第12話

 翌日の学校帰りに立ち寄った市立図書館で、未果は冷えた頬を緩ませた。

 二階の郷土資料のコーナーに見知った姿があったからだ。

「探し物?」

 小声で話しかけたのは、

「燦空さん」

 由亀である。本にさしていた厳しい目つきが、未果に向けられるとまろやかになる。

 示し合わせたわけでもないのに、さっきまでクラスで顔を合わせていたのに、予想外の場所で会うことに、小躍りをし出す心境なのだが、それに未果は無自覚だった。それでも寒気に突っ張っていた頬が冷たさを堪える筋の凍えが寛いだのは、なぜだろうくらいの小疑問がよぎるくらいは感じられた。

 個人的な身体変化に注意を注ぐよりも、テンシやアクマと争うクラスメートが借りるわけでもなしに分厚いハードカバーの本に目を注いでいる理由を確認することの方に未果の関心は大きく傾いていた。

「いろいろと調べることがあってさ。休み時間には、学校の図書室へ行ってみたんだ。けれども」

 言って、由亀は手にしていた本を棚に戻し、別の一冊を手にして開く。あの謎なエロ過多の素性は親族に尋ねても全くなしのつぶてであり、瓜生家の血統にして無情報となれば、書籍に印字されているわけはないのだが、せめてものとっかかりくらいのためにページをめくっているとのことだった。藪の中の暗中模索な心持だろう。

「瓜生君、なんか疲れてるね」

 表情が浮んでいなかった。クラスのにぎわいのせいで気付かなかったが、由亀が芳しく見えないのは、

「まあ、疲れているというか、イタタタ」

 その言葉からして、決して館内の、わずかに落とされている照明のせいではないようだ。 

 本を棚に反して、身をよじる。長時間立ちっぱなしをストレッチで解消しているわけでもなさそうだ。

「昨日の夜、ちょっと一悶着があってさ」

「また邪魔に見参したわけ? それって今朝遅刻したことも関係……」

 場所が場所だけに、赤い糸絡みは間接的に表現した方がいい。

「もしかしたら何か接触してくるかと思ったんだけど、まったくなし」

「あの……人のこと?……」

 未果にとっても、あの女は気になっていた。容姿しかり言動しかり。

「それがさ。あいつ、今朝早々に現れたんだ」

「え?」

「病院行く途中に待ち構えててさ」

 由亀はその時のことを話そうとすると、

「よ、ゆ~き♪」

 下は幼稚園児から上はシルバー世代まで、この公共施設では大声で話すどころか、携帯電話の着信音まで自主規制するのが、法ではなく暗黙の了解であるのに、あふろでぃ~てなるこの女はまるで気にも留めることなく、大通りの向こう側に見つけた知人にかけるくらいに、容赦ないご挨拶である。

「シー!」

 由亀も未果も口元に人差し指を立てるが、

「なんだ? 言いたいことがあるなら、はっきりと言ったらどうだ?」

 人の理をぞんざいにするテンシ又はアクマに険しく詰める。

 自称神話的超常的な存在の者は、不機嫌そうに両手を腰に当てて、これまたためらいもへったくれもなく館内に声を響かせる。

 さすがに係員が早足でやって来た。注意喚起に頭を下げたのは、なんの落ち度もない高校生の男女であり、これ以上騒ぎになるのは本意ではないので、そそくさと館外へ。

 図書館の真向かいにある公園へ小走りした。こないだの美術館前の公園よりははるかに小さく、遊具など木製の滑り台があるだけだった。この季節ともなれば、わびしさにゆだねられたい気分の時には乙な場所である。さいわい雪はちらりとも降ってない。

「お前、人間界の常識くらいわきまえろよ」

 木製のベンチに積もった数センチの雪を払ってから、素性のよく知れない異人を座らせ、説教である。

「そんなものを気にするくらいなら、帰った方がましだ」

 当人はまるで気にしていない。耳に小指を突っ込んで一ひねりしてから、指先についた汚れを軽く吹き散らかした。

「なら、俺の観察なんかしてないで、とっとと帰れよ」

「観察?」

 あふろでぃ~てなる者を見下ろしていた未果は、横に並ぶ由亀に顔を向け、疑問のまなざしになった。

「ああ、ゆ~きは観察対象になり、私が調査員になったのだ」

 答えたのは使者の方である。その表情は未果をおちょくるようだった。

「ゆ~きの家に上がりこもうと思ったんだがな。やめた。ゆ~きの家の者は特殊な連中のようでな、下手をしたら攻撃されかねんからな」

「てか、入って来れねえんだろ。結界あるから」

「まあ、そういうことにしておこう。君子危うきに近寄らずだ」

「じゃあ、お前に近づかないでいいんだな」

「お前が近づかなくても、私が近づくから安心しろ」

 ベンチから飛ぶ鳥の勢いで由亀に寄りかかる。うっとうしそうな由亀より先に注意したのは、その横の女子高生であり、

「やーめーてっ! ください!」

 着物の襟を握って由亀から引き離す。

「とっとと群類の仕事に戻れよ。散々邪魔してやるから」

 声の調子を整えてから批判を畳み掛ける。

「今の仕事の優先はゆ~きだ。そなたにもあらかじめよろしくと言っておこう、燦空未果。私も暇ではないからな。ゆ~きだけかまってもいられんし」

「なら、俺の観察なんぞしてるなよ。てか、もはや観察レベルじゃなく、ばっちり関与してんぞ」

「せっかく来たんだからな、ゆ~きの観察だけでなく、地上を堪能せんとな。というわけでまたな」

 嫌味を言われているのに、まるで気にも留めずに姿を消してしまった。

「あの格好で街歩く気か?」

 つぶやきが嘆いて白く消えた。

「あの人が瓜生君の邪魔してるってこと?」

「そういうこと。これまでとは真逆の立場ってのが……」

 頭を掻かせてもおかしくはない。

「それでも、今のあいつの話しぶりからでも少し分かることがある。少なくとも特別な地位にいるだろうし、明らかに俺が察しないようにはぐらかしている感がある。群類の割に納得できない点がある。たく、こんな時に限ってカツにもタテにも会わない」

「え? 昨日の夜は?」

「別の奴がいた。追い返したけど」

 あふろでぃ~てと互角の戦いを思い出していた。それでもけがをした。由亀が言っているほどたやすくもなかったということであろう。

「あの人……並大抵じゃないんだね」

「ただのエロ過多なわけではないようだ」

「ふーん、やっぱりそういう風に見るんだ」

 未果の視線が氷柱となり、その声は雪女の息吹のようである。

「え? いや、なんていうか、あいつの格好はさ」

 狼狽でさえも、アイスリンクでこんなには小躍りしないだろうくらいの返答しかできない。

「ま、いいけど!」

 図書館内だったら、十分に退出命令が出ていたであろう音量をボリュームダウンさせてくれたのは、

「また降ってきた」

 未果を我に返させた、文字通りクールなものは雪だった。

「燦空さん、図書館いいの? 何か借りに来たんじゃ?」

「それはいいや。返す分は入った時に終わらせたから」

 すっかりといつも通りの未果に安堵が、コンビニの肉まんの出来上がりを告げるように湧き上がった。

「じゃあ、駅まで送ろうか」

「う、うん」

 何気ない提案と返事。たった一言が寒さを和らげる理由を未果は確認しないままだった。

 ちらちらと降る雪に傘は不要で、なんてことはないことを話しながら、駅までの十数分を歩いた。

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