やがてロッシュ限界を超えるまで

草鳥

やがてロッシュ限界を超えるまで


「知ってる? 歌見さんの話」


「あー知ってる知ってる。今度の犠牲者は後輩らしいじゃん」


 昼休みの喧騒に包まれた教室で、友人たちが嘲りと嫉妬を奥に沈めた嫌な笑顔を浮かべて話している。

 私もそれに倣って口の端を曲げてみると、じわりと嫌な感覚が心臓から全身へと伝っていくのを感じた。

 心が汚れる、不快な感触。


「やばいよね。男子にデートに誘われたら断らないくせに途中で帰っちゃうんだって」


「これで何度目だっけ? ねえ狭霧」


「ん? あー……わかんない」

 

 話を振られて半ば反射的にそう答えた瞬間、友人たちの纏う空気がわずかに攻撃的なものへと変化する。

 ノリが悪い。彼女らの顔にはそう書いてあった。

 空気という名の真綿が私の首を緩やかに締め上げていく。


「……てかヤバいよね。軽いっていうか、男子かわいそー」


「だよねー。人の気持ちとか考えろって」


 適当に調子を合わせてやると、息苦しさは徐々に去る。

 何とかこの場を切り抜けられたと胸を撫でおろしかけていると、がらりと教室の扉が開く。

 振り向かずに横目で見た教室の入り口には件の歌見さんが佇んでいた。

 彼女は私たちを一瞥すると、澄ました無表情のまま自分の席へと帰って行く。


「……五限の体育だるくない? 私生理っつってサボろうかな」 


「ずっる。つかあんた先週も同じ手使ってなかったっけ?」


 なんと見事な方向転換、いつの間にか話題が変わっている。というか歌見さんが帰って来たのを察知して変えたんだろう。

 変わり身だけは早い子たちだ。でも、歌見さんのあの反応からすると絶対バレて――――


「…………っ」


 ヤバい、目が合った。

 思わず目を逸らしたところでやっと、無意識に歌見さんを見つめていたことを自覚する。


 もう一度、おそるおそる視線を戻す。

 歌見さんはすでにこちらへの興味を失ったらしく、気だるそうにスマホをいじっていた。


 歌見さん。

 私のクラスメイト。

 授業で当てられた時くらいしか声を聴くことは無く、誰かと一緒に居る所も見たことがない。

 そんな独特な雰囲気から周囲からは遠巻きにされている。 

 私はあの子の笑った顔を見たことがない。たぶん、みんなそう。


 だけど。

 歌見さんは、それでも誰より綺麗だった。




 * * *




「狭霧、今日マジで無理なん?」


「うん、ごめんねー。どうしても家の用事が外せなくて」


 手を合わせて申し訳なさそうな態度を作ると、友人たちはあからさまに不満げな顔を浮かべつつも納得してくれた。少なくとも表面上は。

 適当な挨拶を交わして駅で別れ、深くため息をつく。この後私の陰口で盛り上がるんだろうな。

 

 どうせ喫茶店で長々とどうでもいい話をするか、ウィンドウショッピングで時間を潰すかのどちらかなのに、そういった集まりに付き合わないのは彼女らの中では大罪に値するらしい。

