魔法の枝
田川侑
第1話
四月の中旬のことだ。
日曜日のお昼過ぎだったか。突然、姉から電話がかかってきた。
「もしもし、どしたの姉さん」
「あ、健? ちょっとお願いがあるだけどさ」
なんでも夫婦旅行に行くとかで、一週間ほど家を空けるらしく、一人息子を預かって欲しいとのことだった。
偶然にもその一週間は有休休暇をとっていたのと特に予定も無かったため、引き受けることにした。
「ほんと? それは助かる。今度ご飯奢るね」
「それは別にいいけど、冬馬くんは大丈夫なの?」
「全然平気みたい。小さい頃からそうだったけど、ほんとお利口なのよね」
最近はめっきり無くなったが、姉は冬馬くんが生まれてから、毎月毎月息子の成長を事細かくメールで送ってきた。
その内容はどれも楽しそうなもので、見ているこっちまで微笑ましい気持ちになった。
中でも一番印象的だったのが、冬馬くんのお利口話だ。あまりにもお利口話が多かったため、ある時電話で姉に冬馬くんのことを聞いたことがあった。
姉の話だと、最初からお利口だったわけではないらしく、むしろ我儘を絵に描いたような性格だったとかでよく手を焼いていたみたいだった。
だが、ある日を境に別人かと思うほど聞き分けが良くなり、一度言えば大抵のことは出来るようになり、苦手だった野菜も嫌な顔せず食べるようになったとかで、その日から一切苦労しなくなったと嬉しそうに電話越しで笑っていたのを今でも覚えている。
「冬馬くんが平気ならいいけど、いくらお利口だからと言っても我慢させすぎるのもよくないと思うよ」
「大丈夫よ。学校では楽しくやってるみたいだし、家でも一人でよく遊んでるもの」
姉はそう言うものの、俺は少し不安だった。いくらお利口と言ってもまだ子供だ。不安を感じないわけじゃない。
前にも何度か預かったことはあるが、その時は一泊がほとんどだった。
だが、今回は一週間だ。
心配し過ぎだと言われればそれまでだが、姉も姉で少し楽観が過ぎるようにも感じた。
「とりあえず今回はいいけど、あまり一人にするものじゃないよ」
「ありがとう。長いのは今回で最後だから冬馬のことお願いね」
「分かった」
最後に少し世間話をしてから電話を切った。
壁に掛かっている時計を見る。時刻は正午過ぎ。
朝から何も食べてないことに気づいた俺は昼食を買いに家を出た。
ーーーーーーーーーーーー
姉と電話した日から一週間が経った。
預かり日。甥っ子の冬馬くんがうちにきたのは十四時を回った頃だった。
最後に顔を合わせたのは確か三年前だったから今の年齢は六歳になるか。当時の記憶だとまだ幼児と言っていいレベルだったが、その頃と比べると目の前で立っている今の冬馬くんの見た目は少年と呼べるまでに成長していた。
子供の成長は早いと言うが、まさにその通りだなと思ってしまうほど冬馬くんの成長には驚かされた。
「あれ? 一人できたの?」
玄関に一人ぽつんと立っている冬馬くんに両親と一緒じゃなかったのかと聞くと、家のすぐ下までは一緒に来たらしいが、冬馬くんを車から降ろした後、私の家の部屋番号だけ伝えると何処かへ行ってしまったらしい。
電話で事情は話しているとはいえ、挨拶の一つもないとは。あとで怒りのメールを送っておこう。
いつまでも来客を玄関に立たせるわけにもいかないので、とりあえず上がってもらう。
リビングの適当な所に座ってもらい、私は飲み物を取りに冷蔵庫へ。
チラッと冬馬くんを見ると、少し緊張している様子だった。
まあ、無理もない。三年前に会っていると言っても当時はまだ三歳。ほとんど覚えていないはずだ。
冬馬くんからしたらほぼ初対面の知らない叔父さんという認識になるのだろうか。
そう考えると、むしろもう少しおどおどしていてもおかしくないはずなのだが、妙に落ち着いていると言うか、大人びていると言うか。
ーーほんとお利口なのよね
俺は不意に姉の言葉を思い出した。
よく姉から冬馬くんのお利口話を聞かされてはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。私がこの歳の時はここまでしっかりしていただろうか。それとも最近の子供はこのくらいが普通なのだろうか。
冷蔵庫から取り出した二本の缶ジュースをテーブルに置き、ふと、テレビ台の中に置いてあったゲーム機が視界に入った。
なんとなく「ゲームでもするか?」と聞いてみると、
「したい!」
即答だった。
いくつかゲームソフトを手に取り、何がやりたいか聞いてみる。すると、目をキラキラさせながら「何がいいか」「どれがいいか」と嬉しそうに悩み出した。
そんな光景を見ていると、大人びているとは言ってもまだまだ子供なんだな、と微笑ましく思った。
少しすると、どのゲームソフトにするか決まったようで、嬉しそうに私のところに持ってくる。
「これでいいの?」
「うん!」
ゲーム機の電源コードをコンセントに差し込み、スイッチを押す。唸るような音とともにゲーム機が起動。テーブルに置かれたリモコンを操作しチャンネルを変える。テレビ画面に映し出された映像を冬馬くんが嬉しそうに見ているのを横目にコントローラーを二つ用意したところで、あることに気づいた。
