第8話 初めての夫婦二人きり

 中庭にいるリーザとシムルグのもとへ、息を切らしたラースタチカが駆け寄ってくる。


「すまない! 他の霜祓いたちの応援を呼びに行っていて遅れた……! シムルグ兄者、リーザ殿。無事か!?」

「おー。流石はラース。出来る仕事が速ぇ。こっちは問題ねぇよ、気にすんな」


 シムルグは屈めていた身体を起こして、ラースタチカを振り返る。リーザも慌てて涙をぬぐいながら、ラースタチカに小さく頭を下げた。


「ラースタチカさん、ありがとう。本当に、助かる。わたしの小さな夏呼びだけじゃ、あの霜蟲しもむしたち。お城の外へまでは追い払えていないので」

「いや、助かったのはこちらの方だ、リーザ殿。君の迅速かつ適確な行動のおかげで、シムルグ兄者がまた霜に覆われずに済んだ。礼を言う」


 ラースタチカの何気ない「礼を言う」という言葉にも、リーザは形容しがたい嬉しさを覚えて。留めていたはずの涙が再び、ぶわっと溢れ出す。そんなリーザに、ラースタチカはぎょっとしたように取り乱した。


「は……リーザ殿? な、何があった?」

「あーあ。ラースが泣かせたな」

「俺がか!?」


 滅多に取り乱したりなどしないラースタチカを挑発するように、蛇の尾を振って平気で揶揄うシムルグ。

 血の繋がりなどなくても、この二人はやはりリーザには兄弟にしか見えなかった。

 リーザは兄弟二人のやり取りを見て笑みを取り戻すと、ラースタチカに「だいじょぶ」と涙を拭い去り、手を振って見せる。ラースタチカはようやく安心したようにほっと息を吐いて、頷いた。


「ようやくできますね。お話」


 リーザは隣に立つシムルグを見上げて、そう声を掛ける。


「だな。お前には話すことも聞きたいことも山ほどある。とりあえず、俺の部屋——つっても、東塔のてっぺんだが。そっちに場所変えるぞ」


 シムルグはリーザを一瞥して応えると、次はラースタチカに目を向けた。


「ラース。お前には、宮廷霜祓いの件を任せる。だ。やれそうか?」

「ああ、あの……承知した。そちらは俺に任せろ。何とかする」

「よし。じゃあ行くぞ。ついてこい」

「は、はい!」


 手短にシムルグはラースタチカに何かを任せると、東塔へと向かって歩き出す。リーザは慌ててシムルグの背を追った。

 しかし、一度立ち止まって振り返ると、ラースタチカへと向かって大きく頭を下げた。


「たくさん、教えてくれてありがとう! お世話、なりました。ラースタチカさん!」


 ラースタチカは目を丸くするが、すぐにまた珍しく笑いを噴き出して、リーザへと軽く片手を掲げて見せる。


「気にしないでくれ。時間がある時にでもまた話そう」

「うん、ありがとう! じゃあ、また! ラースタチカさん」

「ああ。また」


 再び小走りで、シムルグを追ってゆくリーザの小さく細い背中。ラースタチカはそれが見えなくなっても、気が済むまで見送っていた。


 ◇◇◇


 リーザはシムルグと共に、彼が眠っていた東塔を再び訪れていた。

 壁伝いに続く螺旋階段を最後まで上りきると、最上階はシムルグの私室となっている。シムグルに促されて私室へと入ったリーザは、扉の前で突っ立ったまま、あまり生活感のない室内をきょろきょろと緊張した様子で見渡す。

 シムルグは長靴を脱いで、絨毯の上で胡坐をかきながらリーザへと低い声を掛けた。


「さっさと座れ。取って食いやしねぇよ」

「……あ、ご、ごめんなさい! 座る、ます」

「あと、その変な喋り方やめろ。俺にもラースの時と同じでいい」

「は……う、ん。わかった。ありがとう」


 リーザはいそいそと長靴を脱いで絨毯へ上がると、胡坐をかいているシムルグの向かいへと座る。

 シムルグは膝に頬杖をついてリーザを見据えながら、さっそく短く尋ねてきた。


「お前、逃げなくていいのか?」

「え……逃げ?」


 予想だにしていなかったシムルグの言葉に、リーザは大きく栗色の瞳を見開いて、首を傾げる。


「いや、フツー逃げんだろ、この状況。いくらソーカルの馬鹿の王命とはいえ、俺なんぞの嫁になるとか。絶対嫌だろうが」


 リーザは困惑しながらも、小さく首を横に振ってシムルグに答えた。


「嫌……ではないよ。むしろ、シムルグ……さん」

「シムルグでいい」

「あ、うん……むしろ、シムルグの方が、わたしなんかがお嫁さんだなんて。嫌なんじゃないかなって」

「はあ?」


 シムルグは眉を顰めて訝しげな声を上げる。リーザはその声に小さく身体を震わせながらも、シムルグから目を逸らすことはなかった。


「俺は別に、誰が嫁になろうがどうでもいいし、何も思わない。たった数十年すれば、只人は勝手にすぐ死んでいく。特にお前は早死にしそうな顔のうえ、容易く手折れそうな貧相さだ」

