わたしの、浮気相手も推しです。  ~推しと付き合ってるのに、推しの相方に浮気を迫られてめちゃくちゃにされちゃう百合の話~

ぴよ堂

第1話



 私にありえないことが、二つ起きている。


 まず、一つ目。

 私は、推しのアイドルと、付き合っている。


『みなさんこんにちはー! アステル・テールの春風チホです!』


 画面から元気な声が響く。

 私は今、カラオケの個室にいる。

 設置されたモニターの中で元気に挨拶しているアイドル――チホちゃんが、私の彼女。


 私は、推しと付き合っている。


 これが、一つ目


 そして、二つ目。


「ねえ、ユメちゃん」


 ユメ。それが私の名前。

 私を呼んでいるその相手は。


『皆さんこんにちは。 アステル・テールの天羽星音です』


 モニターの向こうで、涼しげな表情で挨拶をするアイドル。


 天羽星音(あもう せのん)。

 私の推しの、二人組ユニット『アステル・テール』。

 チホちゃんの相方。

 艶めく黒髪。抜群のスタイル。


 ――私は今、星音ちゃんに、組み伏せられている。


 鼻先を、彼女の髪がかすめて、さらりとした感触や、妖艶な匂いが。

 五感のいずれを刺激されても、脳が犯されるような快楽が溢れる。

 心臓がうるさい。汗やばい。


 どうして、こんなことに?


「いいんだよ、ユメちゃん。全部私のせいにして、全部都合良く使ってくれれば」

 

 星音ちゃんの口から、ありえない言葉が飛び出してくる。

 

 星音ちゃんの指が、私のシャツの裾をまくって、腹部に直接触れる。

 長くて綺麗な指が、太股に沈んでいった。


 こんなの、絶対ダメなのに。

 星音ちゃんはアイドルだし、私はファンだし。


 私には、チホちゃんがいるのに。


 

「私を……、二番目にして?」


 ありえないこと、二つ目。


 推しの相方に、浮気を迫られていること。



 ◆

 


 春風チホ。

 ふわふわの、腰まで伸びた亜麻色の髪。人形のような、どこか幻想的な美しさすらある。

 けれど、笑顔は元気いっぱいで、見る人を温かい気持ちにしてくれる。

 何度見ても、慣れない。

 

 私とチホちゃんが出会ったのは、小学生の頃だ。


 チホちゃんは、その頃今とは違って大人しい性格だった。

 それがどんどん明るくなって、アイドルになってからはもう、別世界の住人だ。

 遠くに、いっちゃったなあ……と、時々、寂しくなる。


 でも……。


「……ごめんっ、ユメちゃん、遅れちゃった!」


 私がいたカラオケの個室に、チホが焦って入ってくる。

 ぱんっ、と両手を合わせて、ぺこぺこ頭を下げる。

 チホちゃんは、常にジェスチャーが大げさで、そこも可愛い。


「レッスン、ちょっと伸びちゃって……ごめんね!」

「平気平気。ヒトカラも好きだし。……でも、当然チホちゃんと一緒の方が楽しいけどね」

「ふふ、そう? それじゃ、お詫びに特別ライブにしちゃおっかなー」

「セトリは私が決めてもいいんでしょ?」

「もっちろん!」


 イエーイ! と私はサイリウムをチホちゃんカラーのピンクにして振り回す。

 デートになんでサイリウムを……とも思うけど、これが私たちのお約束のノリみたいな?

