第7話 初めての言の葉

 リーザはシムルグを待つ間、ラースタチカに連れられてスカラ城内の中庭を見渡せる吹き抜けのような場所にいた。

 ラースタチカと共に軽く話をしながら、吹き抜けの一階部分に設置された長椅子に並んで座り、中庭を渡って城内を行き交う人々の流れをそれとなく目で追う。


「それで、どうだった。リーザ殿——君の夫となった、シムルグ兄者は」


 ふと、ラースタチカが視線だけを中庭からリーザに移して、そんなことを尋ねてくる。リーザはぎゅっと拳を握ると、少しばかり前のめりになりながらラースタチカに応えた。


「すごく! きれいな人だと! あと、身体もとても大きくて。まるでオークの木のような……!」

「ふ、ああ……シムルグ兄者は、幾度となく汪夏おうか帝国との戦を勝ち抜いてきた歴戦の大戦士だからな」


 ラースタチカが、小さく吐息と共に笑みを溢す。


「あ。あと! 雰囲気が……ラースタチカさんと、ちょっと似ているなあって。思ったよ。兄弟さん、だからかな!」


 しかし、リーザのその言葉に、ラースタチカはひどく驚いたような顔で一度沈黙を置く。そして、どこか寂しげに小さく苦笑しながら、「そういえば、これもまだ話していなかったな」とリーザを振り返った。


「兄弟、といってもシムルグ兄者と俺たちには血の繋がりはない。シムルグ兄者は、三百年前から生きているヒトだしな」

「……あ」


 リーザは確かに、と思いがけず声を漏らして納得する。


「王子王女はシムルグ兄者を含め、八人いるが。その全てが、ソーカル王陛下との血縁もない。先刻、シムルグ兄者も言っていたが、王子王女含む国王さえも子を持つことは禁じられているゆえだ。そもそもスメイア王族は皆ほとんど、血の繋がりはない。それが、スメイア王族の〝掟〟だから」

「じゃあ……スメイアの王子さんと王女さんは、いったいどうやって王族に……?」


 血の繋がりのない、王族。では、彼らはいったいどこから来て、どのようにして王族となったのか。そんなリーザの純粋な疑問に、ラースタチカは丁寧に答えてくれる。


「スメイアには、総じて九つの氏族がある。そして、その九つの氏族それぞれの中から稀に〝蛇の落とし仔〟と呼ばれる、身体的に特異な特徴を持つ子供が産まれることがあってな。それらがスメイアの次期国王候補——王子王女として城に迎えられる。これもスメイア王族の掟の一つ。そうしてスメイア王族は成り立っているわけだ」

「そうなんだ……!」


 ずいぶんと珍しい王室の仕組みだと、リーザは思った。少なくとも、リーザの産まれた西大陸では聞いたこともない。

 それにしてもリーザが気になるのは、「蛇の落とし仔」という言葉だ。何かしら特異な身体的特徴があるというが、一見する限り目の前にいるラースタチカは普通の人間にしか見えない。

 リーザの考えていることを察したのだろう。ラースタチカはまた小さく笑った。


「〝蛇の落とし仔〟は、北大陸の多くの人々が畏怖し崇める〝冬蛇ふゆへび〟の特徴の幾つかが身体に現れる。冬蛇ふゆへびの眼、冬蛇ふゆへびの鱗、冬蛇ふゆへびあぎと、といったように……。俺は〝冬蛇ふゆへびの毒〟を持って産まれた。血や唾液といった体液に毒を持つ体質だ。この毒は薬としても役立つので、俺は城で主に王族付きの医術師をしている」

「そうなの!? ラースタチカさん、すごい!」


 リーザは思いがけず感嘆の声を上げた。

 毒を薬へと転じ、誰かのために役立てられるよう医術師となった、ラースタチカ。その姿はまさに、〝夏呼び〟の体質を活かして霜祓いになることを目指すリーザの夢の完成形であったからだ。


「ラースタチカさんは、素敵だね! わたしも、もっと頑張る……!」

「……」


 リーザは満面の笑みをラースタチカに向ける。リーザの言葉にラースタチカは黙ったまま小さく首を横に振って、再び視線を中庭の方へと戻した。その横顔は、どこか悲しそうにも見えて。リーザは咄嗟に口を開こうとする。

 しかし、発しかけたリーザの声は中庭から聞こえてきた、人々のどよめきによって遮られた。


「なんだ?」


 ラースタチカは異変を察して即座に立ち上がる。リーザも釣られて立ち上がって、中庭の方に目を向けた。


「あれは……霜蟲しもむし!?」

「まさか、先刻までシムルグ兄者に取り憑いていた奴らの一部か!」


 リーザたちがいる場所のちょうど向こう側の中庭で、城内の人々が十数匹の霜蟲しもむしに群がられている姿を二人は見つけた。

 人々は皆、大きく取り乱し、半ば錯乱しているようにも見える。


「動くな! むやみに動けば、余計に取り憑かれるぞ!」


 不意に頭上から、聞き覚えのある低い声が降ってきた。リーザは思いがけず上を見上げると、その顔に大きな人影が過る。それは、吹き抜けの二階から飛び降りてきたシムルグの姿であった。


