二章 主従訓練(4)


   ◇◇◇


 マリベル=リスグラシュー(21歳)はプライドが高い。

 その理由は、生まれ育った環境にある。

 一級の紋章を持って生まれたマリベルは、幼い頃から将来を有望視されていた。属性こそ一つだけ──水属性しか扱えないが、マリベルはひたすら研鑽を続け、ついには現存する水属性の魔法使いの中でも一番の実力者と言われるようになった。

 しかし、そんなマリベルの隣にはいつだって一人の女性がいた。

 エマ=インパクト。今ではと言われる女である。

 マリベルとエマが初めてかいこうしたのは、十二歳の頃。

 とある国の魔法学園に入学した時のことだった。

 その魔法学園では、入学試験で最も優秀な成績をおさめた生徒を新入生代表として、入学式で挨拶させるきたりがあった。

 マリベルは間違いなく、自分が新入生代表に選ばれると思っていた。

 しかし、選ばれたのはエマだった。

 以来、マリベルとエマは犬猿の仲として学園生活を送る。

 実際はマリベルの一方的な競争心しかなくて、エマはただひたすら己の魔法を磨くことのみに注力していた。それがマリベルにとって余計に腹立たしかった。

 学園にいる間、マリベルは幾度となくエマと比較された。

 そしてその度に「エマと比べるとなぁ」と、マリベルの努力を否定されてきた。

 挑み、破れ、挑み、破れ、また挑み、また破れ──。

 何度も挑み続けたその末に、マリベルは思う。

 ──逃げよう。

 学園を卒業したマリベルは、すぐにその国を去った。

 エマがいない場所では、いつだってマリベルが一番だった。

 一番はいい。皆に褒められる。長い間、ずっと求めていたものがそこにはあった。

 この時、マリベルは十八歳。

 およそ六年間、万年二位のコンプレックスを抱えていたマリベルの価値観は、ちょっとゆがんでしまっていた。

 しかしその一年後。エマが世界最強の異名を得るに至ってしまう。

 これによってエマの噂は世界各地にまでとどろいてしまった。──もちろん、マリベルが暮らしている街にも。

 くしてマリベルは、エマの噂が聞こえない場所を求めて各地を放浪する。

 マリベルはエマの噂から逃げるように、ひたすら旅を続け……辿たどいたのが、このコントレイル子爵領だった。

 旅の途中、少しだけ話したことのあるロイドから「暇だったら雇われてくれねぇか?」と誘われたことが切っ掛けである。ルドルフ王国のコントレイル子爵領……そういえばまだ足を運んだことがない場所だと思い、気分転換がてら承諾した。

(いいですね、コントレイル子爵領は。程よく長閑のどかで、領民の人数も程々で……ここなら私が一番になれそうです!)

 マリベル=リスグラシュー(21歳)。

 思春期のコンプレックスから、いまだ抜け出せていない女だった。

「では、最後はウィニング様。貴方の番ですね」

「はい!」

 ウィニングがやる気を見せる。

 順番が悪かったな、とマリベルは内心で思った。

 正直、先の二人はどちらも優秀だった。

 ロウレンの剣術は実用的だ。幼い頃から筋肉をつけすぎると発育に支障をきたしてしまうので、マリベルはこの少年にどのくらい筋肉を鍛えさせるか悩んだが、ロウレンの剣術は筋肉ではなく全身のしなやかさを軸としている。……なるほど、これなら年齢を考慮せず技術をたたむことができるだろう。

 シャリィの魔法も見事なものだった。

 魔力の繊細なコントロールは、才能では手に入らない。長い年月をかけて地道に習得するものだ。しかしシャリィは既に大人と同程度のコントロールを身につけていた。紋章は二級とのことだが、恐らく発現効率はかなり向上しているはず。状況によっては一級の紋章持ちにも勝てるだろう。

(まあ私の方が上ですけど!)

 マリベルは自尊心を保った。

 他人と比較され続けてきたマリベルは、すっかり自らも誰かと比較する癖がついてしまった。

「ウィニング様は何をするんですか?」

「走ります!」

「走る……?」

 それだけ……?

