『火星の大地に埋めたもの』

小田舵木

『火星の大地に埋めたもの』

 何時だって僕たちは長電話をしてしまう。

 受話器の向こうには友人が居て。遠くにいる彼と話すのはちょっとした娯楽だ。

「よお。元気にやってるかい?」なんてタイムラグを補正した音声が聞こえてきて。

「コロニーは今日も異常なし。退屈なもんさ」とこたえる。僕は今、火星の東半球、北極の近くのボレアリス大平原という地域にあるコロニーから電話を繋いでいる。

「水資源は確保できそうなのかい?」と彼は尋ねて。

「北極までどれほどの距離があると思ってんのさ」このコロニーから500キロは離れてる。

「中々に骨が折れる仕事の先遣隊やるなんてな」彼は茶化ちゃかす。

「ま、そこに我らが火星人の命運がかかっている訳さ」

「ご苦労なこった。俺は地球でなんとかするさ」

「地球の情勢はどうなのさ?まだあの国とあの国はにらみあってるのかい?」僕が地球を出た頃には大国2つが貿易摩擦を理由に険悪な雰囲気になっていて。時代遅れになりつつある核兵器をお互いの喉に突きつけ合い始めていた。

「極東の国家の方の政府が荒れてる。大統領がご乱心だと」

「また何時ものパラノイアか?」

「そ。向こうが核をちらつかせてるって」

「お互い様だろうに」

「全くだ」

 

                    ◆

 

「話は変わるけど、奥さんの具合はどうだい?」

「相変わらずさ。悪阻つわりが酷いって」彼の奥さんには子どもが出来ていて。

「妊婦の苦しみは分からないやね」なんて気を使って言ってみて。

「オスに生まれた俺達には計り知れないもんだよな」

「まったく、このご時世の中よくやってるよ君たち夫婦は」今、地球では人口抑制の為に出産制限がしかれている。

「苦労してでも子どもを残したかったんだよ」

「本能には抗えなかった訳かい」僕は出産制限の世の中でパートナーを持たない事を選択した口だ。僕のような人間が後を継いだところで世に益はないから。

「そう、と言っとけば格好はつくかな。しかし、アレだ。単純に欲求に折れただけとも形容出来る」

「性欲にかい?」

「違うよ。自分の人生に意義を付け加えたいって欲求だ。自分一人と奥さんの為にだけ身を処す以上のことがしたかった」

「それが子どもをなす事?」

「そう、次代に人を送り出すこと」

「次代に希望はあるだろうか?今でさえ世界ってヤツはロクなもんじゃないぜ?」

「それは今の俺達の視線だ。次に生まれてくる人間には違う視点が与えられるはずだ」

「それはそうかも知れない、と言うか僕にしたって火星の水源開発に従事している時点でそこまで世界に絶望してないのかも知れない」

「そうだろ?お前も今からでも遅くはないんじゃないか?」

「とは言えね、火星って男ばっかりなんだよ、こんなに移住事業やってるってのにさ」

「女日照ひでりって訳か。まるで昔のゴールドラッシュの街みたいだ」

「それとあまり変わりはないかもね。何時だって無理な冒険をするのは男なんだ」

「んなら。お前が開発頑張がんばって、女も移住してくるようないい環境にするしかないよ」

「頑張るよって言いたいところだけど。僕が居るボレアリスは荒野とも形容出来る地でね」コロニーの外は荒れ果てた大地が何千キロと広がっている。

 

                    ◆

 