 理由があればさっきのように納得した素振りを見せてはくれるが、そのたびに私が培ってきた好感度のようなものが消費されていくのを肌で感じる。

 あと何度繰り返すとハブられるんだろう、と考えつつ、私は改札から出て歩き始めた。


 正直なところ、あの子たちといても楽しくは無い。

 しんどいことも多い。

 だけど、寂しくはない。

 寂しいのは嫌だ。


 だけどまあ、やっぱりストレスは溜まるわけで。

 そんな私のストレス解消法はいつもヒトカラだ。下手の横好きかもだけど歌うのは好きで、大きな声も出せるから憂さ晴らしには持って来いだった。


 一度友達にそれとなくヒトカラの話題を出してみたら、それはもうボロクソだったけど……。

 寂しそうとか、何が面白いの? とか。


「面白いわ。ばーか」


 悪態をつきつつ見慣れた歩道を歩いていくと行きつけのカラオケ店に到着する。

 入り口のガラス扉のノブを手に取る――と、固い抵抗が。開かない。

 扉をよく見ると臨時休業の張り紙が無造作に貼られていた。


 嘘でしょ、と喉の奥から掠れた声が漏れる。

 これじゃあわざわざあの子らと別れた意味がない。雲で覆われた灰色の空が私を頭の上から抑え込んでいるような不快感がした。


 がっくり来つつ踵を返すと、道路を挟んで反対側の白っぽく背の低い建物が目に入る。

 その壁面にはバットを持ってヘルメットをかぶり、ユニフォームを身に着けた少年の絵が描かれている。

 バッティングセンター、というかすれた文字列が目に入った。


「……この際あれでもいいか」


 今まではカラオケに来るだけだったからバッティングセンターの存在は気にも留めてなかった。

 野球のルールはよく知らないしバットを握ったことも無い。

 だけど鬱憤の溜まった今の私にはちょうどいいかもと思った。




 * * *



 外観の印象通り古臭い建物だった。

 屋内に入ると少し薄暗く、受付の向こうにはネットで区切られた打席がいくつか。

 

 傘立てに入れられている貸し出しバットを手に取り、ジャングルみたいな緑色のネットをくぐって打席に入ってみる。

 ピッチングマシンへ目を向けると、思ったよりも距離があった。

 すぐそばにはさび付いた機械があって、ここに小銭を入れるとゲームが始まるらしい。200円。


「……やっす。い、よね?」


 誰にともなく疑問を浮かべつつ小銭を投入すると、とくに効果音がするわけでもなくマシンが稼働し始めた。

 

「うお、ちょっと早いって」


 慌てて打席に立ち、バットを適当に握る。

 これで握り方あってる? わからん。

 マシンのバーがカチカチカチと不安になる音を立ててボールを持ち上げていく様はどこかジェットコースターを連想させ――――びゅん! と風を切る音を聞いた時には、白球が目の前を通り過ぎた後だった。はっや。

 

 こんなの打てないだろ、と思ってマシンの方を見ると脇に取り付けられた小型の電光掲示板に110km/hと表示されていた。

 嘘でしょ160くらい出てると思ったんだが。

 失敗したかなあ、とがっくり来つつこのまま帰ろうか検討していると――――

 

「うるっ……さああああああああああいっ!」


 隣の打席から腹の底から叫ぶ声。同時に景気よく白球がかっ飛ばされる「カーン」という音。

 適当に打席に入ったから気づかなかったが先客が隣に居たらしい。

 誰よりもうるさいのはお前だと思いながらこっそりと隣を窺うと、


「……は? 歌見さん?」


「うわ、陰口団員C」


 なんだその団は、と首を傾げた直後。

 歌見さんがスルーしたボールがネットに吸い込まれた。




 * * *




 かーん、かーん、と歌見さんが白球をかっとばす小気味のいい音が連続する。

 私の方はと言えば空を切る情けない音ばかりだ。

 というかそもそもバットの振り方もなっていない。腕へにょ、腰へにょ、脚へにょ、って感じ。


 歌見さんは、その美貌も相まって絵になっている感じがする。

 見るからに慣れているようだ。


「なんでっ、今日はっ、ここに来たの」


 バットを振りながら歌見さんが問いを投げてくる。

 少し驚いた。この子が誰かに話しかけているところを見たことが無かったから。


「カラオケが閉まってて……」 


「カラオケ? ひとりで?」


「……悪い?」


「別に。ただいつもつるんでる奴らは居ないんだなって思っただけ」


 陰口団。

 そう呟いて歌見さんはバットを振る。

 その子供っぽいネーミングが、ちょっと意外だった。


「…………」


 私は人に合わせる生き方を選んだ。

 できる限り波風を立てず、刺激するようなことは言わない。


 だけど、今は。

 二人きりのこの場所が、どこか周りから隔絶された聖域みたいに感じたからだろうか。

 いつの間にか少し踏み込んだことを口にしていた。


「あの……なんかいつもごめん」


「は? 何が?」


「いやその、陰口、とか。うちら割と好き放題言ってるし」


 かん、と最後の一球を打ち切った歌見さんがバットを立てかける。

 そのままネット越しに近づいて来て、


「悪いと思ってたんだ」


「……別につるみたくてつるんでるわけじゃないし」


「言い訳おつ」


 歌見さんはけらけらと歯を見せて笑う。

 言い返せなくて肩を落とした直後、私の方のネットを最後の一球が揺らす。

 最後の方はほとんど歌見さんばかり見ていてバットすら振っていなかった。

 そのことが何だか悔しい。


 ため息をつきつつボックスを出ると、「なんか飲もうよ」と手招きされる。

 マジか、と頬が熱くなるのを感じた。……なんで熱くなる?