 首を傾げるマリベルに、ウィニングは頷く。

「今から俺は全力で走るので、マリベル先生には俺を捕まえてもらえればと思います」

「……つまり、鬼ごっこですね?」

「はい! あ、魔法とかは全然使ってもらってもいいので!」

 ウィニングが自分なりに考えた特技を披露する方法だった。

 その提案を聞いて、マリベルの中にある競争心が燃える。

(……面白いですね。私に勝負を挑むとは)

 学生時代、永遠に二番手だったマリベルは勝利にえていた。

 たとえ子供が相手だろうと負けるつもりはない。

「いつでもどうぞ。私の準備は終えています」

 杖を構えてマリベルは言った。

 まあ、万全を期してウィニングが動く前にあちこちへわなを仕掛けてもよかったのだが、流石にそれは遠慮しておいた。相手は子供。そこまでしなくても余裕で勝てる。

「分かりました。では──いきます」

 ウィニングは小さく息を吐く。

 次の瞬間──マリベルの目の前で、大きな爆発が起きた。


   ◇◇◇


「──っ!?」

 唐突な爆発に、マリベルは正面に水の盾を生み出した。

 鬼ごっこだと言ったのにまさかの攻撃──見た目によらず、ウィニングはとんでもない悪ガキなのかとマリベルは疑う。

 しかしふと違和感を覚える。

 展開した水の盾には衝撃がこない。どうやら先程の爆発は、正しくは突発的に生じた爆だったらしい。

 ならばこれは、恐らく攻撃ではない。

 巻き上がったじんが消えた後、マリベルは眉をひそめた。

 ウィニングが──消えた。

「こっちですよーーっ!!」

「な……っ!?」

 遠くからウィニングの声が聞こえ、振り向いたマリベルは絶句した。

 ウィニングはいつの間にか、五十セコルも離れた位置にいた。

 まさか、先程の爆風は……。

 ただ走っただけで起きたというのか……?

「く……っ!」

 マリベルは瞬時に《身体強化》を発動し、ウィニングを追う。

 しかし再び爆風が放たれたかと思うと、ウィニングはまた遠くへ移動していた。

 ──速い。

 信じられないくらい、速い。

 困惑したマリベルは足を止める。

 二人の鬼ごっこを眺めているロウレンとシャリィにいたっては、開いた口がふさがらないほど驚いていた。

(随分、前情報と違いますね……っ)

 フィンドから聞いた話によると、ウィニングは走ることが好きで、魔法の才能があるかもしれない子供とのことだった。

 依頼を仲介してきたロイドは「余計な先入観を与えたくない」と言って何も教えてくれなかったので、マリベルはウィニングのことを少し優秀な子供程度にしか考えていなかったのだ。

 蓋を開けば、とんでもない子供だった。

 適当に捕まえて終わりだと思っていたが、そう簡単にはいかないようだ。

「──《身体強化・二重デュアル》ッ!!」

 無属性魔法《身体強化》を二重に発動する。

 マリベルは今度こそウィニングを捕まえようとしたが──距離が中々縮まらない。

(向こうは普通の《身体強化》なのに、まだ追いつけない……ッ!?)

