第2話

冬馬が家にきてから二日が経った。この二日間の間で冬馬とは随分と仲良くなり、今では『君』呼びをしないまでには親睦が深まった。

 そして、今日を含めて面倒を見るのも残り四日になるわけだが、その四日目の朝。いつものように朝食の準備をしていると、起きたばかりの冬馬が眠たそうに目を擦りながら突然変なことを言い出した。


「敵がくるよ」

「敵?」


 寝ぼけているだけかと思い、最初のほうは適当に相槌を打っていたのだが、余りにも真面目な表情で話す冬馬にとりあえず話だけでも聞いてやるかという気になった。

 だが、その前にまずは朝食だ。


「味噌汁はいるか?」

「いる!」


 朝食の支度が整い、ふっくらと炊けた白米に豆腐とワカメが入った味噌汁、少し焦げた焼き魚に砂糖をたっぷり使った玉子焼きが茶碗とお皿の上に乗せられ次々と食卓に並んでいく。

 全ての料理がテーブルに並び、二人して息を合わせるように両手を合わせ、「いただきます」の言葉とともに食事が始まった。

 熱々の味噌汁を一口啜り、空っぽの胃袋に味噌汁が染み渡っていくのを感じながら豆腐とワカメも流し込むように胃袋に放り込む。玉子焼きの甘さに焼き魚の塩気と味のバリエーションを口の中いっぱいに堪能していく。


「おいしい!」


 美味しそうに食べる冬馬の姿に自然と俺も笑みが溢れる。特に玉子焼きは美味しかったようであっという間に食べ終わってしまい満足そうに笑みを浮かべていた。

 ある程度食事が進み、俺は冬馬の言う『敵』について話を切り出した。

 

「それで、敵っていうのは? ああいうの?」


 ちょうどテレビ画面に映っていた映像を指差す。赤、青、黄、緑、紫の五色が特徴的な特撮ヒーロー達が黒色の悪者っぽい奴を寄ってたかって殴りつけているシーンが映っていた。

 だが、テレビ画面に視線を移した冬馬は首を横に振った。


「ちがうよ! マントきてないもん!」

「マント?」


 どうやら冬馬の言う『敵』はマントを羽織っているようで、俺がイメージしていたのとは少し容姿に違いがあるようだ。


「冬馬の言う『敵』ってどんな見た目なんだ?」

「ん〜」

「じゃあここに書いてみてよ」

「わかった!」


 適当な白紙と鉛筆を手渡す。描き初めはよく分からなかったが、拙いながらも伝えたい部分はしっかり描けており、描き終える頃には何の絵か理解できるほどには描けていた。

 ただ、この絵は……。


「これが、『敵』?」

「そう!」


 にっこりと笑う冬馬を横目にもう一度よく絵を見てみる。首元あたりからつま先にかけて長いマントのような服が羽織っているように描かれており、下のズボンも足下になるにつれ幅が広くなっているように見える。


(これって、多分……)


 この絵に見覚えがあった。

 いや、正確にはこの絵の格好にだ。

 映画や漫画、小説や海外ドラマなどで何度も目にしているし、それに俺達の世代の人間なら誰でも知っているはすだ。なにせ俺が学生の頃に上映された海外映画が日本で爆発的に人気を博し、その映画の登場人物達が着ている衣装が全国的に流行り出したと思えば、その年のハロウィンの日はどこを見ても同じ仮装の人達で溢れかえっていたとニュースでやっていたくらいだ。

 俺が知る限りこの格好から連想されるのは一つしかない。


「冬馬。この絵の服ってどこかで見たことある? テレビとか漫画とか」

「あるよ!」

「違ってたらごめんだけど、これってもしかして『魔法使い』?」

「うん!」


 やはりそうか。

 おそらく最近テレビか何かで見た魔法使いにでも影響を受けたのだろう。このくらいの歳の子はテレビやネットに影響されやすいし、俺もこのくらいの歳の頃はそうだった。すぐ影響されて戦隊ごっこだのヒーローごっこだのとよくやっていたものだ。

 食事が終わり、食べ終わった食器を台所に運ぼうかと考えていると、ふと一つの疑問が浮かんだ。

 

