【後編】
高校2年の秋、今日から中間テストだという日、俺は隣のクラスの真田さんに会いに行った。
いつもは用事も無いのに会いに行ったりはしない。
だって通学時に会う事も多く、特に様子を見る事も無く見かける事が多かったから。
だけど、今朝は彼女をまだ見かけていない。
それと何となくだけど、妙な違和感のような、嫌な予感というのが働いた。
だから学校へ着くなり隣のクラスへ向かい、教室の入り口からまだ見かけない彼女の様子を聞いてみる。
「ねぇ、真田さんいる?」
教室で彼女の姿を探しながら、適当にその辺りに居た女子に声をかける。
返事の無い違和感で声をかけた女子の顔を見ると、目を丸くして驚いた表情を浮かべていた。
「?…え、何?」
「え、知らないの…?」
「知らないって、何?」
真田さんの引っ越しの事を聞いた俺は急いで今来た道を引き返した。
同級生が歩いている廊下を逆走し、通学してくる同級生やクラスメイトをかき分けるように校門へ向かう。
「おい、お前、テストは?」
おーい!と、叫ぶ友人の声を無視して、俺はさっき出たばかりの駅へ走る。
そのまま全力疾走の形で駅に着いた俺は、息を切らしながら、家とは反対方向のホームを目指し、階段を駆けあがる。
吐き出すように流れて来る通勤客をかき分けてホームに着くと、静まりそうにない心音と共に、乱れる息を整える。
良かった。電車の到着までまだ時間がある。
俺は急いでメッセージを送る。
『今、そっちに向かってる…急すぎる』
既読
一瞬で付いた「既読」の文字に、一筋の光明を見つけた俺は喜んだ。
画面の隅を見れば、時刻は8時22分。
間に合うか?
いや、きっと間に合うはず。
既読の文字でテンションが上がった俺の耳に、電車の到着アナウンスが入る。
電車の到着を焦る俺の耳に、入線の喧騒に紛れてスマートフォンの着信音が届く。
待って!
切れないで!
電車の入線の音が大きくなるように、俺の慌て具合も大きくなっていく。
手がもつれて上手く通話に切り変わらない。
1コール、2コー…
「っ!!はい!!」
周りの騒音にかき消されないように、出来るだけ大きな声で返事をする。
「あの、メッセージ見たけど、今どこ?」
いつも通りの、のんびりとした声に、俺の力が程よく抜ける。
だからだろう。
押し寄せた通勤客に押されて、群衆と共に車内になだれ込み、人の波に流されるまま、電車の中に押し込められてしまった。
「はぁ、今、っつ後で…」
事情を説明しようとするも、満員の車内の波に押され通話が途切れてしまった。
「くそっ!」
悪態を付きつつ身をよじり、スマートフォンのメッセージを揺られながら送る。
『どこ?』
既読
『向かってるってどういう事?』
『だからそっちに どこに居るの?』
既読
『〇〇空港』
『やっぱり』
既読
彼女の居場所を確認せず、長崎というキーワードの予測から飛び乗った電車。
行先の間違いが無かった事にホッとする。
けれど次にやって来たメッセージで、俺の気持ちは奈落の底に落とされた。
『長崎行き9時15分だから、間に合わないと思うよ』
「っつ!」
『間に合わせる』
既読
『無理だと思うから良いよ ありがとう』
『ギリギリまで待ってて』
既読
―待ってて欲しい。
全く進まない電車にいら立ちを覚えながら、『長崎行き9時15分』だけを頼りに、電車から飛び出し、電車を乗り換える。
その時の俺は、満員電車に押し込められたはずなのに、世界で一人ぼっちの存在になったかのように孤独だった。
最期の電車に乗るべく、乗り換え駅の改札へ向かう。
途中でチラリと見えたアナログ時計の、崩れた逆向きL字に苛立ちながら、モノレールの車内の乗り込んだ。
やっとだ。
これで着く…。
いつの間にか人気の少なくなった車内。
最期の電車の発車の安堵から、ポケットにしまいこんでいたスマートフォンをゆっくりと取り出す。
「え?」
