第22話
「あの……。私、帰ります」
慌てて身を翻そうとする未果に、
「瓜生由亀ですか」
占い師が名を告げると、未果の動きが止まった。
「彼はやめておいた方がいい」
「何言って……」
「彼はこれから私の手となり、足となり動いてもらうからです」
「……?」
薄気味悪さで額からじっとりと嫌な汗が出そうになる。
「群類とでも言えば、察していただけますか? 知っているのでしょう? カツやタテと接したことがあると聞き及んでおります。まあ、ついさっき気になって調べただけですが」
「あなたも……?」
――あふろでぃ~てだけじゃなくて、また変なのが……
直感が告げていた。また由亀の身に危険が近づいていると。あふろでぃ~ては、あの銛だけでなく、その上妖艶さも半端なく物騒である。それに対して、この男は占い師をして、しかも人気がある。地上に根を下ろしたようにして、何かしらの計画を進めているのも知れない。不気味さはあふろでぃ~てより勝っている。
「いえいえ。『あなたも』という意味がよく分かりませんが。私は群類の者ではありません。ですが、それ以上の力を有するものです」
言って、占い師が両手を広げた瞬間である。境内を十人十色に散策していたセミナー参加者はその場で気を失い、その胸の中央部から糸が飛び出し、宙を蛇行し始めた。
「赤い……糸?」
未果にも見えた。それがまぎれもなく赤い糸であると。糸が赤かったからである。
「お楽しみはこれからです」
占い師は掌を水平に掲げた。すると、そこから長さ一〇センチ強ほどの光の矢が無数に、ロケットのように四方八方へ飛び出していった。
間もなく、暗澹とした空を背景に、数えきれないほどの赤い糸が竜巻のように空に伸びていき出した。
「この街中の赤い糸を引き出した。これをどうするか? 君に分かるかな? 燦空未果さん」
「……」
言葉にならなくとも、結ぶか切るかしかない。カツやタテ、あのあふろでぃ~てと名乗る者しか知らない未果でも、この街のどれくらいの人々かは知れないがその赤い糸を一斉に引き出すのが、尋常な力でなく、それをこの男が一個人の意志で扱おうとしていることぐらい分かる。
焦りとともに、胸の奥にふつふつと熱く、そして拍動する情感があった。怒りである。
「勝手なことしないでください!」
結ぶにしろ、切るにしろ、この男が勝手にしていいわけがない。由亀が邪魔をしているという理由の動機に触れた気がした。
「ああ、私はしないさ」
「……? え?」
赤い糸を無理やり出しておいて、結ぶも切るもしないとは彼の言う意味が分からない。渋い目つきになる。
「ミディウムと言われているでしょう、人間風情が。ですが、ちょうどいいとは思いませんか? そんな人間こそがこれらの赤い糸を好き勝手にすれば」
「瓜生君に委ねるって言いたいんですか?」
「その通り。群類にちまちまやらせるのではなく、人間にやらせればいいでしょう。何か問題がありますか?」
「あなた、人の気持ちをなんだと思ってるんですか?」
言いながら怒りがふつふつと溢れ出していた。この男は何の悪びれた感じもなく、薄ら笑いさえ浮かべているように見える。
「心外ですね。私は十分理解していますよ。大切な人と結ばれたい。想いを遂げたい。あるいは付き合ってみたら違ったから別れたい。人達のそんな想いでしょう? 尊重するに決まっているじゃないですか。だから」
「それを瓜生君にさせるって」
「そうです。人の想いを人が叶える。私達がしゃしゃり出なくても、スムーズに解決できることでしょう」
「違います!」
「どう違うんです?」
「とにかく違っています!」
赤い糸を結ぶ、切る。このシステムが成立している構造があるのだろう。けれど、未果にはそれが分からない。分からないが、いや分からないからこそ、一人の人間として、この男がしていることに嫌悪感を催していた。理屈でなく、この男の言いを否定したかったのだ。
「まったく、人は面倒な存在ですね」
蕪木が未果に手を伸ばしてきた。とんちきな輩に歯向かう女子高生の方が素面だと言えよう。
「燦空さん!」
その場に駆け付けた男。結切自在ミディウム瓜生由亀。その両サイドには赤い糸を結ぶ群類・カツと、赤い糸を切る群類・タテが武器を片手に仁王立ちしている。
「瓜生君!」
「大丈夫? 燦空さん」
「ええ。でも、みなさんが」
境内の女性達の胸部から赤い糸が立ち上り、海中の海藻のように揺らめいていた。
「おい、何してる!」
この場面で、見たことのないスーツ姿の男が一人悠然としており、未果が対面して苦々しそうな顔つきをしている。とすれば、由亀からしてこの男に追及を迫るしかない。
由亀が求める回答を聞き出す前に、
「どうやら群類じゃねえな」
カツはショットガンを、
「知らん者に勝手されては、気分が悪い」
タテは巨大和鋏を構える。
「おやおや、本人ご登場は歓迎しますよ。お呼びした、と言った方が正確でしょうか。こんな風にすれば、きっと来るだろうと推測していました。相反する群類の者を率いるなんて、さすがと言ったところでしょうか。私は蕪木。巷間占い師として活躍中。午前中にはこちらの燦空さんがお越しになってました」
