ご縁はたけなわ

第23話

「なあ、ククリよ。あの件のことだが」

 足を組み替えて、アガタこと愛染明王はわざと仰々しく店主を見た。店主の繭澄緑子ことククリヒメノカミは気が揉めているように、店の外を見つめていた。

 手作りショップ・まゆずみには、先ほどまで瓜生由亀と燦空未果がいた。アガタが連れて行った蕪木久仁ことカブラまでがいた。自称、「ヒメ様の忠実な忠臣」のトートロジーさえ気にしない天使はスーツにエプロン姿で、この二月の寒空の下、店前の掃き掃除をしていた。そいつを、当事者達の集合にカウントしていいのかどうかはさておくが。


 つい先日までファンタジックな現実に、それこそご縁がなかった未果のために、一応の説明会を開くことになったのだが、言い出しっぺが緑子だったので、下ネタ方面の身の危険を回避するために、由亀も参加したのだった。

 あの一騒動からすでに一週間が経ち、日曜日だからこそゆったりと長時間でも聞く耳を立てていられるはずだった、のだが、

「アナルの小さい連中が、カブラを使って、姑息なことをしでかそうとした」

 未果の手前、表現には教育的配慮をと由亀からさんざん促され、心底ウザったそうだった緑子が、ことわざの直接的な部分に気を付けた結果がこれである。まったくオブラートのベクトルを明後日に向けてしまっている。

「いや、ククリよ。アナルは形容詞だ。ここはアヌスと名詞にする方が正しいだろ」

 などと、語法の誤用を冷静に訂正している場合ではない。

 緑子専属の熟達した通訳・瓜生由亀が右記の一文を翻訳すれば、つまりは、神様とか仏様とか天使様のお住まいの神界だかなんだかのちょっかいが直接的な原因だということだ。

 しかし、間接的な原因として、より簡素な疑問に至る。なぜ、ククリヒメノカミが地上でテナントのオーナーをしているか、ということである。

「天界を去ったのは地上の時間で言うと、一年と少し前だった。率直に言って、疲れていたんだ。人も天上界のやつらも他人任せ。私に言えば、なんでも叶うと思っているのかと、キレたくなるほどいつもいつもいつも申し出てくる。だから、一通りの仕事の見切りができたところで、休暇を願い出たのだ」

 天上界の休職届の提出先を由亀も未果もひどく気になったが、緑子達のヒエラルキーなんて理解できそうにない。

「まあ、あっさり却下だったわけだ。なので、置手紙をしたためた。で、逃げた」

驚きを「え~」とでも驚きを示したいのだが、言った途端に緑子から反撃を受けかねない。きっと倍返しどころの騒ぎではないだろう。

 神様の職場放棄。天上界にしても、この地上にしても一大事。

「あがめる存在がいなくなったのだから、人が神を敬わなくなる危険性がある。縁を結ぶということで神の威厳、人の及ばない、異なものを扱える優位性はなんとしても保持しなければならない。そこで、ククリの権限のごく一部を群類に委譲し、業務拡大とともに活動の自由度を上げたわけだが、適度に結ばれ、適度に切られる。叶う願いと叶わない願い。どちらも必要なのだ。そうでなければ、叶うありがたみがなくなってしまう。そのことは、つまり人が手を合わせた相手・神の威厳の希少性の維持になるのだ」

 アガタの語りに言葉のない二人。人間には知らせられない、まさに天上界の不都合な真実。

「そもそも、縁が結ばれる結ばれないの、微妙な匙加減はククリしか分からないからな」

「それがどんだけ神経使うか、分かるか? 視力二.〇なのに老眼鏡かけて脳外科手術するより難しいんだぞ」

 この緑子の嘆きよう。聞いているだけで未果は肩がコリ、結切自在・由亀は肩に関取がのしかかってきたような気分になった。緑子が健在だったころの天上界だか天界だかは、緑子におんぶにだっこ、責任集中、丸投げだったということである。その労務時間は、

「人間の時間でいえば、二〇〇〇年間休みなしだ」

 だそうで、由亀も未果もげんなりした。

「それで、一年とんずらこいたら、この騒ぎだ」

 緑子の嘆きももっともだ。ある意味全面信任だ。けれども、代替役や後任を用意するくらいの段取りくらいあってもよさそうなものだ。蔦化の事象にうろたえるばかりの天使と同じで段取りの悪いこと。