咄嗟に戸惑いの声が漏れたのは、俺のスマートフォンが何度タップしても画面が黒いままだったからだ。
嫌な汗が出てくる。
そうか。再起動だ。
俺はスマートフォンの再起動を何度も繰り返す。
起動しては切れる…。起動しては切れる…を何度か繰り返すと、スマートフォンは、うんともすんとも言わなくなった。
「は?電池切れ…?」
電池切れの事実に気が付くと、俺の目の前の色が急に抜けて落ちて行った。
「はぁ?」
キレながらもモノレールの車窓に目を向けると当初の目的地が見えた。
けれど俺は電車のドアからホームへ出た時には、もう走るのを止める事にした。
だって、駅のホームのデジタル時計の数字は、無常にも9と33が仲良く並んでいたからだ。
でも行かなきゃ…。
間に合わない事実を知りつつ、気力の無い足で駆け出し空港のロビーへと向かう。
見上げた表示板で9時15分発の長崎行きの便が無事に出発したのを確認すると、その足で展望デッキへ向かう。
目の前で飛んでいく飛行機の音。
前髪を揺らす向かい風。
俺を纏うそれらは、最初から無理だったのに…と言っているようだった。
その後、俺はどうやって家に戻ったのか覚えていない。気が付けば自分の部屋に居た。
間に合わなかった事実を受け入れる事は出来なかったけれど、スマートフォンの充電をする気力は残っていたらしい。
スマートフォンの画面を見ると『充電中』の表示が出た。
俺はそのまま、ふて寝した。
その日の夕方、ふと目が覚めた俺は、ベッドの上でスマートフォンを開いた。
メッセージ3件。留守電ありのマーク。
ぼんやりとしたまま、画面の指示に従い、タップを続け、残されたメッセージを聞く為に、画面を耳に押し付ける。
「…あ、青山君…ごめんね…多分間に合いそうにないから、無理しないでね。今までありがとう。もう行きます…」
いつも通りの、のんびりとした声。
その妙な力加減に、徐々に自分の部屋の中がぐにゃりと滲みだした。
メッセージの終了と共に耳からスマートフォンをはずし、今度はメッセージアプリをに開く。
『電話しました。留守電に残しました。今までありがとう』
滲む文字を何度も見直す。
急いで返事を打ちたいけれど、文字が霞んで文字が打てない。
「…んだよ」
仕方がないので、そのままメッセージ欄を閉じると、スマートフォンを脇へ放り投げた。
「情けなぁ…」
彼女に引っ越しの事を言って貰えなかった自分。
そして返事を打てない自分。
俺は情けなくて、本当に惨めだと思った。
結局、中間テストは散々だった。
無断欠席と、ボロボロの点数の答案用紙。
出された課題に、友人達のからかい、それに親の文句。
それでも毎日は普通に過ぎて行った。
やがて学校の記憶から「真田舞」が消え、通学の景色から「真田舞」が消えた。
いつか俺からも「真田舞」が消えるのかな?
*****
空振りの空港の日から全部忘れようとしたけど、俺にはそれは難しいらしい。
時々留守電の声を聞いては考え、聞いては悩んでを繰り返した。
やがて俺は大学生になり、通学で使う電車が少し変わった。
新しい景色にもその風景の記憶にも「真田舞」は居ない。
それでも俺の中から「真田舞」は消えていないらしい。
留守電はもう聞いていないけど、どうやら男は女々しい生き物らしい。
それから何回か彼女も出来たけれど、やっぱり俺の中から「真田舞」は消えなかった。新しく出来た彼女と付き合った日々は誠実だったと思うけれど、一人になった時に思い出すのは、「真田舞」との電車の車内で話す、なんの変哲もない日常の風景だった。
スマートフォンの機種も変わったけど、どうやら俺は女々しいらしい。
いや、違うな。本当は違う。
何度も留守電のメッセージを聞いたからじゃない。
あの最後のメッセージがずっと気になっていたから、連絡を取る事が出来なかったんだ。
だって、お前、身体弱かっただろ?
小学生の時は入院ばっかしてただろ?