男はやれやれといった具合に肩をすくませ、のらりくらりと言い逃れじみている。
「え? 占い? いや、ンなこと聞いてんじゃない。何者で、何してるかって聞いているんだ」
「そうですね。まあ、隠す必要はないようですし」
言いながら、未果から離れていく。それは由亀にとっては安心材料だが、その男の足取りが余裕ぶっていてむしろ気味が悪い。
「らしい格好にでもなりましょうか」
いい感じに仕立てられていたスーツを脱ぎ、宙に預けると、男は一回転をした。
由亀ら三人の正面に向いた男の姿は、
「……は?」
由亀が眉をひそめて半疑問を言い、
「脱ぐ必要あった?」
カツがショットガンの銃口で背中を掻き、
「……あ。知ってる顔だった……」
タテが顔をしかめ、力なく露骨な言いになってしまい、
「……」
未果は口を手で押さえる羽目になった。
学芸会で着るような全身白タイツで、背中にはディスカウントストアにでも売ってそうな、しょぼい羽根をつけ、黒髪の色は明るい茶色になり、頭上には月桂樹の冠をかぶっていた。
「気色悪いな」
人間でいえば三〇代に見えた男の格好である。由亀でなくともその一言に尽きる。
それよりも、由亀が気にしたのはそこではなく、タテがこぼした何かに気付いたような一言だった。
「もしかして知り合いか?」
「いや……私よりもカツに訊け」
タテが片手で顔を抑え、げんなりしている。頭痛ではなくいたたまれなさで顔を隠したいのだろう。
「人間の姿だったからまったく気が付かなかったが、言いにくいんだがな」
カツも、ほとほと参ったと言いたげな表情を浮かべていた。
「早く言えよ」
「その方、キューピッドだ」
言いにくいことを言うためか、早口だった。だったが、人間二人は聞き逃さなかった。だから、
「「………………は――――――――――――――――――――――――っ?」」
由亀と未果。距離を取っていながらも実に連携が行き届いたハッピーアイスクリームだった。絶叫の「叫」を「驚」に変わったくらいの発声。
天使の中でも恋愛を司り、その弓と矢にて、恋を成就させる存在。
「ほら、イメージ通りでしょ」
男の片手にはハーブが、もう片方にはそれと同じくらいの大きさの弓が、腰には矢を仕込んだ筒が仄明るい光の後に現れた。
「あいつ、なめてるだろ? カツ、お前群類にいてあんなのがもしかして上司とか言わないよな」
あきれる様子を隠しきれず、ぶしつけを承知で天使を揶揄する。先日行った絵画展の作品には、こんな崇高の欠片もない天使は描かれてはいなかった。
「直属の上司じゃない。が、あんな格好してなかったし、今までに二回くらいしか見たことないけど、ゆうき達が絵画とかで見るような気品はあったような……」
「あれが?」
テンシ・カツの言い分がどうにも信じられず、指さしながら視線が淀んでいる由亀に、
「あっちではな、……それなりにな……」
アクマ・タテまでもどこか申し訳なさそうな、歯切れの悪さである。
人間の言いに左右されてはならないし、縁を結ぶ象徴の一つとしてイメージされてもおかしくはない存在をその方面の群類に属する自らが、率先してそのとんちきさを指摘するわけにもいかないし、かといってこの姿の御方を敬う心情にもなれない。
「人間の想像力の豊かさだけは褒めてもいいだろうな。この優美な姿を絵画に残し続けたのだから。私の名は、カブラ。キューピッドの役目を仰せつかっている者の一人」
この格好を称賛できるのはきっと鏡を見ていないからに違いない。
「で、その気色悪い天使が何してんだ?」
とはいえ、この気色悪さをネタとして引っ張っていても埒が明かない。
「口が悪いですね。キューピッドが悪事をなすなど思っていますか?」
街中の人の赤い糸を引っ張り出し、失神させている時点で善事ではないだろうが、少なくとも本人はまったく悪びれていない。
「気を付けて、瓜生君。この人、瓜生君を利用としているの!」
「なるほど」
「そういうことか」
未果の一言で、群類の二人は合点がいったようだが、
「俺がまだ分かんねえのに」
当の本人は皆目見当がつかない。
「つまりだ。この方はゆうき、お前を神様にしてえってことだ」
「縁結び、縁切りを司る存在に祀り上げようというわけだ」
カツに続いて、タテも説明するが、
「あ? まったく意味不明なまんまだわ」
まったくもって理解できていない。
「俺らが介入せんでもいいように」
「ミディウムであるお前に責任をなすりつけようということだ」
ようやくにして、この気色悪い愛の使者の意図が分かると、
「ほんと、どいつもこいつも勝手この上ないな!」
その考えも気色悪いと、男子高校生は自らの体をギュッと抱き、身を捩る。
「「お前が言うなよ」」
その人間によって散々業務を妨害され続けたテンシとアクマは、そんな由亀を見てあきれる。
「さあ、瓜生由亀、お前の思うまま赤い糸を統べるがいい」
気色悪いキューピッドはさらにおぞましい宣言をした。自己陶酔しているとしか見えない。大の字になり、天を仰いで叫んで。
となれば、由亀の反応は一つ。
