第3話
眼前の光景を理解するまでにどれくらいかかっただろうか。
実際には数秒といったところなのだろうが、その数秒が永遠に感じられるほど目の前で起きている出来事に驚愕していた。
後にも先にも今が一番の衝撃的体験になるのは間違いないわけだが、そんな非現実的空間を作り出した当人達に俺は視線を向けた。
「そこを退いてください」
全身漆黒のローブを身に纏い深々とフードを被った女は冷めた口調でそう言うと、こちらに腕を突き出した。
垂れ下がった袖からは二十センチほどの黒い小さな杖が顔を覗かせてており、その杖から発せられる紅色の光が僅かに強くなると冷房が効いている室内とは思えないほど周囲の温度が一気に上がっていく。
「くっ……!」
滝のように流れ落ちる汗を手の甲で拭い、気怠そうに顔を歪めるのはもう一人の当事者である冬馬だ。
冬馬の手にもローブ女とは異なるが、白い小さな杖を手に持っており、その白い枝からも淡い青色の光が力強く光っており、その光の影響なのか冬馬と俺を中心に丸い円形の青白い光が俺達を囲っている。
二人の動作から察するにおそらくローブの女の攻撃を冬馬が防いでいるのだろうが、冬馬の表情を見るにおそらく状況的には劣勢なのだろう。相手の光に比べ、冬馬の光の方が少しずつだが弱まっていた。
「どうにかしないと……」
光が徐々に弱まっているのに焦りを感じたのか冬馬はボソッと呟いた後、何かを訴えるような眼差しで俺を見た。
「……」
すまん冬馬。視線を貰ったところで「よし、任せろ」とはならない。
何を期待しているのかは知らないが、俺にこの状況を打破する策などあるわけがない。何せ、今二人が何をしているのか俺にはさっぱり分からないからだ。
生憎、俺は戦隊ヒーローでも仮面ライダーでもない。ただのそこら辺にいる一般人Aだ。そんな一般人に何を求めると言うのか。自慢じゃないが何もできない自信しかない。
俺に救援の意思がないことを悟った冬馬は諦めたように小さく溜息を吐いた。吐いた溜息の中に舌打ちが混じっていたように聞こえたのはきっと気のせいだろう。
(とはいえ……)
このままと言うわけにもいかない。
今もなお周囲の温度は上がり続けている状態の中、このまま滝のように汗をかき続ければ数分もしないうちに脱水症状になるのは必然だ。
俺にできることと言えば、せいぜい台所の蛇口を捻ってバケツに水を汲み、それを周囲にばら撒くくらいだ。そんなことをしても焼け石に水なことくらい分かっているが、行動しようがしまいが辿り着く結果が同じなら行動するほうが何となく良い気がした。
行動する決意を固め、いざ動き出そうとしたその時、俺の脳裏に一つの懸念が生じる。
(これ……出ても大丈夫だよな……?)
バケツを取りに行くとしてもこの光の円から出なければならないわけだが、出た瞬間に死ぬなんてことになったりしないだろうか。
いろいろ考え始めると、ネガティブな発想ばかりが頭の中に浮かんでしまい、さっきまでの決意が嘘だったかのように沸々と抱いていた俺の闘志が影を潜め絶望と言うなの波が押し寄せる。
そんな俺を見て、何かを察したのか冬馬が呆れた表情で円の外を指差した。
「死にたかったら出ていいよ」
その強烈な一言に僅かに燃えていた俺の闘志は完全に鎮火する。
「……」
「そのまま出たらってこと。まだ死ぬとは決まってない」
「え?」
どうやらまだ希望はあるみたいだ。
俺の中の闘志にまた火が灯る。
「なんか策でもあるのか?」
「ある」
こちらを振り向いた冬馬は指を二本立てた。
「ピースサイン?」
「ピースじゃない。策が二つあるってこと。いいから黙って聞いて」
「すまん……」
年端も行かない相手に怒られ、少し落ち込む俺。
冬馬は汗で張り付く前髪を鬱陶しそうにかきあげると、不機嫌そうに話を続ける。
「一つ目は僕の魔法でーー」
「ちょ、ちょっとまって」
冬馬の口から聞き捨てならない単語が出てきたことに思わず待ったをかけた。
ただでさえ耐え難い暑さの中で苛立ちを隠せずにいる冬馬は会話を中断させられたことに顔を顰める。
「なに?」
「いや、えっと……魔法って?」
「今?」
「できれば……」
冬馬は大きくため息を吐くと、ポケットから二十センチほどの棒のような物を三本取り出し、一本ずつ床に並べていく。
どの棒も燻んだ白色をしており冬馬が持つ白色の杖と比べると素朴な作りに感じられた。
「これは『魔法の枝』って言って魔法を使うための道具で、一本につき一つの魔法が使える。こんなところかな」
かなり端的な説明だったが、これ以上聞くと本気で怒られそうなのでやめておくことにした。
それにしても『魔法の枝』か。なるほど。よく見れば冬馬の持つ白い杖と違ってこっちの三本は木の枝みたいな形をしている。
「あまり時間がないから説明するよ」
「頼む」
冬馬が言う二つの策とはこうだ。
一つ目、冬馬が玄関までの通路を作り出し、その通路を通って俺が玄関扉を開ける。(扉を開けることで熱が外に逃げる)熱が逃げた一瞬を狙い冬馬がローブ女を倒す。
二つ目、冬馬が持つ枝を俺が使って戦闘に参加し、二体一の状況を作り出しローブ女を倒す。
「一つ目はともかく二つ目は正直自信ないな。そもそもその枝を俺が使えるとは限らないし」
「使えるよ」
「……ほんとか?」
「うん」
にわかには信じがたい。
今まで触れたことなければ見たことすらない物を俺が使えるとは到底思えないが。
「使えるよ。大丈夫」
俺の疑念に答えるかのように冬馬は断言する。
「……わかった。俺にも使えるとして、どれを使えばいい?」
「これだね」
冬馬から手渡された枝を改めてよく見てみるが、本当に見た目は何の変哲もない木の枝だ。
触っても何も感じない。本当にこんなもので何かできるのだろうか。
ただ、本当にこの枝で魔法とやらが使えるのであれば……。
「それをあの女に向けて〝ウォルト〟って唱えれば使える。どんな魔法が使えるかは唱えれば分かるよ。それで、どっちの策でいく?」
冬馬の問いに俺は一呼吸置いてから答えた。
「二つ目のほうでいこう」
魔法の枝 田川侑 @tagawa_yu
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