それにあのメッセージは…もう二度と会えない人みたいじゃないか…。
だからずっと怖くて、連絡が取れなかった。
だけど、俺はもう二十歳。
全ての不安を消してこれからの前を向く為に、俺の記憶の「真田舞」に別れを告げた方が良いと思いなおす。
だから多分、返事が来ても来なくても、届かなくても何でもいい。
これで最後だと決めて彼女あてにメッセージを打ちこんだ。
『久しぶり、元気にしてる?』
ほんの数文字を打つのに時間がかかってしまった。
気が付けば時間は11時59分…もうこんな時間だったのかと思い、送信ボタンを押して、ベッドでゴロンと横になった。
―明日も早いし、もう寝るか…。
「ピコン!」
「え?」
―まさか、そんな、いや偶然か?
起き上がる俺の心臓の音がドッ、ドッ、ドッ、と大きな音を立てる。
心臓の音はスマートフォンに手を伸ばす指先に響くようだった。
取り寄せたスマートフォンの画面を開き、恐る恐る開いたメッセージ欄に目を向ける。
『久しぶり、元気にしてる?』の文字に付けられた「既読」の文字。
そしてそれに続く彼女の『お陰様で元気です』の文字。
やがて返信の文字が滲んで、しまい込んだ思いも漏れ出して、嗚咽が溢れて溢れて仕方が無かった。
それでも俺は女々しい男だった。
情けない顔を袖口で拭うと、ほんの1分前の自分の決断の全てをひっくり返して、通話ボタンを押した。
1コール、2コール、3コール…
自分の心臓が口から飛び出るかと、息を飲んで待っていると、通話口の向こうから懐かしい彼女の声が聞こえて来た。
「はい…」
「あ、青山です」
「…ふふふ、真田です」
あぁ、ダメだ…。
変わらないのんびりとした声に、一気に時間が巻き戻る。
あぁ、ダメだな俺…。
本当に、女々しい。
「…グズっ」
「え…青山君、泣いて…ます?」
「…俺のは…うれし泣き…」
「…うん」
彼女の声を聞きながら俺はベッドにゴロンと転がった。
そしてゆっくりと目を閉じた。
ずっと真田の声が聞きたかった。
でも、そうだな。
その前にあの時、電話に出れなかった事を言わないと。
「あ~、あ、…ごめん、あの時、実は電池が切れて…」
電話の向こうで息を呑む声が聞こえる。
「真田?」
「ううん…違うの、私も電池が切れてたから…」
「そっか、同じか」
「…同じじゃないけど…同じって事で…」
「何それ?」
俺は「あはは」と笑い出した。
そうか、同じ電池切れか…。
そう思うと今まで抱えたままのものが一気に抜けだした。
だからかな?多分だけど無意識的に、何も考えず「これは言っとかないといけないな~」って感じで声に出していた。
「俺、真田の事、好きみたい」
「え?」
「あ?あれ?、俺なんか言った?あれ?」
あれ?
俺、もしかして変な事言った?
しまった、やらかした?と、自分の無自覚を振り返えろうとした時、俺の耳に真田の返事が届いた。
「じゃぁ、私も好きになって良いですか?」
「え?」
「え?あれ?、青山君?」
「あ…いや…良い…です」
「あ…えっと…」
しまりのない会話。
だめだ、女々しい俺は卒業だ。
だから勇気を絞り出すように、俺はその言葉を口にした。
「俺の事…好きになってよ…真田…」
「…はい」
俺の願いの返事は、のんびりとして優しい声だった。
*****
「もう、電池は切らさない事」
その日の最後に交わした会話は、妙な約束事だったけれど、一番しっくりと来たのだから仕方が無い。
切りがたい通話を終わらせた後、俺はメッセージアプリを開いて、文字に乗せて彼女に今の素直な気持ちを送る事にした。
『今度、そっちに行くから待ってて』
メッセージを送るとすぐに「既読」の文字が付いた。
暫く眺めていると、彼女かた返事が届いた。
『今度は、ずっと待ってるね』
その答えを胸にしまい込んで、お天気アプリで長崎の天気予報を確認する。
どうやら明日の長崎は、一日中、晴れになるらしい。
【短編】あの時はスマホの電池が切れたから さんがつ @sangathucubicle
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます