第9話

 三人が訪れたのは、空寒い公園だった。数少ない遊具は雪をかぶっているものの姿すべてが埋もれているわけではないが、地面は雪で覆われていた。

 道路を挟んだ向かいには市立の美術館がある。リニューアルしたばかりのそこは、以前よりもかなりモダンな色調の外観となっていた。

 一月の寒風に耐えながら、公園内の樹木に身を隠し、その施設に関心を払うテンシ。美術館に出入りする人、ガラス張りの外観から館内を移動する人をくまなくにらみを利かすテンシはショットガンで美術館の誰かを狙っている。しかも、それは暗殺ではなく、赤い糸を結ぶための発砲である。

「まだかよ。寒いんだけど」

 その後ろで近くのベンチに腰を下ろし、テンシの職務を監視中。コートも寒気の盾にはならない。体をさすりながら立ち上がり、テンシに愚痴る。

「ちょいとな、うまい具合にならねえ」

 由亀の嘆きにカツは、ショットガンの銃口を下げて、人々をつぶさに見やっている。標的が見つからないようだ。

 未果の興味への回答を見せるために来たのだが、信条通りに邪魔をしようにもそのテンシの段取りが悪いため、何より寒いためちょっかいを出すのもままならない。

「それよりも、ゆうき。あっちはどうなってんだよ」

 後ろ手に親指を向けた先には、未果がいる。カツのテンシ業務の詳細について、ひどく関心を払った未果を連れてきたものの、当の本人は着いた途端、二人から数歩離れたところで、誰もいない公園を呆と眺めていた。

「あ、そうか」

 脱魂から回復し、いきなりな想起。眺めていたのは、どうやら何かしらのことを思い出そうとしていたようだ。

「この公園、最近噂になってたんだ」

「燦空さん、それ……」

 テンシへの関心を遮断するほどの噂の内容は、さすがに由亀にも気になったのだが、それを遮ったのは、そのテンシだった。

「いた。発見」

 人間二人の関心は縁結びのテンシの標的へ。カツの背中に由亀が、由亀の横に未果がくっついた。

 ――あれ?

 途端に由亀は寒さが緩和されたように感じた。

 ――まあ、身を寄せてれば

 おしくらまんじゅうで体をあっためるのは、雪の県にある小学校では体育の準備運動代わりとして行われることもある。由亀がそれを思い出したのも当然である。

 それよりもだ。

「え?」

「あれって……」

 男女高校生が戸惑った理由。それは

「ひがしぼりまさや、だったっけか」

 テンシが告げた名は二人の担任・東堀柾谷だったのである。しかもその相手が、

「あらとこまち、か」

 同じく二人の高校の教師・新都古町だった。それこそまるで噂などなかった教員達のデート現場を目撃することになるとは。担任が美術を、新戸古町が音楽を教科担当していたから、今にして思えば接点がないわけではない。むしろ、感性が合えば、距離が縮まるというのもありがちとと言えばそうである。

「まあ、校内恋愛だわな。生徒同士がオーケーなら、教員もオーケーだろ。後は禁断の先生と生徒のか。ハハハ」

 さすがテンシ。恋愛には寛容である。

 東堀教諭と新都教諭が今いるのは、館内のカフェの窓際である。

「閉館時間ぎりぎりまで堪能ってわけか。いいご身分だぜ」

 テンシは嫌味を言いながら、銃口がデート中の大人を辿る。それでも指はトリガーにかかっていない。タイミングがいいのか悪いのか、自動車の往来がまばらにあるのだ。誤射は業務内容に入っていないのだ。

 閉館は五時。真冬の日没で辺りはすっかり重苦しい暗さが覆うとしている。

「さすがに後二、三〇分はきついぞ。コンビニもここいらないし」

「人間は軟弱だな。館内に入れば、それこそ人目につくだろ」

 カツが入館をしなかったのはそれが理由だった。カツが入れば当然由亀も未果も入ってくる。そうなれば、もし教員達に二人が見つかったら、まともに仕事ができなくなると予想できたからである。さすがテンシ。一応頭は切れるらしい。