「それ、どうしたの?」
冬馬くんの足元。そこに、黒色の棒のようなものが落ちていた。
近くで見ると、棒というより枝に近い。
聞けば、一週間ほど前に拾ったとかでその日からずっと持ち歩いているらしく、一週間も?と少し疑問に思った。
ただ、子育てをしている友人の話や、姉からも「よく外からいろんな物を拾ってくる」と言われたことを思い出し、それ以上はあまり深く考えなかった。
「よし、やるか」
「やる!」
コントローラーを渡すと、冬馬くんは満面の笑みを浮かべ、無邪気に遊び始めた。
そんな冬馬くんの笑顔を見ながらゲームをしていたら、いつの間にかそんな疑問もどこかへいってしまった。
対戦系のゲームを何回か一緒にプレイし、次は何のソフトにするか選んでいると、スマホのバイブが反応した。
液晶画面に映し出されたのは会社の後輩の名前。
ちょうど手にした一人用のRPGゲームがお気に召したようで一人楽しむ冬馬くんを部屋に残し、ベランダに出た後、田辺に折り返しの電話をかけた。
「もしもし」
「お疲れ様です。先輩具合はどうですか?」
「ああ、心配かけて悪いな。もう治ったから大丈夫」
実はここ最近、体調が悪かった。
姉から冬馬くんの話をされた時、体調不良を理由に断ろうかと少し迷ったが、冬馬くんが来るまでに日にちがあったのと、せっかくの夫婦旅行だからと承諾した。
それに、熱や頭痛といった症状は無く、全身に倦怠感を感じるだけで会社に行けないほどではなかったし、市販の薬を飲み続けたおかげで三日前にはだいぶ良くなっていたため冬馬くんが来る頃には完全回復していた。
「ほんと体調には気をつけてくださいね」
「悪い悪い。気をつけるよ」
会社の人間で唯一体調のことを話した、と言うよりバレたのが通話相手の田辺だけだった。
今回の一件で彼女には色々と助けられた恩がある。今度お礼ついでにずっと気になっていたイタリアンのお店にでも連れていってやるか、と心の中で思った。
「でもほんとめずらしいですよね。滅多に風邪引かない先輩が体調を崩すなんて」
そう言われれば、確かにそうだ。
会社からは皆勤賞を貰うほど普段から体調管理には人一倍気をつけているのだが、今回は体調を崩してしまった。
『体調不良になる時はなる』と言われればそれまでだが、それにしたって覚えている限りここ最近で風邪を引きそうな行動をした覚えも、誰かからうつされたような覚えもない。
働き過ぎか?と思ったが、しっかりと週に二回休んでいるし、その可能性もないはずだ。
なら、一体誰からうつされたというのか。
「でもほんと治ってよかったです。変な棒持ってた時は本気で心配したんですかね」
「……変な棒?」
「え? 覚えてませんか? 先輩体調が悪いって言ってた日に変な棒持ってたじゃないですか」
『変な棒』と聞いた瞬間、心臓の鼓動が強くなるーーと同時に、冬馬くんが持っていた黒色の枝が脳裏に浮かんだ。
「『これ持ってれば良くなる』とか言い出した時は無理矢理にでも病院に連れて行こうと思いましたけど、ただーー」
電話越しの田辺の声色が変わる。
数秒間の沈黙の後、歯切れが悪そうに口を開いた。
「こう言うのもあれなんですけど、体調が悪いって言うわりには……調子が良く見えたんですよね」
「調子が良く見えた……?」
突拍子もない田辺の言葉に思わず聞き返してしまう。
「そうなんです。いつもより覇気があったと言うか、元気だったと言うか、とにかく体調が悪そうには見えなかったんです」
「見間違えってことは?」
「ないです。先輩、本当に覚えてないんですか?」
「覚えて、ないな……」
彼女が嘘を言うタイプではないのは分かっている。その彼女がここまで言うのだから、おそらく今話している内容は本当のことなのだろう。
だが、その話が本当だとして。肝心の私が全く覚えていないのは明らかにおかしい。
そもそも今にして思えば、体調を崩してからの記憶がはっきりしていない……。
「もう、しっかりしてくださいよ。連休中だからって風邪ぶり返さないでくださいね」
「あ、ああ……」
田辺との通話が終了し、情報量でいっぱいになった頭の中を整理しようとズボンのポケットから煙草を取り出す。
口に咥えた煙草に火をつけ、勢いよく吸い込んだあと一気に吐き出した。口の中から吐かれた大量の煙は前へと押し出されながら頭上へと上がっていく。少しずつ頭の中がクリアになっていくのを感じつつ田辺との通話の内容を整理していく。
①変な棒とは何か
②体調不良だった時の記憶が無いのは何故か
主に考えるべきことはこの二つだ。
吸い終えた煙草を灰皿に入れ、もう一服しようと箱の中から煙草を取り出しかけたが、そこで手が止まった。
視線の先、リビングの中で遊び疲れたのかコントローラーを持ったまま寝ている冬馬くんの姿が見えた。
(あのままはな……)
さすがにリビングで寝かせるわけにもいかず、俺は出しかけた煙草をそっと箱に戻した。
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