偶像以上想像未満

泉侑希那

偶像以上想像未満

 今をときめくバーチャルアイドル・小鳥遊たかなしユウナ。

 彼女はココアブラウン色のショートボブヘアとエメラルドブルーの瞳をしていて、一見中性的なキャラクターらしい印象を抱かせる。しかし、ひとたび笑顔になると、とびきりの美少女らしさを全開にして、多くの視聴者をギャップ萌えの沼に沈めてしまう。まさに現代アイドルの申し子とも言うべき存在だ。

 なぜこんな話をするのかと言うと、私の推しが彼女だからである。

 ユウナは動画サイトでのライブ配信をメインに活動している。彼女の活動範囲は幅広く、ゲーム実況をはじめ、動画視聴者(リスナー)とのチャットでの雑談配信、手料理配信の他、最近は有名企業とのコラボ案件まで実現させていた。

 そんなバラエティに富んだユウナの配信活動で特に大好評なのが、3Dアバターを使ったバーチャルコンサート配信だ。私は初めて彼女のコンサート配信を見た時、気づいたらぼろぼろ泣いていた。これまで映画やドラマ、アニメ、コンサート映像はそれなりに見てきたつもりだったけど、泣くほど感動するという経験をあまりしたことがなかったから、まさか自分でも予期しない方向に感情を動かされるなんてびっくりしてしまった。以降、ユウナのバーチャルコンサート配信のある日は、学校の宿題などを早めに終わらせるのは言うまでもなく、その他の予定も日時をずらしたりキャンセルしたりして、欠かさずリアルタイムで視聴するようになった。もちろんアーカイブが残るから絶対見逃せないわけではないけど、小鳥遊ユウナ最大の持ち味のお披露目を、せめてチャット欄から盛り上げたい。そんな一心で私はリアルタイム視聴にこだわった。たとえ長方形の画面越しであっても、気持ちとしてはもはや本当に現実世界のコンサート会場にいるようなテンションなのだ。ポップなデザインとカラフルなアクセサリーを散りばめた衣装、聴く人の心まで揺さぶるまっすぐ伸びやかな歌声、しなやかにそれでいてどこか煽情的に魅了するダンス……。どれも三次元のリアルアイドルに負けないほどの魅力に満ちていて、私は一瞬で彼女のファンになった。スマホの中に天使を見つけたような嬉しさで胸がいっぱいだった。

 私はオタク女子にはほど遠いが、それなりにアニメやマンガを好む方だった。けれど、それを自分の持ち味として友達作りに生かすには発信力が足りなかった。加えて学業成績も中くらい。そして女子力のシンボルとも言えるメイクやコーデのセンスまで月並みレベル。正直パッとしない、きっとどこにいても空気扱いされるだけの平凡女子。おまけにコミュ力不足という致命的欠点も相まって、クラスメートの誰からも声をかけられないから単独行動が当たり前。端的に言えば、ぼっちだった。

 そんな単調でさびしい学校生活しかなかった現実を、二次元のバーチャルアイドルが変えてくれたのである。推し活によって、麻痺しかけていた私の感性が復活していった。

 ユウナは、いろんな配信や企画を通して、平凡な女子高生として毎日をなんとなくやり過ごしているだけの私を、まったく知らない世界へ連れて行ってくれた。とてもワクワクするような発見や学び、刺激的な冒険、バーチャルつながりの新しい出会い……。全部ネット上の出来事だったが、いつも大好きな推しが先頭にいてくれるだけで、何の不安も心配も感じなかった。ユウナの配信を見ることは、勉強ばかりの学校生活なんかよりずっと楽しい、私だけの贅沢なひと時になっていた。

 だけど、人間は良い意味でも悪い意味でも慣れる生き物である。後者を強調すれば、慣れは惰性へつながり、そして私利私欲を生み出す原因にもなってゆく。

 ──私がユウナの特別になれたらなぁ……。

 バーチャル空間の存在とは言え、ユウナはれっきとしたアイドルだ。応援しているアイドルに対してファン側の好意が重くなることは、ガチ恋・リアコと呼ばれ、SNSなどでたびたび話題に上がっていた。ただし、その大半は情を拗らせて過激な言動に出るファンへの非難だった。

 もちろん、アイドルがラブソングを歌ったり、恋愛シチュエーションを思わせるボイスを販売したりするのは基本的に自由だし、ファン側それに乗っかる形で推しとデートしたり結婚したりする妄想を個人的に楽しむのはまったく問題ない。現にユウナだってそうしたアイドル然とした売り方を前提に活動しているのだ。