「そういえばよお」と受話器の向こうの彼は言いにくそうに言う。

「地球の話かい?火星の話かい?」

「地球の話っていうか、お前に関係ある人間の話だ」

「さて誰の話かな?」

「お前の元カノ」

「その話は聞きたくないぜ」僕にはかつてパートナーが居たのだ。地球上に。

「結婚したぞ」

「そいつはめでたい。流石に火星までは結婚式の招待状を送り損ねたんだな」

「そういう話かよ?単純にお前は過去の人間に成り下がったってだけだろ」

「女は切り替えが早い訳だ」

「全くだ」

「君も奥さんに切り捨てられないようにしなきゃね」

「言われんでも分かってらい。んで、まあ、彼女は結婚したよ、お前の前の彼氏と」

「昔から未練タラタラだったからね。何かと比較されたもんだよ、僕」

「そりゃキツイ。俺だったらキレるな」

「僕だってキレたさ。だけど聞く耳持ってくれなかったよ」

「んで別れたのか?」

「違う。僕が子孫を残したくないって話をして喧嘩した後、火星への辞令が下ちまってね。それでおじゃんになったの」

「ご愁傷さん」

「ま、気にしてない」

「強がるなよ」

「…ちょっと前までなら、そうだねって言ってたけど。今やもうどうでも良いと言うかね。この火星の荒野に一人居ると気にならなくなってきたよ」

「今や話す相手は俺だけって事かい?」

「そうかも知れないね。親はどうにも連絡しづらくってね」

「お前のとこの姉ちゃんか?」

「そ。孫を産んでるから」

「お前は一人ぼっちになりつつあるなあ」

「君が居るだろ?」

「とは言ってもこっちも子どもが産まれたら、そこまで連絡はしてやれんよ?」

「っと。失念してたな」

「出来る限りお前の事は忘れないようにするけどな?」

「なんだか彼氏みたいな事を言うじゃないか?」

「やめろ。こっちは妻帯者だ」と彼は笑いながら言って。

「冗談だよ」と僕は応えて。でもそれでも思う。彼に対してはただの友人以上に思い入れがある事に。

 

                    ◆


 僕と彼が出会ったのは高校の頃だ。何方どちらも出来の悪い生徒でよく授業をサボっていたっけな。

 それから大学に進んで。近くの大学同士だから何かとつるんで。社会人になった時、勤め先が近いのもあってルームシェアをしていた。

 僕たちは性格的には似ていない。どちらかと言うと内向的なのが僕で、外向的なのが彼。でも何故か馬が合って。居を共にする位の仲になった。

 特別な出会いや付き合いは何も無かったけど、お互い近くに居ると安心できるような仲だった。

 

 あの頃は仕事が終わって家に帰れば彼が居た。残業を押し付けられがちな僕と定時でしっかり仕事を上げてくる彼。だから僕が帰ってくると家のリビングでくつろいでいる彼に出くわす。

「おいっす」と彼がソファから返事をして。

「今日も疲れたよ」と僕がこたえる。

 そして晩飯を二人で囲んだ。男所帯の僕たちはしょっちゅう鍋をしていたっけ。季節を問わず。鍋に出汁と材料をツッコむだけってのが良かった。

 発泡酒をみながらお互いの仕事の話を報告し合うのが習慣になっていて。そこで愚痴を吐き出していたからこそ、あんなクソみたいな仕事に耐えられたんだと思う。

 休みの日は二人でゲームをしたり出かけたりしてたっけ。これじゃあまるで同棲してるカップルみたいだな、と思ったし、周りからもよくからかわれた。その度、彼も僕もこう応えた。

「そういうのじゃない」そう。そういう話ではなくて。若い者二人が社会という荒野を渡っていくには相棒が必要で。僕ら二人はそういう仲だったのだ。

 

 しかし。その共同生活もお互い社会人3年目に異動をもらって終わった。

 引っ越しの日が憂鬱だった事を今でも覚えている。

 お互い日程をずらして業者を呼んで。部屋の半分が片付いていくのを呆然としながら眺めたもんだ。

 居残りをしたのは僕の方で。先に彼の荷物が片付いていく様を眺めることになった。

 彼の寝室にはダンボールが積み上がって。リビングの方も半分ダンボールで埋まって。

「俺達の共同戦線もここまでか」なんて彼はダンボールの側で腕組みをしながら言って。

「ところでこのソファ、どうするよ?」と僕は訊く。これは二人で金を出し合って買った物だし、彼の指定席になっていた。

「俺の次のいえ狭いからなあ」と頭をきながら応える彼。

「それは僕もさ。ベッド置いたら足の踏み場もないんだよねえ」単身者向けのアパートってのは6畳あれば良いほうだ。

「しゃあない。この俺達の城の思い出として捨てていくっきゃないな」

 そうして。二人がかりで部屋から出して廃品回収に回したっけ。

 

 こうして別れた相棒たち。でも僕たちは何かと連絡を取り合った。

 僕は友達ができにくいから当然なんだけど、外向的な彼も連絡を取り続けてくれた。

 まあ、お互い16からの付き合いで、勝手知りたる仲ってのが効いてるのかも知れない。

 