「とりあえず、あいつに聞く耳を持たせないとならんようだな。手伝え。カツ、タテ」
「「それはこっちのセリフだ」」
一、二発ぶん殴れば、そのまま卒倒させるか、運が良ければ天使らしい気品とやらを取り戻すかもしれない。
由亀が占い師へ向けて走り出し、カツとタテが武器を構え直した。
しかし、よくよく考えてみれば、カブラとかいうイッチャッタ天使は群類とは別格の存在であり、少なくとも縁を結ぶという面からすれば、カツの上級である。テンシの天使。となれば、群類の者、少なくともカツが盾突く側に回るというのは不自然である。
そこには、「~という場合には上司に逆らってもよい」とかいったような群類が全うしなければならないルールや法のようなものがあるかもしれない。邪魔者と呼んで憚らない由亀と手を組むのだ。それくらいの動機があってもおかしくない。
その時である。
「キャー!」
未果が絶叫した。
由亀が立ち止まり、カツとタテも視線を送る。
「あれ!」
身を強張らせて震える未果が指す先を見る。
胸中から出している人々の赤い糸が見る見るうちに蔦に変わった上に、体を突き抜け、地中に根差し、芽からさらには茎をグングンと辺りに伸ばしていたのだ。
さらに人々の顔から血色が少しずつ失われていく。
この蔦に由亀は見覚えがあった。川岸めぐみから伸びた物と同じだったのだ。
「おい、何した?」
当然、下手人と思われる人物に問う。
「いったい、どういうことだ? これは……」
カブラと名乗るキューピッドは顔面を蒼白にして、目をひん剥いていた。この中で一番狼狽していると言っていい。
「お前がしたんじゃないのか?」
おののいている天使に強い口調で問いただす。
「私はこんなおぞましいことはしない」
その割にはおぞましい格好でずいぶんに下衆いことをしていたと、ここにいる誰しもが思ったことである。
「おいおい、こりゃあよ」
伸びる蔦が意志を持っているかのように、襲い掛かってくるので、否応なくカツはショットガンを発砲し。応戦の形になる。ご縁、赤い糸を結ぶための道具とはいえ、通常兵器としての機能は健在のようだ。
「一苦労しそうだな、この変態は」
タテも四方から押し寄せる蔦をその巨大な和鋏で切り刻む。言ったまま姿を変えた程度なら納まりもいいが、張本人の頭がおかしいという意味での変態なら、これは並大抵で片付く事態ではない。
「手荒に扱うなよ。もとは赤い糸だろ」
由亀は、伸びて襲ってくる蔦を軽快な身のこなしでかわす。未果は身を縮こませ、その場にじっとしている。恐る恐ると視線をあちこちに飛ばしながら。
「ゆうき、そうそう悠長なことを言っている場合じゃないぜ。かなりヤバい事態になっちまったからな」
撃ち抜かれ、切られた蔦は、傷口が塞がれ、くっつきあい、損壊などなかったかのように何度もうごめいて襲い掛かってくる。
由亀は未果に被害が及ばないよう、蔦をかいくぐり彼女の手に触れられるまで伸ばしたその瞬間。
一本の蔦が未果の頭部をかすめ、シュシュが切れ落ちた。たちまちに、未果の胸から蔦が飛び出すと、ぐんぐんと伸び暴れはじめた。さらには背中を突き抜けたそれは地中に突っ込み根を張った。と同時に叫びもなく、未果は力を抜かしてしまった。
「燦空さん!」
叫んだ瞬間、鞭のようにしなった蔦によって弾き飛ばされる由亀。境内に転がり、擦り切れた手や汚れた服をまるで気にしないで、再び駆け出す。
縦横無尽にしなる蔦を殴り、かわし未果の傍へ。
「燦空さん!」
意識を失っている未果の四肢に絡まる蔦を引きちぎる。ちぎった途端に修復し、さらに細い蔦を枝分かれさせ、未果の身体に絡みついていく。それでも由亀は手を止めない。腕、足を縛る蔦をちぎりながら、首や顔に伸びる蔦を払いのけていく。
「こんな……私はこんなことを望んだわけでは……」
カブラは顔を両手で覆い、うなだれる。天使という高次元の階層にいる存在が一番働いておらず、まったくもって使えない。
「ゆうき! 手伝え。さすがに手に負えん」
ショットガンを八方に発砲し、蔦の伸張を留めているカツが言えば、
「際限がない。カブラ殿、元には戻せんのか?」
蔦から幹になったのでもないかと見えるくらいに太くなっても、それらを切っているタテが問う。
「これはもはや私の手を離れている現象だ。普通の赤い糸ならばどんなにでも扱える。しかし、これは……」
嘆くばかりで心底役に立たない。紛れもない天使にも分からない赤い糸の状態を群類や、そして一介の人間の由亀が対処せねばならないという状況。
「こうなったか。まったく面倒な」
喧噪のなか、悠然と現れたのは、
「あふろでぃ~て?」
一瞬、由亀の手が止まる。よりにもよって非常時に厄介なのが現れてしまった。
「お前の相手してる暇ねえよ」
啖呵を切る由亀だが、動作が止まったのは彼一人ではなかった。
「マジかよ」
「さすがに、それは」
言ってすぐに蔦の暴動に対応するカツとタテではあるが、いきなりに闖入してきた素性不明を見て驚嘆の表情になったのは、由亀からしてもすぐに分かる。
「おい、こいつ誰なんだよ。こないだからあふろでぃ~てとか言ってっけど、絶対偽名だと……」