「杜撰だな、まったくもって」

 と言うわりには、のんきにお茶を啜り煎餅を噛み砕く明王。霊験あらたかなはずの方々に手抜かりが豊富というのは、人としてあっけにとられるのだが、

「いや、それより。えっと……」

 由亀は、スマホの電卓ではじき出してみた。二〇〇〇年働き続けて一年の休みは、五年半ぐらい働いて、一日しか休みがないという計算。

「どんなブラック企業だよ」

 ため息もいいところだ。以前、カツが言っていたことがある。群類といえども一年三六五日二十四時間働いているわけではないと。タテも似たようなことを言っていたことがある。群類の労働組合がどうなっているかは知れないが、「そりゃそうだろ」とその時由亀は思っていたが、群類よりも上位の存在が労働基準法を逸脱した勤務実態だったわけだ。緑子にねぎらいの気持ちがわいてくる。

 それにしてもどこかしこも組織に暗部があるのなら、天界が人間社会の鏡なのか、人間社会が天界の投影なのか。

「そちらの世界には、訴訟を起こす司法機関はないんですか?」

 未果がまっとうなことを言う。しかし、それがあればとっくに緑子が提訴しているだろうし、そもそもここにはいないだろうし、あったとしても、原告の提訴棄却だったのだろう。だから、エスケープしたのだ。

「ん? そういや俺が力を発揮し出したのも一年くらい前だな。それって……しかも赤い糸を結ぶと切る両方できるってのは……」

「言っとくが、お前は私の子ではないからな」

 なぜか両手で体を抱き、半身になる緑子。しかし、その表情は由亀をおちょくる時のそれである。下ネタを、ゴムパッキンがおじゃんになった蛇口から放水しているようにしている割に、こういう時はえらくまともな反応をとる。

「知ってますよ。計算どうすりゃその発想になるですか」

 ほんのり頬をピンク色にして、そっぽを向いて愚痴るようにつぶやく。女子ではあるまいに、由亀が恥ずかしがる必要はない。いつもどおりにツッコミをいれればいいものを。大体、計算と言っても緑子は人間年齢でギリ二十代設定しているのであって、実年齢は違う。そのことを由亀は失念している。

「冗談だ」

 語調も行動も全く冗談ではないのだが、

「私も由亀と初めて会った時はびっくりした」

「してた?」

 ここは張りのある声でまともにツッコめた由亀。その時のことを、どんなに思い起こしても今とまったく変わらない接し方だった。緑子がびっくりする様子などまつ毛先ほどもなかったはずである。

「まあ、まだまだ私のつま先にも及ばないが、意味的に由亀の能力は私のと似ている。私が地上に来たことと影響が全くないとも言い切れないが、私にも分からん」

女神が分からんとおっしゃっているのだ。納得しなければならないだろう。

付け加えてである。アホなキューピッドは、カブラというのが本名で、蕪木久仁は偽名。しかも、下の名前なんぞ訓読みで読ませているが、音読みすればキューピッドに近い。

 愛染明王は、アガタというのが本名で、あふろでぃ~てで通そうとしていた。

 となれば、

「緑子さんて、なんで緑子さんていうの?」

 ククリヒメノカミのどこをとっても、見知った姉御の名前にならないことを疑問にしたのだが、

「は? 縁と緑が漢字似ているからに決まっているだろ」

 この男子高校生には知識がないのかとでも言わんばかりで、眉をひそめすぎている。ククリヒメノカミに「決まっている」と言われたら、人間の未成年男子は自戒自重しなければならない。

 打って変わって、

「あの……緑子さんはどうしてこの場所を選んだんですか?」

 未果が訊いてもよいものかとためらいがちだ。当市の一の宮である。目立つとは思うのだが。

「そういや、地上における本拠地ともいえるテナントを神社の真ん前にいるってのはな」

 先ほどのせめてもの反撃だろうか、由亀も少し揶揄を含んだ言い方をする。

「だからだよ。まさか逃亡者が真向いにいるとはだれも思わないだろ」

 こともなげに答えが返ってきた。確かにその通りだ。天上界の権威の代弁者みたいな存在が、地上の代行機関の真向いに逃げ込んでいるとは思ってなかったから一年も足がつかなかったわけだ。