「来い。蟲ども。俺が相手をしてやる」


 シムルグはまるで猫の如く軽々と中庭に着地すると、一切の躊躇なく霜蟲しもむしたちへと歩み寄っていった。すると霜蟲しもむしたちは、今まで群がっていた城内の人々には目もくれず、吸い寄せられるようにシムルグの方へと飛んでゆく。

 そこで、ラースタチカが珍しく荒々しい声でリーザへと叫んだ。


「駄目だ、霜蟲しもむしは人間より〝蛇〟を……兄者を好んで取り憑く! リーザ殿、夏呼びを頼めないか!?」

「うん!」


 リーザはその声が耳に入ったのと同時に大きく頷き、木円盤を抱えて中庭へと駆け出す。


(霜蟲しもむしの数は少ない。歌術かじゅつの呼吸は、短く、深く、疾く——)


 思考を回して走りながら、なるべくシムルグの近くまで木円盤を投げ出すと、駆ける勢いのままに、踵から木円盤へと飛び乗った。

 カン! と乾いた木の音が鳴り響き、リーザは短く息を吸う。


春夏しゅんかの女王の種火よ。春嵐はるあらしの踊り子たちにいらえ、蟲出しの火雷ほのいかづちと成れ』


 リーザは深い息に乗せて短い歌を詠うと、霜蟲しもむしたちへ向けて右腕を伸ばす。そして、伸ばした手の親指と中指をパチン、と鳴らすと、音の鳴ったリーザのか細い指から小さな雷のような炎が空を横に走り、霜蟲しもむしたちをばらばらに蹴散らした。

 怯えるように飛び去って行った霜蟲しもむしたちを驚いた様子で見ているシムルグに、リーザは息を切らしながら駆け寄る。


「あの! だ、だいじょぶですか!?」

「ああ……お前か」


 よく見ればシムルグは、先刻と大きく恰好が変わっていた。

 豪奢ではないが、猛々しい戦士の装いを感じさせる衣装に、先刻まで少し伸びていた真白の髪は、湯浴みの間に切ったのだろうか。短く刈られている。そして額には、黒色の布地に見事な金糸の刺繍が施された飾り布が巻かれていた。


「今の妙な術、やっぱお前の霜祓いの業か?」

「え。は、はい! そうです」


 シムルグは振り返ると、ニヤリと不敵に笑ってリーザを見下ろした。


「へぇ。やるな。危うくまた寝入るところだったわ。助かった、ありがとう」

「わ」


 リーザはシムルグからの思いもよらない言葉に、間の抜けた声を漏らす。


(あり、がとう……? 私なんかに? 私、人の役に、立てた……?)


 だって、生まれて初めてだったのだ。「ありがとう」と、誰かに言ってもらえたのは。


『忌まわしき火を司り、夏を引き寄せるとは……! おまえなんぞ、最悪の穀潰しだ!』

『忌まわしい……忌まわしい! おまえが息をしているだけで忌まわしいというのに! その姿を見せるな、穢れの化身めが! 我々に近づくことも許さぬ!』

『おまえの全てがおぞましい。憎い……! 人の役に立ちたい? ならば産まれてきたことを詫びろ!』


 産まれ故郷の一族の大人たちから受けた言葉が、嫌になるほど生々しく蘇る。

 しかしそれも、シムルグの低い声によって瞬時に搔き消された。

 

「……ん? おい、どうした。何で、泣く」

「……え」


 気が付けばリーザは、ぼたぼたと大粒の涙を零していた。

 シムルグの「ありがとう」が、鼓膜から離れなくて。心の臓を、くうっと丸ごと抱きしめられているような。腹の底から、熱い何かが込み上げてくるような。そんな奇妙な感覚が怒涛のように押し寄せて、リーザの栗色の瞳から涙と一緒に溢れてゆく。

 シムルグは心底不思議そうな顔をしてその場に屈みこむと、泣いて俯いているリーザへと視線を合わせてくる。


「本当にどうした。俺が怖かったか? だったら悪い」


 それだけは違う。違うのだ。

 リーザは両手で胸を押さえて、微かに震えながらシムルグに小さく頭を下げる。


「ちが、う……うれしい。嬉しすぎて、たまらない。だから、ありがとう……わたしなんかに、〝ありがとう〟って言ってくれて。本当に、ありがとう……!」


 シムルグは微かに眼を見開くが、すぐに笑いを含んだ息を小さく吐いた。


「可笑しな奴」

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