とまで言って、由亀は軽く反省をした。カブラと名乗ってはいるが、キューピッドには違いない。ということは、固有名詞は別なのかもしれない。それか、まさに本当にアフロディーテその方なのかもしれないと思ったからである。
「そうか、サンクウミカが言っていたのはこの方か」
確かに未果がタテに聞いたのは名前だけ。その服装やらの身体的特徴を挙げれば良かったのだが、まさに今更である。
タテはこの人物について未果から牛丼の定食と引き換えに情報提供を申し出され、知らないと答えた。けれども、
「お前ら、こいつ知ってんだろ」
由亀の言う通りだった。偽名は使わないでいただきたかったというのが、タテの心境であり、その困惑が蔦との抗争に発汗を促す。
「ゆうき、いいか」
ショットガンを乱射し、わずかばかりに蔦の行動を抑制させたカツが、由亀の背中に自分の背中を合わせ、珍しく言いにくそうだった。
「その方はな、愛染明王だ」
すぐさま蔦への応戦に戻るカツ。
由亀は無言のまま、タテを見やった。
――ミョウオウ? ……明王……
「はぁ?」
由亀はさすがにアホ面になって、背中を丸しくて、あふろでぃ~てを指差した。タテは、まるで乱舞するように巨大和鋏を振り回し、蔦を一掃してから、肯いてカツの言葉の正しさを示す。
「私達の群類とて、その方の意向には逆らえない」
と言って、和鋏を構え直す。
「ど~だ、ゆ~き。私のこと見直したか?」
初見の際、どちらかの群類の新手かと思ったが、大きく間違っていたことになる。
「この場面に出て来たってことは、できるんだろ?」
本人に個人情報の提供を求めている場合ではなく、カツやタテが身を引き締めるくらいなら、使えない天使の代わりに事態の収拾に働いてもらわなければならない。
「まったく。お前は敬いということを知らんのか」
悠然と歩きながら、手に現した巨大な銛を、まるでそこいらで拾った木片のように軽々と槍のようにふるい、蔦を薙ぎ払っていく。
「これは早く収めんといかんことには変わりないからなあ」
「分かってっから、言ってんだろ」
「ゆうき! 言葉づかい!」「ユウキ! 言葉づかい!」
愛染明王に対する人間の応答の仕方に、所作が丁寧なタテだけではなく、珍しくカツまで教育的指導をする。どうやら連中にとってこの人物には本当に頭が上がらないようだ。カブラというキューピッドへの対応とはまるで違う。
「で、ゆ~きよ。これが収まったどうするつもりだ?」
「何が?」
まるで緊迫感のないあふろでぃ~てに、いらだたしげに聞き直す。
「「言葉!」」
相反する群類の二人が、注意喚起にしては息投合している。
「何がですか!」
やけっぱちな質問の仕方である。
「蔦を赤い糸に戻した後、そこいらの連中のことを言ってるんじゃない。燦空未果の赤い糸だよ。切るか? 結ぶか?」
「そんなの決まってる。俺は結びも切りもしない。それを守る」
いささか真面目に問うてきたことだが、即答できた。愛染明王にもひるまない真摯なまなざしで。
「お前と結ぶか? なんつったっけ? げ~むとかやって出てきた……フラグか。そのフラグってのの代わりに」
すぐにいつも通りにおどけた感じになる。
「俺が立てたわけじゃないし、俺は……でも、俺が細工することはない!」
ここでも変わらず断言できる信条。
「ふ~ん、じゃあ、分かってんだな」
「何が?」
あふろでぃ~てにおちょくられて、群類達の指示をすぐ忘れて沸点で返してしまう。
「ゆうき!!」「ユウキ!!」
「何がですか!」
となれば、やはりというか、当然というか、戦闘中にも関わらず、群類の構成員は人間に訂正を促さなければならない。
「守るとか言ってる、お前の本当の気持ちのことだ」
あふろでぃ~てこと愛染明王には由亀の未果への思いはMRIレベルで見透かされているだろう。
「もちろん!」
由亀の即答に上機嫌な様子になり、
「よし。なら、手を貸そう」
まさに不敵な笑みを存分につくってから振るった銛を地上に突き立てた瞬間である。
「アガタ! させんぞぉー!」
意気消沈していたカブラが息を吹き返した、としか言えない覇気を放った。キューピッドと愛染明王。どうやら群類を超越した階級にいるようだが、お互いに知っているらしい。
腰元から矢を取り出すと、弓につがい、一矢放った。
やはりあふろでぃ~ては偽名だったようだ。アガタと呼ばれた愛染明王は、銛を再び構えると、旋回。迫っていた矢は風圧のみで逆向きになり、一線カブラへ飛ぶ。矢の逆走に驚くこともなく、目の前でその矢を右手で握った。
「このままだとまずい、ということは分かっておろうに、邪魔立てするか、カブラ」
お調子に乗っているアガタしか知らない由亀は、初めて愛染明王らしく真剣な声色を聞いた。
「私が行うことはすべて姫様のため。ならば、これも私の愛の証明!」
言いながら、アガタに突進。ハーブと弓を大きく振り下ろす。
「相変わらず意味不明なことしか言わん奴だな」
銛でそれらを防ぐアガタ。
「ゆ~き、どうやら事態は悪化しているようだ」
ハーブと弓を払う。カブラは一退し、距離をつくる。アガタは、長刀を握っているように銛を構える。