 疑問を宙ぶらりんにしたままついていき、自動販売機で炭酸レモンを買って傍のベンチに並んで座る。

 歌見さんはスポドリを勢いよく飲んでいる。白い喉が動く様に、目が奪われた。


「狭霧はさ、何となくつまんなそうに見えてた」


 名前を覚えられていたという驚きに喉が詰まる。

 誤魔化すように何度か咳払いをして、そんなに見られていたのかという妙な気持ちが後に来た。


「仕方なく合わせてるっていうかさ。嫌だったらやめればいいのに」


「……そういうわけにはいかないよ。ぼっちとかありえないし」


「それ喧嘩売ってる? まあいいけど」


 歌見さんの踵がリズムを刻むようにベンチの足を叩く。

 彼女が言うところの陰口団員Cと話しているというのに、どこか上機嫌に見えた。

 歌見さんも人と話すのは楽しいと感じるのだろうか。


「歌見さんは友達とかいないの」


「あのね、友達なんていらないの。どうせ薄っぺらい話して傷を舐めあって裏でけなし合うだけの下らない関係なんだから」


「めっちゃ早口」

 

 苦し紛れに言い返してみたものの、彼女の言い訳じみた言い分は私に刺さった。

 私と友達の関係は、まさに”そのもの”だったからだ。

 クラス替えの際にたまたま席が近かったから一緒に居るだけ。別に個人として愛着とかがあるわけじゃない。

 誰でも良かったんだ。集団に属することができれば。 ……もしかしたら私は相当冷たい人間なのかもしれない。 

 でも、思うところはある。


「だいたいの関係ってそんなもんじゃない? お互いにメリットがあるから付き合って、少しくらいのデメリットは飲み込んで……そうやってお互いに縛りあいながら世の中を泳いでいくんじゃないのかな」


「そういうの、私は嫌い。気持ち悪い」


「はっきり言うね」


「こんなとこで取り繕ってどうすんの」


「そりゃそうだ」  


 彼女の明け透けなところは、個人的に嫌いじゃない。

 歌見さんはひとりだって胸を張って生きている……ように見える。少なくとも私の目には。

 だけど、そんな普段の彼女とは違い、歌見さんはそっと目を伏せた。

 長い睫毛が、白い頬に影を落とす。

 

「……なんか、普通に話すんだね。私のこと聞いてるんでしょ。嫌じゃないの?」


 歌見さんが言っているのは例の噂のことだろう。

 男子からデートに誘われればほいほいついていく。しかし、途中で勝手に帰ってしまう。

 貢ぎ物をされたりランチを奢られたりしても容赦なく。

 被害者の男子が黙っているはずもなく、その噂によって歌見さんは孤立している。

 いやまあ、今の感じを見てる限り噂関係なく独りだったような気はするけど。


 嫌じゃないかと聞かれれば、嫌じゃない。

 歌見さんが誰を掌の上で転がそうが私には関係ないし、それに……そこは多分この子の本質じゃない気がするから。

 いや、知らんけど。ただ何となく今話しててそう思った。

 だから私は端的に答える。 

 

「いや別に」


 すると歌見さんは、少しムキになったように食い下がって来た。

 意外と気にしていたのだろうか。知らない一面だ。

 思ったより子供っぽいのかもしれない。

 

「そんなことないでしょ。それとも噂を信じてないとか?」


「いや別に」


「じゃあなんなの」


 唇を尖らせる歌見さんを一瞥し、炭酸を喉に流し込む。

 なんなの、と聞かれても。

 本質的に、私は人の内情に興味がないのかもしれない。

 その人が誰と付き合うとか、誰と仲良くしてるとか、どこに住んでるとか、親はなんの仕事をしているのかとか。


 私が気にするのは、その人がどういう人間なのか。

 それくらいだ。


 少なくとも歌見さんは私の友達とは違って、素のままで向き合ってくれてるように思う。

 それは、うん。好ましいと思う。


「歌見さんの噂とか、本当はどうでもいいんだよ。例えばここで噂を信じてないとか歌見さんはそんな人じゃないって薄っぺらいこと言うのは簡単だけどさ。でも、なんか……本音で話してくれてるっぽい人を騙すようなこと言うのはなんか違くない?」