 寒さにいきり立つコート姿の男子と、くしゃみ一つもしないショットガンを持つ浴衣の男。そんな二人を見比べて、

「寒くないんですか?」

 未果の素朴なかつ今更的な疑問が出るのも無理はない。

「あんたらみたいな体感はねえ。この方が動きやすいしな」

 つまりは寒さを感じないということだ。だからこの格好でも平然としているのだ。未果は納得と同時に新たな疑問が浮かぶ。

「てことは、タテさんは真夏でもあの格好なの?」

 男物の羽織袴の姿のアクマ・タテ。確かに今の季節なら、浴衣のテンシよりはまだあったかそうには見えるが、逆に夏ともなれば、このカツの格好がまともであり、あのアクマの装いはむさくるしいだろう。

「思い出すだけで汗出てきそう」

 由亀が作ったようなひきつった顔をし、

「ホント、暑苦しいっての」

 テンシが陰口をした。恐らくそれは出で立ちだけでなく、互いの職業的拮抗によるものだろう。

 すると、

「誰が暑苦しいって?」

 平静に怒りを隠したような声が降ってきた。枝に積もっていたであろう雪がカツにかかり、構えをばたつかせる。どうやら彼らが身を隠していた木の上に、アクマはいたようだ。

 ――こいつ、先生達の糸、切りに来たんじゃないだろうな

 噂をしていたら影ではなくアクマがご登場。未果に視線を合わせるものだから、由亀は、その間に割り込む。

「何しに来た?」

「それはこちらのセリフだ。ほら」

 由亀の問いに、タテが指をさす。公園内に並ぶ木々の間に身を隠す一人の女性の姿。時刻的暗さがあるとはいえ、その存在をまるで気づかなかった。園内の灯りもささない角度にいたのだ。

 先生達の糸でないことにどことなく未果はほっとする。

「あの人の……」

 由亀の言葉が止まる。

「見えたか。邪魔するなよ」

 タテの手にはすでに和鋏が握られている。こちらはこちらで業務を遂行しなければならないようだ。

 怯えつつ、未果は問う。

「こんなに声出してたらばれてるんじゃ?」

 確かに、積雪数センチ、おそらく子供達がはしゃぎまくった足跡のある、真冬の公園で何に臆することもなく平然としゃべっている男女高校生二名プラス金髪の浴衣とおかっぱ髪の羽織袴の男装女子。コスプレの冬祭りならば、もっと人が集まっているだろうが、違和感充実のこの四人ならば通報されてもおかしくはない。

「心配無用。あなた方を含め、人間の視野から消える術を施してある。テンシなどと呼ばれる群類の鉄砲玉が失念していたようなのでね」

 非常に口調が丁寧なアクマ。しかも魔術的なことまで行っているらしいから、実に非人間的。

「そこにいろよ。ユウキ」

 言って、タテは飛翔。瞬く間に覗き込む女性の背後に立つと、和鋏を旋回し巨大化させる。

 未果は目を見開いた。

「瓜生君!」

 その鋏が女性の身体を挟み斬ったからである。次の瞬間、シルエットというか影が上体、下体に分断され、未果は顔をそらした。

「大丈夫。燦空さん。彼女は殺されたわけじゃないから」

 由亀の声に、ギュッと力いっぱいに閉じていた目を恐る恐る開く。今しがたの鋏の餌食になったはずの女性はゆっくりと木から離れて、うつろな足取りで公園の木々の闇に消えていった。

「切ったのは糸。赤くない、どす黒い糸、ただ浮遊しているだけの糸をね」

 由亀が言いにくそうに未果には聞こえた。

「そう。ユウキの言う通り。あの女の想い人は、そこの鉄砲玉が標的にしている男性だ。しかし、あの女の糸は、赤い糸ではない。過剰で偏執的な想い。変色して当然だ。だから、由亀のような邪魔ばかりする奴でさえ、今の私の仕事に邪魔をしなかったのだ。あの色が見えていたから」