 私は、そんな界隈の事情を自分なりに調べて理解し、推しの迷惑にならないよう、マナーはきちんと守ろうと心がけているつもりだった。

 けど、それでも、私のユウナへの一方的な想いは強くなるばかりで、アイドルとファンの信頼関係を壊しかねない傲慢なエゴに襲われるたびに、悶々とした感情を抱える日が増えていく。

 加えて、まだ未成年かつ高校生である私には、自分の気の済むまで推しを応援するための金銭的自由がほとんどなかった。

 一介の女子高生リスナーが推しのためにできること。それはせいぜい音源やグッズが出たら買うことくらいだ。せめて推し活資金調達のためにアルバイトができればよかったのだが、私の通っている高校がアルバイト禁止で計画頓挫。私はなけなしのお小遣いとお年玉貯金を切り崩しながら、自分の理想とは程遠い細々とした推し活に甘んじるしかなかった。

 そんな私の切実な事情など知る由もなく、社会人リスナーと思しき人たちがユウナのチャット欄で次々と多額の投げ銭をしているのを見るたび、バーナーで熱せられているみたいに胸の奥がチリチリして落ち着かない。早く大人になりたいと切に思う。

 ──せめて、ユウナが私と同級生で、同じクラスメートだったらなぁ……。

 そんな突拍子もない妄想が風船のように膨らんでいく。このまま膨らみ続けて、いっそ破裂して消えてくれたら却って楽かもしれない。

 悩んでいるうちに夜も眠れなくなってしまった。

 そんなままならない感情を抱えていたある夜、私はいつものようにユウナの曲を聴いて寝ようとした。が、どうにも寝付けない。気持ちが昂っているせいだろう。仕方ない、また脳が疲れきるまで推し曲ヘビロテするか……。

 すると、急に部屋の天井が白く光り出し、ゆっくりと人の形に変わり始めた。謎の超常現象を目の当たりにした私は唖然として、恐怖心と好奇心でドキドキしながら謎の光をじっと見つめた。寝る気はとっくに失せていた。

 人型の光から、徐々にはっきりと見えて来る顔を見て、私はあっと声が出た。

 光の中から現れたのは、他でもない。

 私の大好きな小鳥遊ユウナその人だった。

「こんばんは、田中美希ちゃん♪ いつもユウナのこと推してくれてありがとね♪」

 話しかけられた!? 推しに!? 直接!?

 えっ!? 夢!? 夢だよね!?

 夢にしてはあまりにも出来過ぎてないか!?

 いや、出来過ぎているからこそこれは夢だろう。そうだ。じゃないと説明がつかない。

「あ、なんか誤解させちゃうかもだから先に言っとくね。私は小鳥遊ユウナ本人じゃなくて、彼女の思念体しねんたい……。んー……分かりやすく言えば生き霊的なもの、と思ってくれればいいかな」

 聞き慣れない言葉が次々と発せられる。

 明らかにあり得ないシチュエーションが目の前で起こっていた。

 次々と浮かんでくる疑問を、ユウナの思念体とやらにぶつける。

「思念体? 生き霊? え、じゃあユウナ本体はどうなってるんですか?」

「大丈夫、自宅で寝てるよ。バーチャルアイドルって生の体側に宿ってる生命エネルギーがめちゃくちゃ強いから、時々エネルギーが暴発してこういう特殊能力を無意識に使っちゃうんだ。わかりやすく言うとバグとかエラーみたいな感じ?」

 私はネット動画などでたまに見かけるオカルト系・スピリチュアル系の話を思い出した。バーチャルアイドルにもそんな超能力があるってこと? あまりにも非常識だし、いきなり納得できるわけがない。