 MV付き映像で、画面の中の可愛い衣装を着ているアイドルが、目の前で踊っている……という、光景も、何度見ても慣れない。

 一通り騒ぐと、チホちゃんが私の横に座る。

 そして……、こてん、と頭を私の肩に寄せる。


「ふわっ……!!?」


 変な声が出る。


「ふふ。もぉー、慣れてよ~」

「な、慣れないよ……」

「私もまだ、ドキドキは……するけどね」

「え、する?」

「するよぉ」


「私なんかでドキドキする、はんふぇ……?」


 ほっぺ、つねられた。


「『私なんか』なんて禁止ぃ~!」

「ふぁい」

 

 信じられないことだけど、私はチホちゃんと付き合っている。

 

 きっかけは、チホちゃんが仕事で、『女の子同士の恋愛』を演じることになったことから。

 

 ぎゅっ……と、チホちゃんが私の手を握る。

 熱が、伝わってくる。


「……いいの?」

「……いいの。『友達』は、手を繋ぐでしょ?」


「え~、友達?」


 わざと、少し悲しそうに言ってみる。

 そこにちょっとだけ、真実を滲ませつつ、ちゃんと冗談で包み込んでね。


 私達は、『付き合っている』……ことに、なっている。

 でも、私達がする行為はすべて、『友達』のボーダーに収まっている、ことになっている。


「友達は……こうするよね、ユメちゃん」


 チホちゃんは、アイドルだ。

 チホちゃんは、『みんな』が好きだ。


 だからずっと、私達の関係には、『みんな』を裏切ることはいけないという罪の意識がまとわりついている。


 でも、それでいい。

 だって私も、アイドルのチホちゃんが好きだし。


 ……なら、なんで『付き合う』なんて……って、思うけど。

 

 チホちゃんが、私の手を、私なんかの手を、愛おしそうに両手で握りしめる。

 まるで、騎士がお姫様にするみたいに、優しく、大切そうに。


「チホちゃん……」

「『友達』は……するよね、これくらい」


 チホちゃんは私の手の甲に唇を寄せる。

 温かく、柔らかい感触がする。滲んだ可愛らしいピンク色のリップが、私に付着する。

 脳が、痺れていく。理性が、溶けている気がする。


「好きだよ……ユメちゃん」


 それから、チホちゃんは私を抱き寄せる。

 私は、抵抗しない。

 

 きっと、チホちゃんの中では、まだ名前がついていない感情がたくさんある。

 友情も、

 恋愛も、

 性愛も、

 どろどろに溶けて混ざって、なんの区別もされてない。


 でも、薄っすらと、わかってしまいそうになっている。


 だから、ひたすら『友達』を繰り返す。


 本当にズルいのは、私だ。

 全部わかっていて、チホちゃんの願いを正しく汲み取るのならば、言うべきなのだ。


 ――『アイドルが、こんなことしちゃダメだよ』って。



 言えない。

 これでチホちゃんの演技がよくなるならそれでいい。

 ……いいや、それで全部じゃないだろう、石上ユメ。

 本当に、卑怯。


 私は、チホちゃんのラベルを真っ黒に塗りつぶした感情を、都合よく貪っている。

 

 感情の瓶。

 そのラベルは真っ黒で。

 この行為、この感情、どんな定義で、どんなカテゴリーで……。

 そのすべてが、真っ黒で。

 でも、いい。


 ズルいのは私だって――私が、ちゃんとわかってれば、いいよね?


 全部、私のせいにして。

 チホちゃんは綺麗なままで……、汚いのは、全部、私。


 ……チホちゃんが、アイドルとして成功していく程に。


 ――――寂しいから。


 みんなのチホちゃんが一番好きだけど。

 推しだけど。


 私だけの、チホちゃんも欲しいよ。



 ◆


 今日は、楽しみなことがある。


 私は小説を書いていて、それをネットに上げている。

 その読者と会う、オフ会的な。

 小説といっても、二次創作だ。


 アニメ『わたし達の恋は営業ですっ!』――略して『わたこい』。

 二人のヒロインがW主演のアイドルアニメで、その片方をチホちゃんだ。


 この作品……、めっちゃ良い。

 正反対の二人が、『百合営業』を命じられる。

 仕方なく仲良くするんだけど、二人で困難を乗り越えていくうちに絆が芽生え……という、王道な感じのやつ。


 ◆


 またもやカラオケボックスだった。


 画面では、チホちゃんが最高の笑顔を見せている。今日も可愛い。


「……あ、他の人達は遅れるみたいですね……」


 私はスマホを見つつ、少し離れたところに座る相手へ伝える。


 彼女は『ルナ』さん。SNSのアカウント名だ。

 ルナさんがこくんと頷く。

 控えめな仕草。

 長い黒髪が揺れる。前髪が長くて、目元も隠れてしまってる。ちょっと貞子感……と、失礼なことを思ってしまう。

 私も髪は肩くらいのくせに、前髪長めでバリアを張ってしまうの、似たようなものだけど。

 親近感。とりあえず、怖い人じゃなくてよかった。

 でもどうしたんだろう?