                     ◆


 火星での日々は単調だ。毎日探査用のバギーに乗って荒野をいずり回り、土壌のサンプルをとったりする。

 荒野の中でそんな地味な仕事をしていると消耗してくる。話相手が欲しくなっても周りには誰も居ない。このボレアリス大平原にあるコロニー間は数百キロはある。

 たまにイマジナリー彼を呼び出す。しかし彼との会話はどうにもぎこちない。

 だから、定期的に彼に電話をかけてしまうのだ。惑星間の通話ってのは金がかかるものだが。


 しかし、彼に子どもが出来た、か。

 意外な話ではないが、何故かショックを受ける僕が居て。

 めでたい話なのは事実だし、僕も祝福したい。でも、彼との連絡が取りづらくなるのは少し哀しい。

 こんな子どもじみた駄々をこねている場合ではないのにな、と思う。

 空を見上げれば黄金色に濁った空があり、地を見れば赤茶けた荒野。

 この空の下で孤独にうごめく僕。

 次代の人間たちの為の水源確保。それがもたらす益を受ける頃には僕は死んでいるのだと思う。

 それを思うとたまらなく憂鬱で。彼の子どもの世代辺りなら益を受けるだろうか?

 それなら、頑張る価値があるのかも知れない。

 

                    ◆


「元気かい?」僕は受話器に向かって喋る。補給隊が落下傘で落としてくれた貴重な発泡酒を呑みながら。

「ああ。元気してるぞ」と受話器の向こうの彼は言うが。その声は何処か沈んでいて。

「…何かあったかい?」と僕はく。彼は感情を隠すのが得意ではない。すぐに声に出る。

「いやな?お前も聞き及んでいるだろうが。戦争が起こる気配がムンムンだ。東アジアの辺りの国境線がきな臭い」

「昔からの事さ」実際、東アジアの国境線にはいくつか係争地域があり、定期的にぶつかっている。

「何時もの喧嘩とは違う、あのパラノイアおこした極東国家の大統領が片方を支援し始めてな。もう一方の大国はお怒りだ」

「まさか核を撃ったりはしないだろ。お互いに『終末装置』を握り合ってるんだから。どっちかが暴走しない限りは平行線を辿るだろ?」

「それだと良いんだけどな」

「今のご時世、戦争をするにはリスクが高すぎる」

「それをキチンと理解してくれてりゃ良いんだけどな」


「話を変えよう。奥さんは?」

「臨月だな。もう少しだ」

「そろそろ名前、用意しとけよ?」

「考えてはあるさ」

「そうかい。僕が名付け親でも頼まれるかと」

「一時は悩んだが、嫁の実家の方で色々あったからな」

「そりゃ仕方ないやね」

「しかし、俺が父になるとは」

「なんだい、今さら感慨にふけるのかよ」

「いやな。分かった時点でなんと言うか思うところはあった訳だが」

「リアリティが増してきたってところかな」

「それだ。子どもが形になってきている今、改めて父になることを考えてる」

「確か。女の子だろ?あっという間だぜ?離れていくのは」

「思春期になったら避けられるのかね?」

「そういう風に生物はセッティングされてるんだよ。インセストタブーを防ぐってヤツさ」

「それでも避けられるのは心外だって」

「それは運命だと思って諦めるしかないし、先の話だよ」

「そりゃそうだが。子どもの事を考え出すと、どうしても未来思考になっちまう」そう言う彼の声には優しさがこもっていて。

「いやあ。君はもう親になってきてるぜ」なんて僕は言う。

「そういう風になっていくものなのかもな、親ってのは」

「なかなか興味深いよ。僕は経験しないであろう感情だからさ」

「お前だって今から色々思い直したって遅くは無いんだぜ?」

「この仕事からは逃れられそうもないよ」交代人員が簡単に確保出来ると思えない。

 

                    ◆

  