 音もなく一瞬で戻って来たアクマによる、非常にわかりやすい説明。未果はすんなりと無言で納得の肯きをした。

「で、ストーカーに狙われていたモテ男は?」

 由亀は視線を美術館に戻してみたが、カフェにはすでにその姿はなかった。

「出て来る」

 カツの背中越しに男女高校生とアクマの三人が、通りの向こうの美術館出入り口を凝視する。

「まさか、また切るとか言い出さないだろうな。東堀先生の糸。担任があんなにうれしそうにしてんだ。それを妨げるようなら」

「それは今の私の仕事ではない」

「よし。なら見逃してやる」

「勝手な言い草だな」

「なんせ人間だからな、アクマよりかは自重しているつもりだがな」

「人間のほうが利己的……いや、いい」

 少なくとも担任の恋愛劇にアクマの介在が今のところ無いことに、生徒二人は安心する。

「うっせーな、こっちは仕事中だっつうの」

 その恋愛ドラマに一役買いそうなテンシは、耳障りな背中から三人を払うと、ショットガンを構え直した。

 仲睦まじそうに男女教員が腕を組んで談笑しながら美術館を出て来た。

「さぞかし、ご堪能だったんでしょうな。ボッチチェリか、見たいな」

「大人なデートだね」

 美術館の壁に括られている看板を見て興味をそそられているものの男子生徒は寒さで皮肉っぽい言い方しか出ず、女子生徒はこれを参考にしようかみたいな乙女感キラキラな目をしている。

 そうこうしているうちに、東堀と新都両教諭は、横断歩道を渡り、公園へ入って来る。

 彼らに標準を合わせたまま銃口が軌道を描く。

「すげーやりづらいんだけど」

 テンシのわずらわしさをまるで気にもとめず、

「先生に見つかっちゃう」

 未果は両手で口を隠すものの、興味津々な目は爛々としている。職務完遂を目指すテンシの後ろで、女子高生が教師に見つかるのを懸念し、

「大丈夫。タテが術をかけているから」

「やはり、切った方がよかろうか」

 情報通の男子高校生がそれをなだめ、アクマはアクマらしく移り気になっている。

「ほんとはこの近くの教会で渡そうと思ったんだけど」

 いたずらっ子とさして違わない四人に、まるで気づかないで大人二人は園内に入ってすぐ立ち止まり向かい合っていいムードに入る。

「古町さん!」

「はい!」

 担任はコートのポケットから例の物を取り出した。開いた蓋の中からジュエリッシュな輝きがあり、女子教諭も頬を赤らめ、まるで女子高生である。

「ボ、僕とキェ結婚してください」

「はい! お願いします」

 エンゲージリングが、点いたばかりの街灯で光っている。

「噛むなよ、ここで」

「先生ー♪」

 男子生徒はしくじった担任にツッコみ、女子生徒はメルヘンでロマンティックなワンシーンに、両手を胸元で握ってうっとりしている。

「あー。興ざめだな」

 赤い糸を結実させるショットガンを結局ぶっ放すことはしなかったテンシは、その武器を手から消して面倒くさそうに頭を掻く。二人の人間の愛を取り持つはずのテンシが、その力の行使をせずに結びついた男と女のアバンチュールをして、はっきりと断じた。

「いいのかよ。撃たなくて」

「現にエンゲージしちまってるだろ」

「先生ー♯」

 未果は依然として手を組んだままである。彼女にはこの近くにあるという教会で今まさに奏でられているベルが聞こえているだろう。実際には鳴ってないが。

「まあ人間の巷間では、結婚は地獄の始まりだろ」

実にアクマらしい評価である。自らの手を汚さずに縁を切ろうという算段か。

 めでたくリングの授受を行った教師二人が公園から宵町へ足を進ませていく。

「かーえろ、帰ろ」

 結果的に業務を終えたテンシがそう言って瞬く間に姿を消した。

「あ!」

 メルヘンランドの住人になっていた女子高生が真冬の町に戻って来た。と同時に、何かを思い出した。

「ここ、最近噂になってるんだ! 先生達に言わないと」

 すぐにでも駆け出しそうな未果を止め、理由を尋ねる。

「この公園のあたりは縁切りで有名になってるんだ」

 女子高生の情報網は電波的拡散能力が充実している。由亀は縁に関わる情報感知はできるが、噂話には疎い。

「て、ことは……」

 必然、由亀も未果も一人を見るしかない。

「わざわざ出張らんでも、人の方からやって来る。実に楽な仕事だ」

「やっぱりお前か」

 もともとはこの周辺に寺院があり、そこが縁切り寺ということにしようとしたが、近くのこの公園に人間が足しげくやって来ては、呪術的行為を行うため、ここで業務を行うことにしたらしい。ということは、先ほどの女性が仮にそれを知っていたとしたら、その祈願成就の呪術的行為のために来たのかもしれない。

「人とは強欲だな。縁を結びたいだの、切りたいだの。好き勝手に」

 縁切りに赴いても、タテのおめがねにかなった案件しか応じなかったようだが、それは仕事業務以外の何物でもなかった。それにしても、来る人来る人があの和鋏の餌食になっているかと思うと、未果の動悸は収まらない。