「本音かどうかはわかんないじゃん」

 

「そうだね。私にはそう見えたからそう思った。それだけの話だね」


 そう言ってやると、歌見さんはどこか悔しそうに唇を尖らせて俯く。

 何となくすっきりした。思ってることを素直に口にするのは久しぶりだったような気がする。


「噂がどの程度本当なのかは知らないし、あなたのことも知らない。だからまあ、わかんないしどっちでもいいっていうのが本音」


「……どっちでも、いいんだ」


「冷たいって思う?」


「ううん」


 歌見さんは首を横に振った。

 それはどこか、半ば呆然としながらの――感嘆が混じったような動作に見えた。


「なんか、もっと早くに話しておけば良かったな」


「何が?」


「狭霧と。思ってた百億倍面白いやつだった」


「誇張しすぎて嘘っぽい」 


「マジマジ」


 そう言って嬉しそうに私の肩を叩く歌見さんは、見たことの無い笑顔を浮かべていた。

 浮かれた子どもみたいな、無邪気な笑顔だった。




 * * *




 それから何となく、私は時たまバッティングセンターに通うようになった。

 別に示し合わせたわけじゃないけど、そこにはいつも歌見さんがいて、私たちはとりとめのない話を繰り返した。


「狭霧はなんであの日バッセン来たの?」


「あー……カラオケ閉まってたって言ったじゃん。ストレスたまるといつもヒトカラ行ってたんだけど、あの日は臨時休業で……そんな感じ」


「そんなしんどい想いしてまであいつらと一緒に居るの? ひとりってそんなに嫌?」


「まーね。あー、別になんかトラウマがあるとかじゃないよ。今までひとりになったこと無いから怖いってだけ」


「へー」


 歌見さんは興味なさげに自販機で買ったアイスをかじる。

 寂れたバッティングセンターに他の客はいない。

 だからここが気に入ってる、と言っていた。

 

「歌見さんは友達いたことある?」


「喧嘩売ってるなら買うけど」

 

 緩い手刀が私の脇腹に突き刺さった。

 地味に痛い。


「でも正直歌見さんはすごいと思うよ。なんか堂々としてるし」


「……別に。私は逃げてるだけ」


 その時、歌見さんのスカートのポケットが振動した。

 彼女は露骨に顔をしかめながらスマホを取り出して画面を見た。さらに嫌そうな顔になった。


「堂々となんてしてないよ。陰口だって実は効いてるし。効いてないふりしてるだけ」


「そう……なんだ」


 歌見さんは食べ終わったアイスの棒を、指と歯でテコの原理を使ってへし折った。

 乾いた音が響いて、木の棒が無残な姿になる。


「バッセン来てるのも狭霧と同じ。ストレス発散したかっただけ。別にどこでも良かったんだ。時間さえ潰せたら、さ」


 ――――うるっ……さああああああああああいっ!


 初めてここで出会った時、歌見さんは力の限り叫んでいた。

 まあ、別に陰口を叩いているのは私たちだけじゃない。

 それ以外話すこと無いんかってくらいうちのクラスは歌見さんのことで持ちきりだ。

 恐ろしいくらいに美人な同級生のいかがわしいゴシップはそれくらいみんなの気を引く。


 そうやって人の目に晒されていたらストレスも溜まろうというものだ。

 想像するだけで嫌になる。その一端が私なので何も言えないが。


「噂はね、ほんとだよ。私はほんとに男を引っ掛けては放置して帰ってる」


「そうなんだ」


「あはは、興味なさそー。……でも、うん。そういう狭霧だから話せるのかも」


 ……興味がないかと言えば、それは違う。

 噂の真贋とか実情そのものに興味がないだけで、歌見さんの悲しみの根源は知りたいと思っている。


 どうしてだろう。

 どうして私はこうも彼女に惹かれているのだろう。


 誰とだってそれなりの距離を保ってきたのに、彼女からは目が離せない。

 美人だから? それとも肩の力を抜ける唯一の相手だから?