「そんな……。急にそう言われても、超常現象を信じろなんて無理がありますよ」

「……まあそれが普通だよね。でもごめん、今は無理やりにでも納得してほしい。だって美希ちゃん、ユウナと友達になりたいんでしょ?」

「えっ? どうしてそれを?」

「だって私見ての通り思念体が出せるし。リスナーさんひとりひとりの思考は全部伝わってるんだよ♪」

 私は、信じられない気持ちとともに、ユウナに私の想いが届いているかもしれない嬉しさを感じて泣きそうになった。

「あ、でもね、思念体である私からユウナ本体に送れるのは波長だけだから、彼女がはっきりとあなたの気持ちを知ってるわけじゃないの。そこは覚えといて」

 そっか、一方通行であることは変わらないんだ……。いざ言われてみると哀しい……。

「まあ、そうですよね……」

「ああ、待って待って。私が来たのは美希ちゃんにとって嬉しいことを伝えるためなの」

「嬉しいこと?」

「明日から美希ちゃんは、小鳥遊ユウナのリアルなお友達、リア友になります!」

 寝耳に水。

「はっ!? えっ!? 私が……ユウナと……リア友……? あ、あの、それってどういう……?」

 すると、ユウナの思念体は、私の部屋の時計を見て焦り出した。

「あれ、もう十二時? あちゃー時間切れかー! じゃ、要件は伝えたからこれで! 美希ちゃんおやすみー!」

「え? あの、ちょっと?」

 戸惑う私をよそに、思念体は跡形もなく消えてしまった。

 一度は夢だと思い込んだものの、結局夢なのか現実なのか混乱したまま、気づいたら一睡もできずに朝を迎えていた。

「私が……ユウナと友達になる……? 変な夢……。え、夢……だよね? そうそう、よく出来た夢だよ……!」

 昨夜ゆうべのことを反芻はんすうしながら登校準備をする。いきなり推しの思念体が現れて会話するとか、どう考えてもおかしい。推し活のやり過ぎで少し疲れているんだろうか。

 すると、台所にいるお母さんが私を大声で呼んだ。

「美希─! お友達来てるわよー!」

 お友達……?

 ぼっち女子高生の私と一緒に登校する人なんて思い当たらないんだけど……?

 不審に思いつつ支度を済ませ、玄関のドアを開けた。

「おはよ! 美希! じゃあ行こっか」

 そこに立っていた明るい声の主は、私がスマホ越しから推し続けている美少女──小鳥遊ユウナ。

 二次元ではない現実の人として、私と同じ制服姿で私を待ってくれていた!

 小春日和の光を浴びて、私を何度も感動で泣かせたアイドルスマイルを無邪気に浮かべながら。

 私は驚きと嬉しさで胸がいっぱいになり、ぼろぼろ泣いてしまった。

「ちょ! 美希!? どうしたの!? 親とケンカでもした!?」

 急に泣き出した私を見て、ユウナが、あのユウナが心配してくれている。

 もうオカルトでも超常現象でも何でもいいや。

 だって嬉しくてしょうがないじゃん、こんなの……。こんなのってさあ!

「違うの……。ちょっと昨日感動するアニメ見てたから……思い出し泣き……」

 私は鼻をずびずび鳴らしながら、涙声でだいぶ誇張した言い訳をした。

「なーんだそっかぁ……! 急に泣くからびっくりしたよ」

「ごめんね、ユウナ」

「もう大丈夫? じゃあ、今度こそ行こっか♪」

「……うん!」

 私は今、推しと一緒に登校している。

 言葉にするとホント意味不明だけど、まぎれもない私の実体験である。

 スマホ越しでしか見られなかった彼女の笑顔を、夢にまで見た彼女との会話を、妄想の中で勝手に解釈していた彼女の制服の着こなしを、配信中に彼女がしゃべっていた愛用の香水の匂いを、全部私が独り占めしている!

 私と同じ学校の、同じクラスメートとして、小鳥遊ユウナが私の目の前に存在している!

 理屈でまったく説明がつかないけど、こんなに幸せな奇跡があるんだ!

 私はユウナと一緒に登校して、自分の席に着いてからも、舞い上がりたい気持ちでいっぱいだった。

 同じ教室の窓際の席に、ユウナが座っている。うわあああ……推しの着席姿をこんな間近で見れるとか、超役得……!

 これからずっとこんな幸せな高校生活が送れるなんて……。私、高校生リスナーでいてホントよかった……!

 だけど。

 私の前にリア友として現れた小鳥遊ユウナは、バーチャルアイドルとしての彼女からは想像もつかないくらいの問題児だった。

 授業中には居眠り。移動教室時はどこかへ行ってサボる。休み時間には校内をうろつき回って、他のクラスの女子たちにちょっかいを出す。私と一緒にお昼ご飯を食べながら他の女子の悪口を言う。しかも、標的はアニメやマンガ好きなオタク系女子ばかりだ。バーチャルアイドルである彼女自身が他ならぬオタク系リスナーに推されているはずなのに、どうしてそんなひどいことを言うのか私にはさっぱり分からなくて、私は彼女にバーチャルアイドルのことを尋ねた。

「はぁ? 何言ってんの? アタシ、アイドルなんてしてないよ。興味もないし。キモいオタク相手に歌うとか踊るとか話すとか正気じゃないでしょ。あんなの。何、もしかして美希もオタクなの?」

