【短編】あの時はスマホの電池が切れたから

さんがつ

【前編】

それは高校二年生の夏だった。

おばあちゃんの初盆の法要も無事に終わり、明後日には家に戻る…そんな予定だったはずなのに、夕飯後のお母さんは突拍子もない事を言い出した。


「私、暫くこっちに残るから」

「え?どういう事?」


真面目な顔で言い切ったお母さんの様子に、齧ったスイカが口から零れそうになるほど驚いたのは「離婚」の文字が頭に浮かんだからだ。


「まさか…」


驚愕の表情を浮かべた私の耳に、いつもと変わらないのんびりとしたお父さんの声が耳に届く。


「う~ん。突然でも無くて、前々から考えていたんだけど、みんなで長崎に引っ越そうかって話」

「え?聞いてない」


突然訪れた引っ越し話に慌てる私に、お母さんは事もなげに言葉を発する。


「だって、今、初めて言ったもの」

「え?学校は?」

「秋に転校かな?」

「はぁあぁ⁉」


驚きに驚きを重ねる私に「だって、舞ちゃん一人で置いとけない」とはお母さん。


「し、進学!それに私の大学は?」

「こっちで受験かな~」

「はぁあぁ⁉」


一方的に告げられる自分の未来設計。

いら立ちを覚える私に「舞ちゃん、別に行きたい所は無いって言ってたでしょ?」と、一方的に話を打ち切ったのはお父さん。


「それと、これとは別でしょうが!」

「ま~もう決めたので!」

「~~~~~~~~~~っつ」


そうだった…私の両親はこういうが所ある…。

私は本当に頭を抱えてしまった。

そして考えた。

ならば最後の砦、生活費はどうする?


「お、お父さんの仕事はどうするの?」

「う~ん。実は移住を検討してるって話をしたら、こっちの支店転勤の話を勧められてね」

「…」

「ま、このご時世なんで、地方分散ってのが社の方針になったらしく…」


ニコニコと笑いながらお父さんがそう言えば、「じゃ、そう言う事で」とお母さんが話を締めて、話し合いと言うか、一方的な移住話は決着が着いた。




*****




そんな感じで我が家の移住が「既に」というか、決まってしまった。


その後の私と言えば、明後日に帰宅の予定も空しく、お母さんと共におばあちゃんの家でのんびりと過ごす事になった。

ようやく家に戻る事が出来たのは、夏休みが終わる直前。


長崎ののんびり生活が嘘のように、家に戻ってからは忙しかった。

引っ越しのスケジュールが10月の後半だったので、荷造りと転校の準備に追われたのだ。


そして明けた夏休み。

学校が始まると、本当に慌ただしくなった。

決して多くは無い友人とのお別れも、バタバタとしながらになってしまったので、最後に遊びに行く事も出来なかった。

けれど悲しんでいる暇が無い位に目まぐるしく過ごせたのは、返って良かったのかも知れない。


そんな感じで迎えた引っ越し当日の朝。

空港の展望デッキで飛行機を眺めながら、かつての友人達のお別れメッセージを確認したり、返事をしたりしていた。


「あ…」


スマートフォンの画面の中、私の指を止める通知マークが目に入る。


「青山君だ…」


青山君とは隣のクラスの同級生だ。

彼と私は同じ中学生の卒業生。そして今まで同じ高校に通っていた、いわゆる地元の友人である。


青山君とは中学も高校も一緒のクラスになった事は無かった。

接点の無い彼と仲良くなったきっかけは、高校1年の時のクラス委員で声をかけられたからだ。

私が初めて青山君を見かけた時、「何となく見た事があるなぁ?」とぼんやりと眺めているだけだったけれど、そんな私に「真田さんだよね?」と青山君が声をかけてくれたのだ。


