人や二人もいるわな。ごめんな、軽く誘っちまって。それにしても、こんな可愛らしい君の旦那さんなんて、是非とも会ってみてぇな」

「あ、旦那さんは……シムルグ、です」

「は?」


 途端にベルーガの声が低くなって、驚きも通り越した啞然とした顔でシムルグを振り向いた。ようやく笑いが収まった様子のシムルグは、軽く首を傾げて見せる。


「さてはお前、ラースの話よく聞いてなかったな? ソーカルの王命で、そいつ、うちに嫁入りしたんだよ」

「……確かラース坊がちょっと言ってた……〝王族の掟〟……ああ、そうかい。あれはそういう事ね」


 ベルーガは何か思い出したのか、ぶつぶつと独り言ちると、一つ息を吐いて自嘲するように鼻を鳴らした。


「はっ。やっぱ殿、一等特別なもんだな? 掟で固く縛られてる俺たちとは何もかもが違ぇわ。ご結婚おめでとうございます、シムルグ殿下」

「……」


 ベルーガの言葉にシムルグが黙り込み、二人の間に重い沈黙が流れる。リーザはそのあまりにもの険悪な空気に耐え切れず、ベルーガへと声を掛けた。


「あ、あの! わたしが受ける、宮廷霜祓いの〝試しの儀〟! ど、どうすればいいですか……?」


 リーザの声に、ベルーガは今までの無表情がなかったかのように顔を綻ばせると、明るい声で応えた。


「ああ、試しの儀はリーザちゃんが受けるのか。大丈夫、俺と殿下でしっかり手順も教えるし見守るから。じゃ、俺は先に駆蛇くじゃノ原に入って準備済ませとくよ」


 駆蛇くじゃノ原へ続く門扉もんぴを開け放つベルーガの背中に、シムルグが静かな声を掛ける。


「今日は気前がいいな」

「リーザちゃんのためだからな。それに、殿下との仕事なんざ、さっさと終わらせてぇ」

「そうか」


 ベルーガの素っ気ない答えに、シムルグは密かに息を吐く。そのままベルーガは門扉の向こうへと行ってしまった。

 しばらく門扉を黙って見つめていたシムルグに、リーザは小さく声を掛ける。


「シムルグ、その……ベルーガさんと、仲悪い?」

「……まあ、そんなところだ。どうにも俺は、嫌われてる。慣れたもんだがな」


 シムルグは小さく苦笑すると「俺たちも行くぞ」と言って、ベルーガが閉じた門扉を開ける。

 リーザは、シムルグになんと言葉をかけていいのかわからないまま、シムルグの大きな背中を追って駆蛇くじゃノ原へと入っていった。

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