 だが速度では並びつつある。

 マリベルは回り込んで、ウィニングに近づいた。

 するとウィニングが跳躍する。

「跳ん──高ぁっ!?」

 あっという間にコントレイル家の館の屋根に上ったウィニングは、脇目も振らずに逃げていった。

「………………いいでしょう。認めます」

 己を落ち着かせるために、マリベルは敢えて口に出して言う。

 認めなくてはならない。

 この勝負、真剣にならなければ負ける。

「貴方は速い。ですが……私の魔法は、それをりょうがします」

 マリベルは深く呼吸して、集中力を研ぎ澄ませる。

 杖の持ち手側を、トンと地面に当てた。

「──《水軟樹ウィテル》ッ!」

 マリベルの正面に、水の樹木がきつりつした。

 瞬間、樹木を中心に地面から大量の水の根が出現し、その全てがウィニングへと迫った。

 むちのようにうねる水の根を、ウィニングは速さだけで避けようとする。

 しかしその時、マリベルが杖を振った。

「花咲けッ!!」

 うねる水の根の表面に、無数の花が開いた。

 花弁が飛び散り、その一つ一つが威力のある水の弾丸と化す。

「え──っ」

 想定外の角度から攻撃され、ウィニングは対応が遅れる。

 それはウィニングが今まで見たどの魔法よりもが高かった。

 驚きと戸惑いが、ウィニングの足を鈍くする。

 そして、それこそがマリベルの狙いだった。

 たとえ足が速くても──判断が遅ければ意味はない。

 踏んできた場数が違う。

 マリベルがもう一度杖を振ると、空中に飛散している水の花弁が一斉に破裂した。

 飛び散るみず飛沫しぶきが、極小の弾丸と化してウィニングを襲う。

 水はウィニングに触れた瞬間──まるで泥のように粘度が高くなった。

「うわっ!? ネバネバ!?」

 ウィニングがきょうがくする。

 ネバネバの水がウィニングの身動きを少しずつ封じていた。

 あと数秒もてばウィニングは指先一つ動かせなくなるだろう。

 マリベルは勝利を確信した。

 しかし、その時──。


 ──マリベルは見た。


 ウィニングの脚に魔力が集中する。

 三級の紋章では保有できる魔力の上限が低い。故に大量の魔力が集中しているわけではなかったが──全身に行き渡っていた魔力が、微細な取りこぼしもなく一瞬で脚部に凝縮されるという、そのあまりにも滑らかな魔力制御はれてしまうほど美しかった。

 脚に収束した魔力は、更に極限まで練り上げられ──。

「《イグニッ────あ駄目だ」

 何かが起きることなく、練り上げられた魔力は霧散した。

 あっにとられるマリベルの前で、ウィニングはネバネバの液体に全身をとらわれ動けなくなる。

「……私の勝ちですね」

「はい……参りました」

 マリベルの勝利宣言に、ウィニングはがっかりした様子で肯定する。

 しかしマリベルは釈然としていなかった。

 まるで勝った気がしない。

「貴方……最後に何かしようとしていませんでしたか?」

「ああ、えっと、もっと速く走ろうと思ったんですけど、これ以上は庭が壊れちゃうので……」

「……………………まだ、速くなるんですか」

 マリベルは驚愕した。

 どうやらウィニングは環境面に配慮した結果、手札を切れなかったらしい。

 もっとも、その点においてもマリベルは勝っていた。

 マリベルが杖を軽く振ると、水の樹木と根が消える。地面はれているが破壊の跡は一切なかった。マリベルは最初から庭を壊さないよう注意していたのだ。

(この速さは普通ではありません。元の身体能力がずば抜けて高いんでしょうか? ……いえ、それだけで片付く話ではありませんね)

 うなれるウィニングを、マリベルは無言で見つめながら考えた。

(……まあ今はいいでしょう。遅かれ早かれ詳細は分かるでしょうし……それに、まだ私の方が速いですしね!)

 ふふん、とマリベルは一人、得意気な顔をする。

 に六年間、後に世界最強と呼ばれる女と張り合ってきたわけではない。

 この世界にはウィニングが知らない魔法がまだまだある。

 機動力ならともかく、最高速度なら……まだマリベルに分があった。

 自分が七歳の頃はどうだったか──その思考はすぐに打ち切る。

 考えてはいけない。勝ちは勝ちなのだ。

「三人の長所はよく理解できました。これからよろしくお願いいたします」

 丁寧に告げるマリベルに、ウィニングたち三人も頭を下げた。

 そんな子供たちを見て、マリベルは機嫌をよくする。

(教師の仕事なんて一度も引き受けたことはありませんが……なかなか悪くないですね! だって皆、私より格下ですし!)

 マリベルは格下しかいない環境では強かった。

 しかし流石に、優秀な魔法使いでも未来までは読めない。

 マリベルは、目の前にいる三人の子供……特にウィニングと、これから半年どころか何十年にもわたる付き合いになるとは思ってもいなかった。



   ~試し読みはここまでとなります。続きは書籍版でお楽しみください!~

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