「おいおい、お前が嘆いてどうすんだよ」
「「コ! ト! バ!」」
由亀に学習能力がないのか、群類二者がバカの一つ覚えなのか、喫緊のこの状態で、
「オイオイ、あなた様がお嘆きなさっていかがいたしましょう!」
面倒くさそうに訂正する。そんなコントみたいなことをやっている。そんな場合ではないのに。境内が伸びていく蔦のせいでジャングル化していったのである。
「この気色悪いキューピッドのせいだからな」
どうやらカブラが、パニック状態で本領を発揮し、その力が蔦をさらに暴走させた、とのことであるようだ。アガタは銛の構えを保ったまま、あきれるように言った。
「愛ををををを――! あざ笑うなぁぁぁぁぁ!」
目を血走らせながら、再びアガタにハーブと弓を乱れ打つカブラ。
やはり意味不明である。由亀だけでなく、カツもタテもげんなりしている。生い茂る蔦への応戦をしなければならないというのに、煩わしいのが制御系統を失ったUFOのように動きまくるので、本当に邪魔で仕方ない。これが群類とは別格の、愛を司る存在である。
あざ笑うどころか、その愛の象徴の一つであろう赤い糸がこうして異常事態になっているのだから、どうにかしようとしているというのだ。それにいちゃもんをつけるのは言いがかりの逆恨みでしかない。そもそもこのカブラがおっ始めたことが原因であるというのに。
由亀は未果に絡む蔦を必死でもぎ取り続け、
カツはショットガンを乱れ撃ち、
タテは和鋏で切りまくり、
アガタはカブラと交戦中。
変質した赤い糸が、その間も容赦なく蔦の膨張と密林化がやむことはない。
この場でさえそうなのだ。キューピッドによって街の人々の赤い糸が引き出され絡み合った結果、コンクリートジャングルならぬ、どこぞにもない種類の蔦のジャングルになっているだろう。
赤い糸を結ぶ、切る、その群類と、それらとは別格の天使と明王の誰しもが、赤い糸の変容に焦っている状況。
彼らからミディウムと呼ばれ、赤い糸を結び、切ることを自在にできる男子高校生が、同級生の女子の異常打破に励む状況。
一向に改善されない状況。
そこへ――
「人の島でナニ勝手やってんだ」
静かな怒声が重々しく響いた。随神門を通って来るその人を蔦が攻めることはしない。蔦達でさえ、怯えたように、その人を避けているようである。
その姿に、由亀の手が止まった。
「緑子さん」
繭澄緑子。頼りになるが、口を開けば下ネタをダダ洩らせている姉御。その人が異常化した赤い糸にさいなまれもせず、境内にゆっくりと進んで来た。
「……いやいや、俺、……もとい私、初めて拝顔するんですけど」
カツが謙譲語を使い、
「み、乱れてないだろうか」
タテが髪を整え、身だしなみに気を遣った。蔦への応戦に多忙なカツもタテも普通じゃない状況に普通な様子で入って来てしまった、この人物を敬う素振りをし出した。愛染明王とは別の意味で尊重すべき何らかのオーラ的なものを感じているのだろう。
「ゆ~き、お前という奴は。ま、期せずして裏技を出してくれたもんか」
カブラを力任せに後ずさりさせて、一瞬の暇をつくって、アガタの表情が微妙に緩む。その一方で、
「私の愛ををををを―――! 邪魔するつもりかぁぁぁぁぁ!」
錯乱した天使が緑子に威圧をかける。
しかし、天使にまったくひるんでおらず、緑子は眼を飛ばし返す。完全にお怒りのオーラを憚ることをしていない。それを感じ取ったのか、カツとタテが戸惑う表情を浮かべ、トチ狂った天使がさらに狂乱する。
「面忘れたんなら、思い出させてやるよ」
頭のバンダナを片手で取り払った。その緑子の額には、幅と大きさの違う線の六角形が三重になっており、その中に瓜の花がこしらえられた紋様が浮かびほのかに輝いていた。あの、由亀が釣り上げたカメの甲羅にあった図象に極めて似ていた。
その光が現れたせいか、蔦の動きが止まり、うごめくことさえしない。
ふいにできた小休止に、
「――――?」
正気を取り戻したカブラは静止し、キューピッドらしからぬ、開けた口をふさぐこともなく間抜け面を保ち続けた。
「緑子さん?」
由亀だけが取り残されてしまって、いぶかしくなっている状況。
「ゆ~き、お前誰だか分かってね~よな。やっぱり」
銛を突き立てて、そこに寄り掛かるように、そして、あきれるように、しかし、どこかほっとしたような緩やかさがあった。
さっきからのアガタのセリフからすれば、額の図象を発光させる人物を知っているらしい。
「この方は、ククリヒメノカミ」
「……」
「つまり、この神社の祭神だ」
銛から身を離し、柔和で真剣なまなざしだった。
さすがの由亀も拝殿の奥と、緑子をあっちこっちと交互に指さしている。
「由亀、私に向けてるお前の手、シコるためだけにあるんじゃあ、ねえよな」
いまだ怒髪天を突いているようだが、こんな状況でも緑子は緑子らしさを失うことはない。天使はとっくに自失しているが。
「……はい」
いつものようにツッコんでいる雰囲気ではない。その語気には、素直に返答するしかない。
「未果を『任せてもいいな』と問うたら、お前は『もちろん』と答えたよな?」