 その答えは、考えてもわからなかった。


「うち母親しかいないんだけどさ。しょっちゅう男連れてくるんだよ。そんでさっきも……ほら」


 歌見さんが見せてくるトーク画面には、『今日は外で食べて帰って』と書かれている。

 画面上部には『お母さん』の表示。


「お母さんの気持ちが知りたくて色んな男引っ掛けてみたけどさ、やっぱり途中で気持ち悪くなって……」


 それで男を放置して帰る悪女の出来上がり、か。

 思ったよりずしりと来る。

 別に彼女を取り巻く状況をどうにかしたいとは思わないし、できるとも思わない。


 だけど、何となく。

 現実を相手に藻掻く彼女が愛おしく感じて、私はゆっくりと丸い頭に手を伸ばす。

 

「よしよし」


「……は!? ちょ、撫でんな……」


「良いからじっとして」


「な……んだよ、もう……」


 だんだんと歌見さんはこうべを垂れて大人しくなる。

 その白い頬がだんだんリンゴのように染まっていく。


「別にさ、わかんなくていいじゃん。私たちも歌見ママも別の人間じゃん。だから、そんなに頑張らなくていいよ」


 薄っぺらいことを言っている。

 私の嫌う、そして歌見さんの嫌う、うわべだけの言葉。

 だけど私は本気だった。

 薄くても間違いなく真剣だった。


「だから適当に生きてみようよ。私と一緒に」


 ひとつ、覚悟をした。

 今ある場所を捨てる覚悟だ。

 思えば元から気に入らない場所だった。

 だけどそれが必要だと思っていたから、しがみついていた。


 でも歌見さんがいるのなら。

 もう必要ないと、そう思ったのだ。

 

「……いいね、それ」


 そんな薄っぺらい言葉だったが、歌見さんは気に入ったらしい。

 まるで世界に反逆することを決めたような――いや、そんな壮大なものではないが、何かを諦め、そして新たな何かを手に入れることを決めたような表情だと思った。


「じゃあ男と遊ぶのやめる。代わりに狭霧が付き合ってね」


「おう。そっちこそ」


 こつん、と拳を合わせる。

 それを皮切りに、私たちは二人になった。

 

 私はグループを抜けて、歌見さんと行動を共にするようになった。

 歌見さんは男を引っ掛けることも無くなり――というか私にべったりなのでそんなことをする暇がない、というのが本人の談。


 身体も心も軽くて仕方ない。他のことはどうでもいい、世界にお互いしかいないような全能感に包まれた。 

 だけどまあ、何事も上手くはいかないもので。

 当然と言えば当然なんだけど、私は元いたグループの標的になった。

 まあ大っぴらに陰口を叩かれるようになったってだけなんだけど――うん。

 私としてはどうでもいい。


 でも、歌見さんは違ったみたいだった。


 


 * * *




「今日帰りどこ行く?」 


「…………」 


 放課後、駅への道を歩きつつ歌見さんに話しかけると反応がない。

 今に始まったことではなく、ここ最近ずっとだ。

 ありていに言って機嫌が悪い。私が悪いというわけではなく――原因は私たちの後方数メートルくらいの距離を空けている女子三人のせいだろう。


 私が元いたグループだ。

 くすくすと笑いながら、ギリギリ聞こえるか聞こえないくらいの声で何やら楽しそうに話している。


「…………でさ、」


「アハハ、それほんとに?」


「マジだって、先輩から聞いたんだけどあいつらって――――」


 ここ最近ずっとこうだ。

 本当に暇なんだな、と私は憐れみを向けるだけなんだけど、歌見さんはそうではないらしい。


「あんまり気にすることないよ?」


「……狭霧は平気なの」


「別に。まあ私も前は色々言ってたし……好きに言わせとけばいいよ」


「私は……」


「今まで表面上は平気そうだったじゃん。どうしたの」 


「だって狭霧は……何でもない」


 私が何なんだろう。

 よくわからん。


「まあこういう時は適当にぱーっと遊んで――――」


 と。

 私が努めて明るい声色をひねり出した時だった。


「え、あの二人売りやってんの?」


「一緒にヤんのかな」


「らしいよ。おっさんと二人でホテル街にいるとこ見たって隣のクラスの子が、」


 足が動いた。

 私じゃなくて歌見さんの。

 ぎゃり、とアスファルトから音がするくらいの勢いで方向転換して、歌見さんは弾丸みたいに陰口団へと突っ込んでいく。

 

