第5話 新しい生活

 ……お腹減った。


 その思いで私の意識が覚醒して、ベッドから起き上がる。


 そして辺りを見回して納得する。


 何故なら、すでに外が明るくなっていたからだ。


「……そりゃ、そうよね。昨日の夕方以降から食べてないってことだし」


「お嬢様、おはようございます」


 ふと隣を見ると、いつの間にかエリゼが立っていた。

 相変わらず、気配の消し方が尋常じゃない。


「おはよう、エリゼ。貴女も、きちんと休んだんでしょうね?」


「ええ、数時間ほど寝させて頂きました」


「だめよ、ちゃんと寝ないと」


「ですが、ここでお嬢様を知ってる人は私だけですから。なので、お嬢様の身を守らないと。彼の方が、何を考えているのか確かめるためにも」


「あぁ……」


 もちろん、エリゼにもシグルド様との盟約のことは話していない。

 打ち合わせをして決めた内容は確か……今はまだお試し期間ありの婚約者ということ、この辺境の生活に慣れることができるか確かめるという口実。

 イチャイチャはしなくていいけど、ある程度仲睦まじくすること。

 朝と夜の食事は一緒にすること、それ以外の時間は自由にしていいと言われた。


「私の知らない間に、いきなり決まっていましたから。ちょっと私用で出かけてる間にあれよあれよと決まって……そもそも変ですよ。お嬢様も、一目惚れをするタイプではありませんし」


「それは……そうね。ただ、王都には居づらかったから。ここで新生活を始めるのも悪くないと思ったのよ。その……早く、あの男を忘れたいし。あの人は付き合うの楽そうだし、こっちでのんびり過ごそうかなって」