 ククリヒメノカミを拝する社は全国に数多ある。そんな数の緑子がいたら、大変なことになる。

「社はワープの拠点みたいなもんだ。移動する時は楽なんだ」

 インターネット・プロバイダーの中継地点みたいなシステムが太古からすでに成り立っていたわけだ。それにしても神社は人間が建設したはず。そこを移動できるとは神の権威というか権力というか能力というか、なんでもありだ。

「バイタルスプラウトの調査もあったしな」

 最近、赤い糸が蔦に変わる現象が起こるようになったと言う。赤い糸の栄養失調と栄養渇望状態と言ったところか。それがああいう形状になるらしい。恋愛の情はあるが、どうしたらいいか分からない、そういう状態の人に起こる傾向が高いと分析されているそうだ。それにしても天界だか何だか界は、ミディウム然り、英語表記が流行っているのだろうか。

「それなら、川岸もそうだったってことだったのか?」

 そんな疑問はどっちでもいいので、発症したクラスメートのことを確認する。確かに恋愛というより彼氏という存在を望んでいた川岸。お気に召さなかった告白の積み重ねで、由亀や未果にも知れないところで、何か欲求がたまっていたのかもしれない。占いの予約もしていたし、今も柳戸相手に愚痴っているらしい。さきほど柳戸からメールが来ていた。

「ああ、あの娘な。あれが発芽すると心身の不調が顕著になる。ゆ~きが先に手を出してしまって、まだまだゆ~きは扱いが雑だからな。私がふぉろ~しておいてやったのだ」

「なら、なんで街中が、そのバイタルスプラウト状態になったんだ?」

 アガタの説明によれば、あの蔦は優れて個人的な傾向のように聞こえる。

「群類の上層と、私達に近い一部が細工したのだ。カブラに餞別と言って渡した弓と矢に仕込みをしといてな。理由は簡単。あいつらは権威を欲しがってんだよ。私達に近しい連中もククリの力に及ばない。ククリがいなくなった後の群類の拡充、赤い糸を操り、自分達のいいように人間関係を形成する。バイタルスプラウトとなれば尚だ。人にはどうにも分からないそんな状態を改善できるとなれば、あいつらへの信仰心も生まれよう」

 ――で、あれが起こったってことか。てことは、燦空さんのあれは、恋のせいではなくて、あくまでカブラの仕業が原因でなってしまったってことか

「ん?……最近?」

 危うくスルーしそうになっていたが、由亀は眉間にしわをつくる。さっき、緑子は「人間の時間でいうと二〇〇〇年」と愚痴っていた。ということは、時間の速度は人間のものと違うということかもしれない。それならば、その「最近」というもの、由亀達の時間感覚と相違があり、となれば、緑子がエスケープする前から地上でそれが起こっていたとしても、それを研究しに、それを司る存在がご足労しに来るというのもない話しではない。だからこそ、額から光線放射という特撮じみた必殺技を対処法として出したのだろう。ましてや、由亀が初めて見たバイタルスプラウトが川岸の例の件だったたけで、知らないところで育っていたなどとは容易に想像できる。

「あの蔦、バイタルスプラウトでしたっけ? 修復とか、そもそもああいう形状にならないような結論には至ったんですか?」

「至ったんだったら、とっくに完治している」

 何をとんちんかんなことを言っているんだとでも言いたげな視線だ。緑子の言う通りである。川岸にも街中の人にも、そして未果にも発芽したのだから、それがまだ起こり得ることは証左である。

「そういうのを放置っていうか、利用する天上界って、ありがたみあるんですかね?」

「その通りだ。人の及ばないことに手を挟むことで自分たちの利己心を満足させている連中だからな。時代が変わり、人が敬うことをしなくなったから、それに代わることとしてそういうことを始めた、実に小手先で、せせこましい」