「えっ? い、いや。ちょっと知ってるだけ。だよ……」

 ユウナの睨むような視線に気圧されて、私は本心を隠してしまった。

「ガチのオタクだったらいくら美希でもアタシ無理だからね」

「う、うん……」

 以来、私はユウナに対してバーチャルアイドルはおろかオタク系の話題を一切出さず、自分に嘘を吐きながら彼女の親友として振る舞い続けた。

 念願の推しに出会えたと思ったら、その推しからいきなり刃物を突きつけられたような急展開。

 それでも、彼女はあのユウナの思念体が言った通り、小鳥遊ユウナであることは間違いないはず。そう信じたい気持ちで、私は辛抱強く彼女との交流を続けた。

 しかし、ユウナの素行は悪いままだ。

 彼女と過ごせば過ごすほど、小鳥遊ユウナのイメージにヒビが入り、目に見えないストレスとして積み重なっていく。

 そして、ある日とうとう、私は授業中に突然お腹に激痛が走り、気を失って倒れてしまった。日々のストレスに月のものが重なったせいだろう。保健委員のクラスメートが駆け寄って来てくれたところで記憶は途切れている。けれど、幸か不幸か、その日は偶然ユウナが欠席していたから、気まずい現場を見られずに済んでよかった、と思ったことだけは覚えている。

 目が覚めると白い天井が見えた。昔何かのアニメでこんなシーンを見たような感じがして、すぐに保健室のベッドに寝かされているとわかった。クリーム色のカーテンに囲まれている空間が、なぜか心地よく感じた。ありがたいことに、お腹の痛みもだいぶ治まっていた。

 すると、どこからか啜り泣きが聞こえて来て、私は隣のベッドに誰かがいることに気づいた。声質からしてたぶん女子だろう。

「ユウナちゃん……なんで……そんな急に……引退なんて……」

 デジャブ。

 また寝耳に水だ。

 おかしい。今ユウナは私の友達で……って、あれ? そうだ。私はユウナに直接確認できるんだ。すぐに自分のスマホをチェックした。が、今まであったはずのユウナの連絡先が、全部消えていた。不安と動揺で血の気が引いていく。

 ユウナのことが心配で気が動転していた私は、隣のベッドにいる女子に向かって、カーテン越しから声をかけた。

「あ、あの! 突然すいません! あの、小鳥遊ユウナ引退ってどこ情報ですか?!」

 ガタッと物音がした。慌てるのは無理もない。いきなり隣の見知らぬ人に話かけられたのだから。

 それでも、カーテンの向こうにいる女子が答えてくれた。涙声だった。

「え、えっと……。さっき、急にネットニュースに流れて来たんです。それで本人のSNS見たら引退しますってつぶやいてて……。しかも最後のライブとかは一切しないとまで言ってて……うぅ……」

 私はスマホで今日の日付を確認した。あの思念体と話してからちょうど一ヵ月経っている。

 ユウナが本当にアイドルを辞めたかったのは事実だろう。思念体という存在と遭遇したことを、その裏付けと考えるとつじつまが合う。

 ……夢か現実か、オカルトか超常現象か、未だにはっきりしないけど、私は大好きだった推しと、なんとも不思議な交流をしていたことになるらしい。

 でも、本当に引退なんて……。

 小鳥遊ユウナと最後に会えたリスナーが、まさかの私という結末になってしまった。

 誰も知らない、ユウナの本心を私だけが知ったまま……。

 思考が落ち着いてくるとともに、ふと、隣のベッドにいる女子と話してみたくなった。察するに私と同じくユウナ推しなのだろう。そこでもう一度カーテン越しから彼女に声をかけると、鼻声ながらちゃんと受け答えしてくれた。お互いいつからユウナ推しなのかという話題を皮切りにいろんなことを話し、やがて彼女が同人誌即売会などのイベントにユウナのコスプレをして参加するほど重度のオタクだと発覚した。純粋に感動した私は、彼女ともっと話したいとワクワクした。

「あの、よ、よかったら直接話しませんか?」

 そう提案しながら、私は不思議と積極的になっている自分に驚いていた。

 カーテンを開けて隣のベッドを見ると、すでに向こうも同じようにして顔を見せていた。彼女は、まだ充血しているが鈴を張ったような目で私を見ていた。薄く施されたアイメイク、ゆるふわカールの茶髪、艶のあるリップグロスがよく似合っている。可愛い系の美少女だ。ユウナ好きということは、彼女もきっとアイドルに憧れてオシャレをしているんだろう。見とれてしまい、思わず顔が熱くなる。

 あ、そうだ。肝心なこと、ちゃんと私から言って聞かなきゃ。

「わ……私、えっと、2年C組の田中美希です。あの……お名前、なんて呼べば良いですか?」

 目の前の女子は、少し恥ずかしそうに微笑みながら名乗ってくれた。ずっとさびしさに耐え続けた私にとって、この上なく嬉しい言葉を添えて。

「2年D組の、佐藤奈侑さとうなゆって言います。奈侑、で良いですよ。えっと……これからよろしくね、美希ちゃん!」

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