誰そ彼のブラインド
胡麻かるび
東京GWの昼下がり
その日はたまたま彼女との大切な記念日だった。
僕は、普段近づきもしない小洒落た喫茶店に入り、東京のゴールデンウィークという炎天下と雑踏の洗礼を受けた体を休ませていた。
空調の利いた店内は、今の僕によく馴染む。
贅沢を言えば、ブラインドを下げて日光を遮って欲しかったが。
「——ええ? そうかなぁ」
窓側席から聞こえた声が僕の耳に届いた瞬間、戦慄が走る。
もう何年前だろう。
今年、専門学校を卒業する歳だろうから、三年ぶりだろうか。
三年も経ったというのに、声だけで彼女だということがはっきりとわかった。案の定、テラス席に目を向けると彼女がいた。
向かいの席には男もいた。
細くて長身で、顔立ちもモデルのように小顔で整った、絵に描いたようなイケメンだ。彼女があのまま役者志望として、演技の専門学校に進学したなら、その馴れ初めも容易に予想がつく。
それにしても、非の打ち所のない男の存在を見せられ、歯噛みする思いだ。
ぱっと見、僕に勝てそうな要素はない。
おめでとう。せいぜいお幸せに。
この状況で、彼女が僕の存在に気づいていないのが幸いだった——。
「ふふ、きっとケイなら大丈夫だよ」
「うんっ! 応援してる!」
休日の昼下がり、彼女は楽しそうに男と喫茶店で雑談をしていた。
そのおどけたような口振り。やや大げさな手振り。
相変わらずだった。
変わったことといえば、地元の片田舎にいる頃では浮いていた化粧が、様になったことくらいだろうか。
なにも二人の特別な日に、こんな光景を見せられることないだろう……。
運命は残酷だ。
僕と彼女が付き合っていたのは、もう三年も前の話だ。
高校二年生の春。
付き合い始めたのは遅かったが、僕らは地元も近く、ほぼ幼馴染のような存在だった。町内のお祭りではよく顔を合わせていたし、互いの両親も顔見知りで、子どもの頃はその仲をよく冷やかされていたものだ。
告白するまでの年月はとても長かったけれど、付き合っていた期間はあっという間に終わってしまった。
男女の関係になってから、うまく行かなかった。
幼馴染というのはどうも難しい関係だ。
今さら当時の話を持ち出そうという気は更々ない。
ただ、幼馴染として、小さい頃から彼女をよく知る身内の一人として、東京という騒がしくも冷酷で、欲望が蠢きながらも淡泊な街でも、彼女がうまくやっているのかは気になってしまう。
それくらい見守る権利は僕にだってある。
「そろそろ行こっか? ——あっ、ちょっとわたし、お手洗い行ってくるね」
彼女が男に話しかけ、席を立った。
男は彼女が男女共用トイレに行っている間、会計を済ませていた。
容姿だけでなく、気遣いも含め、男は完璧だった。
なんだ。僕が気にかけるまでもない。
さすが彼女。ちゃんと男を見る目があって、変な男に引っかかったわけでもなさそうじゃないか。
言い知れぬ敗北感に襲われながらも安心した。
——僕は、お人好しだからな。
彼女と男が店を出たら、邪魔しないように時間を置いて僕も立ち去ろう。
そう決意して、しばらく彼女を待っていたが、一向に戻ってこない。
僕よりも彼女の新しい男の方が待ちぼうけをくらっている。
「遅ぇなぁ……」
男がそうぼやく。
些細なことで険悪になったら彼女が可哀想だと思った僕は、どうしても気になって様子を見に行こうと席を立った。
共用トイレの近くまでやって来て、はっとなった。
重要なことを思い出し、僕は店内の窓のブラインドをすべて閉めた。
「ごめんごめんっ! おまたせ————あ」
「あ——」
トイレから慌てたように出てきた彼女と、僕は鉢合わせになった。
薄暗くなった店内で、僕と彼女は互いをはっきり認識した。
時が止まったかのように、彼女と見つめ合う。
「おい。どうした?」
男が僕の背後から声をかける。
気まずい。
「なんでもない。ごめん。行こっか」
彼女が僕を避けることなく、体をすり抜けるように通り過ぎた。
僕はそれを何でもないことのように見送る。
「なんで泣いてんだよ?」
「目薬さしてて……。わたし、ドライアイだから」
「そうだったのか?」
「うん。——ブラインド、ありがとう」
店内を振り返り、ひと気のないテーブルに彼女が一言そう告げた。
彼女は、極度に目が乾燥するシェーグレン症候群をかかえて生活している。
空調も利き、日光も当たる窓側席は病に障ったかもしれない。
「俺じゃない。店員さんが閉めたんじゃないかな」
唯一、僕がその男に勝てた瞬間だったかもしれない。
どうせ今回かぎりの勝利かもしれないけど……。
それにしても、普段から目薬をさし慣れている彼女にしては、随分と手間取っていたように思う。
ふと、半開きの共用トイレの扉の隙間を見る。
洗面台の上に、あるブレスレットが置き忘れていた。
三年前の今日、二人で行ったお祭りのゲームで当てた景品だ。
残念ながら、僕はそのお祭りの夜、歩道に突っ込んできた車から彼女を守るために飛び出して——。
「あぁぁぁああ……っとと、忘れ物〜!」
慌ただしく戻ってきた彼女はブレスレットを取って、再び僕とすれ違った。
すれ違い様に彼女は一言。
「ありがとう」
はっきりと僕にそう告げた。
今の君が付けるには、だいぶ子どもっぽいアクセサリーだと思うよ。
でも、まだ持っていてくれたんだ。
遠く離れてしまった彼女だけど、僕と通じ合えるものを持ち続けてくれていることに救われた気がした。
また、二人の波形が合う時にでも。
誰そ彼のブラインド 胡麻かるび @karub128
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