「えっ」


「うるっ……さい!!」


 喉よ裂けろと言わんばかりの大音声。

 陰口を言ってた子たちだけじゃなく、近くを歩いていたサラリーマンとか主婦っぽい人とかも面食らっていた。

 い、いきなりなにやってんの?


「お前らうるっさいんだよ!」


「え、は? いきなり何」


「こわ……」


 ほら、普通に引かれてるじゃん。そういう奴らなんだから。

 しかも目立ってるって……。


「別に私に言う分には好きにしたらいいよ。でも狭霧はやめろよ!」


「――――……」 


 ……おお。

 なんだそれ。

 

 歌見さんはギリシャ彫刻かってくらい整った顔面を怒りに歪めている。

 いや、あれはむしろ泣く寸前って感じだ。

 

 よくわからないが歌見さんは怒っているらしい。 

 怒っているからあいつらに直接食って掛かっているらしい。

 それも私のために。


「お前らは知らないだろうけど、あいつめっちゃ良いやつだから! だから適当なことばっか言うのやめろって!」 


 良いやつはお前だよ。


 ……うん、でも、そうだね。

 二人でいようって言ったのに、こうやって私ばかり守ってもらう感じなのは違うか。

 それに――なんだろ。歌見さんが私を想ってくれていることに、思った以上に高揚している。


 だから私はおもむろに歩き出す。

 何やらまくしたてている歌見さんに歩み寄り、隣からその顎を掴んで自分の方を向かせる。

 そして。


「んっ」 

 

「……ん、ん~っ!?」


 唇を重ねた。思った以上の柔らかさで内心驚く。

 一秒、二秒、三秒数えて口を離す。

 歌見さんの白い肌がサウナ入りたてみたいに耳まで赤く染まっている。

 意外と照れ屋でかわいいな。


「私らこういう関係なんで。売りとかやるわけないから」


 そんじゃ。

 端的な言葉を残して、歌見さんの手を取る。走り出す。

 今しがた私の熱いキスを受け取った子は、若干足を縺れさせながらついてきた。


 しばらく走って、誰も追いかけて来ていないことを確認して、路地裏に入る。

 ぜえぜえと息が上がった。運動不足だ。


「なっ……に、してんの!?」


 歌見さんは息を荒げながら声も荒げる。

 うわあ美人の怒り顔って怖い。


「あほか! あんなことしたら別の噂が立てられちゃうでしょ」


「……ほんまや」


「ほんまやじゃないっ!」


 何も考えてなかった。

 

「ごめん。なんかキスしたくなって――それにさ、噂じゃ無くなればいいと思わない?」


「い、意味わからん」


「だから付き合おうってこと。ほら、私は歌見さんのこと好きだし。歌見さんは?」


「は!? い、いや好きって……いきなり言われても……」


「付き合いたくない?」


「そういうんじゃない……けど」


「じゃあいいよね。はい決定」


「ええ……」


 狭霧がおかしくなった……なんてぼやきながら、歩き出した私についてくる。

 自分でもどうしてこんなことをしたのかわからない。

 でも、考えてみれば当然か。


 だって私は最初から歌見さんに目を奪われていたのだから。

 ずっと彼女を目で追っていたのだから。

 そんなの、心を奪われるまで秒読みみたいなもので――あの邂逅が決め手だったのだ。


「はあ、何かもうどうでも良くなってきた。それで、今日はどこ行く?」


 まだ頬に残る朱を手の甲で撫でつけながら、歌見さんはそんな問いを投げてくる。

 どこでもいいけど、そう言ったら丸投げすんなって怒られそう。

 だから適当に考える。歌見さんとならどこだっていいし。


「――――じゃあカラオケで」


 二人で行こうぜ。

 その申し出に、私の彼女は「いいね」と笑うのだった。

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