突然声をかけられた上に、名前を言われて驚いたけれど、自分と同じ中学だったと知ってからは一気に距離が近くなった。

委員の連絡で何度かやり取りをするうちに、自然にメッセージアプリの連絡先を交わす仲になっていた。


とは言え、青山君と私は彼氏彼女とかそう言った距離では無かった。

当たり前だけど、地元が一緒なので最寄り駅も同じだし、通学時間も重なりやすい。

だから朝の駅で会えば、車内で揺られながら苦笑いを交わし、帰りの駅で会えば座りながら雑談を交わす、そんな親しい友人との距離だった。


今更だけど、せっかく高校へ行ったのに青山君以外の友人を作って遊べば良かったのかも知れない。

引っ越しの当日に青山君の顔を思い出せば、そんな事も頭を過る。


けれど、それも無理な話だったかも知れない。

私は子供の頃からあまり体が強くは無かった。だから、ずっと学校を休みがちだった。

高校生になって体力が付いたと言われたけれど、部活を始める気力とか勇気は無かったから、同じクラス以外の新たな友人を作るきっかけも少なかった。


そんな高校生活だったから、寄り道もせず、バイトもせずの日々で、学校と家を往復する毎日だった。

だから学校で過ごす以外の時間を共にしてくれたのは、通学列車の中の青山君くらいだった。


そんな青山君との日々を思い出せば、頭を過るのは罪悪感と、ほんの少しの後悔。

私は重い気分をため息に変えて、息を吐き切ると、青山君のメッセージを確認した。


「え…」


戸惑いの声が漏れたのは『今、そっちに向かってる…急すぎる』という青山君のメッセージだった。


「えぇ?」


突拍子も無い内容のメッセージに、頭が混乱する。


「ま、待って?」


今日は平日である。

学校である。

しかも今日から中間テストである。


「は?」


スマートフォンの画面の隅を見れば、時刻は8時22分。

まだギリギリ学校は始まっていない。

私は急いでメッセージアプリの通話ボタンを押した。


1コール、2コー…


「っ!!はい!!」


通話先のガヤガヤとした雑音の隙間から、慌てた青山君の声が耳に届く。


「あっ!あの、メッセージ見たけど、今…」

「ぁあ、今、っつ後で…」

「え?」


プツリと途絶えた青山君との通話。

途絶える直前に聞こえたのは、電車の発車音とアナウンスの音。


「まさか」


通話終了を表示するスマートフォンを呆然と見つめていたら、メッセージアプリの着信音が鳴った。

その音に驚き肩が揺れる。

震える指で画面をタップすると、そこにあったのは『どこ?』という、青山君からのメッセージだった。


「どこ…って」


空港ですが…?と、心の中で返事をしつつ、メッセージを返す。


『向かってるってどういう事?』

 既読

『そっちに どこに居る?』

『〇〇空港』

 既読

『やっぱり』


「え?、ちょちょちょ!!!」


青山君の返事に、こちらに向かってくる事を知った私は、急いでメッセージを送る。


『長崎行き9時15分だから、間に合わないと思うよ』

 既読

『間に合わせる』


「っつ…」


動揺で、上手く指が動かない。

早く打ちたいジレンマを抱え、息を吐き、ゆっくりと返事の文字を選ぶ。


『無理だと思うから良いよ ありがとう』

既読

『ギリギリまで待ってて』


「…どうして?」


既読の文字が霞んで見えてきた。

そして頭の中を巡るのは「何故?」の文字。


―なぜ?なぜ?なぜ…


頭を駆けめぐる疑問符に混乱する。

ざわつく気持ちを持て余す私の傍に、同じ展望デッキのベンチで休んでいたお母さんがやって来た。


「舞ちゃん。余裕を見て少し早い目に移動するから、あと10分程したら出発ロビーに行くよ」

「あと10分…」


―短い…


突き付けられた時間の短さ。

そして思い出すのは『ギリギリまで待ってて』と言った青山君の言葉。


「ごめん。お母さん、先に行ってて…」

「舞ちゃん?」


なけなしの勇気の言葉は、私の背中で流れる飛行機の音と、背中を押す風のせいでかき消され、「それは無理だ」と言われているようだった。


「…っつ、ごめん、それは無理か」


気持ちを誤魔化した顔は、苦い笑いを浮かべていたと思う。

だからお母さんは少し困ったような顔をしていた。


「うん。出来れば…なんだけど。舞ちゃんが走れそうなら、ギリギリまで待っていようか?」

「…うん、出来れば…」

「わかった。でもあんまりは待てないよ?」

「ごめん…お母さん、ありがとう。お父さんも…」


後からやって来たお父さんにも声をかけると、二人は元のベンチに戻って行った。

二人の背中を見送り、握りしめたスマートフォンの画面を急いで開く。


時間は8時27分。

電池の残量は半分。


「よし…」


ギリギリまで待つと決めた私は、腹をくくった。

さっきは「走る」と言ったけれど、それも多分無理な話だから、そう長くは待っていられない。

私は通知の無いスマートフォンの画面を見ては、飛び立たない飛行機を見てを繰り返した。

落ち着かない気分が訪れ度に「電話をするべきか?」、「メッセージを送るべきか?」を悩んだ。


そして悩みながら、新しい通知が届いていないかを確認し、また飛行機を見続け、数えきれない程のスマートフォンと飛行機の往復を繰り返していると、不意に閃きが降りて来た。


―そうだ、電車に乗ってくるはず!