「お、お嬢様……! 配慮が足りず申し訳ありません! ええ! さっさと忘れましょう!」


「わ、わかったから! くっ、苦しいわ!」


「あっ、つい……それでは、準備をしますね」


「ええ、お願い」


 私に抱きついていたエリゼが離れ、ドレッサーの後ろに立つ。

 私もベッドから出て、そのドレッサーの前に座るのだった。

 そして、お化粧が終わる頃……部屋をノックする音がする。


「アリス殿、起きているだろうか?」


「シグルド様? は、はい、少々お待ちください」


「待っているから慌てなくていい。部屋を出て一階に降りるところで待っている」


 そう言い、足音が遠ざかっていく。


「ほう? ちゃんと部屋の前から去るのは紳士ですね」


「……それに迎えに来てくれるとは思ってなかったわ」


「いや、別に変……いえ、前がアレでしたからね。ささ、お着替えをしましょう」


 どうやら、エリゼの中でポイントが上がったらしい。

 私としても上手くやって欲しいので良かった。

 着替えを済ませて通路を進み、階段の近く行くと……シグルド様が、脇にある椅子に座って待っていた。


「お待たせしました」


「いや、こちらこそ終わる前に行ってすまない。昨日ついたらすぐに寝てしまったから、食堂の場所もわからないと思ってな」


「はは……気がついたら朝でしたね」


「長旅で無理もあるまい。さて……君はどういう反応をするかな?」


「えっ? なんの話ですか?」


「いや、ついてくればわかる」


 そう言い、前を歩き出す。

 不思議に思いつつも、階段を下りてついていくと……廊下から、とある広い空間に出る。

 そこは広い空間に机や椅子が置いてあり、左奥には食事を作っている人が見える。

 私のイメージでは、大衆的な食堂といったところだ。


「えっ? ……ここで食べるのですか?」


「ああ、俺はいつもそうしている……嫌だろうか?」


「いえ、私は構いませんよ」


 むしろ、落ち着くまである。

 なにせ、こちらは元庶民なのだから。

 こういう風景に憧れてたまである。


「それは助かった……ククク」


「あの、怖いんですけど?」


「す、すまない……あまりに予想外の台詞だったのでな」


「まあ、わかりますけど。私、こういうのは嫌いじゃないですよ」


 いつも食事は一人だったから。

 エリゼは流石に一緒に食べれないし、お兄様やお父様は多忙でいなかったし。

 お母様が死んてから、ずっと寂しかったのは確かだ。

 何より、食事はみんなでワイワイ食べる方が好きだし。


「貴族の娘にしては珍しいことだ」


「それはそうかもしれないですね」


 その時、私のお腹が『くぅー』と鳴いた。


「あっ……ご、ごめんなさい……!」


「ははっ! いや、気にしないでいい。さあ、食事をしようか」


 あまりの恥ずかしさに下を向いてついていく。

 そして、席について顔を上げると……他のみんなが目を見開いていた。

 まるで、見たことないものを見るように。


「な、何ですかね?」


「それは君がいるからでは?」


「あっ、そういうことですか」


「とにかく、まずは食べるとしよう」


 そのタイミングで、トレイが運ばれてくる。

 すると、エリゼがいつものように毒味をしようと前に出てくるので……。


「エリゼ、ここではいいわ」


「……いいのですか?」


「ここに私の敵はいませんから。何より、これからお世話になる方々に失礼です。ただ、いつもありがとね。でも、もう立場も違うから平気よ」


「……わかりました、お嬢様の仰せのままに」


 今までは王太子の婚約者ということで、毒を盛られたこともあった。

 それにより、食事は毒味役とを必要とし、物心ついた時から冷たい食事しか摂ったことがない。

 ……王太子は高いお金がかかる回復術師を使って、御構い無しに食べてたらしいけど。


「失礼しました。この子も私を思ってのことなので」


「謝ることはない……良い家臣を持っているな?」


「家臣ではないですけど、自慢のお友達です」


 はっきり言って、辺境であるここに来たいという人は少なかった。

 しかし、この子だけは頑なについてくると言ってくれた。

 私だって心細かったから、それがどんなに嬉しかったか。


「お、お嬢様……!」


「獣人を友達と呼べるか……ふむ」


「ダメですか?」


「いや、そんなことはない。土地柄、この都市には獣人もいる。むしろ、注意の手間が省けるくらいだ。エリゼ殿も、普通に過ごしてくれて構わない。なんなら、一緒に食べていい」


「へっ? ……よろしいのですか?」


「ああ、問題ない」


「エリゼ、その土地の決まりに従いましょう?」


「……それでは失礼します」


「では、いただきます」


 まずは暖かいすれスープをに入れる。

 すると、野菜のあっさりした味わいがする。

 王都と違うシンプルな味で、故郷を思い出す。

 ……何より、熱々だ。


「……美味しい」


「それは良かった。どうやら、王都の濃い味付けに変えなくてすみそうだ」


「はい、このままで大丈夫です。素材の味が活きてますね」


「ここは自然が豊かだからな。さあ、どんどん食べてくれ」


「はい……はむっ」


 その言葉を受け、今度はパンを食べる。

 するとカリッとした中にふわふわの食感が楽しい。

 ほんのり香るバターが美味しさを倍増させる。


「……美味しい」


 次に塩漬けの肉にかじりつく。

 塩っけがあるが、他がシンプルなのでアクセントになる。

 目玉焼きを食べても、いつもと味が違う気がする。


「お嬢様、美味しいですね」


「口にあって何よりだ」


 ふと隣や横、周りを見ると皆が美味しそうに食べている。

 そうだ……誰かと食べたり、わいわいすることはこんなに贅沢なことだったんだ。


「お嬢様? だ、大丈夫ですか!?」


「エリゼ、どうしたの?」


「……仕方あるまい」


 そう言い、シグルド様が前のめりになり……私の顔に触れる。


「な、なにを?」


「いや、泣いているのでな……放っておくわけにもいくまい」


「へっ? ……ほんとですね」


 いつの間にか、私の目から涙が溢れていた。

 もしかしたら今までの苦労や出来事が、久々に美味しい食事をして解放されたのかも。

 別にこれまでの人生を後悔したことはない。

 お父様と国王陛下が決めたことだけど、最終的には私自身が決めたことだから。

 ただ……これからは、改めて自分の人生を歩んでもいいのかな?


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