「早死に……貧相……」


 シムルグからの容赦のない言葉にリーザは小さく、うっと唸る。しかし、リーザは何となくほっとして、納得した。

 三百年も生きるシムルグにとって、突然現れた思い入れも無い嫁であるリーザとは、何もこだわることのない路傍の石と変わらぬ存在のようなもので。きっと、通り雨の如く思っているのだろう。

 リーザは、それだけの存在でも良かった。そう思っているはずなのに——何故か、微かにちくりと痛みが胸を突き刺した。リーザはまた小さく、うっと唸る。

 構わずシムルグは、呆れたような声で話し続けた。


「それより、嫌じゃねぇって……お前、正気か?」

「しょっ……正気のつもり」

「馬鹿にもほどがある。……お前、俺が〝冬蛇ふゆへび〟だってこと解ってんのか?」

「ずっと、思ってたけれど……フユヘビ、ってなに?」

「……」


 いよいよシムルグは片手で頭を抱える。シムルグの蛇の尾はタンタン、と絨毯を叩いた。

 未だ不思議そうに首を傾げているリーザに、大きくため息を吐いて見せながら、シムルグは渋々と語り始めた。


冬蛇ふゆへびってのは、遥か太古から北大陸の人間が畏怖し崇めているとされる怪物だ。大蜥蜴おおとかげとも白蛇とも似ている強靭な肉体を持つ、人間の形をした、何百年生き続けるのかもわからねぇ。それが俺だ。あと、一応言っておくが……俺には一切触れるなよ? 俺の身体には、極端に冷えれば容易く生き物も殺す猛毒がある。冷気の毒とも言う。この毒が、〝冬蛇ふゆへび〟の名の由来だ。冷気によって毒が出てくると、俺の身体能力は鈍り、眠気にも襲われる。だから俺は、夏以外の季節はほとんど眠るしかねぇわけだ」

「冷気の、毒……」


 リーザはその冷気の毒とやらが妙に気になった。そういえば、ラースタチカが〝蛇〟であるシムルグは霜蟲しもむしに好んで取り憑かれると先刻言っていたのを思い出す。


「その、冷気の毒で……霜蟲しもむしは死なないの? シムルグには、よく霜蟲しもむしが取り憑いているように見えるけど」

「ああ……霜蟲しもむしは不死身だ。あれは呪いの化身みたいなモンだからな。俺の毒でも死なん。それに奴らはどうも〝蛇〟を好む性質タチらしい。俺も眠っている間に気色悪いほど取り憑かれる。だから、俺が目覚める時には霜祓いの存在が必要不可欠だ。これも、宮廷霜祓いの仕事の一つになってる」

「!」


 シムルグの目覚めの時に立ち会うことも、宮廷霜祓いの仕事の一つ。その言葉で、リーザはなぜだか更に「宮廷霜祓いにならなければならない」、そんな強い使命感に駆られた。


「これでよくわかったか? そういうバケモノに嫁入りなんざしてると……お前は確実に幸せにはなれねぇ。だから」

「……わたしが嫁入りしたのは、シムルグだよ」


 リーザは静かな声をぽつりと落とす。シムルグは伏せていた眼をあげ、再びリーザを見る。

 静かだというのに。その栗色の瞳の中では、夏色の火花が烈しく弾けていた。


「それに、わたしが幸せになれるかは、全部わたし次第。わたしの幸せは、わたし自身の手で掴むしか、ない。だからわたし——宮廷霜祓いに、なる。そして、シムルグ。あなたに夏を、届けたい」

「……」


 シムルグはしばらく、どこか探るような眼でリーザの栗色の瞳をじっと見つめていた。そしてもう一度目を伏せると、大きく吐息を漏らし、蛇の尾でまた絨毯をタンと叩く。


「大馬鹿か。或いは大物か。どっちにしろ、とんでもない奴が嫁に成ったもんだ。……まあ、いい。只人の命は短い。好きにしろ——それよりまずは、一番にお望みの宮廷霜祓いの件だ。宮廷霜祓いに関しちゃ、万年人材不足だからな。正直助かる」


 シムルグは長靴を履いて立ち上がると、肩を竦めて見せながらリーザを見下ろす。


「宮廷霜祓いになるには、〝試しの儀〟を達成したうえで王族の認可が必要だ。そんで、その宮廷霜祓いの認可を下すのが第一王子の俺の仕事の一つ。つまりは、お前が宮廷霜祓いになるには、霜祓いの力を俺に示し、俺に認められろってことな」

「! ……なるほど。試練、ってことだ!」


 リーザは勢い良くその場に立ち上がり、相変わらず溌溂とした栗色の瞳で、挑むようにシムルグを見上げた。


「わたし、やる! シムルグをぎゃふん、と言わせて。宮廷霜祓いになる!」

「おーおー。その意気だ。せいぜい足搔きたまえ」

「む! シムルグ、わたしのこと、舐め腐ってる。絶対、ぎゃふん。言わせるから」

「何つー物騒な言葉を覚えてんだ、お前は」


 不思議とシムルグと話す時は、自然と力が抜ける気がした。おそらく、シムルグのどこか大らかな雰囲気や、固くも柔らかすぎもしない態度がリーザをそうさせるのだろう。

 これから〝試しの儀〟を行う場所へ行くというシムルグを追いかけて、リーザは急いで履いた長靴のつま先を、コンコン、と軽く叩いて足早に歩き出した。

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