 室内でも、まだキャップを深めに被ってる。

 ……素性を隠すアイドルみたい。

 髪も長くて、艶があって……って……、私はどうして初対面の、オフ会の場で、いやらしい視線を。最低だ私は。今日はそういう目的じゃないし、そもそも私にはチホちゃんがいる。

 楽しく作品の話をするぞ!


 と、そこで……、


『皆さんこんにちは。 アステル・テールの天羽星音です』


 チホちゃんの元気な挨拶とは対照的な、クールな声が室内に響く。

 はぁ……、星音様、今日も美しい。


「――好きなの?」


 ルナさんが、そう問いかけてきた。


「え……、星音様が?」


 ルナさんが頷く。


 思わず、好きが溢れた。


「もっちろん大好きですよ! 星音様は、氷で出来た女神像みたいな、神聖で、冷たくて、格好良くて……!! でもっ、チホちゃんといる時は、たくさん笑うし、その笑顔が、すごい優しくて、ギャップがやばくて! 歌もダンスも上手いし! 演技とかも、すごくて上手くて、役への解釈も深くて、普段からたくさん物語に触れてるんだろうなって教養もあって!」


 褒めが淀みなく溢れ続ける。


 深く考えなくても、どんどん浮かんでくる。

 やっぱり私、星音様のことも好きだなって思う。

 浮気じゃないよチホちゃん信じて!

 だってずっと、『二人』のこと追いかけてたんだもん。

 そりゃ、二人とも大好きだよ。


「……ふふ。本当に好きなのね」

「あ、はい……っ」


 なんか、緊張する。

 ルナさん、声も綺麗だし、落ち着いた物腰にオーラがある。


「いつもありがとう……嬉しいわ」


 ルナさんが帽子を取って、手櫛で髪を整えた。


 『いつも』?


 次の瞬間、私の目は、とんでもないものを捉えた。


 目の前に、星音様がいた。



「…………え? ええ!!!?」



「わ、すごい声。カラオケだからいいけどね」

「えっ、えっ、なんでっ、星音様!?」


 チホちゃん関連の……なにか!?

 でもチホちゃんと付き合ってることは隠してる。

 星音様も、知らないはず。

 チホちゃんが話していたら?

 勝手に話すわけない。


 …………じゃあ、バレてる?


 怒られる…………????


 探りを入れてる?


「……私ね、あなたの書いている小説のファンなの」


「……え?」



「……私、ずっとあなたに救われている。あなたはいつも、ライブやバラエティの感想もすぐつぶやいてくれるし、アニメが放送したあとに、私が演技に込めた細かい想いを汲み取った話を書いてくれる。

 ……ほら、よくあなたの感想についている、『解釈が深すぎて、もう実質原作』とかってあるじゃない? あれ、私も心からそう思ってる。というか、たまに私もそういうコメントつけてる」


「…………はい?」


 全然、頭も心も追いつかない超展開がきたな。


 星音様も、早口オタクになるんだ…………!!!?

 

 早口でも美しい……。



 少しずつ、水が染みていくみたいに、星音様の言葉を理解していく。

 なんか今、人生で一番褒められた?

 私が頑張ったところ全部わかってくれてる……こんなにわかってもらえていいの!?

 それも推しに!?

 なんかのサービス!? 

 CD初回限定版を買って応募すると、めちゃくちゃ褒めてもらえます……みたいな!?


「え、っと……あり、が……とうう、ぇ……? あれえ……?」


 情緒バグりまくってる、いきなり泣いちゃった。

 ライブの時じゃないんだから!