「…そうかい。なあ?」と彼は尋ねる

「どうした?」僕はその声に含まれる何かを感じ取るが。何なのかは分からない。

「お前は子孫を残すことに抵抗があるんだよな?」

「そうだねえ。僕と僕の家系はここで途絶えても良いかなって」

「何故、そう思ってしまうんだ?」不思議そうに訊く彼。

「単純に僕が僕の事を好きになれないんだ。その僕の遺伝子を半分いだ人間が現れると思うとゾッとする」

「俺はお前の事、好きだぜ?」

「そう言ってくれるのはありがたいし、そう言ってくれる君が好きさ。でもそれと自らを許す許さないは離れてるんだ」

「どうしても、か?」

「どうしても、だね」

「お前の未来が閉じていく様を地球から見守るのはなんとも哀しい」

「それが生き物の運命だよ。時限装置付きの命しかもらえないんだ」

「だからこそ子を為し、未来を継いでいくのが生物だ」

「未来に対する意欲が薄いのかもね、僕は」

「この点については俺達は分かりあえないのか?」彼は悲しげに言って。

「世界観の相違というヤツさ。僕は現在しか感じない。未来のことなんて想像出来ないし」

「生きる意欲が薄くないか?」

「かも知れない。僕は何時だって近い将来に死ぬことしか考えて無いんだ」

「その生き方はあまりに―」と言い淀む彼。

「あまりに?」僕は問う。

「自己中心的だ」と彼は言い切る。

「違いない」反論するだけの材料はない。僕が自己中心的なのは今に始まった事ではない、と言うか、人間自己じこを中心にしてしか考えられないはずで。

「そこは否定して欲しかった。お前と俺は上手くチーム組んでたじゃないか?」と彼はく。半ば責めるように。

「組んでたが。それは自己の利益になると思ったからだ」なんて売り言葉に買い言葉でこたえてしまって。

「それじゃあ、あまりに寂しすぎる」

「僕だって寂しいさ。でも自分の世界観を考えるとそうなっちまう」

「お前とは分かり合っておきたかった」

「違う世界観を知るのも理解…と思ってはくれないか?」

「俺はそこまで器用じゃない」

「それもそうだ」なんて言葉で僕たちは会話を打ち切った。

 

                        ◆


 あの通話から数週間。人との会話が少ない僕は未だに引きずっていた。

 全く、なんであの時、彼の言い分を聞いてやれなかったのだろうか?自分の世界観と違っても表面上は分かったフリをすることだって出来たはずなのだ。

 だが、彼に対して嘘をつきたく無かったのも事実で。

 ありのままの自分を受け入れて欲しかった。それが甘えであれ。

 僕は個人的な生き方を貫いてはいる、自己中心的でもある。

 しかし。それを他人にまで強制するのは間違いでは無かったか?

 そう考えるが答えはない。

 

 仕事帰りのコロニーは散らかっていて。リビングスペースには足の踏み場もない。

 僕は他人と暮らしている時…と言うか彼と暮らして居た頃は綺麗好きだったが、一人になると他人の目が無いせいで散らかしてしまう。

 そこら辺のゴミを適当に片して、ソファに座る。そして天井を見上げれば。いつまでたっても慣れないメタリックな天井で。ため息がこぼれる。

「あー」なんて久しぶりに声帯を使ってみるが。妙にぎこちなく。

 

