タヌキング、原爆を作った人のことを考える

タヌキング

博士は謝らない

いつものようにYouTubeで、動画漁りをしていたんだが、その際にTBS NEWSのアーカイブ動画に【原爆を開発、投下に同行、映像を撮影したアグニュー博士と被爆者の対話の一部始終(2005年)】という動画のサムネが目に止まり、何の気無しに再生してみた。

動画の内容は原爆の開発者であるハロルド•アグニュー博士が広島を訪れ、平和記念館を見学した後、被爆者と対談するというものであった。

映像を見ながら、自分は18年前この映像を見たことがあることを何となく思い出した。

そして16歳の自分にはアグニュー博士は酷い人に見えたことも同時に思い出した。


広島の平和記念館を訪れたアグニュー博士は根っからの研究者なのか、初めは原爆の模型やパーツを見て熱心に解説したりして、その様子はまるでマッドサイエンティストに近いように見えたが、実際の被害の状況や写真を見た際は悲しい表情を見せていた。

正直、この時点で訳のわからん人だと思った。

というのも科学者としての狂気を見せながらも、人の心も持ち合わせているというのだから、私のこの見解は間違ってないとは思う。


博士はインタビューの中で「罪なき民間人はいない、戦時中は誰もが戦争に貢献していた」と言った。

それを聞いた私は、その発言は間違いだと思ったが、同時に為になる発言とも思ってしまい、心の中がモヤモヤした。


次の日の映像になり、公園での博士と被爆者の西野さんと藤井さんとの対談に移っていく。

西野さんと藤井さんの原爆の体験談に耳を傾ける博士、その顔は真剣そのものであったが、対談の中で、核兵器が無くなればいいと語りながらも、彼は決して原爆のことに関して謝らなかった。

その態度に西野さんと藤井さんも感情を顕にする場面もあったが、博士は日本の真珠湾攻撃が決定的だった、あれで自分は多くの友人を失ったと言い、謝罪の言葉はなかった。

博士と西野さんと藤井さんは握手をして別れたものの、表情を見るに、お互いにしこりは残ったままだ。


核兵器が全て無くなった時に消えるという慰霊碑の炎、それを見て博士はこんな皮肉めいたことを言った。


「その前に、ガス欠になると思うよ」


聞く人が聞けば、なんてことを言う人だと彼を批判する人も居る人もいるだろうが、皮肉を言う彼の目は真顔で、彼はある種の真実を語っていたのかもしれない。

結果として人類は、まだ核を持っていて、それで国同士牽制しあっているのだから、悔しいけれど博士の言っていることを否定することは未だに出来ない。


映像を見終わった16歳の自分は博士はなんてムカつくジジイだと腹を立てたと思うが、33歳の自分は微妙な感情を抱いている。

だって、そもそも自分が破壊した地に降りて、自分が被害を与えた人に会いに行くなんて勇気のいることだ。自分ならまず出来ない。

博士はもう亡くなっており、その時の心情を知ることは未来永劫出来ないが、広島に来た際に同行した奥様が「謝ればよかったのに」と言った際に、博士は「謝ることは出来ないんだよ」と言ったそうだ。

様々な意味に捉えられる言葉だが、私の視点で見た彼は、少なからず人間らしさや哀愁を感じられたので、決して悪い意味では無いと思う。



夏の気まぐれで、こんな重たい話題を書いてしまい。内心ビクビクしているタヌキングだけれど、とりあえず自分の心に嘘はつきませんでした。

早く核兵器がこの世から無くなれば良いと本当に心から願っております。




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タヌキング、原爆を作った人のことを考える タヌキング @kibamusi

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