「ごめ、んなさ……、……あっ」


 星音様がハンカチを差し出してくれる。


「あの、洗って返しま……」

「いいのよ、そんなの」


 ひょい、とハンカチを取られてしまう。


「……ところで、ユメ先生」

「……え、先生?」


「…………ダメ?」


 うう、可愛い。

 おねだりみたいな言い方。


「恥ずかしいのはありますね……」

「……あなたも星音『様』じゃない。恥ずかしいわ」

「……星音……さん?」

「呼び捨てでもいいわよ?」

「呼び捨て!? ダメですよそんな推しを!?」

「あら、推しなの?」


「え? チホちゃんと星音さん、二人とも推しみたいな?」


「……そ。……いつもありがとう」


 ……あれ。今なにか、間が?


「……じゃあ、ユメちゃん?」

「は、はい……」

 


「……ユメちゃん、ゼノンプロの新しいアイドル企画の、脚本家コンテストに応募してるわよね?」


「……えっ、なんで知ってるんですか!?」



「ごめんなさい。私は……、声優としてとは別に、脚本審査の方にも協力してるの」


「……そうだったんですか!?」


 す、すごい……!


 ゼノンプロは大手の事務所だ。

 今度、大きな新アイドルグループのオーディションがある。

 アニメやゲームの展開も最初から組み込まれた企画で、その脚本も募集しているのだ。

 

 私はこれに応募している。

 なぜなら、チホちゃんが応募しているから。


 チホちゃんは必ず合格する。

 チホちゃんといつか一緒に仕事がしたい。


 私、今はまだ脚本家として、全然ダメなんだけど。

 

「……なにか、私に聞きたいことはない?」

「……ないです」

「……遠慮しなくていいのに」

「別に、ズルしたいわけではないので……」


 たまたま星音さんが、審査に関わって、たまたまプライベートで知り合えて。

 それで自分の有利になるのは……なにか違う。

 

 私は、ちゃんと自分の力でチホちゃんの隣に立ちたい。


 思い出すのは、『あの日』の舞台。

 小学生の頃、学校で演劇をしたことがあった。


 私が脚本、チホちゃんが演じる。


 当時チホちゃんはまだ少し内気で、私は今よりも明るい感じで。

 チホちゃんは、もっと輝ける! って、思って、必死にチホちゃんが輝く脚本を書いた。


 ……また、あの時みたいに。

 それが私の、生きる理由だって言っていい。


 チホちゃんと付き合っておいて今更……とも思っちゃうけど。


 ……もう、ぐちゃぐちゃの境界線の上で、それでも自分が納得できるとこに立っていたい。




「……でも、このままだと絶対に落ちるわよ?」


「期間は、まだありますから……。今この瞬間負けてても、これから、勝ちます」


 絞り出した言葉は、決意というよりは、すがりつくような願望だった。


 星に願うような、淡い、脆い、曖昧な気持ちかもしれない。


 もしくは。

 現実を見ていない、足掻き。


「……無理ね。まだ全然足りない」


「……そんなの」

 

 どうして、そんなこと言うの……?

 知らない誰かなら、何言われたっていいけど。

 星音さんにそんなこと言われたら……、立ち直れない。


「……私もね、脚本家の仕事、してたのよ?」

「……え!?」

 

 そう、だったの……!?


「私の目から見てね、あなたは才能がある。それは私が保証するわ」

「…………え?」


 才能。

 すごく曖昧な言葉だ。

 星音さんが、どういう定義で、その言葉を使ってるのかはわからない。

 でもその言葉は、嬉しいに決まってる。


 推しに否定されたら悲しい。

 推しに肯定されたら…………そんなの、嬉しすぎる!


