二章 主従訓練(3)


   ◇◇◇


 主従訓練が始まった。

 基本的にウィニングは、走ることが好きすぎて相対的にそれ以外のことには興味がなくなってしまう性分だが、それでも今回の訓練は楽しみにしていた。

 父フィンドによると、今回の主従訓練には高名な教師を呼んでいるらしい。

 一体どんな知識を教えてくれるのか……その知識を得て自分の走りはどれだけ進化するのか、楽しみで仕方なかった。

 ウィニングは二人の従者……ロウレン、シャリィとコントレイル家の庭で待機していた。

 しばらくすると、一人の女性が長いローブを風に揺らしながら庭にやってきた。

「はじめまして、皆さん。マリベル=リスグラシューです」

 あでやかな藍色の髪を、膝の裏あたりまで伸ばした女性だった。

 この女性が、これから半年ほど続く主従訓練の教師だ。

 紋章は一級。

 更に由緒正しき聖王流剣術の奥伝。

 完璧な才女である。魔法に対する造詣が深いだけでなく、剣術も一級品。これほどの教師、世界中を探し回っても替えを用意するのは難しい。

 一体、父はどうやってこれほどの人物を招致したのだろう。

 ウィニングは父の人脈に感心した。

「ウィニングです」

「シャ、シャリィです!」

「ロウレンです」

 ウィニングたちがそれぞれマリベルに挨拶する。

「では、マリベル殿。後は任せた」

 少し離れた位置からウィニングたちの様子を見守っていたフィンドが、軽く頭を下げる。

 子爵家当主というそれなりの地位に君臨するフィンドだが、マリベルもまた高名な魔法使い。礼儀を欠くことはできないと判断したのだろう。

 フィンドはそのまま立ち去ろうとして──最後にウィニングの方を見た。

「ウィニング」

 名を呼ばれたウィニングは、不思議そうに目を丸くする。

「私はお前をあくまで次期当主として育ててきた。対し、シャリィとロウレンは、我がコントレイル家のほことなるよう育てられてきた」

 ウィニングは無言で頷いた。

 それは、まあ、知っていることだ。

 フィンドは続ける。

「だから、あまり気にする必要はない。……スタートが違うのだ。差を感じたとしても、これから追いつけばいい」

「えっと……はい。分かりました」

 正直何が言いたかったのか分からなかったが、自分の身を案じてくれていることだけは伝わったので、ウィニングは頷いた。

 仕事があるフィンドは庭を去って家に戻る。

 その背中が見えなくなってから、マリベルは改めて口を開いた。

「さて。これから私たちは半年という長い期間の付き合いになりますが、依頼主のフィンド様からはできる限り貴方あなたたちを鍛えてほしいと言われています。なので早速、訓練を開始しましょう」

 マリベルは淡々とした性格なのかもしれない。

 どこかビジネスライクな雰囲気だとウィニングは感じた。

「まず、三人にはそれぞれ得意なものを見せてもらいましょうか。魔法でも剣術でも、なんでも構いません。相手が必要なら私が協力します。……さあ、順番はお好きなようにどうぞ」