訪れた直感の閃きに一筋の光明を見出した私は、時刻表検索でモノレールの到着時間を確認した。


けれど結果は残酷だった。

スマートフォンの画面に表示された時刻表は、私の希望が消えた事を表していた。


―青山君は、まだモノレールに乗れていない…。


青山君の通話が途切れる直前に聞こえた駅名は、学校の最寄りだった。


―そっか、あの時の時点で間に合わなかったんだ…


だったら青山君は、なぜ連絡をくれたのだろう。

なぜ、間に合いしない電車に乗ったのだろう。


―そして…間に合わないと分かっていて、なぜ、待っててと言ったのだろう。


消えない疑問で、胸が熱く重くなる。

私は震える指でメッセージアプリの通話ボタンを押した。


1コール、切れる。


再び通話ボタンを押す。

1コール切れる。


青山君が切ったのかも知れない。

いや、きっと電波が途絶えたのだ。


思い直し再び通話ボタンを押すと、通話に切り変わる。

けれど期待した青山君の声では無く、通話口に出て来たのは女性の声だった。


「留守番電話サービスへ案内します…」

「あ…」


―そっか。


「メッセージをどうぞ」

「…あ、青山君…ごめんね…多分間に合いそうにないから、無理しないでね。今までありがとう。もう行きます…」


―もう、ダメか。

そっか、そっか…。


一度ありがとうと口にすれば、それで私の気は済んだのかも知れない。

喉の奥から出て来る言葉をグッと飲みこめば、気分を立て直し、両親の待つベンチへ向かう。


「ごめんね~。やっぱり、もう大丈夫みたい」

「いいの?」

「うん、青山君だった。こっちに来るってメッセージがあって、驚いて…」

「そう…」

「でも、絶対に間に合わないから、もう良いかなって」


もう良いといった手前、私は努めて明るい表情を作る。


「大丈夫…?」

「うん、大丈夫。留守番電話にメッセージ残したし」

「そっか、せっかく仲良くしてたのに、最後に会えれば良かったのにね…」

「…そう、だね…」


少し肩を落とした私。

お母さんは、慰めるように私の背中を押して、出発口まで一緒に歩いてくれた。


そう。

青山君に抱いた罪悪感とほんの少しの後悔の理由。

それは、青山君に引っ越しの話を一切しなかった事だ。


だって、聞かれていないから。

…と言えばウソになる。


そう、言えなかった。

だって、お別れするって分かってて、どうすれば良いかなんて、私には分からなかった。


だって、好きですじゃなくて、これから好きになってもいいですか?って怖くて普通は聞けないよね?


罪悪感とほんの少しの後悔を残し、それも心の底にしまい込む。

青山君への思いはきっとまだ恋にはなっていない。

そんな未消化な感情はきっと時が経てば消えると思う。


割り切れない気分のまま、これでもう本当に最後だと未練がましく、スマートフォンの時刻を確認する。

時間は8時45分。

新しいメッセージは何もない。

震える指で文字を打って、メッセージを送る。


『電話しました。留守電に残しました。今までありがとう』


既読は付かなかった。

私はそこで電源を切ってしまった。

だって既読の文字が怖かったから。


そうだな。

もしいつか、青山君にこの日の事を聞かれる日が来たら、スマートフォンの電池が切れていたと嘘を付こう。


多分、青山君は私の嘘を信じてくれると思う…。




*****



飛行機に乗ってしまえば、あっという間に長崎に到着した。

そこからおばあちゃんの家に電車を乗り継いで向かう。

秋の少し乾いた風の心地の良さに、電車の乗り継ぎも苦では無かった。


だけどカバンの底にある、電池の切れたスマートフォンの事を思うと、心が痛かった。

だから私はずっとスマートフォンの電池切れを継続させた。

だって、もう充電をするつもりは無かったから。


やがて引っ越しの作業も無事に終わり、部屋も落ち着いた頃、私は忘れていた疲れが出たらしい。

熱が出て、ベットから出れなくなった。

お父さんとお母さんは凄く心配をしていた。


あぁ、中学の時もこんな感じだったな…なんて思いながら、その日は寝たり起きたりを繰り返した。


ふと、気が付くと、見慣れない天井が見えた。

あぁ、そうか。

引っ越しをしたからか…と思ったけれど、漂う匂いの懐かしさに、自分が病室に居る事を知った。


不意に目が覚めたベッドが自室のベットでは無いなんて、小学生の時以来だ。

嬉しくも無い懐かしさを思えば、涙がぽろっと零れだした。


そっか。

またここに帰って来たんだ…。

やだなぁ。

もう高校生になったのに、まだ泣くなんて…。


そんな風に、どこかで冷静なのは少しは大人になったからかな。

滲む涙を袖口で拭って、自分の惨めさに呆れていると、お母さんが病室にやって来た。

お母さんはずっと泣きながら謝っていたから、私は大丈夫、気にしないでと言った。

けれどお母さんは、私のせいだから…と言ってずっと泣いていた。


「だれのせいでも無いよ」


私は心の底からそう思う、素直な言葉を口にした。


病院で過ごす懐かしさに慣れた頃、お父さんが長崎への移住の詳細を教えてくれた。

おばあちゃんの住んでいた長崎の田舎の家は、都会よりも空気が良いし、大きな病院もそう遠くない。

時間の流れがゆっくりだから、私がのんびりと過ごせる環境だし、身体にも心にも良い場所になりそうだから、いっそこっちで暮らしてみてはと、親戚からそんな提案が出たそうだ。