 一回、落ち着こう……。



「あなたは、必ず、もっと上にいける」


 その言葉は、私の胸を熱くした。


 ああ、ダメだ。さっきからずっと、この人の言葉に振り回されている。

 なんていうか……、物語に出てくる『悪魔』みたいな人。

 甘い言葉で惑わして契約を迫る。

 力は与えるし、成功もできる。

 でも……、見誤ると、破滅する。

 どうしてだろう……そんなイメージが、浮かび上がってしまうのは。


 それで――。


「なら……どうすればいいんですか?」

 

 不安を塗りつぶす、衝動がある。

 私は、絶対に、もっと上にいく。

 そうしないと、チホちゃんの隣に立てない。

 


「……ユメちゃん」

「……はい」

「その、方法はね…………」


「方法は……?」



「……私と、付き合って」




「――……私……チホちゃんと、付き合ってるんです」




言ってしまった。

でも、星音さんが言いふらすとは思えないし、これで納得してもらえるはず。


 …………というか、付き合う……!!!?

 付き合う!?

 なにを言っている!? 

 アイドルと付き合えるわけがないが!?

 …………あれ、私、チホちゃんと付き合ってる!?

 ダメだ、混乱でおかしくなる。

 もうずっと、おかしいのかもしれない。



「……ユメちゃんは。まだ状況が理解できてないね」

「え?」


「――――それは、チホのために、夢を諦めるってこと?」


「そんなの……!」


 なんでそんな言い方……っ。


 ……あれ?

 でも……。

 私の夢って、なんなんだろう?

 

 ――脚本家になること?

 ――チホちゃんを応援すること?


 ……でも、裏切るなんて。


「私が……自力で勝てばいいだけですよね?」


「……そうだね。なら、この話は一度保留かな」

「……保留もなにも、何度言われても嫌ですよ」

「……今は、それでいいわ」



 星音さんは、そう意味深に言って……。


 それで、この日はお開きになった。


 

 ◆



 あれからずっと、考えている。


 カタカタカタ……と、キーボードを叩く音響く。


 ――あれでよかったはずだ。

 何度も繰り返す。

 疑ってしまうのは、私が弱いから。

 それだけのこと。


 恋は。

 感情は。

 ――弱い人間には、守れないと思う。


 だってそうだよね?


 チホちゃんが夢を叶え続けてるのに、私が弱いままなら、そんなのはもう、チホちゃんに相応しくない。

 チホちゃんといたい。


 だから、もっと、やらないと、やらないと……。

 書いて、さえいれば。

 書けば……。

 書いて書いて書いて、頑張れば、きっと。


 でも……本当は知ってるんだ。


 どれだけ自分が強く願ってると思っても、それだけで自動的に夢が叶うことはない。

 この世界は、複雑だ。

 私は、どうすれば、大切なものを守れるんだろう?

 答えが最初から明瞭なことなんかない。

 いつだって、答えは、複雑な迷宮の奥底にある。


 集中が途切れて、ふとスマホを手に取る。


 タイムラインを流して、ジャンクな情報を消費していく。

 誰かの不祥事。

 誰かの幸せ。

 ぜーんぶ……、どうでもいいなあ……。


 摩耗した心は、凪いでいく。

 心が、死んでいく感じ。


 その時。

 手が、止まるニュースが。



『ムラクモアマナ、ゼノンプロの新アイドル企画へ意欲を見せる。さらに、主役には春風チホを起用か!?』


 ……いや、だ…………。

 ――ムラクモアマナ。

 売れっ子脚本家。

 まだ、何者でもない私が、絶対に、勝てない相手。


 ……頑張れば?

 ずっと頑張れば、いつかは?

 いつかは、いつかは、いつかは……。


 意味ないよ、いつかじゃ……!!