そんなことさっき言っただろうかと由亀は怪訝になるが、
「……あ、言いました」
カツとタテに強襲された未果を緑子の店に連れて行った帰りしなに言われた、確かに。記憶の喚起速度に感嘆している場合ではない。緑子は御冠のエッジが利いている。
「なら! お前が未果を守るつったよなぁ?」
淡々と尋ねられる。静かなドスの効いた声の方が恐ろしさを加速させる。大声で叱られた方がましだ。しかし、自身がかつて言ったことを緑子に指摘されている。緑子の前で宣言したのだ。違えるわけにはいかない。
「はい」
と歯切れよく静かに答えるものの、具体的な打開策など由亀にあるわけがない。のだが、すっかり怒髪天を衝く緑子は
「カブラ」
責任者追求を先にした。明王もかくやというレベルのメンチを切っている。天使がすっかり正気に戻るくらいである。
「後始末、できんだよなあ?」
「いえ、このような状態は見たこともないもので、そのいかんともしがたく、対処できるとしたらヒメ様だけかと」
言われなくても、リスクマネジメントがまるでできていなかった中間管理職は地べたに正座をする。脂汗があんなにゲリラ豪雨のようになっているのをこれまで由亀は見たことないが、それよりもあのキューピッドはさっきまでのヒステリーが嘘のように、しかし、想定外の事態で我が手中の及ばない出来事と責任逃れをするものだから、
「なら、ひとまず謝っとけ」
「申し訳ありませんでした―――――――――――――――――――――――ッ!」
愛の使徒が見事なまでの土下座だった。
その頭を上げた瞬間、緑子はカブラに乾いた笑みを作った。
「ヒ!!!!」
すでに感涙と言い及ぶほどに、懐柔された表情筋の揺れ
「ヒメ様――!」
上体を上げ、膝立ちになったところを
「まあ、許すかどうかは別問題だけどな!」
緑子張り手一発。その破壊力は、カブラがなすすべなく一〇メートルほど吹っ飛んでご神木を背にもたれかかるほどだった。どうやら気を失ったようだが、その恍惚とした表情はあまりの痛さに脳がベータエンドルフィンを分泌し緩和させようとした、かどうかは知らない。
「いや、単にそいつMだから」
アガタは見慣れているのか、平然としているが、さすがに由亀どころか、群類二人も絶句した。愛染明王の情報が正しいかどうかはさておき、マゾティストなキューピッドがこれ以上騒々しくなることはない。
銛を肩に担いで、アガタが緑子に近づく。
「で、ククリ。どうするのだ? これ」
変態のキューピッドのインパクトのせいで失念しかけるが、ククリヒメノカミと愛染明王がそろい踏みなのだ。蔦と悪戦苦闘していたカツとタテでさえ、並んで姿勢良く気を付けしている。
「そんなに威厳あんのか?」
由亀にしてみれば、神・仏というよりも下ネタ過多なエロい姉御という存在でしかない。
カツとタテが声を忍ばせて、由亀に言質の修正を迫る。
「ゆ~き、ちょこっとだけ手伝ってやる」
アガタは、再び銛を地面に突き立てた。
「後は、お前がどうにかしろ、分かってんな、由亀」
額の紋様が淡く光っている。言い方が完全に堅気ではないのだが、素性が堅気ではないのでそれも致し方ないのかもしれない。
アガタが銛を両手で握り、
「フンッ」
気を込めると、まさに地響きとしか言えない衝撃が広がっていく。すると、停止していた蔦が再びうごめき始めた。またしても暴走かと、身構える由亀、カツ、タテだが、
「まだ早い!」
アガタの一喝でその場に制止。
すると、混線し、からまっていた蔦が徐々に毅然と直上になり始めていた。
「お、すげえな」
由亀の脳裏には蔦を排除した後に、川岸を正気に戻したアガタの姿があった。
「呆けてる暇ねえからな」
緑子が、顔を空に向けると、額から強い光が伸びていく。雲まで届くと、曇った窓ガラスが拭きとられるように、すっかりと冬晴れが広がっていった。その快晴に浄化されたように、伸びていた蔦が見る見るうちにその植物性から糸状に戻っていった。境内の女性達の身体の内に糸が吸収されていく。しかし、それでも彼女達は気を失ったまま雪の一掃された冬の地面に横たわっていた。
「ヴァー疲れた」
緑子が背中を丸め、顔を下げると額から煌々と放たれていた光は、ほのかな明かりになった。それから一つ伸びをした。
「ほい、そこの二人」
銛をいつの間にか消し、アガタが何やら書類の束をカツとタテに放り投げた。
「どこに持ってんだよ」
由亀がツッコむものの群類二人は訂正を促さない。すっかり恐縮してしまっている。
アガタのあの姿で物を閉まっておけるのは、文字通り袖の下くらいだが、書類との大きさが合わない。しかし、そんなことを言ったら、銛だのが突然現れたり消えたりする方が収納どこということになる。そんなこと分かってはいたが、起こっていることにまるで頭がついて行かないので、それくらいの平凡なことを考える由亀だった。
「そこにあるのは、この街の人間のデータだ。そのデータを読んで、結ぶか切るか真摯に検討し、直ちに対処に当たれ」
日頃の由亀なら、赤い糸を結ぶ切るを群類の手に委ねることなどさせまいとするのだが、アガタが直接命令をし、カツとタテが恭しく頭を垂れて、境内の女性達に触れた後全員同時にその場からいなくなるのを見たら、