 声を出し続けていると―ハッチの開閉スイッチのアラートが鳴っていて。

「まーたセンサがイカれたか?」なんて言いながらハッチに向かえば久しぶりに人を見た。彼は同僚だ。宇宙服のロゴがウチの会社のもので。

「どうしたって言うんですか?」ミーティングは通信端末で行っているから、よっぽどの非常時で無い限り、直接会いにくることは無いはずで。

「いやな?」と彼は宇宙服のヘルメットを取りながら言う。

「向こうで何か?」仕事のトラブルを予期していたのだが。

「地球で―」と彼はなんとか言い切る。

「は?」耳を疑う言葉。

「東アジアの係争地域がきな臭いって話は把握してるか?」

「友人から聞きました」

「ニュースはチェックしておけ」

「面倒…と言うか火星とは関係無いことが多いので」

「故郷だろうが」

「まあ…」言い返す言葉もない。

「とりあえず東アジア一帯でICBM大陸間弾道ミサイルがぶっ放されまくった」

「―俺達の国は?」

「報道が混乱してて明確な事は分からんが首都一帯はやられてるはずだ」

「…マジかよ」

「残念だが」彼は大国の出身で。僕とは国籍が違う。

「…なんてこった」なんて月並みな台詞しか出ないのが悔しい。


 僕はその場に居る同僚を後ろに通信端末に向かい、友人を呼び出す。

「トゥルルルル…」と呼び出し音が途中まで鳴ったが、途中で切れてしまう。中継衛生は活きているが、その先の地球上の端末がダウンしている可能性が高い。

 通信端末のネットワーク機能を使い、地球のインターネットに接続し、大国の通信社のサイトに繋ぐ。

 そのヘッドラインには東アジアで開戦。アジア各国に核が落ちるの文字が。

「現実ってか?映画じゃねえんだぞ?」と僕は呟く。

「映画じゃない」とやってきた同僚は言い。

「ヘスペリア高原のコロニーはどうなるんです?」火星の東半球の東南にある国際的な大規模コロニーのことだ。

「一部区画で閉鎖が行われている…極東のあの国家の区画だが」

「マジで戦争をするつもりか…地球でも火星でも」

「このプロジェクトも危ないかもな」私企業が主に関わっている事業だが、出資者は地球上のあらゆる地域に居る。それこそ極東の大国だって。

「これからどうなっていくんだろう」なんてつぶやく。

「俺にも分からん」そう言って彼はリビングスペースのソファに座って。

「…友人が居たんです、国の首都に」と僕は言い。

「こう言っちゃ悪いが、覚悟はしておくべきだろう」と彼は顔をせながら言い。

「最悪だ…」と僕は言うしかなかった。

 

                   ◆


 あれから数ヶ月。僕たちの従事するプロジェクトはなんとか続いていた。

 だが。彼とは連絡がつかないままで。戦死者のリストは膨れ上がるばかりで、彼と彼の奥さんの名前は見つからない。

 

 今日も僕は、孤独にバギーを走らせる。もう、僕が未来を残してあげたい人間はいないのかも知れないと思いながら。

 ああ。あの時の会話…あれを後悔する日々が続き。ただでさえ消耗するのに更に精神はすり減って。

 何故、彼の言葉を取り消さなかった?

 なんて。出口の見えない迷路にはまり込む。

 最近の消耗具合を見かねた上司は休暇を取れと言うが。今、ヘスペリア高原の大規模コロニーに戻ったところで。友人なんて居ないし、一人で何もしなかったら余計に病んでしまう。

 だから僕は仕事を続けている。ただ、何かを忘れたくて。

 その心は空っぽだ。空っぽの心で火星の土を掘る。いつかここに埋設まいせつされるパイプラインの為に。

 そのパイプラインを使うのは知らない未来の関係ない他人で。

 そこになんの意義がある?と問わずには居られない。自己中心的な僕が未来の知りもしない他人の為に水を確保する?そんなのお笑い草だ。

 

                   ◆

 

 朦朧もうろうとする意識。視界はフラットに赤茶けた大地を見ている。今は掘削くっさく作業の真っ最中。集中しなくてはいけないと分かりつつも、思考は空を飛んでいた。

 