 今、勝たなきゃ、チホちゃんが、取られる。


 あいつの書いた脚本を演じて、チホちゃんが、もっと大きな、私の届かない場所に行く。

 もう、きっと、私の入り込む余地なんかない。

 私なんか、昔ちょっと一緒にいたなくらいの、モブになる。

 チホちゃんの人生の、モブになる。


 いやだ……、

 いやだよぉ…………。

 それだけは、いやだ。


 ……そうだよ。

 なんでも、するんだ……。



 ――私が一番大切なのは、チホちゃん。


 そう思って、私は星音さんにメッセージを送る。



 ◆



「……ユメちゃん。あなた、正しい選択をしてる」


 また、あのカラオケボックスだった。

 画面には、笑顔のチホちゃんと、星音さん。

 でも、目の前にいる星音さんは、笑顔なのに、怖い。


「本当に……、これで、勝てますか?」


「保証する。あなたには、才能がある。あとは一つ、起爆剤になるきっかけがあれば……。私は、それになってあげられる」


 甘美な言葉に、脳が溶かされる。

 才能。

 本当に、そんなもの……。


 私はもう、どこまで私を信じられるんだろう?


「……単純な話よ。えっちなやつを書けばいいのよ。『アイドル企画』にはそぐわないけれど、その前に知名度と人気を稼いでおけば、必ずあとで役に立つわ。ムラクモアマナだって、そうやって人気になっていったの。大事なことよ?」

 

 少し前の自分なら、その発想に反発したかもしれない。


 もっと手段を選んで。

 プライドを守って。

 綺麗に、お行儀よく。

 チホちゃんが喜ぶような作品だけを書いて、チホちゃんの隣に行きたい。

 そうして、『勝ち方』にこだわったはずだ。

 勝ち方なんて、なんだっていい。

 やったもん勝ちなんだ。

 勝てれば、なんだっていい。




「……それで、チホちゃんとは、どこまでしたの?」

「し、したって……」

「これは?」


 手を、握られる。




「……それくらいなら」

「これは?」


 抱き寄せられる。

 匂いも、感触も、チホちゃんと違う……。

 シトラスの香り。

 チホちゃんよりも、スタイルの良い体。

 こんなの、知らない。





「抱き合う、くらいなら……」

「なら、これは?」

「……んっ、いやっ、」


 ――胸を、触られた。





「これは初めて?」

「……これは、ダメ……です」

「どうして?」

「チホちゃんとは、こんなのしてない……」

「どうして?」

「……ファンを、裏切るから」


「ふふ。変よね、それ。付き合ってるのに? 悔しいけど、似てるのね、あなた達」



 ……ああ、そっか。

 

 ――同じ、なんだ。



 チホちゃんは、『恋愛』を知らない。


 だから、知りたがっていた。

 でも、付き合うって感覚を知りたくて、私たちは一緒にいた。


 結局、矛盾はしてる。


 『ファンのために』、良い演技を。

 そのために、ファンを裏切って。



 ――だから、これも、同じ。


 仕方のないことなんだよ……。

 だって、チホちゃんのためなんだよ?

 胸から伝わる感覚が、甘やかに、じんわりと広がっていく。

 こんなに気持ちのいいことなんだ。



 …………チホちゃんが、教えてくれない快楽が、私を満たす。




「次は、これ」


 唇を、重ねられた。

 私の中に、星音さんが入ってくる。

 温かい。

 良い匂い。

 柔らかい。

 予測不能に動かされる舌。

 知らない。怖い。気持ち良い、気持ち良い、気持ち良い。


 壊れそう、

 溶かされそう、

 おかしくなりそう。


 今度は、星音さんの手が、私の下着の中に滑り込んだ。

 思わず、足を閉じてしまう。

 とろけた思考の中でも、本能的に、星音さんの手を掴んで行為を止めた。


「それは……本当に……、ダメ」

「怖い?」

「だって……まだ、チホちゃんと……」

「しないでしょ? ファンは裏切れないんでしょ?」

「……」


 そう、かもしれない。


 こんなに気持ちいいこと、ずっと……。


「キスしておいて、今更よ?」

「でも……」


「大丈夫。イカなければ浮気じゃないと思わない? チホちゃんのこと思ってたら、イカないよね?」


「………………え?」


 そう言って、星音さんは、下着に手を滑り込ませた。

 もう出来上がってるのが知られるのが恥ずかしい。

 キスと胸だけで、もうどうにかなってる。


「ダメ、ダメ、ダメ……ダメぇ……せのんっ、さっ♡ ぁっ、んっ♡♡」


「……やらしぃ……。……声、すっごく甘いよ?」


 無理。

 こんなの。


 チホちゃん……!!

