第2話 蛮族の王
リーザは見世物屋の主人が見世物料を収集し終わるのをしばらく待っていた。
下僕の証である両手にはめられた鉄枷と鎖をぼーっと眺める。すると不意に、観衆たちの塊から聞こえてくる喧騒がさらに大きくなったので、視線を上げた。
「貴様か! 妙な妖術を操る異邦人とは!」
観衆の人々を搔き分けて、数人の男たちがリーザの下へと迫ってくる。男たちの服装を見て、思いがけずリーザは息を呑んだ。男たちは、
(そんな、どうして北都に帝国兵の人が……! 各四都市への巡察時期にはまだ早いって、見世物屋さん、言ってたのに)
リーザは見世物屋の主人が笑い飛ばしながら言っていたことを思い出し、木円盤を持つ手に力がこもった。
無論、リーザには己の身元を証明できるものなど持ち合わせていないし、手段も無い。唯一微かに証明できることがあるとすれば、見世物屋の下僕であるというあまりにも不確かなことだけだ。
リーザは藁にもすがる思いで見世物屋の主人を探すが、主人は怯えたような顔でこちらを一瞥した後、早々にどこかへと逃げ去ってしまう。その間、いつのまにか帝国兵たちはリーザを囲むように目の前に立ちはだかって、こちらを疑わしい眼で見下ろしていた。
「貴様、身分を証明できるものは」
「あ……わ、わたし……!」
リーザは冷や汗が背を伝うのを感じながら、下僕の証である両手の手枷を帝国兵に掲げて見せる。自分はただの下僕であって、決して汪夏帝国にあだなす者ではないのだと、伝えたかった。
「下僕か」
帝国兵は蔑むような声でそう吐き捨てる。リーザはその声に怯えながらも、何度も頷いて見せた。しかし、帝国兵は片腕を掲げ、他の帝国兵へと冷たく指示を下す。
「だが、〝妖術を操る〟異邦人など、見逃してはおけぬ。この不審者を帝都に送還する。連れていけ」
あっという間に、リーザは帝国兵たちに両脇を掴み上げられ動けぬよう拘束された。どれだけ渾身の力を振り絞って足搔いてみても、拘束はびくともしない。
リーザは己の全身から血の気が引いてゆくのを感じながら、唇を噛み締める。
(……産まれた時から、こうだった)
〝夏を呼ぶ〟という奇異な体質を祝福されたことは、今まで生きてきた中で一度もなかった。そして、リーザ自身が産まれたことさえも。祝福されたことなど、一度もなかった。
いつだって自分は、誰かに疎まれるべき〝悪いもの〟。
そんな己の生を振り返ると、いつもぐらぐらと頭の芯が揺れて、溶けていくような感覚に苛まれる。このまま頭の中の全てが溶けて無くなってしまえば、楽になれるのだろうか。
リーザは今の今までそれを——絶望してしまうことだけは、全力で拒絶してきた。
故郷の西大陸にある、自分が産まれた一族の郷から命がけで逃げ出すと決めた時も。
北大陸へと渡っていた船が沈没し、この身一つで大海原に投げ出された時も。
しかし、もう、今の状況は到底リーザの力だけで乗り越えられるようなものではない。何度も何度も、この場を切り抜ける方法を模索しても。頭の芯が激しく揺さぶられ、冷えてゆくだけで。もう、リーザだけでは何もできやしなかった。
「さっさと歩け! この異邦人めが!」
耳をつんざくほどの怒号を上げる帝国兵たちによって、リーザの身体は力なく引き摺られてゆく。
リーザは酷い眩暈とも錯覚してしまう深い絶望に蝕まれてゆく己の思考から目を背けるように、固く瞳を閉じようとした。
「そこの者共、待て」
頭上から、どこか物々しい、威厳のある男の声が降ってきた。思わずリーザは閉じかけていた瞳を見開いて、その声が降ってきた方を見上げる。いつの間にか目前には、立派な栗毛の馬に騎乗した男たちが幾人も壁のようにずらりと並んでいた。
男たちは皆、