 マリベルの言葉を聞いて、ウィニングたちは沈黙した。

 臆しているわけではない。何をすればいいのか分からないので悩んでいる。

「ウィニング様。まずは俺からやらせていただいても?」

「あ、うん。いいよ」

 一番手を名乗り出たのはロウレンだった。

 ロウレンはマリベルの前に出る。

「シーザリオン家の剣術は、を理想としています。端的に言うと、……この二種類の魔法を組み合わせた剣術です」

「……いいんですか? あまり他言するべきではない情報な気がしますが」

貴女あなたになら開示してもいいと家の許可を得ています。なにせ貴女は、かの聖王流剣術の使い手……ご指導、期待しています」

 どうやらシーザリオン家も、マリベルの実力は認めているらしい。

 剣術のネタを隠すことよりも、それを明かして更なる飛躍を求めているのだろう。

「いきます」

 そう言ってロウレンは、さやから剣を引き抜いた。

 ロウレンが披露したのは、剣術の演武だった。

 習得したあらゆる技をつなわせ、流れるように次々と繰り出していく。

 途中、ロウレンの剣が消えた。

 かと思いきや、次の瞬間には剣が現れる。いつの間にかロウレンは剣を振り抜いた後──即ち、斬った後だった。

 常に不可視というわけではない。だがここぞという瞬間、ロウレンの剣は透明化し、更に高速化する。

 中々恐ろしい剣術だ。

 えず……見世物向きではない。

 なら、剣が消えて現れる度に何が起きたのかよく分からなくなる。現にシャリィは先程からずっと目をパチパチとさせて混乱していた。

 一方──ウィニングは、目をキラキラと輝かせている。

「……以上です」

 ロウレンが演武を終えてお辞儀した。そのほおからは一筋の汗が垂れている。

 直後、ウィニングは大きく口を開き、

「──凄い!」

 心の底からロウレンを称賛した。

 仕えるべきあるじからの素直な称賛を受け、ロウレンは内心で喜んだ。

 ロウレンにとって剣術は最も努力した分野であり、アイデンティティと言っても過言ではない。だからそれを認められると心の底からうれしくなる。

 ただ──。

「どうやったらあんなに速くステップを刻めるの!? 右に跳んだかと思えば左にかがんで……魔法? それとも筋力!?」

 ウィニングの称賛は若干、剣術かられていた。

 しかしロウレンはそれ以上に──今の指摘が具体的すぎることに疑問を抱いた。

「あの……見えたんですか?」

「え?」

「俺、透明化の魔法は剣にしか使っていませんけど、高速化は全身に使ってたので、わりと速く動いたと思うんですが……」

 ロウレンの説明に、ウィニングは首を傾げた。

「速かったけど、見えたよ」

 事実のみを口にするウィニングに、今度はロウレンの方が不思議そうな顔をした。

 なんだろうか、この筆舌に尽くしがたい感覚は……ロウレンは訝しむ。

「悪くないですね」

 その時、マリベルが短く告げた。

 ロウレンの気が引き締まる。

「シーザリオン家の剣術というものを私は今まで知りませんでしたが、実用的で非常に面白いと思います。ウィニング様がおっしゃっていたようにステップの刻み方も独特でそれ自体がフェイントとなりますし、剣の透明化が一瞬だけなのも効果的です。相手を混乱させることができる緻密な剣術ですね。称賛に値します」

「あ、ありがとうございます」

 マリベルのべた褒めに、ロウレンは驚きつつも頭を下げた。

 代々家門でけんさんし続けてきた剣術が、これほどの高名な人物に褒められたのだ。シーザリオン家の次期当主として誇りを抱くロウレンにとってこれほど嬉しいことはない。

「まあ私の方が凄いですが」

 呟くような、小さな声が聞こえたような気がした。

 その声を発した本人とおぼしきマリベルの方を振り向くと、彼女は先程と何ら変わらぬ淡々とした表情を浮かべていた。

 ……ん?

 ウィニング、ロウレン、シャリィの三人は、妙な違和感を覚える。

 が、まだその正体をつかみきれなかったので、ひとず脇に置いておいた。

「えっと、じゃあ次は私が……」

 シャリィが恐る恐る挙手して、マリベルの前に立った。

 シャリィは気弱な少女というより、緊張に弱いタイプだ。ウィニングと初めて会った時も、随分ぎこちなく挨拶をしていた。

 しかし、そんなシャリィにも得意なことはある。

 魔法だ。

「ファレノプシス家の魔法は、長距離の砲撃を得意としています。なので、そういう魔法を見せられたらと思います……」

 そう言ってシャリィは、腰のベルトにるしていたつえを手に取る。

 バチリ、と音がした。

 シャリィの握る杖の先に、電流が走る。

 どうやら彼女は雷属性の紋章を持っているらしい。

「いい魔力の収束です。私に撃ってみてください」

「え!? い、いいんですか……?」

「はい」

 マリベルの提案に、シャリィは驚きつつも従うことにした。

「──《稲妻砲ラウルガ》ッ!!」

 せんこうほとばしる。

 収束した電気が、まるでレーザーのように射出された。

 瞬間、マリベルの正面に水の盾が生まれた。

 まるで水面のようなその盾に、雷の砲撃が直撃する。

 砲撃はバチバチと音を立てながら、水面に吸い込まれていった。

「凄い……!」

 またしてもウィニングは目を輝かせた。

 そんなウィニングに、シャリィは恥ずかしそうにするが、

「俺もあんなふうに、もっと速く走りたい……ッ!!」

 やはりウィニングの着眼点はどこか独特だった。

「見事です」

 マリベルが評価を下す。

 緊張するシャリィに、マリベルは続けた。

「長距離ではなくと口にしていたのは、精密さを極めた上で威力も落とさないという非常に難しい目標を掲げているからでしょう。ファレノプシス家には、そのためのノウハウが蓄積されているようですね。魔力を一点に収束させる技術も、練り上げられた発現量も、どちらも素晴らしいものでした」

「あ、ありがとうございます!」

 シャリィは嬉しそうに頭を下げる。

「まあ私の方が凄いですが」

 マリベルが小さな声で呟いた。

 ウィニングたちは再び「ん?」と首を傾げる。

 さっきから、この呟きはどういう意味なのだろうか。

 呟くタイミングが妙なので、挑発されているようには感じない。

 むしろちょっと面白いとさえ感じる。

 そして、どこか……自分に言い聞かせているようにも聞こえなくもない。

「では、最後はウィニング様。貴方の番ですね」

 マリベルがウィニングを見る。

 ウィニングは微かな緊張と共に頷いた。

「──はい!」

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