 辛辣この上ない。そりゃククリヒメノカミが言及するくらいだから、「この上」があったら、どんな言い方になるのだろう。まさに触らぬ神に祟りなしである。しかし、キューピッドを介して「触って」しまったので、それを仕掛けた連中とやらは、きっと祟られるのだろう。現に、緑子が本気でブチ切れているのが分かったらしく、アガタ曰く、「私が何も言わんでも、『しばらくは姫様の御随意に』と震えていた」そうだ。

 だから、それを緑子に言わせれば、

「アナ……」

「みなまで言わんでいい!」

 両腕をクロスし、バツ印を作る。しかし、ここまできても由亀は何度となくカツとタテに言いを諭された反省はないようだ。愛染明王相手にもミディウムは「お前」呼ばわり健在である。こんなんだから、ニックネームをつけられ、あまつさえ狙われているのだ。由亀はそろそろ自覚した方がいい。

「あの」

 由亀がある閃きを持つと同時に、未果が横で手を少し上げていた。

「緑子さんは、どう思っているんですか? その赤い糸のこと」

 まさに由亀が抱いた疑問だった。そもそもというか、未果は赤い糸と言ったが広義には縁というシステムが成立している人間関係。それを作り出したであろう天界の重役の見解は傾聴に値する。

「人が縁を結んでほしいと願うことも、結ぼうと努力することも、切ることも、人の、人と人との関係の在り方で、そこにある思いの在り方次第。私らがあえて結んだり、切ったりしなくても、人間がもがいてそうしていけばいいんだ。私らができるのはせいぜい赤い糸に栄養剤を与え、人間が発芽させたら伸ばす手伝いをすることくらい。その加減が難しんだが。人は一喜一憂し、翻弄され、傷つき、また喜び、そして、すがる。そうやって思いが育まれるんじゃないか。それに縁は恋人との間だけとは限らない。家族、地域などなどなど……。私が喜ぶような縁を築くこともあれば、驚く縁を築くこともあるし、悲しくなってしまうような縁になることもある。数えきれないほどな。それが縁というものだと言ってしまえばそれまでだがな。そんなシステムにしてしまった以上な。

 まあ、バイタルスプラウトみたいな状態にもなるような時代だから、由亀。これから忙しくなるぞ。なんか今まで見たことないような形状や結び方の糸が出てきてるからな。私が行ってもいいが、面倒だ。由亀お前がなんとかしろ。これからもっと手ごわい縁と向かい合わなければならなくなるからな」

 してやったりな不敵な笑みになっていた。

 ――そういえば、あのモテ男のストーカーみたいに黒く色が変わるのを見慣れてるってのも、どうかと思うよな

 神が面倒くさがることを人間に押し付けている時点で、その業務が尋常ならざることになるだろうと容易に推測でき、由亀は頭痛が催される心地がした。

「瓜生君もそんなこと言ってたよね」

 未果が柔らかく笑んで言った。

「由亀が?」

 そこには緑子も不思議そうに首を傾げた。

「はい、だから力を使うんだって」

「「ほう」」

 緑子とアガタが意味ありげな視線を送るから、由亀は二人に背中を向ける。

 社会は無縁ではない。ある人がいなくなった瞬間、それはその人がいた社会とは違ってしまう。とはいえ、その人がいた社会は、その人がいたからこそ成り立っていた。人々が何かしらの関係性で、赤い糸でなくとも繋がっているのだ。その気になれば、人間全員がミディウムになれるかもしれない。縁を結びたいのか、切りたいのか、その心を全うできるのであれば。芽生えた思いをはぐくみ、どう関係を結び、紡ぐか。関係性の創造、つまり社会がどのような姿に成るかは、人次第なのだ。赤い糸が予定調和なら、その未来を知りたくもなる。

「愛を、数千円の貨幣に交換して、占いに委ねることの方が安易だろ」

 まったく頼りにならなかった下僕なキューピッドが、いつの間にか店内におり、狂乱したのが嘘のように述べた正論には、どことなく説得力があった。だからといって、カブラを敬うかどうかは、全く別の話しである。

 また、それを誰かの意思で結べるものならば、結ばれたいと願うのも無理からぬこと。けれど、人はそれを分からない。分からないから、その関係性を作り上げようとしていくのだ。いろいろな心、思いを抱きながら。

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