「まあ、よろしく」
普段なら「待てよ」とか言って制止させるだろうが、今はそんな場合ではない。アガタにしては珍しく凛とした言い方だったというのも反論できない理由の一つではあったろうが。
「大丈夫だ。アガタ直々の命令だ、群類なら否応なく従うしかない。それより、由亀、ほら」
緑子はその場に屈みこんで、かったるそうな口調だが指さす。
未果にも同じ現象が起きていた。その体を貫いていた蔦は鳴りを潜め、すっかりなくなっていった。未果の身体は音もなくゆっくりと地面に寝そべり、蔦の代わりに一本の糸が胸から伸び、中空をゆらりゆらりと海中の藻類のように漂っている。一本の赤い糸が。
「!」
その赤い糸がこともあろうか、未果の首に巻きつき始めた。その糸が見たこともないような結びになった。
息もなく、由亀は勇んで飛びついた。
「燦空さん!」
抱きかかえ、呼びかける。
「で、ゆ~き、その糸どうする?」
腕組みをしているが、アガタの声色がおどけていなかった。軽やかな言いなのに、その答えをはぐらかすことは決してできない刃の先のような感じ。川岸の時のように明王様ならお茶の子さいさいで処置できる。今は丸投げ、もとい託されたのだ。
「結ぶか、それとも切るか?」
緑子を見る。目があった。決してそらすことを許さない眼力。ヤンキー座りをしているからなおさら威圧感が増している。メンチを切るとかにらみをきかすとかそんなレベルじゃなかった。ただこちらを見ているだけなのに、自分の決心以外の行動ができなくさせるメデューサの目。その目に見られたら石化してしまう神話があるが、まさしくそれだった。それをしているのは、ギリシャ神話ではなく日本神話の神であるが。それも縁を司る神。
自身の腕の中の未果に視線をもう一度落とした。
赤い糸が首を絞める。未果がわずかに顔をしかめたように見えた。
それでも由亀は何かをためらっているようだった。未果の糸を守ると宣言した。しかし、今の状態は守る以前の問題だ。確かに結び方を工夫すれば、首を絞めることはなくなる。ましてや切れば、なおさらだ。しかし――
その間にも首の糸は絡まり、さらに結ばれた。これまでの結び目より複雑に見える。
由亀は思っていた。
異能の一家に生まれながら、何も発現しなかった日々。
赤い糸が見えるようになり、それを結ぶことが、切ることができると知った時。
赤い糸をどうにかしようとする群類の存在を目の当たりにし、自分のあるべきことを考えた日々。
群類を邪魔するために奮闘した日々。
そして、燦空未果といた時間。
その間に催した、うらやましさや、劣等感や、勇ましさや、痛さや、葛藤や、いらだたしさや、楽しさや、ときめきや、――。
「由亀!」
ただ名前を呼んだのに、完全にヤンキーのそれとしか言いようのない緑子の喝。
「俺は解きます」
言って、地面に一旦おろしてから、未果の首の結び目に手をかけた。
糸は切れる。手でも、歯でも簡単に。けれどもそれは逆に指を切ることもある。束になって切れなくなることも。
一瞬、由亀の言っていることが分からないという表情になった緑子とアガタだったが、由亀の顔、背中を見て、柔らかい安堵を浮かべた。
「たった一人の女子の赤い糸を守れなくて、何がミディウムだ!」
震える手が、指が糸を持っては滑らせ、不器用なくらいに結び目を転がす。それは決して寒さのせいではない。これを失敗しまいという決意がむしろ焦りになっていたのだ。
「しゃ~ない」
腕組みをしたまま一歩出したアガタに、立ち上がって手を上げて妨げる緑子。
「おお、厳しいねえ。ずいぶん、気に入られたんだな、ゆ~き」
いつもの感じでおどけた言い方のアガタ。
「うっせー、今かまってる場合じゃねんだよ」
額から汗が一つ滴り、冷たい地面の色を一点だけ変えた。
「なあ、ククリ。あれいいのか? 明王に対する言い方。ちょっと教育的指導がいるんじゃないのか?」
「お前も明王の雰囲気醸し出すしゃべりかたしねえだろ」
緑子も全く神様らしくない言い方である。
「でもよ、このままだとまるで前戯でイッちまうようなもんだろ」
「確かにそうだ。けどまあ、男子高校生だし、何回かはイケるだろ」
結局は、二人ともまったくもって神・仏らしくはないのだ。
「ああ、もううっせーな。集中させてくれよ」
顔も向けず抗議の声を上げるしかない。
「本当に童貞の前戯みたいだな」
「ああ、全く余裕がない。てか、由亀はモノホンの童貞だがな」
「へえ~。まあ、なら、しょ~がないなあ~」
たとえならもっとましな、このシリアスな状況にふさわしい発言にしてもらいたいのだが、蒸気頭に上る由亀にはそれをまともに言い散らすゆとりがそれこそない。
「けどまあ、解くっつうのは、いい案だ。ゆ~き」
「由亀、お前がおかしなことになるんだったら、私がケツ蹴り上げてやる。安心しろ」
声色におどけた感じが消え、シルク地でなでられたような声に、二人のその言葉がどれほど由亀の焦燥を和らげたことだろう。
短く息を吐くと、巻かれてある糸と首の隙間に指先を入れた。少しずつ持ち上げ、掌に結び目を乗せた。糸は無理なく伸び、もう片方の指で摘んだ。