「おじさんは何してるの?」声がした。

「火星に穴を掘ってるんだ」なんて僕はこたえたけど。ありえない状況なのは分かっている。最近はイマジナリーな誰かを想像しすぎてしまうのだ。

「なんで?」なんて問う彼女。

「君たちが火星に移住した時に困らないようにだよ」

「ここには水がないの?どうやって生活してるのおじさんは?」

「僕は一人でコロニーに住んでる。だから水は遠くから運んでもらう」

「不便だね」と彼女は笑いながら言う。

「だろ?だからこの先にある北極から水を引こうとしているのさ」

「大変だね」

「そうだね。苦労ばかりだ」

「可哀想に」

「そうでもない…と思う」

「一人なんでしょう?」

「しょうがないよ。こんなところに住むにはお金がかかるんだ」

「なんで地球で暮らさなかったの?」

「お仕事だから仕方なく」

「本当に?」彼女は僕の側にあらわれている。宇宙服を着てない。それは僕の妄想の産物である証で。

「どうだろう?」なんて子ども相手にはぐらかす僕。

貴方あなたは―?」彼女は妙にはっきりと言い切る。その言葉は僕によく刺さる。

「友達は居たんだよ…一人だけだけど」言い訳。子ども相手にタジタジになるのが恥ずかしい。

「なら地球でその友達と楽しくやれば良かったじゃない」

「友達は結婚しててね。そうそう気安く会えなかったんだ」

「それが寂しくなってこんな星の辺境にまで来たのね?」彼女の言葉づかいが大人びてきている。さすが妄想。

「…のかもね。今更後悔こうかいしたって遅いけど」妙に素直に応えてしまう僕。コイツは一種の自己対話。隠し立てなんてしても仕方ないのだ。

「貴方は素直になれない人なんだよ」

「何時だって思ってることの反対をしちゃうんだ」

「だから。貴方は人を愛せない。自分を愛せない」

「そいつは…言い返せないな。図星だ」

「知ってて、なんで行いを変えなかったの?」彼女の責め立てる声が高まっていく。

「なんでだろうね?僕も不思議さ。気恥ずかしかったのかな?」

「そんな照れは要らないんだよ、人間関係は」

「大人には体裁ってモノがあるのさ」

「そんなもの役にたちはしない」

「まったくだ」

 

 彼女はひとしきり責め立てると満足したように僕の側に来て。座り込む。

「見てたって面白くないよ?」僕は気を使ってこういう。自分の妄想相手にだが。

の」彼女は掘削機のドリルを見ながらそういう。

「そのうち汚いモノでも出るかもね」なんて僕はごまかして。

「いいや。。だって貴方は空虚だもの」

「言ってくれる」なんて少し怒ってしまった自分が意外だ。前なら笑って許せたはずなのに。

「この穴はモノを埋める為に掘ってるのよね?」

「そうだね。パイプを埋めるんだ」

「それと同じで、

「そうは言っても唯一の相棒は生死不明だ。その奥さんと子どもも」子どもにこんな事を言っても仕方ないような気がするが。妄想の産物だ。気にしまい。

「貴方は自分を許すべきね」

「そいつは譲れないかな」

「そう。ならここで一生掘り続けると良い」と言いながら傍らに居た彼女は去っていった。

 

                   ◆

 

 火星での日々は続く。そこにニュースが付け加わる。

 彼と奥さんの生死が判明した。想定通りの結果だ。首都は爆心地だったから。

 それを知って僕は悲しくなる以前に、やっぱり、という感情が前に出てしまい。

 ほとほとがっかりする。友の死を素直に悲しむ事さえ出来なかった。

 「これだから僕は」と通信端末の前でうなだれる。

 すると彼の顔が去来して。悪い妄想が始まりそうだったので、仕事の準備をして、コロニーのハッチから飛び出す。

 

 バギーを走らせて。今日も別の地域で掘削だ。

 赤茶けた大地が僕の視界を滑っていく。

 その大地には希望も絶望もない。ただ地面があるだけ。

 それは僕の精神のメタファーなのかも知れない。あのイマジナリーの少女が言った通り。

 

                   ◆

 

 そうして。僕は目的地に辿り着き、バギーから掘削装置を下ろし、セッティングをし、大地にドリルを突き立てる。

 掘り進める大地はかたくなだ。だが先端が鋭利な駆動体は容赦なく突き刺さっていく。

 しばらくすれば穴が空く。僕はその穴を掘り進め、広げていく。

 出来た穴の中には虚空が広がる。そこにはあの少女が言うように何もにない。

 ここにパイプを埋めるかは今から始める調査の結果次第だ。だからしばらくは虚空が満たされる事はない。

 だから。

 ここに僕の友人の思い出を埋める。

 それは形のあるものじゃない。でも確かに僕にとっては大事なモノ。でももう二度とどうしようもないモノ。

 僕は掘削するドリルを止める。そしててのひらを眼の前に広げて。

 何も無いそこに友人との思い出を思い浮かべて。それをそっと火星の大地、土に押し付ける。

 そしてそこに砂をかけて。

 こんな行為にはなんの意味も無いんだけど。

 僕の精神のメタファーでもあるこの火星の大地に彼らを埋めておきたいのだ。

 それは埋葬に似る。その縁起の悪さ、趣味の悪さに辟易へきえきもしたが。これで良い…と言うか僕にはこうする他にこの感情の持っていき方が分からない。

 

 空を見上げる。

 そこには砂煙に包まれた黄金色の空。黄金色は金の色。その金属は錆びる事なく生まれた時のままの光を保ち続ける。転じて生色しょうじきと言うらしい。

 そこには永遠を思わせるものがあるが、現実と人類はそうもいかない。

 形あるものはいつか滅びる。

 遠くない内に僕も彼らのところへいくだろう。

 その時には彼と仲直りが出来れば良い。

 

                    ◆

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『火星の大地に埋めたもの』 小田舵木 @odakajiki

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