02.バルにて

 店内に入ってすぐ右手には背の高い椅子が四脚並ぶカウンター席があり、奥に進むと四人掛けのテーブルが四つと二人掛けのテーブルが二つあった。

 照明は明るく〝BAR〟という文字列から想像していたイメージとのギャップにまなかはしばし戸惑う。

 平日の午後にもかかわらずカウンター席はすでに埋まっており、奥の席にもぽつぽつと客の姿があった。しずりは慣れた仕草で店員に確認すると、空いていた二人掛けのテーブル席にまなかを誘う。奥の席にまなかが、手前の席にしずりが収まった。

「寮の新歓のときにね」

 しずりがメニューをたぐり寄せながら、緊張気味のまなかに笑いかける。

「ほら、私幹事だったでしょう。だからちょっと攻めたセレクトをしてみたの、お酒」

「そうなんですか」

 言われてまなかは思い返すが、考えてみればあれがはじめての飲酒だったのでどの辺が〝攻めたセレクト〟だったのかがわからない。

 寮の新入生歓迎会はお決まりのチェーンの居酒屋やカラオケボックスではなく、近くの公園に繰り出してのピクニックだった。しずりをはじめとした先輩達の手作りのお弁当が華やかで美味しかったのを覚えている。グラスを片手に色鮮やかな350ml缶が詰められたクーラーボックスを楽しそうに開いて見せるしずりの姿も。

「あー……、でも私、あの時が初めてだったのでちょっと良くわからないです」

「うん」

 まなかの苦笑いにしずりはうなずいて返し、目を弓なりにした。

「だから余計に嬉しかったの。安積さんが『ビール好きかもしれないです』って言ってくれて」

「ああ、なんか想像していたのと違ったのは良く覚えてます。もっと苦いだけだと思ってたというか……思ってたのと違うベクトルの苦さだったというか。アルコールも急に入ってくる来る感じがしなかったですし」

 記憶をたどりながらまなかは言う。

「外でグラスで飲むのも新鮮だったですね。特別感があって」

「持ち運びがちょっと大変なんだけどね。あれはやってよかったと思う。あ、それでね。その時持ってった銘柄はクラフトビール系縛りでやってみたの」

「クラフトビール……えっと」

「簡単に言うと、一般に広く流通しているビールと違って小規模の醸造所が作っているビールのこと。個性的で銘柄によって味の幅が広い……まあ、クセかな? があるんだけど、あれを『好きかも』って言うならたぶんこの子はビールが好きかなって思ってね」

 しずりは手に持っていたメニューをこちらに差し出してきた。それを見てまなかは思わず目をぱちくりさせる。

「え、これ? これ全部違うビールなんです?」

「そう」

 メニューにはグラスに注がれたビールの写真がずらりと並んでおり、それぞれ微妙に色合いが違う。全体的には黄金色こがねいろなのだが、淡かったり濃かったり、赤っぽかったり黒っぽかったり、ほぼ琥珀色のものもあった。

「だから機会があったらここに連れてきたいな、って思ってたの。ううん、狙ってたの」

 顔を上げるとぺろっと舌を出したしずりと目が合った。

「それで、こんな時間からお酒ですか?」

「んー、ノンアルもあるよ」

 すっと伸ばされたしずりの指がメニューの右下を指していた。フルーツジュースが豊富にあることがわかる。こちらも豊富すぎて目移りしそうだった。

「今日はお店を教えたかっただけだから……」

 そこまで言ってしずりははっとしたように口元を押さえた。

「もしかして、強引だった、私」

「あ、いえ——」

「ごめんなさい。タイミング良かったから先走っちゃって——」

「そんなことないです!」

 まなかはふるふるとかぶりを振って、しずりをまっすぐに見つめる。

「ただ、ちょっと意外だっただけで」

 しずりが小首をかしげる。

「八郷先輩ってすごく真面目そうな印象があったので……。ああ、お昼からお酒を飲むのってありなんだなあ、って思っただけで」

「失望した?」

「いいえ」

 まなかはゆっくりと首を振って答える。

「むしろ好きです。いまはなんだかわくわくしてます」

 しずりの頬がほのかに赤くなった。それを見て、まなかも意識せずに発した言葉に気づいて頬が熱くなるのを感じ、メニューで顔を隠す。

(わ、どうしよ)

 まなかは自分の感情に気づいて戸惑う。

(照れてる。可愛い……)

 八郷しずり。二学年上で一つ年上の先輩。いつもの落ち着いたたたずまいは崩れて、ほのかに少女の影が立ち上っている。せわしなく指を交差させる仕草がいじらしくて、まなかはつかの間いつも意識している歳の差を忘れた。


「あのー、御注文よろしいですかー?」


「あっ」

「あ、はいっ。それじゃ、これお願いします!」

 店員の声に我に返った二人は、それぞれに声を上げていた。勢い込んで答えたまなかに店員は動じる様子もなく、伝票に書き留めると「そちらのお客様は?」としずりに伺う。

 しずりはまなかの手元を見やると短く店員に注文を告げた。

 まなかが選んだ銘柄だった。

 そこで『同じの』と言わないところが良いな、とまなかは思う。



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