「解けろ」
静かな、それでいて曲りのない力強い言葉だった。すると、由亀の左右五指から糸が現れ、伸び出した。それを目撃したアガタは目を見開いて息を飲んだまま緑子に向いた。当の本人は迷惑そうな表情で視線を逸らした。
由亀の、赤いその糸は綾取りでもするかのように未果の糸を絡んだ。両指を動かすと赤い糸は未果の糸の結び目からゆっくりと広げていった。そして、かすかな音を立て、結び目が緩まっていくのが掌に実感としてあった。すると、由亀の糸は未果の糸から音もなくすり抜け、指に引っこんでいった。それと同時に未果の赤い糸は徐々に胸の中へおさまっていった。
大きく息をしてほっとした由亀だが、けれども、未果は目覚めない。呼吸はしている。
それは新しい焦りにもなる。揺さぶってみようかと、肩に手を伸ばした。
が、由亀の手は未果の肩に触れなかった。
「由亀」
緑子が自分の横頭を指さしていた。
「?」
不審者を見るような目つきになったが、すぐに理解できた。
緑子が放ってよこしたシュシュを未果の頭に括り付けた。
由亀は生来、女子の髪を結わえたことなど一度もない。記憶をたどる。わずか一か月この日々に接近した未果の表情。それらしくなるようにシュシュを括った。見慣れた未果のサイドテール。そのつもりだった。
「ゆ~きよぉ」
「ゴム関係は得意なんじゃねえよのかよ」
すっかり絶好調な感じの姉様二人組。あきれ返っている。
それに言い訳がましく返しても致し方ないので、未果を再び腕の中に抱える。
「お、ゆ~き。その気になったか?」
「いいこと教えてやる。さっき未果に現れていたのはあわび結びって言うんだ」
こういう口調も由亀にとっては、さっきの事案同等のっぴきならない。しかし、アガタのからかいを無視しても、緑子が言わんとすることが分らない。結び方についてのバリエーションを知っておけば、その解除方法もおのずから分る、ということでも伝えたいのだろうかと口を開こうとした。すると、
「まあ、由亀はまだ貝類の扱いは手慣れたとはほど遠いか」
などと、いつも通りに完全に由亀をおちょくるモードになっている目である。だからこそ、まだ意図が分からない。下ネタだろうとは察したが。
「だ~か~ら! ヴァ」
「分かったから!」
片手をかざして制した。迅速かつ力強く。緑子にその先の具体的な名称を言わせてはならない。たとえそれが医学的名称でも。さらには、
「貝類食えなくなるだろ」
非難というか懇願というか、困った顔になると、
「「いや、食うんだろ。未果の……」」
緑子もアガタも未果を指さす。
「ほんと、もう黙って」
小声に力がこもったせいか、抱えていた腕にも力が入ったのだろう。もぞもぞと未果が動きだし、ゆっくりと目を開けた。
「!」
未果、目の前と周りの光景に沸騰。真冬だが、未果の顔は常夏になった。
「いや、これは話せば長くなるから、今度するけど、えっと……あれ」
てっとり早く説明をするには、指さすしかない。ご神木の根元に転がっている占い師の姿を。
「……解決?」
「一応」
ゆっくりと上体を起こす。背中を支えてはいるものの、いつまでも抱きかかえているのは由亀も、抱えられている未果も恥ずかしい。ゆっくりと立ち上がる。
「未果」
「あれ? 緑子さんと……」
バンダナを取り、額に六角形の図象を光らせる、あこがれの女性と、
「アガタが本当の名だ。経緯はゆ~きに聞くといい」
どうやら失神中に関係性に改善が見られた節のあるエロ過多な女性がいた。
「見てみろ」
緑子が近づきポケットから手鏡を取り出し、未果に渡した。
髪。サイドテールは未果自身が結んだ形ではなかった。
「由亀が結んだんだ」
「ちょ、緑子さん」
「ゆ~きの不器用っぷりときたら」
由亀恥ずかしい。自覚はしている。見よう見まねもいいところだ。
「下手なんだね」
とびっきりの笑顔が由亀に向けられた。
「ずるいよ、そういうの」
由亀が精一杯言えたその言葉を聞いて、未果は再び気を失った。力なく崩れそうになった身体を緑子が支えた。
「大丈夫。ちと、疲れたんだろ。私の店に連れて行くから、手を貸せ」
連れてという割に、バンダナを締め直し、ツカツカと歩き出す緑子に、未果を再び抱えて由亀はついていくしかない。
「緑子さん! あいつは?」
本当に何の役にも立たなかった天使カブラに愛染明王アガタが近づく。一度軽く蹴ってから、ノックアウト状態のカブラをまるで俵でも担ぐようにして、
「こいつは私に任せておけ」
と言って、消えてしまった。
騒動のあった境内は、由亀達があとにすると、参拝者でにぎわい始めた。
街の人々は体調不良で病院の受診者増となり、巷では新型のインフルエンザが疑われたが一過性の風邪としか診断できなかったが、ほとんどの人が数日で完治となっていた。
この裏ではカブラが暗躍して人々の変調に対処していたのだが、それくらい役に立つようでなければ、それこそ科料で済む話ではない。
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