「前から思ってるけど、お前の鋏さ、もう少し穏便なのに変えられねえの? 燦空さんが脅えてたろ。変な夢見たらどうすんだよ」

「人間に見られること前提で仕事をしているわけではない。よって、変える必要なし」

「なら、あの大きさにする必要あるのか? 糸切るのに」

「大は小を兼ねる」

 簡潔な答えに、未果は尋ねたかったことを知りえたのだが、

「タテさん。あの女性はどうなるですか? 切ってしまったら、もう赤い糸はないんですか?」

「サンクウミカ。人間が煩わす必要のない領域のことだ。知らなくてもいい。しかし、それではそなたの気が収まらんだろう。こちらの領分を気にするあまり、人間の領分の活動に差し障りがあるのは、本意ではない。というわけで、一言答えよう。ヒガシボリマサヤへの糸を切っただけだ。赤い糸はまだあり、いつか芽を出す。どうだ? これで納得できるか?」

 できないとは言えないだろう。アクマが懇切丁寧にまとめてくれた解答だ。まとめる前のイントロ部分がやたらに長かったが。

「分かりました。ありがとう。タテさん」

 十六年の人生の中で、アクマに感謝を告げる日がくるとは、未果もつゆにも思わなかったろう。

「赤い糸は植物のようだと言えばいいだろうか。間引きすることで成長もする」

予想外に補足説明をしてくれたアクマ。

「私は不必要な糸を切っているだけだ」

 しかも、その追加された言葉によって、どうやらむやみやたらに赤い糸を切っているわけではないというのも、未果には分かった。

「いつもこうだと仕事しやすいんだがな。ユウキ。サンクウミカの糸、どうしたらいい?」

「まだ出てないんだろ? 何かちょっかい出そうとするなら、それは邪魔する」

「私なら……いや、いい。今度、カツに説教させようか。人間が調子に乗るなとな」

 そう言ってタテも消えてしまった。

「もう聞いちまってるだろ」

 カツに説教させようとする文言を、その説教の相手=由亀の目の前で発言する。よく言えば愚直で、悪く言えば天然ボケである。

「燦空さん。あいつらの、なんつうか手法、分かった?」

 未果が予想した通りだった。由亀は彼女の溜飲を下げさせようとしていたのだ。

「武器は、やっぱり怖い。カツさんみたいにズッキューンが狙い撃ちってのはちょっとね。でも、あの人達は思ったより親しみやすかった」

「だろうね。あれでもましな方だからね」

「ましってことは……。タテさんが言ってたのが気になったんだけど」

「気づいたよね。タテ“は”不必要な糸は切ると言ったってことは、必要な糸を切るような輩もいるわけだ。人間に縁など、赤い糸などいらないと主張する者もいるらしい。群類と言っても一様じゃない。いろいろな思想や信念に基づいて行動している。だから、厄介ちゃあ厄介なんだ」

「カツさんが先生を撃たなかったのも、そういう理由?」

「なんでもかんでも差し出がましく介入するテンシ、という考えじゃないのは一目瞭然でしょ。あいつにとって、先生の糸はテンシの介入で結ぶ必要はないと判断したんだろうね。てか、ならなんで燦空さんを狙ったんだか」

 群類、つまりは組織となれば人間の及ばないそれであっても、十人十色ということだ。未果はクラスのことを思った。確かにその通りだ。学校でさえそうなのだ。ならば、他がそうであったとしても何もおかしくはない。それを知った。とはいえ、未果は今回その標的となっていた身近な人達のこれからが気になる。もしかしたら、赤い糸が切られるかもしれない。

「先生達、幸せになれるよね」

「俺はテンシでもアクマでもないし、先のことは分からないよ。タテが言ってたみたいに、結婚が悲劇の始まりかもしれないし。けど、それは先生達次第でしょ。アクマ、切る群類を見つけたら邪魔するつもりだし、少なくとも俺が見ている範囲では」

「そう、だね」

「じゃ、帰ろうか。送るよ。バス停まででいいかな?」

「うん」

 二人はすっかり静まり返った公園から、日が沈んでもまだにぎわう街の中へと歩み出した。


 後日、担任から婚約が発表されたが、未果は目撃していた衝撃の方が著しく、他の生徒が蜂の巣をつついたようには反応ができなかった。

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