「スメイアの蛮族たちだ……!」
背後に群がる観衆たちから、怯えの混じった声がいくつも零れ出る。彼らの言う「スメイアの蛮族」という言い草には、
「そなたら、
ふと、一人の男がリーザのすぐそばまで馬を進めてきた。声からして、先ほどの声の持ち主と同一人物だろう。リーザには、逆光で男の顔がよく見えない。スメイアの男の問いに、なんと帝国兵の一人が膝を着いて頭を垂れた。
「……スメイア王陛下とお見受け致す。我らは
リーザは帝国兵の恭しい奏上のような物言いに、己の耳を疑った。今、リーザのすぐ目の前に佇むこの男が、スメイア国の王だというのだ。
スメイア王は片手で顎を撫でながら、何やら興味深そうに息を漏らす。そしてなんと馬を降り、リーザのもとまで歩み寄ってきて、リーザと視線を合わせるためにその場に跪いた。
「ほう。妖術を繰る下僕か」
そこでようやく、スメイア王の顔がはっきりと認識できた。長く伸ばされた薄茶色の髪を一括りにして横に流しており、王というにはずいぶんと若い面立ちをしているように思える。物々しい話し方に反し、その色素の薄い眼の奥には子供のような無邪気さが確かに煌めいていることにリーザは気が付いて、思いがけず目を丸くしてしまった。
この王は、自分を試すつもりなのだと。リーザはどことなく確信したのだった。
「下僕よ。なにゆえそなたは、異邦の大陸よりこの地へ参った?」
リーザは真っ直ぐにスメイア王を見つめて、拙い北大陸語ながらも即答する。
「
スメイア王の淡い瞳が、明らかに喜色で煌いた。まるで、「みつけた」と今すぐにでも叫び出したいような。そんな眼を、リーザにだけ見せる。
スメイア王はすっと素早く立ち上がると、軽やかに再び馬上へと戻りながら短く言った。
「この下僕、余が買い取った」
その短いたった一言で、辺りはどよめきに満ちる。跪いていた帝国兵は慌てて立ち上がり、スメイア王へと駆け寄る。
「な……!? そ、それはなりませぬ!」
「なぜだ? その者はただの下僕であろう。金であればいくらでも払おうぞ」
「ただの下僕ではございませぬ! 怪しげな妖術を操る、奇怪な異邦人! そんな不審人物を、我が
帝国兵の抗議は、目にも留まらぬ速さでスメイア王がその喉元に突き付けた、槍の切っ先によって遮られる。スメイア王は感情など一欠けらも読み取れぬような顔で、帝国兵の喉を穂先の腹で軽く叩いた。
「それゆえ、余が買い取ると言っておるのだ。この下僕を買えぬのなら、祖国への手土産はこの
スメイア王の底冷えするような無感情な声で、辺りは一気に恐怖と静寂に呑まれる。この王はリーザを買えぬのなら、ここ汪夏北都を滅ぼすと容易く言ってのけたのだ。
「ラースタチカ」
「は」
スメイア王は青ざめて黙りこくった帝国兵たちに目を細めると、一番近くに控えていた年若い青年に声を掛ける。青年は短く王へと応えて馬から降り、帝国兵へと大量の金貨が詰まった袋を握らせた。
そして、いつの間にか拘束の緩くなっていたリーザを帝国兵から引き剥がしながら、リーザを一年も下僕として縛っていた手枷をいとも簡単に取り外した。
手枷をそこらに捨て置いた青年は、リーザを己の馬へ乗るように促す。リーザは戸惑いながらも、木円盤を抱え直しながら青年の手を借り、馬へと騎乗する。すると、青年もすぐにリーザの後ろへと騎乗した。
「騒がせたな、
スメイア王は脇にいたスメイア人の男に槍を預けながらそれだけ言い残すと外套を翻し、観衆や帝国兵たちに背を向け、馬を北都の門へと進める。リーザと青年が乗った馬も、王の馬に続いてその場を後にしたのだった。
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