 チホちゃん……、

 ごめんね……ごめん……。


 本当は……。

 私ね、本当は、こんなことばっかり考えてたんだ。

 チホちゃん何もしてくれないから、ずっと……。

 でも、考えるだけなら、全然、浮気じゃないよね……?


 考える、だけなら……。




 波が高まって、もう限界だった。


 頭の中で、チホちゃんが消えちゃうみたいに、快楽で全部が埋め尽くされそうになった瞬間――、






「――――はい、終わり」


「え?」


 星音さんの、手が止まる。





「……なに? イッたら浮気だよ?」

「そう、ですね……」

「今日はこれくらいかな。ユメちゃん、すっごくたくさん心が動いてたし、きっといいものが書けるよ」


 言いながら、わたしから引き抜いた指を開閉して、引いてる糸を舐めとる星音さん。

 自分がどれだけ感じてたのかを見せつけられて、改めて恥ずかしさが押し寄せてくる。



 その時、星音さんのスマホが鳴った。


「あ、チホちゃーん?」


 心臓が、止まる。





「うん……、うん、自主練? いいよ。……うん、すぐできる。……ふふ。ちょうど今、準備運動が終わったところ」


 そう言って、通話を終える星音さん。


「ごめんね、ユメちゃん。これからチホちゃんとレッスンだから……。ユメちゃんも、頑張ってね?」


「……はい」


「いいんだよ、ユメちゃん。全部私のせいにして、全部都合良く使ってくれれば」


「……そ、んなの……」


 縋ってしまう。

 チホちゃんの隣にいるため。

 そういう綺麗な願いがあれば、なんでもできる。

 ……でも、もっと『理由』が欲しい。

 安心させて。

 ……そうだよ……星音さんが悪いんだよ。

 星音さんはひどいよ、悪魔だよ……。





「……私を……、『二番目』にして?」


「……」


 ――その問いに、私は答えられなかった。





 見ないフリをする。

 名残惜しそうに、太ももをすり合わせてしまう自分の動きを。

 

 知らない。

 こんなのは、知らない。




 ◆



 なんだろう、これ。

 私はぐるぐる、ぐるぐる、ずーっと悩んでる。

 

 星音さんのことばっかり、浮かんでくる。


 なんなんだろう……これ……。

 ……ぜーんぶ、えっちな本で見たことある。

 でも、自分が当事者だと、少しも、茶化せない……。

 ベタだなあ、なんて。


 ……星音さん、どうしてこんな……。

 ぐちゃぐちゃになった頭で考える。

 もう、何が正しいのか、わからない。

 でも、一つ。

 差し込む光のように、一つの思考が浮かぶ。


 ……今なら、すごいの書けそう。



 ◆



 ……ねえ、チホ。

 私、ずっとあなたが憎かった。

 

 私、あなたみたいに笑えないよ。


 クールだとか言われたって、結局は根暗な女が格好つけているだけ。

 ……そんな私を好いてくれるファンもいたけれど……。

 でも、ダメね、そんなアイドル。

 私、あなたみたいになれないよ……チホ。

 

 ――でも、いいの。


 チホ……、私、あなたを許さない。


 だって、ユメちゃんを苦しめてたから。

 本当は、前からユメちゃんとチホのこと、知ってたよ。

 チホがユメちゃんを、幸せにしてくれるのなら、納得しようと思ってのに……。

 でも、ダメよ。

 あなたには、ユメちゃんを幸せにできない。

 あなたは、『アイドル』だから。

 絶対に、あなたは、最後にチホちゃんを苦しめる選択をする。

 あなたのアイドルは、『みんな』のものでしょう?

 私は違うわ。

 私はね、ただ、ユメちゃんのためだけにある。

 もう、私はやりたいようにやるね。


 ――ユメちゃんは、必ず、私が幸せにするから。



 

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