 冬馬の言う『敵』は一体どこに来るのだろうか。


 それを聞こうと話しかけようとしたその時、インターホンの音が室内に鳴り響いた。

 リビングの掛け時計に目をやると、時計の針は午前九時を回ったところだった。

 今日俺の家に用事のある人間なんていないはずなのだが……一応スマホの画面を確認するも誰からも連絡はきていなかった。

 こんな朝早くに一体誰が来たというのか。とりあえず玄関に向かおうとしたがそれを阻止するように冬馬が玄関と俺の間に立った。


「どうした?」

「だめだよ」


 扉に近づけさせないように両手を大きく広げこちらを見据える冬馬。

 ただ、開けなければ誰が来たか分からない。 

 返事をしようとしても口元に人差し指を当て「しー」と服の裾を引っ張ってくる。一体どうすればいいんだ。

 そうこうしているうちに、気づけば鳴り続けていたチャイムの音も止んでいた。

 もしかしたら諦めて帰ってしまったのかもしれない。

 

(冬馬のやつ、結局何が言いたかったんだ……)


 どこの誰かは知らないが、居留守みたいな形になってしまい申し訳ない気持ちになりつつも一応居なくなったか確認するために玄関扉の覗き穴に顔を近づける。


(ん?)


 視界に映ったのは黒一色の光景。

 見間違いかと思いもう一度覗いてみるが、やはり黒い。何度見ても変わらない光景に不信感が胸の奥から湧き上がる。ドアノブに手を翳し扉の鍵を開けようとしたその時、扉の向こう側から何か音がした。

 耳を澄ませてみると、微かだが人の声がする。なんと言っているかまではわからなかったが、確かなのは扉の向こうにまだ誰かがいるということだ。

 いまだ俺の服の裾を引っ張っている冬馬を横目にもう一度覗き穴に顔を近づようとしたその時、


「御免ください」

「!」


 今度ははっきりと聞こえた。声量は小さく囁くようだったが、発する声からして扉の向こうにいるのはおそらく若い女性。

 覗き穴から見ているせいで分かりづらいが、上下黒の衣服に顔が隠れるくらい黒い帽子を深く被っているように見える。さっき黒色に見えたのは衣服が黒だからか。

 

(とゆうか、見るからに不審者のそれだけど、一体誰だ?)

 

 俺は瞬時に頭の中で女性の知り合いリストに検索をかけた。学生の時の友達かと一瞬思ったが、こんな見るからに不審者丸出しの服装で人の家に尋ねてくるような奴に心当たりがなかった。ならば社会人になってからの知り合いか?と思ったが、悲しいかな社会人になってから知り合いになった人間はほとんどが男だ。今にして思えば、社会人になってからというもの女性と知り合う機会など全くなく、出会いがあるとすれば職場ぐらいのものだが、働いている従業員が女性より男性の割合の方が多いのと、本当に働いているのか疑問に思ってしまうほど女性従業員に遭遇しなかった。唯一の知り合いと言えば、俺の一年あとに入ってきた後輩の田辺くらいものだ。

 そんなわけで、悲しいほど女性の知り合いが壊滅的にいない俺にいきなり自宅訪問してくるような女性などいるはずもなく、玄関の向こう側にいるのは俺の知り合いではないということになるのだが……。

  

 正直、このままずっと考え続けていても拉致があかないのは明白だ。

 なら、どうするか。答えは簡単だ。とっとと開けてしまえばいいのだ。この目の前にある玄関扉を開けさえすれば今抱えている疑問から解放される。

 ただ、それを邪魔しようとする人間がここにはいる。


「いつまでそうしている気だ?」

「……」


 頑なに扉の前から退こうとしない冬馬。まずはこの頑固小僧を退かさないことには話が先に進まない。

「言っても聞かないのなら」と一瞬俺の中の鬼が顔を出すが、大人相手ならまだしもさすがに子供に武力行使を行なうのは気が引ける。それに、もし冬馬に手を挙げたことが姉さんに知られたら後で何をされるか……考えるだけで血の気が引く。


 とはいえ、相手はまだ子供だ。やり用はいくらでもあるというもの。

 

「冬馬、これなーんだ?」

「あ!」


 俺は冷蔵庫から冬馬の大好物であるショートケーキを取り出した。案の定、目をキラキラとさせケーキに食いつきを見せる冬馬。そのままケーキの力で冬馬を玄関扉から引き剥がすことに成功した俺は玄関扉と向かい合い小さく深呼吸をしてからゆっくりと扉を開けた。


「やあ。元気だったかい?」


 眼前に見える人物を見て、俺は瞬時に理解した。覗き穴から見た時は分からなかったが、目の前にいる人物の格好には見覚えがあったからだ。

 

 ああ、そうか。こいつが冬馬の言ってた『敵』ってやつか。

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