だから移住自体はずっと前から検討していたらしいけれど、私の体力が心配で出来なかったとも。

初盆も本当は止めておけば良かったのかも…とお母さんが言った時は、「それは私の方が悲しい」と答えた。

お父さんは「そうか」と言って笑っていた。


私はもう高校生で17歳だ。

だから「いつ出れる?」とは聞かなかった。

小学生の時に何度も聞いて両親を困らせた記憶があるから、その時に一生分は聞いたと割り切って、我慢して退院の日を待った。


入院中にお母さんからは、携帯電話の事を聞かれたけど、使えないし、使う事もないから要らないと言った。

素っ気ない私の答えにお母さんは寂しそうな笑みを浮かべていた。

入院しても退院してもそれは変わらない。私のスマートフォンは、あの日からずっと電池切れだ。




*****




退院してから1年が経った。結局新しい高校には行っていない。

自分の人生の最終学歴が高校中退の中学卒になるとは思わなかった。


のんびりと暮らすはずの長崎へ来てから、私は入院と退院を繰り返した。

けれど、ここ最近は落ち着いて、家でのんびりと過ごせてる。


お父さんの言う通りここは良い所だ。

お父さんの言う通り長崎の空気は美味しい。

それに青山君も居ない。

だから空気が軽くて、気分も楽だった。


長崎は今日も晴れだった。




*****




体調が落ち着いてくると、今度は自分の学歴が気になった。

私は悩んだ末に通信制の高校生になる事を決めた。

出来る事、出来ない事、したい事、なりたいもの。

長崎へ来てからは、ゆっくりと考えて、ゆっくりと決める事にした。

きっとこの田舎の空気感がそれを許してくれるのだと思う。


そして知った事が一つある。

人間は自分の行先を決めると、過去に向き合う事ができるようだ。

と言うのも、そろそろ電池の切れたスマートフォンを充電しないとね…と考える様になったからだ。

多分、私は少しは大人になったのだと思う。


私はずっとスマートフォンを見るのが怖かった。

それは青山君のメッセージが怖かったからだ。

青山君のメッセージが有っても、無くても、どちらの可能性でも私には怖かった。


だけどいつの間にか、もう会わない人だし、そんなに気にしなくても良いのかな?と思うようになっていった。


「でもなぁ…」


まだもう少しだけ、電池切れは継続させても良いかな。

だって今の私は、まだ勇気が切れているようだから。




*****




退院の日から約2年。我が家に朗報が舞い降りた。

新しい治療薬が見つかったと主治医の先生に言われた。

先生の話によると、これから1年位かけて、ゆっくりと治していくとの事。


そっかぁ。

治療の目途がたったのか。


実感の出ない治療の話に、両親は喜び、泣いていた。

そんな両親を眺めながら、今までを振り替えれば、長崎に来てから随分と長い時間が経ったかのように思う。

そう言えば、明後日は私の誕生日だ。


とうとう私も二十歳になる。

ならばと、20歳なった記念に、スマートフォンを再起動をしようと思いついた。

まだ治療は始まっていないけど、何となく気分が良い。

それに厄落としでは無いけれど、再出発として縁起が良いような気もする。


あぁ、そうか。

多分だけど私は随分と前向きになっているんだ。


そんな自分の前向きさに気が付けば、自分を誇らしくも思い、「ふふふ」と声を出して笑った。


自室へ戻ると机の引き出しから、使わないまま古くなってしまったスマートフォンを取り出した。

私の多くない学生の思い出はこのスマートフォンの中にある。

だから両親は支払いを続けてくれてのだろう。

使わないのにずっと支払いを続けている親には頭が上がらないな。


それにスマートフォン君にも悪かったなぁと思う。


「ただいま。遅くなってごめんなさい」


そんな気持ちで充電器に接続をすると、『充電中』へ画面が切り替わる。

通電した事に安堵しつつも、ずっと放置したままだった私との再会を待っていてくれたようで、何だか妙に愛おしい。



―スマートフォンも私も、再起動まであともう少しだ。

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